俺がプロメカマンになる礎を作ったクルマ
F6Bカプチーノ製作前に使用していた車体。生活のアシに使っていたフルチューンドスーパーマシンである。
最初は滅茶苦茶のボロクルマだった。
もともと車歴は普通車含めこれ以外にもあるが、ダイハツミラターボTR-XXL70Vが俺にとってクルマを勉強した大きい指標になっている。
F6Bカプチーノと同等かそれ以上の印象を持ち続けている最高のマシンであった。
そのL70Vミラターボはもうこの世にいない。
俺が自ら、70を解体したから。
だから、もうない。
解体する時、それはそれはとても嫌だった。壊したくない気持ちが先行している状況。
保管場所確保できずカプチーノの納車が決まって70の存在をどうすべきか考えていた。
ダイハツにいるある意味友人から「70は保管した方が良い」という言葉を貰ってはいたのだが、諦めざるを得ない状況だった。
めっちゃ速かったからなぁ。お前は。
他人に譲渡するとか、売るとしたらそいつの命が危なくなるくらいのデンジャーなマシンだったし。売るくらいなら破壊するしかないというレベルだった。
もっと簡単に考えればよいと人は言うだろう。しかしあまりにも走りに特化しすぎて過激だった。
自分自身でできる範囲の中で完成されている状況の車体だけによくここまで作り上げることができたと思う最高傑作だった。
こいつのケツを見たのが最後だったな。
あの時は正直涙が出たよ。でもなF6Bカプチーノにお前の意志は引き継がれている。どんなにボロでも直してハイスペックな走りを実現可能にする整備修理体制をお前の存在があったからこそできた技だったと強く感じる。
今では超高額のプレミアム価格に爆高騰しているぜ。
今、手元に残っているのはハンドル中央にあったネームプレートとマスターキー(とはいってもサブもマスターもないけどさ)
どのような仕様に仕上げたか?
俺の手元に来た時はキャブターボのEB20だった。それをEB25から最終発展型になるEB26へとスペックアップした上、エンジン出力を軽規格いっぱいの64PSまで引き上げた・・・わけではなく、それ以上のパワーを与えてカリカリにチューニングした爆速仕様だった。
数値はここでは公表しないが、パワー重視にセットしていたためドッカンターボに近かった感じだろうか。
今は、認証型式問題でいろいろあったからね。それからダイハツをひいきにすることはしないことにしたがいまだに好感がもてる会社であることは確かである。
L502があったならば、もっと違った人生を歩んでいたかもしれない。
当時としては魔改造なんて言葉はなかった時代。クソ状態のタービン、エンジン、シャーシはどこの解体屋にいっても見つけることができた。ただしEB26に関しては、ほぼ入手できる機会がなくて解体屋を捜し歩いていたところ偶然、一番ひいきにしていた親父のいる解体屋で発見することができたのだ。
ある意味運命だったと思う。EB20改キャブターボで乗っていたのだが、キャブの性能があまりにも悪く、燃費が1.8リットルの普通車以下の燃費となり、ガス食いのボロクルマに成り下がっていた。単にエンジン載せ替えを予定した方が楽なんじゃないかと思っていたのだが
EBエンジンとIHIタービンの相性がすごく良くて、アイシンターボは魅力を全く感じなかった。おそらくタービンブロー気味だったこともあって、EB25かEB26のどちらかを探して対処してしまった方が簡単。だが、車体丸車購入となると自身が考える予算をはるかにオーバーしてしまい、カプチーノ購入までの資金調達が出来なくなるなと予測していたから、その辺のゴミ同然のお宝を用いて作業してしまった方が安上がりであると考えたのである。
どこの解体業者にいってもミラターボは数多く発見できたが、あるのはEB20かEB25ばかり
