結婚前夜の二人












  「うぅ〜、遅いよ〜」

 名雪は腕時計をちらっと見て、そう呟いた。
 すでに時計の針は約束の時間が来たことを示している。
 だがホテルのロビーには親友の姿はどこにもない。


  「何かあったのかな?」

 学生時代、遅刻などすることの無かったしっかりした性格の親友だけに名雪は心配になった。



  「…電話してみよ」

 電話帳を呼び出して友達欄から目的の名前を捜す。

 「み…みさか…美坂香里…ってあったよ」

 お目当ての番号を見つけた名雪はピッとボタンを押す。


  プルルルル プルルルル


  『はい、もしもし?』

 数回のコール音の後に出た親友の声に名雪はほっとしながら口を開いた。
 
 「あ、もしもしわたしだけど…」
 『あら、名雪。どうしたの?』
 「どうしたのじゃないよ〜。約束の時間なのに香里が来ていないから心配して電話したんだよ〜」
 
 名雪がそう言うと電話機の向こう側の香里がくすっと笑った。
 
 『あら、あたしもう来ているわよ』
 「うそだよ〜。どこにいるの?」
 『あんたの後ろ』
 「えっ!?」

 名雪があわてて振り返るとそこには満面に笑みを浮かべて手を振っている親友の姿があった。





  「うぅ〜、香里酷いよ〜」

 名雪がむくれると香里は笑った。

 「ごめん、ごめん。久しぶりの再会だからちょっとからかおうと思って♪」
 「香里、いじわるだよ〜」
 「そう?」
 「そうだよ〜。まるで祐一みたい」
 「…相沢くんに似てきたか。まあ明日には義弟になるんだしおかしくはないでしょ」

 香里のその一言に名雪は一瞬寂しそうな表情を浮かべたもののすぐに笑顔を取り戻した。

 「それにしても祐一と栞ちゃんが結婚か。月日の流れって本当に早いよね」
 「そうね、もうあの冬から8年。あたしも名雪も年を取るわけだ」

 香里が感慨深げにそう言うと名雪は苦笑した。

 「お母さんは未だに年取っているようには見えないよ」
 「秋子さんは相変わらずって訳なのね。本当、あの人はどうなっているのかしら?」
 「娘のわたしにだってわからないよ。それよりもロビーでいつまでも立ち話しているのもなんだと思うよ」

 名雪のその一言に香里は驚いた。

 「名雪がそんな気を遣うようになるなんてびっくりね。一体どうしたの?」
 「香里、もしかして酷いこと言ってる?」
 「言葉通りよ」
 「うぅ〜、わたしだって、もう社会人なんだよ〜」
 「はいはい。先生のいうことはしっかり聞かないとね」
 「香里だって先生の卵なのに……」

  学校の先生と研修医の二人はホテル一階にあるラウンジバーへと向かったのであった。







  「どうぞ」

 二人の前に置かれたグラス。
 そのグラスを受け取った二人はお互いにグラスを軽くぶつけ合う。


  チーン


  「親友との再会に!」
 「姉をさしおいて嫁ぐ妹に!」

 あっさりと一杯目を飲み干す二人。そして

 「マスター、お代わり」
 「わたしも」
 「はい、ただいま」




 

 「ねえ、名雪、最近仕事の方はどう? たしかあんた体育教師だったわよね」
 「順調だと思うよ」

 すると香里はとたんに怪訝な表情を浮かべた。

 「本当に? 最近の子供達って素直な子が多いのね」
 「うぅ〜。香里、それってどういう意味?」
 「名雪に学校の先生が務まるぐらいなのよ、そうとしか思えないわ」
 「うぅ〜、酷いんだよ。わたしだってちゃんと真面目に先生やっているんだからね」
 「それが信じられないんだけどね。…そういえば石橋は相変わらず?」
 「石橋先生? うん、元気だよ。確か明日の式にも出るはずだと思ったけど」
 「そっか…最近こっちには忙しくて戻ってこなかったから知らないのよね」
 「香里、忙しいもんね。今、研修医だっけ?」

 名雪の言葉に香里は頷いた。

 「そうよ。あまりに忙しくて労働基準法は無視しまくり。おかげで彼氏一人出来やしないわ」
 「香里、美人なのにね〜」
 「名雪こそどうなのよ? ちょっと天然が入っているのが玉に瑕だけどあんただって十分にもてると思うわよ」

 すると名雪は空っぽのグラスをピーンと指ではじいた。

 「わたしはその…今は仕事が楽しいから……ね」
 「相変わらずウソをつくのが下手ね」

 ため息混じりに香里が言うと名雪はうつむいた。

 「…ウソじゃないよ。今は本当に仕事がおもしろいから」
 「はいはい、そういうことにしておきましょう」

 おどけたように言う香里に名雪はぽっつり呟いた。

 「…そういう香里はどうなの? 香里だって好きだったんでしょ」
 「…何が?」

 急に冷たくなる香里の声、だが名雪は無視して続けた。

 「好きだったんでしょ。鈍いとかよく言われるわたしにだって分かったんだよ」
 「………」
 「このままで良いの? 絶対後悔するよ」
 「…そういう名雪はどうなのよ?」
 「わたしはもう振られちゃったから……」
 「……相沢くんは見る目がないわね。名雪を振るなんて」

