機動警察Kanon第170話












  「朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べてお仕事行くよ〜

  「朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べてお仕事行くよ〜」

  「朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べてお仕事行くよ〜

  「朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べてお仕事行くよ〜」



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  「……んにゅ……」

  名雪は寝ぼけたまま目覚まし時計に手を伸ばした。

 「…………………」

 起きあがったもののまだ脳みそは眠っているらしい。

 糸目でぼーっと布団の上に座り込む。

 カーテンの隙間から差し込む太陽が暖かい…というかクソ暑い。

 今日もさぞや猛暑のことだろう。

「……仕事があるし……起きなくちゃね………」

 眠い目をこすりながら特車二課の制服に着替えると名雪は宿直室を出た。





  「おっ、三年寝花子だ」

 宿直室を出るなり出くわした祐一は名雪を見るなりそう言った。

 思わず抗議する名雪。

 「酷いよ、祐一〜。わたしちゃんと一人で起きたんだからね」

 「それなら就業時間前に起きてこい。もうすぐ昼だぞ」

 「嘘!?」

 「嘘じゃない、本当だ。時計を見てみろ」

 そう言われた名雪は慌てて廊下にかかっていた古めかしい時計に視線をやった。

 「うぅ〜、本当だよ……」

 「まあ昨日の今日だからな。気にするな」

 「…それだよ!!」

 名雪はようやくと思い出した。昨日の死闘のことを……。

 「祐一、どうなっているの!?」

 名雪の言葉に祐一は肩をすくめた。

 「どうなっているも何も……今検屍中」

 祐一の言葉に名雪はほっとした。

 「良かった……昨日のアレ、もしかして夢だったんじゃないかって思っちゃったよ」

 「T細胞弾頭の威力はばっちりだったからな」

 「うん、そうだよね」

 名雪は昨日のことの出来事を思い出しながらうんうんと頷いた。





  たった二発しか生産されなかった時限爆弾ことT細胞弾頭。

 一発は真琴が失敗したが、名雪が担当した一発は物の見事に怪物の体に撃ち込まれたのだ。

 そしてその撃ち込まれたT細胞弾頭は予想通りに…いや予想以上に威力を発揮したのだ。

 撃ち込まれた直後にはもう怪物は足腰が立たなくなっていた。

 それこそ一瞬のうちに体内を駆けめぐったのであろう。

 地面に崩れ落ち、抵抗できずにただのたうち回るだけのその姿は人類の敵とはいえ痛々しいもの

 であったのだ。




  「いつ死んだの?」

 昨夜床にはいるときにはまだ怪物は弱々しいながらも息があったはず。

 名雪が尋ねると祐一は答えた。

 「ついさっきだ」

 「……ということは丸一日も苦しんだんだ……」

 「医学の進歩って言うのはすごいよな。たった一日で生き物を癌にして殺しちまうんだから」

 「だね」

 「…見に行くか?」

 祐一の言葉に名雪は一瞬考え込み、そして頷いた。

 「うん。でもご飯食べてからね」

 「了解」

 そして二人はてこてこと食堂へと歩いていった。







  「おはよ〜」

 「おーっす」

 名雪と祐一が食堂に入ると、第二小隊の面々は雁首そろえて昼飯を取っているところであった。

 「おはよ〜。名雪さん、今起きたの?」

 「うん、そうだよ」

 「祐一さん、ご苦労様でした」

 「別に俺が起こした訳じゃないけどな」

 あゆと名雪の会話を耳にした真琴が呆れ顔をした。

 「…ずっと寝てたの?」

 「そうらしいな」

 祐一はそう答えるとテーブルに並んでいるおかず等々をトレーに乗せ、席に座った。

 いつもならば上海停の出前なのだろう。

 しかし怪物騒ぎの影響で外部の人間が特車二課に居る今は臨時に食事が外から運び込まれていた。

 そのため特車二課の食生活は一時的ではあるが大幅に改善されていたのだ。

 おかげで

 「いちご〜いちご〜いちご〜♪」

 起きた早々機嫌のいい名雪だ。




  「ごちそうさん」

 特車二課などといういつ出動がかかるかわからない部署に配属されてしまった性ゆえに、祐一は

 あっというまに昼食を食べ終えてしまう。

 一方、同じ環境のはずの名雪は「おいしいよ〜」を連発しながらゆっくり味わって食べている。

 「お前は飯食うの遅いな」

 「ゆ、祐一が早いだけだよ〜」

 一人で怪物の見物に行くと名雪がすねるだろう。

 手持ちぶさたになってしまった祐一は、隣で番茶をすすっている美汐に話しかけた。

 「どうだ、もう見て来たか?」

 すると美汐は首を横に振った。

 「いいえ。関係者以外は立ち入り禁止ですのでまだ見ていません」

 「俺たちは関係者じゃないのか?」

 「T細胞弾頭を撃ち込んだ段階で関係者ではなくなったみたいです」

 「どういうことだ?」

 「そういうことですね」

 「…つまらないな」

 「はい、つまらないです」

 「……………」

 美汐にからかわれているのか? 