外観は同じだがインタークーラエアスクープの形状が初期型と後期型では異なるから、それを頼りに探した。さすがに予算外の価格を提示するアホ解体業社には無視させてもらったが、予算内に見合うものが偶然発見できてその時はマジに運命を感じた瞬間だった。
EB26の良いところは、EFI、ECU制御、エンジンにはノックセンサーも付属し、550ccの排気量でありながら64PSを発揮する。この数値は標準だから、俺が製作したときの仕様は・・・ちょっとヤバいです。
それでいてEBエンジンは高耐久なんだわ。ピークパワーまでストレスなく回るし、間違いなくJBエンジンに受け継がれていることが分かる。
F6Bカプチーノ同様L70に思う気持ちは大きい=今いる個体を大切にすること
俺は幼少のころから、モノづくりが好きでゼロから何かを創りだすことが大好きな人間だった。最初にプラスドライバーを触ったのは幼稚園の頃。
クルマやバイクをいじり出したのも早い頃からだし、親もよくもまあ何も言わずに好き勝手させてもらった。最初に触ったクルマはスズキセルボSS40。
セルボとは何かしらの縁で繋がっている。そのように思うよ。F5Aのパワー感のなさ、耐久性の低さには驚いたけどな。
当時は速かったのかもしれないが、アンダー強くて曲がらない、リジットリーフもう、最悪のクソクルマだったことも確か。
そんな中、数台の普通車や軽自動車と車歴は進み、廃車寸前のL70Vを見つけて人生の糧になる気がして買った記憶がある。
F6Bカプチーノを製作中も、L70Vの存在は大きかった。小排気量であの加速感は心地よかった。キャブターボでは間違いなく実現できない領域にいたからさ。
カプチーノが納車される前、7日前だったか記念にある大型SSを本気走りした。別れを惜しむような感覚。
少し途中になるが、以前記した内容を再記載する。(なんか消すのは勿体ない気分だからさ)
別れが惜しい気持ちの裏側にあったもの、それは
L70を売却することもできた。だが、仮に誰かの手に渡った時、それは間違いなくその人の命を危険にさらす結果となるクルマだった。
もっと簡単に考えればよいとする人は多いだろう。しかしあまりにも過激すぎた。
他の人間に売却すればそこそこは儲けられたのかもしれない。
だが、俺は物持ちがよい(つまり品物を大切にする心があるからだと思う)からこそ自分自身の大切なものを他人に売却したり譲ったりすることは絶対にしない主義なのである。
70自体を他人に触らせるのもよくない。それに有り余るパワーをそのまま引き継がせたら間違いないくその人の命は危険に晒される。と思った。
だから自分自身で解体したのだ。
復活(元タイトル)としたのは、以前に復活させた記録として残すためであり、70は常にどのような時でも最高だった。ということを誰かに伝えたい。そう思ったのだ。
俺のクルマ人生の中において原点にもあたるのが70なのである。
今となっては中古こそはたまに登場するが、完全ボロしかない。しかし俺が手を加えたクルマならば、錆も綻びも修復され安心していられる環境を提供できる。それだけ学習、経験してきたから。
今も、さんざっぱらサビとの闘いを行ってきて、あの時は綺麗なままの状態で70を解体したのだ。悲しかったけどな。
他人から言わせれば、何故に解体したのか?なぜにこんなにも勿体ないことをしたのだろうかと嘆くだろう。
しかし仕方ないのだ。職人プロとしての行動をしただけであるし、当時は維持できる環境が不足していたのだから。
もしも同じ70を今、入手しようとすると予算に見合うものがなく、それゆえシャーシもかなりヤバい状況になってエンジンはおろか各所腐って朽ち果てている個体しか出てこない。
