憲法と自衛隊
 
 


 
 今日5月3日は憲法記念日です。
ですから今回私は憲法について、とくに何かと話題になってしまう自衛隊をメインに自分の考えを述べたいと思います。
なお私はばりばりの改憲派(十年以上前から)なので護憲派の方はここで引き返すか、読むのを止めてください。
また自分と意見が違うからと言って嫌がらせは止めてくださいね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 みなさんは自衛隊をどう思いますか?
自衛隊は軍隊なんかじゃない?
それとも軍事費は世界でも三本の指に入る世界屈指の軍隊?
それとも国立土木作業会社?
まあ色々な意見があると思います。
そのなかで私の意見は自衛隊は紛れもない軍隊である、ということです。
だからといって決して強い軍隊ではなく、先進国の中では最弱の部類に入るやつ。
それが私の自衛隊観ですね。
 
 
 憲法第九条には以下のようなことが書かれています。
【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
@日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決するために手段としては、永久にこれを放棄する。
A前項の目的を達するため、陸海空軍その他戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 
 この条文から厳密に解釈すれば誰がどう言いつくろうと自衛隊は憲法違反です。
どんなに憲法解釈したところで違反は違反です。
それを無理に言いつくろうから無理が生じるのです。
 
 では自衛隊は憲法違反だから無くしましょうか?
もちろんそんなことは不可能です。
なぜならば政治というのは正義や道徳によって行うものではないからです。
つねに自国に有利なように駆け引きをするものなのです。
そんな世界に裸でいることなど無謀きわまりありません。
その昔「自衛隊なしというのは裸で女性が町を歩いていて強姦されるようなもの」という例えをした閣僚がいたような記憶があります。
もちろん彼はこの発言でクビになったとか。
たしかに例えとしてはきわめて不謹慎ですがこれは言い得て妙です。
私もわかりやすくこの問題を説明しろと言われたらこう説明するでしょう。
つまり軍隊というか暴力というのはそれほど威嚇能力として重要なのです。
 
 そも昔プロシア(現ドイツ)にクラウゼヴィッツ(これでOK?)という軍人がいました。
彼はその著書「戦争論」で“戦争とは政治の一形態である”(うろ覚え。間違っているかもしれないが意味はだいたい同じ)といっています。
つまり戦争というのは外交や内政と同じく政治活動なのです。
もちろん戦争をやれとか言うことではありません。
ようは自らの手段を制限するようなアホな憲法など作るな、ということなのです。
 
 
 私は最初に書いたように改憲派です。
それも特に憲法九条改正派です。
その理由ですが日本国憲法はGHQに押しつけられたから、ということは言う気がありません。
たとえ押しつけられた(実際は日本人もけっこう憲法にタッチしている)としても日本国民が選挙で選んだ以上それは日本国国民の総意によるものだからです。
ではなぜ改正しろ、というのか。
それにはまず私の国家観を述べたいと思います。
 
 
 私は国が絶対やらなければいけない、すなわち国家の義務と思っていることが三つあります。
第一は国防、すなわち敵国から国民を守らなければならないといことです。
第二は治安、すなわち犯罪者を殲滅、国民が安全に暮らせるようにしなければいけないといことです。
第三は裁判、すなわち明確な社会の正義の指針を示すといことです。
これらは基本的人権のもっとも基本、すなわち社会生活を安全に過ごすためには必要不可欠です。
生きていなければ何の意味もありませんからね。
 


 つまり私にとって日本国憲法第九条というのは国家の義務を果たさないとんでもない代物なのです。
つまり欠陥憲法というわけ。
ですから私はその欠陥を訂正するために憲法を改正しようと言うわけ。
もちろんそれだけではありません。
すでに日本国憲法が施行されて50年以上、それだけ経てば法律が不十分なのはいうまでもありません。
憲法というのは国家の政治目標ではありません。
政治手段の道具なのです。
ですから不都合が生じればどんどん変えていく。
それが私の憲法観です。
 
 

 最後に個人的憲法九条改正案を
【国防に関する事項】
@日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、その実現を目指して国際社会と協調してこれを断固遂行する。
A前項の目的を達するため、陸海空軍その他戦力を保有、運用する。国の交戦権は、国際ルールに基づく形でのみ発動を認められる。
 
 
2001年5月3日 憲法記念日に

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