メーター分解整備
バイク本体は全天候型でもなく、クルマのもつシャーシ塗装に守られることはない。
メーターもその一つで、防水ではなく防滴仕様なのだと思うが風化劣化が進みすぎて使い物にならない状況に陥っている。
だた、初見で普通に動きそうな感覚があったのだがスピードメーターも回らず不動であった。
この状態である以上、中古品を見つけるしかないかもしれないと覚悟していた。
外見判断では分からないのでまずは分解してみることにした。
ピンクのバイザーはご愛敬です。(PCで車両特定できないように加工しています)
現在、バイザー自体を新品に付け替えている。
古いバイザーを取り外して保管中。何時か使うときがくると思って(目立ちすぎるため使わない)

これでも、写真映りは良好にしてある。
鳥のうんこやら、ゴミやら、クリアパーツもまったくボヤけて視認性が悪すぎる。
どれくらい程度が悪いかすぐ想像ができるのではないだろうか?
外ケースは塩化ビニール系のプラスチックで構成されている。
一般的な塗装は不可能である。
今日は土曜日の年末。寒いため室内作業としてメーター分解を開始した。
写真にある通り、紫外線による白化現象が発生しており焼けも同時発生。これを修復していく方向にする。
見ての通り、大変汚ねぇ~状況だ。高温、低温の季節風に晒され続けて、屋外路駐を年中365日耐え抜いてきた
放置プレイ10年は硬いぜ
取り付けネジ、ボルトナット、ビス類も全部ダメ。SUS系に交換する。
メーター本体をつないでいるボルト類はSUS系で行うと抵抗値が変化してしまうため純正パーツを購入することにした。
基板内部に用いられている電子パーツも今では入手が難しいものが多い。
だが、僕はそうした材料部品もストックしてあるから一気に交換して適正状況にボトムアップしてしまう。
そうしないと、後々指示精度が落ちてテキトー表示になるからである。
一度ぶっ飛んだメーターは二度と戻らないと思った方が良い。(そのパーツが入手できるのであれば別ね)
よくあるLED化は当然行いますわ。電力使用を最小限度にするために(とはいってもあまり変化はない)
数ワットでも低減できれば良い。
面倒な作業が連続することはわかっているから、地味に地味に作業を進めていく。
実際コゾー連中が動画などでアップロードしているものを見ることも多いが、いやぁ~かなり仕上がりは酷い。
素人以下である。
動けばよいなんて言葉を使う連中も多いが、それでは作業した意味がないというものだ。
「ええ~?これで修復したの」と言わんばかりの品物。素人が手を出す範囲を逸脱している。
レベル低っ!と言葉が出てしまう。
僕はそんなレベルでは治さない。
徹底的に修復する。
状況的にこれでもまだ納得が行かないが
あまり攻めすぎると玩具になるからほどほどの範囲でまずは完了(何だか特別なリミッター解除装置もついているのが気になったが)
今回は、前述のとおり内部基盤から全てやり直して外装ケースも修復してみた。
ここまで修復するのは素人さんには不可能である。
見ての通りだが、外観だけに拘ったスポンジの切り出しだけはオリジナリティを損なうためやめた。(修復前と後が証明できるからね)
土曜日はいつものことだが、気分が落ち着く。気が張っていることが多い仕事だし、小学校の頃からもそうだが土曜日、金曜日の夜は何故か嬉しかった。
温かい家庭に育った感じもあるが、評価は人それぞれだろう。
あの時を思い出すと、除夜の鐘をききながら仕事から帰る。何だったかなと。川橋を自転車で渡る時を思い出すことが多い。
これがバイクだったらもっと楽だろうと思っていた瞬間でもある。
もっとも、バイクよりクルマの方がさらに楽だから。その時は諦めしかなかったからね。
写真にあるメーターには個人情報、入手経路等々特定情報が満載のため一部加工して掲載しています。
カバークリップの3個は純正新品が入手可能。よって、注文済み。
メーター本体を修復するまで、約3か月程度要しています。それだけを修理するわけにはいかないため時間がかることは覚悟しなければいけません。
どんなに急いでも1ヶ月以上は最低でもかかります。
手で触れる場所、重要なパーツ
電装品で特に重要なもの。それはスイッチ類。
これも全て分解修理修復します。
30年という時間は保管状況が最悪だった場合、プラスチック類を劣化させ損傷へと導いてしまう
今回の個体も大きく劣化し再使用できないレベルまで落ち込んでいる。
導通すらしないのだからかなり厄介な問題を抱えている。
マジに前オーナーを殴ってやりたい気持ちになる。
少しずつ、少しずつ薄皮を剥がすようにひとつひとつ分解していった。