以前、こいつといたときやり残した部分も多かった。だから今回は、俺が創った魔改造クルマの初期の頃の話を載せることにしたのである。
ボロは入手可能だろう。しかし面白味はほとんどない。俺が考えている仕様は身の周りに見かける旧車好きの人間とは一線を画している。
偶然あるところでシャシダイに載せることができたが、スペックを見て驚いた。
玩具化させないようにするため、いろいろ対策を導入した結果、末恐ろしい速さをもった70が登場してしまった。
今思い出しても、L70は面白い車なのだ(2バルブで550、それでいてパワー感がある)
現在はL502の方が楽しいと思うが。
俺がダイハツ工業を好きになった理由が満載のクルマ、それがL70V MIRAターボTR-XXなのである。
純正パーツを買いに行くのも楽しかった。ほかのメーカーではまず感じられない不思議な感覚だ。
70は俺の魔改造手術を受け、現在のF6Bカプチーノに意志を引き継ぎそしてF6Bカプチーノを製作する基礎になったクルマそのものなのである。
R32スカイラインの存在も大きかった。
俺がダイハツ工業を好きになった理由
何を今更と思うが、最近は少々がっかりな点が相次いで事件化したから、信用回復に努力してほしいと思っている。国をだましちゃ不味かろう。
ダイハツにも直接伝えたが、ありきたりな返答しかなくて、これでは先が思いやられると思っている。
当時、スズキセルボSS40に乗っている頃(無理やり押し付けられたクソボロ=ワンカム6とか言っていたアホがいたが)俺がメカプロになるための指標の一台になったクルマではあったが、技術要素としては簡単すぎたので面白くもなく
燃費も悪く、それでいてただ部品代に費用負担させられるのには飽きていた頃である。そのころから俺はスズキが嫌いということを絶対的確定状態にしたクルマだった。低品質、燃費悪し、いくら直してもクソK6Aのそれと大きく被るのだ。
走っても楽しくもないのに遅いのに予算ばかりかかる。これでは意味がない。
それにディーラーのやつらの態度。これはまさに売ってやるよという感覚そのものだから。これが俺には大変な迷惑で、ツラも見たくないと決定づけた。
農家に軽トラ売ればそれでいい的な。別に売れるからどうでもいい。という態度。スズキのスズキ、スワがいるから余計に行きたくない。
人を小ばかにするアホ人種だけに、近寄ったら最後運が悪くなるからさ。馬鹿はウツルのよ。こいつらの近くにいるだけで。
だからよ、スズキ自販には行かねぇ~わけ。キツネの眼鏡に、タヌキばかりだからさ。
SS40にはさっさと見切りをつけて、もう少し燃費の良いそれでいてそこそこパワーのあるターボ車を探していたところ
ボロだがL70Vを紹介され、俺のところにやってきた。
初めてのダイハツ車、初めてのターボ車。納車された直後は最悪整備のままだった。エンジンオイルは規定量の2倍入ってやがるし、エンジン内部も汚れている。外装も滅茶苦茶ボロ、タイヤも終わってる。もう言うことなしのカス車だった。
唯一良かった点は、足回りがしっかりしていたこと、錆もなく後期型であったこと。
そこからは大分勉強して学習してさらにメカに強くなっていった頃だ。
学生としての本分を全うしつつ、資格試験の勉強もする大変な頃。
そんな中、俺の目の前にL70Vは現れてくれた。こいつとはいろいろなところに行ったし、サーキットも走った。ジムカにも行って練習した。
SS40のクソ車から乗り換えた時、結構感動したことを覚えている。
エアコンも標準装備、ましてやハンドパワーウインドから電動パワーになったのだから。それでいて普通に速い。
タービンの音もまあ、それなり。(アイシンターボの悪いところ)A/R5では仕方ないね。