 一人悩む祐一であった。








  「…………」

 貴島和宏しゃがみ込むと、無言でピンセットで目の前の物体……13号の屍体をつまんだ。

 するとピンセットでつまんだその箇所はぼろっとこそげ落ちた。

 「ボロボロですね」

 「ああ。すっかり壊死しているな」

 アシスタントの言葉に貴島は頷いた。

 「実験通りの結果が出ていますね」

 「実験以上だ。たった一日でここまでとは……」

 「原因はなんでしょう?」

 「…仮説だがやつは高圧電流による攻撃を受けている」

 「ええ」

 「そのために細胞の活性化が進んでいたのかもしれない。

 それでT細胞のとりこみと分裂も早かった。ホルステッド博士の論文を覚えていないか?」

 「そういえば……。帰ったら実験してみましょう」

 「そうだな」

 二人が学術的な話題で盛り上がっていると怪物対策本部のお偉いさんが話しかけてきた。

 「どうだね? もう安全かね?」

 「そうですね……」

 貴島は少し考え込み、頷いた。

 「たぶん平気でしょう。ただ念には念を入れておいた方が」

 「わかった」

 お偉いさんは頷いた。

 「屍体はサンプルだけを除いて焼却処分。その後薬品で滅菌処理を行おう」

 「それなら大丈夫でしょう」

 貴島の言葉にお偉いさんは笑った。

 「これでやっと今回の騒動も終了というわけだ。色々あったが助かったよ。ご苦労さん」

 「いえ、それほどでは……」

 貴島は首を横に振ると立ち上がった。

 「もううちでお手伝いすることはありませんね?」

 「うん、そうだな。あとは我々で始末しよう」

 「それでは失礼します。おい、行くぞ」

 そう言うと貴島はアシスタントを引き連れ、その場を離れた。

 そして東都生物工学研究所へ帰るべく車へと向かおうとする。

 「あっ、いけない」

 「どうした?」

 アシスタントの言葉に貴島が聞き返すと彼は苦笑いした。

 「忘れ物しました。取ってきますので車で待っていてください」

 「わかった」

 そう言って貴島は一人車へ向かう。

 すると車の手前50mほどの位置、そこに特車二課の制服を着た人間が一人立っていた。






  「これは水瀬さん、どうしました?」

 二三日ほど顔をつきあわせ、廃棄物十三号を仕留めるにあたり協力した人間だ。

 正直言って警察官を相手にしたくはなかったが無碍にもできない。

 貴島がそう尋ねると秋子さんはにっこりほほえんだ。

 「警察を代表してお礼を言おうと思いまして」

 「お礼?」

 貴島は苦笑した。

 「私たちは当たり前のことをやっただけです。

 お礼を言われるような大したことは何もしていませんよ」

 すると秋子さんは首を横に振り、そしてずばっと言った。

 「あら、電話で親切な忠告をしてくださったじゃやありませんか。覚えていません?