特にスタータースイッチは破損状況が最悪で、押しボタンが手動で行わないと戻らない戻しボタンに変化していた。
いわゆる固着しているという状況です。
ハンドルポストも紫外線劣化とサビでNGです。作業内容が細かくなればなるほど不良品がでる。
それは際限がないほど出る。
これも時間を作って、地味に地味にコツコツと修理していくことにする。
今日は左手で操作するウインカースイッチを直す(全くの無反応だから)
エンジン起動まで、さらに遠い世界だなと思いながら地味に行く。人生は簡単に事が済むほど甘くはないということね。
TV局から取材したいと・・・
FZR250Rの修復とは直接的な関りはないが、突如民放TV局から取材の申し込みがあった。
受けたいのはやまやまだが、それに時間を取られるのはちょっと困る。
ということで却下した。
今回も取材関係の問い合わせがあったが、殆どは断っている。
バイクや車の所在が分かってしまうと近所迷惑にもなるし、犯罪に巻き込まれる可能性だってある。
放送局はそうした部分を配慮すらしないから、信用していないということよ。
僕はカメラに映ることが嫌だ。
地道に生きたいから。派手な舞台はもういいかなと。
取材系は気が向かない。
今は、動画主体になっている世の中、雑誌程度の取材では意味がないとも思うし
素人さんだったとしたら、大喜びなのだろう。
アクセス回数も稼げるし。
でも、僕にはそんなもん一切関係ない。
何度みても修復前の状態は最悪
さて、30年以上の時をほぼ不動の状態で放置されてきたスイッチ関係パーツの内部事情はどのようになっているかとても興味があることでしょう。
分解した直後の写真を見せたいところではあるが
余りにも酷くて、飯の時間帯にこれをみたらきっと吐く。
つまり、虫の住処になっていたのである。
野外放置プレイだから、必然なのだろうがちょっとね・・・
自然浄化のプロセスを一歩も二歩も先取りしていたということだ。
端子類も酸化が進んでおりフルオーバーホールするしかない状態だった。
この写真は修理後。大分きれいに収まっている。
現在、ヤマハ純正パーツで取り寄せ可能だが、ロゴやアイコンの形状が大幅に変わっている。海外仕様向けに転用されているのが要因かと。
上記写真はスタータースイッチ側。
完全にオーバーホールして内部構造から見直して接点類も全て調律し直してある。
問題は、ケース外観。こればかりはどうしても修復できる範囲を超えているから(文字も消えてしまう可能性が高い)
適度にというところで止めた。
そして、次の写真は8割程度まで修復が終わったウインカースイッチ側。
こちらのスイッチを修復する作業が大変だった。(全くの不動状態であった)

生きた芋虫系が出てきた。本来は新品交換しなければならないところだがターンシグナルスイッチ系はすでに廃盤となっていた。
入手できないから、直すしかない。
しかし直らんでしょう。スイッチ本体から分離作業した上にある特殊な材料を用いないと完全に機能回復しないのよ。
最初はマジ、困った部分だが、いろいろ構造を調べていくと分かってくるから楽しい。
スタータースイッチについては、位置決め用のプラが割れていることから無理に修復することはせずそのままの状態とした。
後に、予備パーツも入手できたのでそのまま修復して継続使用することに決めた。
中古パーツでもそれなりに良いものがあったこと、それと純正新品で在庫が1個あったため運よく入手することができたことも大きい。
修復して、組み付けるには難易度も高いため失敗する可能性もある。
スイッチ自体も単動作するものを二つ以上搭載している関係で知恵の輪上の作業要求がなされ
組付け難易度が上がるからとても面倒になるのである。
ネジ類の長さも微妙に異なるから、よく見て組み付けることを願う。
当時としてはバイク用のスイッチ開発設計レベルとして最高の状況から発案されたものと感じる。
人間工学的にはちょっとアナログ指向な感じではある。
実際、走行時に使いづらいのよ。ターンスイッチ系(遠いのよ、これが)
スイッチ関係の作業完了までおおよそ1ヶ月程度はかかっている。
改良により、各部動作も軽くタッチするだけで起動するよう機能回復の実現を果たしている
これを書いている今も、故障することなくしっかりと機能しているから高性能化、高耐久にシフトしていることが分かる。
自然と調和しないと良い結果は出せない
この言葉はとても重要大切である。
今日は久しぶりの休日
天候は快晴。
絶好の作業日和である。
しかし風が強く、外作業ができない。
木枯らし一号なのか、寒波の影響で強風発生している。
なんとなくFZR250Rから、今日は作業しなくても良いのでは?