俺にとって、当時としてはMIRAは超高性能車だったのだ。F5Aのクソエンジン(K6Aよりは上)それをさらにプロ目線からみて、隠れ超高性能車に育て上げる計画を実施することになり、F6Bカプチーノ搭載計画を行動に移す前段階で行われていたプロになるための特別任務といってよい。
俺がダイハツ工業を愛している理由、それは人にある。(最近は好かんよ、理由は国を騙していたからさ)
上から目線となるトヨタ、日産、スズキとは異なり、クルマに対する考え方が自然なところ。ダイハツ本社は果たしてどうかは知らんが、上から目線ということはない。(と、思いたい)
部品を買いに行っても面倒くさがらないし普通の店に入って普通に品物を買う感覚があるから。
モラルセンスに欠けていないところが俺がダイハツを好きな理由なのよ。
クソスズキのように、特にサービスやクソ営業が中途半端なことがない。
最近は知らんけどさ、ディーラー回りもしなくなったし、仲の良い人たちはみんな散って、辞めたやつもいるから。
俺が大学生の時、俺と一緒に成長し共に歩んでくれた一台。それがL70V。
今は亡き友と一緒に遊んだクルマ。
馬鹿みたいに爆速だった。すっごい楽しいクルマだった。
L70VダイハツMIRAターボT 大魔改造計画実行R-XXが来た日
70を引っ張ってきた当日、その日のことは忘れることはない。
車検切れ間近の5万キロ走行の中程度の品物。タービンもアイシンでEB20のキャブターボ(ボロだった)
唯一、良かった点は下回りに一切錆がなく安定していた。今と比べれば価格は格安で入手性も高かった。何故70を選んだか?
それは、単に近くにあったから。ただそれだけ。しかも乗用車ではなく軽貨物で登録してあった謎のマシンだった。
当時からスズキ嫌いな俺。こいつのすぐ隣にはSS20フロンテもあったな。360cc時代のクルマはいらん。電装品も中途半端な感じだった。
70はマジに楽しいクルマだった。
クルマの何たるか、基本を学ぶためにはまずキャブ機構のそれを勉強することが最初かなと。エンジン調律を学習するためにあえて簡単で難しい車種を選んだ。
エンジンフードを開いてすぐ中身を確認してみたところ、俺は当時EFI仕様だと思っていたが、キャブターボだった。納車前日の夢では、EB26が搭載されている超高級品とばかり思っていたが。
いずれにしても、解体屋で探せば数は少ないだろうがEB26は出てくるだろうし、同じシリーズがたくさん転がっていることを考えると何とかなるさと思っていた。金はなかったけどさ。
クルマを学ぶ時、それはキャブ車から入ると後の資産になることは明確に分かる。ひとつ思い出したが、電動パワステ、油圧パワステのいずれかが搭載されたモデルがあったらしいが、俺の70は重ステだったと思う。
防錆状態チェックの時、フロントフェンダー内部からから黒土が出てきて、明らかに畑で使用されていたと思われる節がプンプンする。正直騙されたと思う部分。昔から騙し合いがあるのが業界内の常識だから。この業者は現在、縮小され消えかかっている。ザマミロ。
スチールブロック全盛の頃の話だから、勉強材料としてはとても優れている素材であることは確かだ。なんといっても部品単体重量が軽い。
塗装自体もかなりヤレていて、ただ偶然にも車体色は標準色であったから補修はそこそこ上手に進められて見栄えは良くなった感があった。
唯一サビのあった個所。それはリアゲートとハイマウントストップランプを後付けできるステイ部分。ここはメーカーオプションとして選択可能だったこともあり心配する必要性はないと考えていた部分である。
だが、ブレーキランプの後付けはやはり最初から必要と思う部分であるから標準装備だと思うところだった。が俺のにはなかったのである。
ボロ個体が、これから俺の手によって魔改造され、本物の姿になっていくことになる。今も70を所有していたとしたらどうなっていたか?