 あの『T細胞の完成まで怪物に手を出すな』って」

 「!?」

 まさかの言葉に貴島は一瞬絶句した。

 しかしすぐに、かすかにふるえる口調ではあったが何とか反応した。

 「い、一体何の話です? 私は知りませんが……」

 「あら、そうでした? 私はてっきりそうだとばかり」

 「…なぜ私だと?」

 「いえいえ、それほど大した理由はないんですよ。

 ただあなたのところの研究所、あの怪物と何か因縁があるのかと思ったものですから」

 「…………」

 「あの新木場に飛び込んだ女の人、望月幾美博士の妹さんだったそうですね。

 なんであんなことをしたんでしょう? 動機に心当たりとかありません?」

 「…いや……わたしにもさっぱりでして……」

 動揺を隠しきれないでいる貴島を無視して秋子さんは続ける。

 「意識は回復したそうですがここ数年間の記憶はきれいさっぱり抜け落ちているそうです。

 所長さんも倒られて……東都生物工学研究所もしばらく大変でしょう?」

 「……………」

 貴島は何も答えない。

 「……………」

 そして秋子さんも口を閉ざして黙り込む。

 しばらく二人の間を沈黙が走る。

 とその時、海風に乗って遠くの方からカンカンという金属の響く音が聞こえてきた。

 思わず気になり、そちらの方角を向く貴島。

 「気になります?」

 秋子さんの言葉に貴島は黙って頷いた。

 「埋め立て地の工事が一部再開され始めたそうです」

 「……警戒は解除されたんですか?」

 「ええ、地上部分の一部がですけどね。

 いつまでも工事を止めておくとゼネコンやら土建屋さんの経営も大変ですからね。

 でも…こんなに急いで海をなくしてしまってどうするつもりなんでしょう?」

 「……人間にはT細胞以上の自滅のための遺伝子が備わっている。

 そう思ったことはありませんか?」

 「あまり考えたくないですけど同感ですね」

 その時、背後から貴島を呼ぶ声がした。

 「失礼。忙しいものですから」

 「そのようですね。がんばってください。…ところで貴島さん?」

 「何です?」

 「自滅の遺伝子ですけど…お互いにそんなものは潜伏したままにしておきたいものですね」

 「……そうですね」

 秋子さんの問いかけに貴島は頷き、そして歩き出した。

 かくして初夏の東京湾を騒がした怪物騒動はきれいに幕を閉じたのであった。



















  「そんな風にきれいに幕を閉じないでください」

 いきなりの秋子さんの発言に課長は目を丸くした。

 「み、水瀬くん。一体何事かね?」

 「いえ、何でもないです」

 秋子さんは笑顔で答える。

 その様子に課長は内面ため息をつきつつも、状況を説明した。

 「まあさっきも言ったように、今回の事件はここまでだそうだ」

 「東都生物工学研究所には手を出さないと?」

 「そういうことだ」

 「なぜです?」

 「捜査を入れる理由がないと言われた」

 「理由がない…ですか」

 「私も不自然に思ったが……仕方がないだろう。どうも上の方から圧力もあったらしいし」

 「圧力ですか」

 「こういうことは元公安の君の方が詳しいだろ」

 「確かにそうなんですけどね」

 しょっちゅう何かと隠蔽やら何やらをやる秋子さんは思わず苦笑いした。

 「確かに理屈はわかるんですけどね」

 「不満かね?」

 「いえいえ、とんでもないです」

 秋子さんは手をぱたぱた振った。

 「これでも警察で飯を食って長いんです。それくらいの理屈は十二分にわかっています。

 ただ部下たちのために何らかのけじめが欲しいんですよね」

 「…確かに若い連中は納得できないかもしれないな」

 課長は腕を組んで考え込む。

 そこへ秋子さんが提案した。

 「どうです、課長。ここは一つ……」

 「うんうん、なるほど……」









  それから数時間後のハンガー内にて。。

 「本日午後3時をもって湾岸における非常警備体制は解除された」

 課長の宣言に、集まっていた第一・第二小隊ならびに整備班の面々は喜びの歓声をあげた。

 「やった〜! これでゆっくり休めるぞ!!」

 「パチンコだ、パチンコ!!」

 「女だ、女!!」

 「酒だ、酒を飲みまくるぞ!!」

 「肉まん、肉まん♪」

 「たい焼き、たい焼き♪」

 「ゴホン、ゴホン!!」

 課長の咳払いに騒ぎは一瞬に静まった。

 「…この一週間あまりの諸君の不眠不休の働きは、課長の私としても誠に感にたえない。

 よってささやかながら諸君の労をねぎらいたい」

 
「「「「「「「おおおおおっつ!!!」」」」」」」」

 一斉に歓喜の声がわき上がる。

 まさか課長がそんなことをしてくれるとは夢にも思っていなかったのであろう。

 「水瀬くん」

 「はい」

 課長の言葉にうなずいた秋子さんはこほんと軽く咳払いすると高らかに宣告した。

 「課長のおごりで特車二課の全員、飲み放題・食べ放題です」

 「「「「「「「おおおおおっつ!!!」」」」」」」」

 特車二課の一同、これには驚いた。

 しかしもっと驚いたのは課長その人であった。

 
「み、水瀬くん…どういうつもりかね!?」

 小声で秋子さんを問いつめる課長。

 しかし特車二課の真の実力者には課長の意向など全く関係なかった。

 「さすが課長、上司の鏡ですね。私、感服しました♪」

 
「キ、キミ!!」

 泣きそうな課長。

 しかしこれは無理もなかった。



 「イチゴサンデーにショートケーキに苺ムースにそれにそれに♪」

 「たい焼き♪ たい焼き♪」

 「肉まん♪ 肉まん♪」

 「バニラアイスにチョコ・ストロベリー・チョコチップにそれからそれから……」

 「みゅ〜♪ はんばーがー〜♪」

 『大トロに中トロにイクラにウニに…いっぱい食べるの♪』

 「ワッフル…いっぱい……」

 特車二課にはやけに食い意地の張った者が多いのだ。




 それに

  「やった〜♪ 食べ放題だって、雪ちゃん♪」

 「課長が破産しない程度に遠慮しなさいよ」

 「わかった。腹八分目にとどめておくよ」

 特車二課には警視庁一、いや警察官一の食欲魔神がいるのだ。











 「いやだ〜! 俺のボーナスが全部食いつぶされる〜!! せめて川名巡査部長だけは勘弁してくれ〜!!」

 しかし課長の叫びは誰にも届かなかった。

 「それじゃあみんな、行きましょう」

「「「「「はぁ〜い!!」」」」」






 かくして数時間後。

 「「「「「「課長、ごちそうさまでした!!」」」」」

 めいいっぱい飲み食いした一同が解散したその後には

「俺のボーナスが…俺のボーナスが……」

 と真っ白に燃え尽きた課長がいたとか、いなかったとか。






あとがき
これで廃棄物十三号編はおしまいです。

次からはオリジナルの『二課の夏休み編』に行きます。

…しかし冬のまっさかりに夏休みの話を書くとは…思ってもいなかったな(笑)。




2002.01.16

誠に申し訳ありませんが「特車二課海へ行く」編はなかったことにさせていただきます。

そのためこの170話は改訂。

また旧171話・172話は削除、新しく書き直しますので勘弁してください。

それでは


2003.05.04

 

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