僕が子供だった頃

それは記憶の奥にある中で一番深部にある大切な思い。あの頃の懐かしい僕だけに向けられた優しい記憶。

僕の目の前を心地よい風と共に吹き抜けていったそれがヤマハFZR250R

何時か乗ってみたいと思わせる。こいつにしか出せない特別な音を奏でながら。

僕だけに与えられたあの時の懐かしい気持ち、その懐かしい気持ちがFZR250Rと共に蘇る。ずっと待ち続けて、きっと叶う夢を信じ続けて

ついにその時が巡ってきた。

FZR250Rに触るとき、大切な思いを少しずつ少しずつ手繰り寄せるように。

人生は一度きり、そしてより良き人生をさらに良き方向へ進ませるために、我が人生の中で一番辛かった頃、楽しかった頃、そして一番輝いていた時に帰ります。


 何故今更になってバイク復活修理なのか?

ある人の人生が終わった時に深く考える機会を貰ったから。その一言に尽きる。その人の人生を見てきて、人の人生とはいきなり終わったりするもの。人はある時裏切りを平気でする。

僕は嘘をついたり騙したりすることはしないしできない。人を陥れることもできないししたくない。若くして亡くなった人から分かること学ぶことは、やはり後悔しか残らないということ。

自分自身の人生が一体いつ終わるのか分かりはしないが、今できることを精いっぱい生きて、行ってじっくりと自分の人生を振り返ることができたとき、それが良かったか、悪かったか判断できると思う。良き方向に進ませることも生きている人の務めであるし。

人間死んじまったら次の世界があるとは思えないし、あると信じたい。ならばできることを最大限行ってみて「よかった」と思える人生にしたい。それだけです。

僕が学生の頃、思い出したくもないことばかりが続いた。周りの家庭は裕福な人たちが多かった。僕のところはいたって平凡。欲しいものがあっても欲を出さない子供だったから、バイクが欲しいなんてことも言えなかった。社会人になった後はクルマを直す、修理することを生活の一部として趣味として時間を過ごしてきた僕である。

今さらになってバイクなんてもう不要だと自分自身に言い聞かせ蓋をして生きてきてしまった。

だけど、ある日、ある時、身近な人が他界して「死」を考えたとき、人生時間は有限なのだと。今動かなければきっと後悔すると悟ったのである。

急に学生の頃を思い出して、もっと我がままをしておけばと考えるようになり、しかし性分なのかそれすらできず大学に進み後に就職して人生を走り続けてきた感が大いにあり、残りの人生の中で果たしてどれくらいの小さな、そして大きな夢を叶えることができるのか試したくなったというのが今回FZRシリーズを実施してみたくなった最大の理由なのだと思います。

生きるって何だろうか?と思うことが多くなってきています。

昔のバイクを修理するということは、今となっては腐り果ててボロボロのはずです。状態の良い個体は自分自身が用意できる予算はありません。高すぎますからね。

学生の頃は原チャリに乗ることも許されない世界だったから、今になってちょっと悪ぶってみようかなと。少々弾けたのかもしれない。急逝してしまった人にも後々に修復されたFZR250Rを見せることもできたことがひとつの集大成。

「静かだけど、音良いね」「心地よい音だ」と言ってもらえたこと。今も思い出すよ。元ヤンキー姉ちゃん。

生前「人生は楽しまなくてはいけないよ」と

その言葉に自身の人生を重ねて焦りを感じたのもひとつだろう。


 人生の成れの果てにはなってはならないから

その人を看取った時、仕事として介護をしていた時に思ったよ。人間生きていくには、やはり金は必要だが品物は結局あの世に持ってはいけない。気持ちはともかく有機物は天国に持ってはいけないということ。

子供のころ、若いころを考えると、どうしても親にこれが欲しいとおねだりしたりすることが良くないこととして育ってきた僕は、社会人になった後も欲のない人生を歩んできてしまった。生きることに精いっぱいだったことも大きいと思う。そんな中、リターンライダーが世の中に多くいることを知り、ムダ金にはならない程度に免許を取得、いわゆる普通自動二輪免許と大型免許を同時取得してきた。

昔の両親だったら、超怒られただろうな。しかし決めるのも自分、ある程度余裕が出てきたからということも大きい。当時親の決め事や学校校則が足かせになってバイクに乗ることなんて夢のまた夢で終わり、その後はクルマ生活、バイクなんて不要と思っていたが、最近になってバイクに乗って旅に出る姿を夢にみたり、自転車感覚でバイクに乗る姿がイメージできたのも大きい。(自転車を乗る感覚とは違うが)。