それは楽しい時間をさらに共有できたに違いない。今俺にできる現代化仕様にさらに魔改造されていたからである。
部品が枯渇して大変だった可能性もあるが。
大魔改造計画実行
EB20改キャブターボでそれなりに速いクルマに仕立てていたが、限界はある。燃費も悪すぎてやはりこのままではSS40の二の舞になりかねない。ジェット交換で直る程度のものではない領域まで進んでいたため、ここはEB25以上の能力を拝借して電子化することが一番の近道であることとして行動に移した。
第一回目の魔改造計画として上げられるのではと思う部分はあるが、加工設計能力向上の足掛かりとなったベース車として考えるとその恩恵は高く、隠れキャラ的存在かと思える。それが70。
当時としては売れた。3代目MIRAは特に。(高級感もありベストデザイン)
俺のは初代のデザインを引き継いだ2代目。形としてはそれなり。タイヤサイズが合っていない。13インチ以上でないとパワーを受け止めきれない。
今となってはプレミアムがついて需要が増えたものの、どこにでも転がっていた70をあえてページに掲載する必要があるのだろうかと悩んだくらいだ。
魔改造計画を実行するにあたり、チューニングされた70に対しても不満があった。
3代目のように660エンジンで話を進めていけばライトチューンでもそこそこ速く、110ccの排気量差はかなり大きいといえる。
70との境で軽規格が大幅に変更された頃のクルマであるから、大分差はでていると感じる。その分重量は増したのであるが。
機械的な面を考察すると、設定水温、油温が高すぎて燃費向上のために高温方向に振ってあるため俺が考える設定温度に合わせられるよう変更工事を行う必要がある。
温度サイクルが増加すると使用できる期間も減少するからである。
もともと高回転にすることでトルクとパワーを稼ぎ出す構造だけに、小排気量ゆえのジレンマを常に抱えている。それが70だった。
それでも70は俺にとって生活のアシであり、ドライビングテクニックを学ぶための重要な車両である。
普通車に比べ、ランニングコストは小さく済むし、タイヤ代もハイスペックを選ばなければ安く抑えられる。
70で実現できなかったところは全てF6Bカプチーノで達成しているから、受け継いでいると表現しているのである。
さて、魔改造計画実行にあたり、エンジンパーツを整えるために各地の解体業者やリサイクルパーツ部品商(当時はリサイクルパーツは限りなく少なかった)を捜し歩いてみた。
目的はEB26エンジンを探して、そこからフルチューニングすること。まずは電子制御化、インジェクター追加、タービン交換、オイルラインの徹底化等など
チューニングカー嫌いな俺としては、やってはならないことを平気で口ずさんでいるところが憎い(笑)
最近になって、70の純正部品やら保管していたチューニングパーツを知人に譲り渡してしまったが、貴重なエンジンパーツがあったりとちょっと勿体ないことをしたと思っている。
解体業者巡りを数か月行ってみて、EB25はたくさん見つかるが、EB26に関しては全く出てこない。660ミラが登場した頃の直前にEFI化したEB26が登場してきたために個体数が少ない。
F6Bエンジンと同じ希少性がかなり高かったのだと思われる状況。電子制御化は当時として軽自動車としての範囲から認知されていなかった時代なのだと感じる。
5月のある時、仕事返りにいつもの立ち寄る解体屋に行ってみたところ「また、EB25、EB20だろ・・」と積みあがっている70解体車のエンジンフードを開けたらコーションプレートにEB26の文字が見えた。
この時は嬉しかったな。F6Bエンジンを発見したときと同じ感動があった。
店の親父に、これ売ってくれと話したら、格安で譲ってもらえることになり、エンジンは不要だしシャーシも切り刻むから別に・・・といった具合
先に金だけ払って、保管しておいてくれと頼みつつ家に帰宅した。次の日は天候が悪く、部品取り出しに行けない状況だったため諦めていたが
