加藤昇の(新)大豆の話

102. 遺伝子組み換え大豆、欧米の対立

そして次に起こったのが牛海綿状脳症(BSE)問題でした。牛が立てなくてふらふらしている様子がテレビで映し出される度に市民は恐怖感を抱きました。結局これは肉骨粉を牛のタンパク飼料として与えていたことが原因であることがわかり、その利用が中止されましたが、このことは市場統合したEUにとって食糧政策を見直す大きなきっかけとなったのです。この事件をきっかけに食品や飼料の安全性は長期的な視点で見ていこうという流れに変わっていったのです。そしてこの流れはそのまま遺伝子組み換え大豆に対する見方へつながっていき、遺伝子組み換え大豆も輸入禁止となってしまったのです。これに対して米国は猛烈に反駁し、20035月にWTOに提訴しましたが欧州委員会はこれを受けて立ち、真っ向からの対立が始まったのです。

 

この米国の抗議に対応するために欧州議会ではリスク評価の機関を設けるとともに2004年にはその考えに基づいた「遺伝子組み換え食品・飼料についての表示制度」をスタートさせ、これらの表示が適正であるかどうかをチェックするとともに、不測の事態があったときの対応として全ての原材料について生産農家までさかのぼって再検査できる(トレーサビリティ)体制を作り上げました。EUはこの体制を整えてからは遺伝子組み換え大豆の輸入停止の措置を解除しました。このことにより万が一遺伝子組み換え大豆に何らかの問題が見つかった時にも原因究明が出来るシステムを構築することが出来たので輸入禁止措置を解除したのでした。このシステムで遺伝子組み換え大豆が健康上の問題を引き起こした案件は現時点ではありません。しかし、食の安全性に敏感になっているEU市民はアメリカの遺伝子組み換え大豆を使用した食品を購入することはなく、現在も依然として遺伝子組み換え大豆はEUに食い込むことは出来ません。つまりはそれまでに起こっていた食に対する不安がそのまま尾を引き、欧州の食品機関が遺伝子組み換え大豆に対する懸念を取り除いた後も、市民の中に心理的な不安として残っているのです。

 

昔あったジャガイモの話

 私はこれら遺伝子組み換え作物に対する反対運動を見るたびに思い出されるのが、昔ドイツで起こったジャガイモの悪魔騒動です。

 

 ジャガイモの原産地は南米のアンデス山脈とされています。ここで現地の人たちが食べていたジャガイモを、この地へ侵攻したスペイン人がヨーロッパに持ち帰ったのが16世紀でした。ヨーロッパの人たちがジャガイモを愛したのは美しいジャガイモの花でした。そして決してジャガイモを食べようとしませんでした。それは「ジャガイモは悪魔の食べ物だ」という噂が広がったからでした。

 なぜ、悪魔の食べ物と思われたのか、それは「ジャガイモは聖書に書かれていない食べ物だ、これを食べると神の罰が下る」、「土の中で育つのは悪魔だ」、「ジャガイモは悪魔の姿をしていて不気味だ」というものだったようです。そしてみんながそれを信じたので食べ物とは考えられていませんでした。

 ところが1618年から1648年までドイツ(当時はプロイセン)の国土を中心とした「30年戦争」が起こり、30年にわたり畑は踏み荒らされ、地上に食物を育てることが出来なかったのです。それでも国民は「ジャガイモを食べると神の罰が下り病気になる」と言って食べようとしませんでした。

 極度の飢餓に見舞われた状況を憂い、フリードリヒ大王(1712-1786)が「プロイセンのすべての地でジャガイモを栽培しよう」との“ジャガイモ令”を出してジャガイモ栽培を奨励し、空いた畑にジャガイモを植えるようにしたのです。そしてこれをきっかけにしてドイツ人がジャガイモを食べ始めたのです。このジャガイモ栽培は地上の気温があまり上がらない北欧のドイツにあって最良の食料となったのでした。

 

 皆さんもご存知の通り、ドイツへ行くと“ビールとジャガイモ”が今や国民的な食べ物になり、300年前の噂は嘘のような光景になっています。そして私はこの話を、遺伝子組み換え大豆を中傷する噂を耳にするたびに思い出すのです。

 

 現在、国内の自動車事故による死傷者は毎年4千人を超えています。このことは毎日12名の死傷者が発生しているのです。我々は自分に便利だからと見過ごしていて、非難の声も上がりませんが、考えてみれば非常に危険なことが目の前で毎日起こっているのです。これに比べて遺伝子組み換え食品には世界で今も死傷者が出ていません。非難の声を上げる方向が違っているのではないでしょうか。

 

 いつの時代も新しいものに対する警戒感は起きるでしょう。しかし、これからは足を踏み入れたことのない「AI時代」に入っていきます。昔のジャガイモのように300年後の子孫たちに笑われないようにしっかりと事実を見つめて進みたいと思っています。

 

 

 掲載日 2019.7

 

 

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