 香里の言葉に名雪は笑った。

 「わたしの前に立ちはだかったのは栞ちゃんだからね、勝てっこないよ」
 「あたしの自慢の妹だからね」
 「そうだね。でもわたし後悔はしていないよ。振られちゃったけど想いを伝えることが出来たんだし」
 「…名雪はそうかもしれないけどあたしには無理よ」
 「何が無理なの? ただ自分の気持ちを打ち明けるだけだよ」
 「だから無理って言っているの!」

 感情を爆発させたように叫ぶ香里。

 「今更どんな面して顔見せればいいのよ! あたしは…あの子の姉なのよ!!」
 「別に良いと思うよ」

 そんな香里に優しく諭すように名雪は言った。

 「きっと…うんん、絶対に栞ちゃんはそんなこと気にしないよ。
 それよりも香里が後悔し続ける方を悲しむと思うな」
 「人の妹の気持ちをどうしてあんたが分かるのよ!?」
 「わたしも栞ちゃんも祐一と香里がとっても好き、だからかな?」
 「………」
 「わたし祐一に振られちゃったけど従兄として祐一が好き、親友として香里のことが好き。
 栞ちゃんは恋人として祐一の事が好き、優しい頼れるお姉ちゃんとして香里のことが好き。
 立場が違うから全て同じ気持ちではないのはそうだけどその想いにそれほど違いがあるとは思わないな」
 「…名雪、さっきはああ言ったけどやっぱりあんた先生に向いていると思うわ」
 「当然だよ」

 胸をはる名雪に香里は苦笑した。しかし

 「でもやっぱりダメ。あたしには言えないわ」
 「香里……」
 「あたしはあの子を見捨てたのよ。そんなあたしが栞に好きよ、愛しているなんて言えないわ!!」
 「あれ?」
 
 香里の言葉に名雪は思わず耳を疑った。

 「…もしかして香里が好きな人って祐一じゃないの?」
 「なんで相沢くんなんか好きにならなければならないのよ!!」
 「えっ、だって…その……」
 「まさかさっきまでの良いことって勘違いして言ったんじゃないしょうね!?」
 「そ、そんなことないよ!」

 香里があまりに怖かったので名雪は思わず頷いてしまった。勘違いしていたというのに……

 「それは相沢くんには感謝しているわ。
 あたしがあの子を見捨ててしまった時に支えになっていてくれたんですもの。
 でもね、何であの子を相沢くんなんかに取られなくっちゃいけないのよ!?」
 「え〜っとそれはその……」
 「何でたった一度の過ちでこんなことになっちゃったの!? あたしはそんなに酷いことをしたの!?」
 「いや、それはその……」
 「天はあたしを見捨てたのよ〜!!」
 「落ち着いてよ、香里〜!」

 店にいた他の客に注目される状況に赤面した名雪は必死に止める。
 すると香里は急に真顔になり、はたと黙り込んだ。

 「どうしたの、香里?」
 「名雪、あんたは相沢くんに振られたのよね?」
 「あ、うん…そうだよ」
 「あたしは栞に振られたのよね?」
 「振られたという言い方が適切かはわからないけどまあそうかな?」
 「そうよね…」

 名雪の言葉に香里はいきなり立ち上がった。

 「マスター、お勘定」
 「はい」

 ポーカーフェイスのマスターが無言で香里の差し出したカードを処理する。
 その光景に名雪はほっとした。

 「そ、そうだよ。明日は祐一と栞ちゃんの結婚式なんだし今日はもう切り上げようね!」

 しかし香里は頷かなかった。
 マスターが処理したカードを受け取るとにんまり笑った。

 「名雪……」
 「な、何!?」
 「今夜は振られた者同志、熱く燃え上がりましょうね」
 「だぉ!?」

 絶句する名雪を引きずって香里は歩き始める。

 「ね、ねえ香里! これ冗談だよね!?」
 「冗談? あたしは本気よ」

 そう言う香里の吐く息は酒臭い。

 「香里、酔っぱらっているんだぉ〜!!」
 「あら、あたし酔ってなんかいないわよ」
 「い、イヤだぉ〜! わたしはそんな趣味はないんだぉ〜!!」
 「イヤよ、イヤよも好きのうちっていうしあたしは気にしないわ」
 「それは男の幻想だぉ〜!!」
 「大丈夫、女の子の気持ちの良いところは女の子が一番わかっているのよ。
 あたしが名雪可愛がってあ・げ・る(はぁと)」
 「犯されるんだぉ!!」













 合掌。





あとがき
第二回かのんSSこんぺで62位を獲得した作品、オリジナルそのままです。
とりあえず完成している加筆修正版と併せて公開させていただきます。
で、現在はシリアス展開な改訂版を検討中です。
いまだに考えついていないので公開できるかは不明ですが、まあ出来たらいいなとは思っています。




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