天気予報を見て、翌日も雨となっていた。部品改修は早急に行わないと電装品関係も雨に濡れるとそこで終わるから、雨でも実行するしかない。
と、途中で雨合羽を買って、自前工具を準備してあの時は15時過ぎくらいに現地に入って、積みあがっている70の車内とエンジンルームから必要なパーツを取り出して、せっせと自宅ガレージに運び込んだ。
家に向かう時、やっと俺が考える構造に変更できると思いつつクルマを走らせた。電子武装化によるチューニングも高度化可能。一番は燃費性能を向上させられる。この辺りの方向性を一気に解決できるのは嬉しかった。
ここで追加ネタだが、当時の東京都内での新車価格は938,000円(税抜)
現在、中古でかなりのボロでも50~100万円はする。
バカみたいな話だ。業者間とりひきならば、タダ~2万円ってところ。
中古市場では新車価格を上回る個体も多々存在する。マジにどうなってんだ?この日本の中古軽自動車事情は。
末恐ろしい時代になったと思う。なんでもプレミアムついてるからといって、高すぎる。やっぱ金か。バカバカしい。
おかしな世の中だと思う。それだけ個体数も激減して入手できないということがネックなのだろうが。
旧規格の軽自動車は軽さが最大の武器となる
最初ドノーマル仕様でも普通に速かった。でも、タービンと燃料供給システムがね酷かった。アイシンとミクニのコラボって大したことはなかったから。
A/R5のタービンじゃ、速いといえば遅いと思う。過給音も「ピュィィィィ~ん」って音がいかにもって感じだった。
過給圧も0.6~0.7くらいだったような記憶がある。アイシンターボの限界。
EB20改魔改造仕様計画を実施していた頃は、すでにF6Bエンジン+カプチーノである
「EA21RカプチーノF6B搭載への道」をスタートしていた。F6Bカプチーノのイメージを図面化していた頃とでも言うべきか。
アシクルマの代替として70に乗りその場をしのいでいたともいえる。しかし、この二つの車両は俺にとって大切なものだから限られた予算の中でどれだけのパフォーマンスを実現できるか、腕の見せ所だと思えた。
まずは、足回りと車体の塗装劣化が進んだものを一度リセットするために、各種ブッシュ、ショックアブソーバー、少しだけローダウンになるスプリング交換、車体磨きの研磨剤と最低限の工具を用意した。(そのころはすでに高精度な工具を一定以上揃えていた)
足回りやブレーキ系を整備していくと、コーナリング性能が上がり、一部乗りにくくはなるものの、楽しい仕様に変更することができた。もともとボディ剛性の低いクルマばかりだったから、70もその一台。少しでもボディ剛性を上げるためストラットタワーバーを装着、リアにも同等品を加工して引っ付けていた。
ロールケージ装着も必要だろうかと思い、製品がないか探したが当時は専用品すらなかったからさ、ただ30kg程度重くなりそうなので一部却下して、シャーシ内部と下回り防錆に配慮した仕様とした。
技術的な面、改良要素として解決しなければならない問題は山積み。ひとつひとつ丁寧に作業していくことで少しずつ仕上がっていく。
要は、ノーマル状態から外れているものを元に戻す作業が必須になるということ。
外装整備するだけでもやはり数週間以上は必要で、内装をいじる段階になって初めて車体全体の方向付けをどのようにすべきか検討に入れるわけである。
結局エンジンは降ろして作業することになるからということ。内装自体も汚れていてかなりやれていたが、ひと通り清掃して見栄えよく修正していった。
外装補修修理が終わったら、今度はエンジン、メカ系の整備に入れる。
一番最初に行う整備検査で、エンジン側のプレッシャーを計測する。消耗は進んでいたがプレッシャー圧は各気筒で安定していることが確認できたが、プラグ、オイル等のフルード類、オイルシールは全部交換。電装品も基本的にNGであるため、ハイWヘッドライトバルブ、その他、ハロゲン系で統一した。
タイヤは12インチの状況で我慢している。