という気持ちが伝わってくる。
そういう日は作業しないようにする。経験とカンがそういわせているのだと思う。
本日の作業予定は塗装。
特に塗装は一発で決めなくてはならず、大物塗装は出来ないため小出し小出しで作業しなくてはならない。
ここのところFZR250Rの修復作業が止まっているために焦りもある。
しかし、ここは何時か走り出す姿をイメージしながら待機となった。
カッコよいことを述べているように思えるが、一言で述べるならば「急ぐものではない」ということだ。
人間は生存できる環境を提供してもらっているのも自然の力であるし、その恩恵を受けているのだから
無理に天候を捻じ曲げて強行しても良い結果は生まれない。ということ。
自然界の中で僕が一番強いと思ったヤツ、我がままを押し通すアホ、チープな考え方を持っている奴は
手に入れた資産、バイクやクルマを直すことは無理である。
気持ちの上で、自然に感謝しないと人間は生きていけない。
自然災害を経験して分かったこと。憎んでも仕方がないから。誰にも当たり散らすことも不可能だし。
作業しているときもそうだ。
もしもあいつが生きていたらどのように世界は変化したのかなと。
作業に集中すればするほど自然とのつながりは薄れていく。故人も目の前を通って行った人も忘れ去られていく。
忘れ去るというより時間経過とともに薄れるといった感じだろうか。忘れることはないが悲しい印象が消えるということなのだろうか。
ふと、普通の普段の自分に戻った時、作業に集中していたのねと気付く。
思い出すことは多いが、今、僕の目の前にその人がいないということは、やはり受け入れなくてはならない事実なのだろう。
自分中心に世界が回らないように。
バイクやクルマは基本的に地球の害でもあるし、便利なものだけに考えてしまうことも多い。
どのようにしたら極力環境を汚さずにできるか、そんな小さなことでも考えながら作業できるようになるとトータルで良い個体ができると思う。
なかなかこうした細かいことを話しても(誰かに言っても理解できない。分からないと思います)
ああ、次回の休日が待ち遠しい。
ここのところ、寒い日が続いている。深夜作業はしたくてもできない。ストーブを持ってきても作業場全体が温まることが不可能だから。
それに火気厳禁だからね。(今のところは)
幼少の頃のルーティン行動
日中の暖かい日、青空を感じながら作業できれば気分も大分楽になるのだが、今度の休日は何時になるのやら。
フルオーバーホールの終わったキャブレタをエンジンに装着してさらに整備を進めればきっとエンジンが復活するだろう。
あの時聴いた心地よい音が蘇るはずだ。
今日は金曜日の夜。
土曜日の前の日はやはり気分が落ち着くし幼少の頃を思い出す。
休日前、金曜の夜の何とも高揚した気分(親から勉強しなさいと怒られるが)
毎週の楽しみ、というかルーティン。
学校から家にスリッパ、サンダル上履きを持ち帰ってきて洗って乾かすこと。
昔ピンク色の靴用せっけんなるものがあって、それを使って洗うと綺麗に落ちて毎週月曜日は爽やかな気分で学校に行ける
自前で上履き洗って乾かして、月曜日に備える。
変な子供だった。(のかもしれない)
周りの連中を見ていると、やはり汚いのよ。勉強ができる出来ないという話は置いておいて
勉強のできるやつは、足元もキレイだからさ。
馬鹿な奴ほど、上履きも服装も「妙な臭い」があって、心なしか「気に入らんな、こいつ」的なオーラが見え隠れしていた。
案の定、そういう奴は大人になった後、朽ち果てていったり、人としてあまり認知されない方向になっている姿が散見される。
グレー色になった白の上履きを復旧させるという不可思議な行動も、今思えばバイクやクルマを修理整備したりすることと感覚は同じ。
慣れとか習慣というのは、後に効くということなのだと思う。
傍から見れば、実に馬鹿らしい行動なのかもしれないが。
別に、誰かと争うために上履きを洗っていたわけでもないし。僕にとって一つの優越感だったのだと思う。
幼少の頃のルーティン行動その2
仕事帰りに、幼少の頃通った駄菓子屋に立ち寄ってみた。FZR250Rの修理中、そういやあの駄菓子屋、模型屋はどうなった?とふと心配になったのだ。
