加藤昇の(新)大豆の話

1. はじめに、 不思議な生命力を持った大豆の物語

 私たちが最もイメージしやすい大豆の利用は、日常の食卓に現れる食品への用途ではないでしょうか。今日一日の自分が食べた食事を振り返ってみると、いかに私たち日本人の食生活が大豆食品を利用しているか、改めて驚かされることでしょう。しかし、それらには奈良時代、平安時代に中国や朝鮮半島から持ち込まれた東アジアの食文化であったり、我が国の寺院や貴族社会などで作り上げられてきた食の歴史が何層にも積み重ねられていることも思いめぐらしておきたいものです。私たちは何気なしに店頭で購入している大豆食品もこうした先人たちの知恵の結晶と見ることが出来るのではないでしょうか。あとの項で詳しく説明しますが、豆腐をみても、そこには昔のモンゴル地方の食文化が原点となっており、万里の長城をはさんだ多くの戦いの中から生まれてきた大豆食品と見ることもできるのです。同じように味噌にしても醤油にしても、その他どれ一つをとってみてもそれぞれには深くて長い道のりを無視することは出来ません。私たちの祖先である縄文人や弥生人が大豆をどのように調理して食べていたか想像してみたことがありましたか。彼らが考えた大豆の食べ方の恩恵を現在の私たちは受け継いでいるのかもしれません。こうした流れの末端において私たちは現在、大豆食品を手にしているのです。

 しかし、このように身近にある大豆も、知れば知るほど不思議な魅力を持った作物であることに気づかされます。大豆の種子には私たちの体にとって最も大切な蛋白質や油脂を豊富に含んでいるばかりでなく、イソフラボンやビタミンEなど、私たちの健康に必要ないろいろな機能成分を提供してくれているのです。これらについてはそれぞれの項目で詳しく話したいと思いますが、大豆にはさらに不思議な力を備えているのです。それは、大豆自身の栄養となる窒素分を空気中の窒素ガスから取り込んで利用することが出来る仕組みを持っているのです。大豆などマメ科植物には、他の植物にない根瘤菌との共生という特技を備えており、化学肥料などに頼らなくても成長することが出来るのです。なぜそのような性質を備えているのか、明確にはされていませんが、そのことについても考えてみたいと思います。

 現代の町に住む人たちは普段の生活の中であまり大豆の姿を目にすることはないでしょう。大豆が私達の前に姿を現わすときには、多くの場合加工されてその姿を変えているからです。煮豆や納豆を見ると大豆を容易に連想できますが、加工されて大豆のイメージから程遠いものもあります。味噌・醤油などの調味料に加工されても、私たちは大豆の加工品と理解できます。しかし牛肉・豚肉・鶏肉などは大豆飼料などで飼育されて作られていますし、鶏卵・牛乳も同じく大豆を原料とした飼料によって作られています。パンやビスケットには大豆油を原料にしたマーガリンなどが練り込まれています。もちろんサラダオイルやマヨネーズなども大豆から搾った油などで作られています。さらにプリントされた新聞紙などの印刷インクも大豆油などで作られているし、クレヨンや石鹸、さらには自動車のバイオ燃料から火薬の原料、合成酒にまで使われていると知れば大豆の隠れた働きに改めて驚かれることでしょう。このように私たちは大豆と深いつながりを持ちながら日々を過ごしているのです。

 私達は大豆を身近な食品として何気なしに食べていますが、世界に目を向けると私たちのように大豆を食べているのはごく限られた人たちだけでした。いわゆる大豆文化圏とされる地域は世界的にも見ても日本、中国、韓国からインドネシアにかけてのアジアの極東地域に限られていました。インドではもう大豆を食べる習慣はなく、むしろヒヨコマメやキマメ、ケツルアズキ、レンズマメなどがマメ食品の主役になっていました。このことを見ただけでも我々と食文化が異なっていたことを知ることでしょう。というよりもむしろ世界の中で大豆を食べている私たちが特別だったのかも知れません。ところが1990年ころから大豆の健康効果が広く知られるようになり、今まで大豆を食べる習慣がなかったこれらの地域でも大豆を食べるようになってきています。FAO(国連食糧農業機関)のマメ類の統計では私たちが食べている大豆は食料としてのマメ類には属していないのです。世界レベルで見ると大豆は「油糧穀物」とされており、油脂をつくる原料であって食べる食材とは分類されていないのです。食べるマメとは、先ほど挙げたヒヨコマメやレンズマメなどなのです。それでも近年は大豆の持つ健康機能が世界的に知れ渡ってきており、アメリカなどのように動脈硬化や心疾患の増加によって医療費が財政を圧迫するのを軽減するために、豆乳や大豆タンパクなど大豆食を奨励している国も多くなってきています。このことから考えても、日本が世界の中で長寿国として評価されているのは昔から大豆を食べる習慣があったことによるものだったのかも知れません。

 大豆は今までは中国が原産地だと思っていた人たちもいました。しかし、後で詳しくお話しますが、近年の考古学的研究によって日本と中国に自生していたツルマメをそれぞれの古代人が栽培を繰り返すことにより約5千年前にそれぞれの地で徐々に大豆に変身していったことが分かっています。 我が国では縄文時代草創期(1万年前)にはツルマメを栽培していた痕跡が見つかっており、それが大豆に変わっていったのが縄文時代中期(約5千年前)であったことが2007年になってわかりました。今後、古代遺跡の発掘によってさらに研究が進んで行くことが期待されています。

 このように大豆は日本、中国を起源として5千年の長い歴史の中で栽培されてきたのですが、20世紀初頭からアメリカが積極的に大豆栽培に乗り出し、その後ブラジル、アルゼンチンなどが続いて大豆栽培に参加してきており、大豆生産の舞台は今や南北アメリカが中心となっています。さらに大豆の経済性と健康機能から現在はアフリカを含む多くの地域で栽培がおこなわれるようになっており、米、小麦、トーモロコシに並ぶ世界レベルで重要な作物の一つとなっています。
 しかし、この大豆をどのように調理して食べるかという大豆の食文化については、我々東アジアの人たちが長い歴史の中で育んできた文化であり、世界に一歩抜きんでていると言えるでしょう。こうして出来上がった我が国の「和食文化」は大豆がその根底で支えているのです。


なお、このシリーズで使った参考文献は、最後のコラムの後ろにまとめて掲載しておきました。

掲載日 2019.7

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