もちろん、学生の頃からバイクは好きであったが、ケガのリスクを考えると手が出せなかったのも理由にある。そういう意味ではバイク嫌いとして行動。

それにクルマは基本的に全天候型で楽しい、疲れもバイクとは比較にならないくらい小さく、眠くなったら仮眠もとれる。バイクではそうは行かない。テント張って野宿だし。

要するにクルマであればケガのリスクや命を持っていかれる心配度合いはかなり低いから。

もう他界した親父にはこの世に生をもたらしてくれたことには感謝しているが、FZR250Rを手に入れる前に友人の死に直面して人生感覚における心的影響力が大きいすぎたということなのだと思う、そこに元ヤン姉ちゃんの死は、僕にとって大きな痛手でもある。付き合いも永かったからな。

美容師をしていたその人は、僕が学生の頃からの友人なのだ。4発1HXの音を聴くと、これは完全にF1のV12気筒エンジンのエキゾーストノートそのものである。ここ最近はバイクに乗る余裕時間がなくて、ガレージにしまい込んでいるが時折エンジンを起動して音を楽しんでいる。

元ヤン姉ちゃんの死、人の死とは、少なからず相手に影響を与えることは確かだ。「若くして死ぬことは、親不孝である」

天国というものが存在するのであれば(あると信じたいが)その人に通じるかもしれない。その人は夢にも出てこないから、恥ずかしいのかね。と自分自身を慰めたりしている。カッコつかない部分ではあるものの、そうした一面をチラリと元ヤン姉ちゃんが見に来ているのかもしれない。

別れは辛いからということか。

人に迷惑をかけない範囲でバイクを直したり、クルマを修理したり整備したりして生活の一部、そして足として最大限作業力を投入することで、お互い何かの形で意志が繋がっている、そういう関係でいられる。そのように思って毎日を過ごしている。

 ヤマハFZR250R3LNを探す(別ページに書く)

このあたりのところもあえて詳細を描くことは控える。個体を探すことはプロとしてノウハウ満載だからね。かの形で意志が繋がっている、そういう関係でいられる。


 購入予算は極力抑える

最近、4発クオータエンジン搭載バイク陣の爆騰には驚かされる。

これには電子制御版の新型250系バイクが登場したことも大きいのだと思うが、しかしだ、僕は当時の思い出を手に入れたいと思い、車種については限定して探しこむことにしている。当時僕が乗りたいと思っていたFZR、ヘンダNSR、VFRはもう製造なんてされていないし、純正パーツのほとんど全てが廃盤に入手困難である。新品に近い中古車もゼロ。

価格帯も大幅に上昇し手は出せず、高額車両を購入するよりも、全体予算のうち多くを維持費用に回した方がよほどお得になる計算になる。

それであれば、ボロボロで十分。何故ならば修復修理できる能力をすでに自分自身が持っているから。そういう結論の元で車体個体探しを実施することにした。中古業者を利用すれば格安なものを入手できるだろう。という予測が成り立つ。

まずは、努力体になるであろうオークション、個人売買から検索開始してみた。(多分それに叶うものはない)

 結論=ボロしかない(笑)

予測に反して、というか正解で結局ボロしかなく、どうせ最初から期待はしていない。部品単体は安いが、フレームだけのみ探していくと予算オーバーになる。アホくさ。

部品もサビサビ錆で使い物になりそうなものは皆無といってよい。

どうしてこうヤフオクなどの個人売買取引はガセ、嘘ばっかりつくのかね。最悪盗難品である可能性も否定できず、中古パーツなんてこんなクソゴミ、いらんわ。

悪戯入札は多いわ、AIに任せた少額自動取引もあり、いつになっても終わらないシステムを組まれた日にゃ目も充てられない。

マジ、クソ野郎、ゴミ人間しかいない。これでは目的の品物すら購入することも危うい。クソ連中しかいないのかね。小物部品やバイク屋、業者でも入手できないものはやはりヤフオクに頼る結果にはなるが、もう少し正確な情報を載せてほしいものである。

よって、ヤフオク系は捨て去り、業者間取引によるものにシフトし、なおかつ正規書類が整っているものを探せないか直接打診してみることにした。

再度述べるが(現在編集中)


 どのように時代が進歩し技術と技能が向上したとしても
                  その礎にあるのは人なのである

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ヤマハFZR250Rver.7フルレストア製作委員会
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