その店は健在で、文房具屋も兼ねているため細々と営業していたのだ。
良かったと思う。昔の思い出が時間と共に環境変化し消えてなくなることも多いから。
で、偶然にも発見したのが懐かしきかな「ビッグワンガム」の大御所「戦艦大和」である。
しっかし、よくあったなと実感している。
これが出てきたときは大興奮したぜ。店の奥で眠っていた一品だからさ。
海水かぶっていなければ良いのだが、箱の状態からすると難を逃れたものらしい。
中に入っていたガムはちょっとした分析に回して様子を見てみた。
固化しているのは内部で表面には不思議な液体(糖化した何か)が付着していたが、なんとなく食えそうな感じはしたがやめた。
死ぬ可能性が高かったから。
上の写真は復刻版ではない。初代初期オリジナルモデルである。今オークションとかでは超高額になっている。
僕は一個100円で手に入れたが。(ケース箱ごと大人買いした)
幼少の頃、これを作るとき誰が一番きれいにできるかと競ったものだ。
今も思うが、ガムはオマケで模型は良く出来ていると思います。(当時の成型と安材料技術の応用は優れていたのだと)
戦艦大和と写っているノギスは年式が大和より古い。
これは親父が愛用していたものを俺が引き継ぎ、そして仕事上でも大活躍しながら、途中途中補修修理を何度も実行し現在に至る。
ニコイチ、サンコイチを繰り返してきた一品なのである。
このノギスは、今後一生使い続けてメンテ継続して僕が死んだら棺桶に入れてもらう(誰かいればの話)
おそらく向こうに行っても使用することになるから。
後、もうひとつは9.5sqの小型ギアラチェット+ロングソケット6角10ミリの組み合わせ。
クルマやバイクを整備する時、必ずと言ってよいほど手に取る工具だけに、あっちの世界にいっても間違いなく使う。
駄菓子屋は最近、店を閉めたようだ。店のおばちゃんの高齢化がひとつあるらしい。
思い出はなくならないが、寂しいと感じる。もっともその店に投資家として投資しても回収は見込めない。
簡単に金もうけできる世界はすくないし、世の中そんなに甘くはない。
だが、平成、昭和の風物詩という言葉で終わらせたくないし、店そのものを潰されてたまるかという思いが強い。
思い出もそこに残るものだからだ。商売するってのはマジ大変だ。今は通販、ネット時代。利便性ばかり先行して人としての心はどうなんだろうかと思わせることが多い。
フレーム類本塗装
一番面倒な塗装工程作業
錆だらけの鉄フレーム、溶接スパッタで処理されていないものを修正加工し現代に合わせた仕様に変更できればと思い行動している。
耐ガソリン性に特化した塗料で吹き付けた。
アルキッド系ではまず無理だから。
曲面塗りはポイントを押さえておかねば良好な塗膜を形成できなからここは経験と慣れが必要な箇所である。
塗装は趣味でもあまりやりたくないのだ。
何故やりたくないか?
理由は環境に配慮したいから。隣近所に迷惑をかけたくない。
実際塗装作業は面白いし楽しい。しかし大物を塗る場合はそれなりに気が引けてしまう。
とりあえず、作業が終わったフレーム類、小物類である。塗装作業中は撮影できる状況ではなかったのでNGです。
かなり厚塗りした感はある。(捨て吹きをもう少し多めにしておくとよかった感じだろうか)
今迄パーツ単体としての状況が悪すぎるために防錆力をカバーした方が良いと考えた。
これまで前オーナーからの酷い仕打ちを考えると、厚塗りしたくもなる。
ここでお断りしておくが、1層塗りではなくプロが必ず行う過程、工程を実施している。
コゾーがよくやる缶スプレー(ウレタンではなくアルキッド系)では無理がある。
耐ガソリン(とはいっても完全耐ガソリンではない)の塗料で対処しないと整備中や修理過程でかならず溶剤系を用いることになるから
塗装が溶けてなくなってしまうことは避けたいのよ。
パウダー塗装もあるとかなり効果的なのだが。
塗装技術も奥が深い。ただね、いかんせん溶剤の臭いは強烈だし体に毒。
プラモデル作っている感覚とは大きく異なる。
最終的な仕上がりは、ケレン作業から始まっているのである。
まだまだ、仮完成状態までの長い道のりが続く。
ヤマハFZR250Rver.7フルレストア 製作委員会