で、ある程度ドノーマルに戻ってきたところで、EB25やEB26のどちらか入庫しているか問い合わせ。当時はゴロゴロ解体屋に転がっていたからEB25に関しては容易に入手できた。
話としては、上記に一部戻ることになることをご了承願いたい。
ある時、解体車の中からEB26を発見し、そこからさらに魔改造が始まった。
部品をはぎ取りに行ったとき、小雨の中、工具を濡らしながら分解作業を行ったが、一番下に野積みされているミラ本体の内部に潜りながらコツリコツリとパーツを分離していったのだが、潰されるのではないだろうかとマジに怖かった記憶がある。
解体の社長には前もって夕方か、日中の日の良い時間帯に自分でパーツを引っぺがすからと許可をもらっていたから、結果的に作業しやすい一番下に置いてもらっていたのかもしれない。
2階高層状況だったら、作業できないから(特にタービンやらエンジンパーツを分解するには足場が悪いとかなり厄介だし)
インジェクターを3個取り外しにかかった時、雨がパラついてきて工具も濡れてしまった。でも、工具類は後で分解洗浄して給油をすれば良いだけです。
車体側、エンジン側のパーツは今日を逃してしまえば、雨に濡れてダメになってしまう。そう思うと急ぎ作業で焦る気持ちを抑えつつ強行していった。
部品全てを取り出すことに成功し、EB20プチ改L70Vミラの車内に部品を置きつつ、自宅までゆっくり、ゆっくりと作業場に帰ってきた。
その時点で、微笑みが止まらない。
何故かというと、EB20プチ改から、EB20改のフルチューン仕様に魔改造できるから。である。
今だから明かせるが、その頃のEB20仕様はキャブではお約束のメインジェット交換によるパワーアップを図ってありまして、燃費は実に悪かった。
リッター11kmで落ち着いていたから、方向性は間違っていないことは分かる。
しかし、電子武装化すること、つまりEFIインジェクター化すると当然燃費も向上しさらにはパワーアップも期待できる。
キャブでは限界がある。
詳細として、EB20の圧縮比8.3をそのまま生かしつつEB26化できれば、そして追加大型タービンをIHIにして、ECUをちょこちょこデータ書き換えすれば90PSは確実に出る。
何故、90PSとしているかは、極限を追わないようにするため。
100PS超えたら、街乗りはかなり厳しいから。JBエンジンならば別よ。
スタンダードなEB26では圧縮比は8.0だから、この0.3の違いだけでもトルク性能は十二分に上がる。
さらに、エンジンECUに必須であるノックセンサーもEB25から追加セットされていることが分かっているから、故障するまえの保険も付与できる。
ただ、残念な点がひとつ
EB20のM/Tを使用するため、等長ドライブシャフトの流用ができなかったということ。
トルクステアが極端にでてしまうためここはドライビングセンスで乗り切る他ないのである。(雨の日は少々危険)
ハーネスを入れ替えて、コンピューターもエンジンパーツも全て載せ替えて、エンジンを起動。
音から変わったこと、これは感動した。
トルクは太くなるし、パワーも向上し最高速はいったいいくつまで出るのか?というある意味恐ろしい仕様になっていった。
タービンの大きさも変わっているが、ドッカン仕様ではなくNAエンジンのような感覚で乗れる。
とはいえ、ドライブシャフトの影響もあって路面のミューが低いところでは慎重に走るということだけ守っていけばとても楽しいクルマである。
強化クラッチすらなかった時代だけに、エンジンを降ろしてクラッチ交換を何度も行う羽目になったのは痛かったが
当時としてはエンジンを降ろすことは大して難しい作業とは思わなかった。
550ccの排気量ゆえ、ピークパワーを考慮すると90PSが限界だと感じられる。
こいつを解体する直前まで、最終仕様として80PSまで落としてオールラウンダーな走行性能として成立させ18万キロ程度走行した。
今もEB20改の耐久性を自ら証明できたと思っている。大きすぎるパワーは車体やエンジンを壊す結果になる。短命化は俺にはできない。
L70VミラターボTR-XXは俺にとって最高のクルマである。そしてその意志はF6Bカプチーノに受け継がれている。
俺が死んだ後に、この70に乗りたい心境に駆られるのはやはり愛おしいからなのかもしれない。
過去から現代までのこの時代大切なことが少しずつ確実に忘れ去られていく
だから、この大切な時のことを忘れないために。
この言葉、自動車整備や修理に携わっている人間たちに述べさせてもらう。直接現場で携わっている人間たちに向ける言葉としては
かなりのダメージになる言葉ではないだろうか。
俺は、昔先輩が述べていたこと、経験したことを絶対に忘れない。誰から整備技術や技能を教わったことはない俺でさえ、毎度クルマのパーツや電装品、機械ものを触っていると分かることがある。
時代時間が流れていくと、当時あった基本技術や技能、礎が忘れ去られて失われるということ。モノを大切にすることすら忘れ優しさや心が消えていくことに。
クルマについて言えば、人間臭さがなくなり、優等生ばかりが生まれてくる時代となり、面白味に欠ける。その人の心に、精神に訴えかけてくる何かが不足していることに。
それが分かっている人、なんとなく気付けた若者たちが、クルマで言えば「旧車」に向かい楽しむ方々。優しい人が多いんだわ。実際に接してみると。
確かに、今登場しているトヨタ86やホンダS660の価値も認めてあげたい部分ではある。だけど、旧車には勝てない。
重ねてきた時間と気持ちの面が違いすぎるのだ。
F6Bカプチーノ他を創り上げてきて分かったことも多く、新しい文化も必要とは思うがやはり何か足りないのだ。モノづくりの感覚が失われている今、必要なのは何か?ということに気付いて欲しいもの。
人間の精神や心は、いったいどこに向かっているのか?それを思い起こしてくれるのが旧車であると俺は考えている。
本格的なサーキットを走った時の最終仕様EB20改
全日本大会前の練習会で撮影した一コマである。タダだったし。記念には良い機会だと思ってな。
編集するの面倒だから、別ページで使った写真を載せておく。当時、タグチというお調子者をツルんでいたときの頃だな。
(奴がコレ見ればすぐわかるわ)(会いたくもないけど)
ブーストコントローラー使ってハイブーストに設定すると、また怪しい走りになるため最終仕様の80PSで走行。
当時のエンジンで90PSはすごいと思う。100超えも今では楽勝だけどさ、ヘンダのリッター100PSと同等というより倍以上だろ?
理論値とはまた違うものの、ヤバい領域になることは確かである。
80PSという数字は、様々な結果を元に出した度合いで、末永く乗れる仕様としてはこの辺りが一番ベスト(550ccに限る)なのである。
後、どれくらいこいつに触っていられるのか。
もっと近くからの写真を載せようかと思ったが、各種個人情報満載のため遠巻きで失礼する。
上の写真はコーナーを全開で立ち上がってくるときのものである。
タイヤもブレーキもすでに終わってベーパロックも起こっている。ガンガン走ったから。最後の記念だしな。
F6Bカプチーノで今度走行すると、さらにベストタイムになるだろう。
70との大切な思い出も俺の心の中で死ぬまで走り続ける。
そしてさらにF6Bカプチーノと共に走り出すのである。
走りの研究も学習も70から学んだ。最高速の怖さも実力もこいつから学んだ。
時に、失敗もあったが、あらゆるリカバー能力向上を果たせたのはお前がいたから。
同じ「ワンカム6」であっても、ダイハツが作るとこうなるのかと。
JBならばさらに、水を得た魚のように走れるということになるのだろう。
L502もL880楽しそうだが、俺はF6Bカプチーノの存在がある以上大切にしたいと考えている。
一度は復活計画を立ててみたが、それにかかる費用経費を考えると分散せず維持する側にまわった。
コペンはね、姿カタチがNGなんだわ。
クローズドボディが良い。という結論に至っている。