直線上に配置
スイカ畑と番犬

前編

森と畑の村に、でこちゃんという女の子がいました。
でこちゃんの村には、火の山という煙を吐く大きな山が有りまして
その山のずーっとずーっと裾野に村はありました。
ひろーい盆地の真ん中を川が流れており、川の廻りは
田んぼがいっぱいの のどかな風景です。
でこちゃんはこの村で大きくなりました。

村は、米、麦、葉タバコ、蚕の他に、スイカとメロンを
作っている農家がたくさん有りました。
スイカの畑は、田んぼより数段も小高い丘の上の畑で作られていました。
メロンも同じように小高い丘の上に畑がありました。
見渡す限りぜーんぶ、しましま模様のスイカです。
そして、少し奥まった所に奇麗な薄緑色のプリンスメロンが
つやつやした丸みを見せています。

最初、小さい身体のでこちゃんには、背丈より高い畑に
実っている作物が何なのか知りませんでした。
ある日、でこちゃんは、友達とその小高い畑を探検する事にしました。

草を結び、足掛けを作り登りぐちを作ります。
土手を高くしたような畑の廻りは、滑りやすくて、道端から
勢いを付けて駆けのぼろうとしても、2歩も進めば滑って落ちました。
普段なら、畑の周りの草は刈り取ってあるのですが、たまたまその時は
まだ、刈り取ってありませんでした。
それで、草を結び付けて階段を作ったのです。

草で作った梯子をヨッコラショと上がりきると、目の前に
青々とした葉っぱが目に飛び込みました。
黒い土の上に敷藁が敷いてあり、良く見るとツルの所々に
しおれた花びらが見えます。
その花の下の部分がふっくらと膨らんでいました。
大きさが様々ですが、そこらじゅうにいっぱいありました。
でこちゃんは、友達にそれは何なのかを聞きました。
この時に、初めてそれがスイカになると知りました。

そして、そのスイカは、出荷用の高級品というもので
悪い人に荒らされるのを防ぐ為、日暮れになると
スイカ畑には番犬が置かれていました。
昼間は手入れのため、農家の人がいつも居るのですが
でも、その日は、たまたま誰もいませんでした。
でこちゃんは友達の話を座り込んで聞いていましたが
見えない畑の向こう側から、犬の吠える声が聞こえて来ました。
友達に急がされて、その日は帰る事にしました。

次にでこちゃんがスイカ畑にいった時は、丸くなった実が
あっちにこっちにゴロゴロ転がっていました。
この日はでこちゃんはひとりでした。
高くなった土手の端から首だけ出して見ていたのです。
あの日以後、土手の草が刈りとられ草梯子が作れなかったから
なのですが、でこちゃんはもっと大切な事を忘れていました。
見えていなかったのですが、その日は畑に番犬が離してあったのです。
そのことに気が付かなかったでこちゃんは、もう少し良く見ようとして、
スイカ畑に這い上ってしまいました。
立ち上がって視線を畑の向こう側に向けると、目の飛び込んで
きたのは、猛然と突進してくる大きな(でこちゃんにはそう見えた)
犬だったんです。それも二匹でした。

でこちゃんと目があった途端吠える声も大きくなりました。
でこちゃんは、飛び上がるほどビックリしてしまいました。
直に逃げたかったのですが、足が動きません。
もうあとちょっとで犬に飛び付かれる寸前になりました。
声も出ないくらいに恐くなったでこちゃんは、
土手のてっぺんから道路まで飛び降りました。
着地のバランスを崩して砂利路の地面に顔から突っ込みました。
ほっぺや掌に砂利の感触と熱い感触を感じましたが、確かめる
余裕なんかありません。
起きて振り返ると、土手の上で歯をむき出した犬がうなり声を
あげています。もう飛び掛かってきそうに思えました。

でこちゃんは恐くて声が出ませんでした。
涙だけは出てきます。
でこちゃんは必死に走りました。
土手の畑沿いに犬が追いかけてくるのが見えました。
でこちゃんは、恐くて完全に舞い上がっていました。
普段なら、絶対に入り込まない竹山の山道に逃げ込んでいました。
なぜなら、その山道の降り立った所にでこちゃんの家があったからです。
山道に入り込んでから、やっと犬の声が遠くに聞こえたので
足を止めました。そして気がつきました。
下りになってる山道の向こうが、もう、空も見えないほど暗くなっていました。
足がすくみました。

今、駆け降りてきた道を振り返りました。
竹笹の合間から見える空が、少しづつ暗くなってい来ます。
耳が葉笹の騒ぐ音と何か解らない動物の声?を聞きつけていました。
でこちゃんは、必死の思いで降りてきた道を戻りました。
足が踏み敷く枯れ葉と落木の折れる音が響き、まるで、後ろから
何かに追いかけられるような錯角を起こします。
でこちゃんは、それからも逃げるように、無我夢中で身体をはばむ
低木をかき分けていました。

折れた枝や細い子笹が、服に覆われていない皮膚をかすめます。
何度も肌を擦り切る痛みに足が止まります。
でこちゃんは、全身、汗と鳥肌にまみれながら逃げ込んだ
砂利道を目指しました。
もう、あたりは殆ど真っ暗で竹の節の目も見えません。
ザワザワと風に吹かれた竹林がうねるような音を鳴らします。
でこちゃんはとうとう疲れ切って歩けなくなりました


後編


気味の悪い動物の声が聞こえます。
風の音が何か近付いてくるような怖い音に聞こえてきます。
でこちゃんは、大声で泣き始めました。
声を限りに大声を出して泣きました。
心細さと怖さと身体中の痛がゆさに、絶間なく鳥肌が立ち
ガタガタと震え始めました。
泣き声が歯の根の合わなくなった震えに邪魔をされて
途切れ途切れにしか出なくなりました。

でこちゃんは、立ち尽くして居ました。
疲れていたのですが、足を曲げて座る事が出来ないほどの
怖さに身体が硬直していたのです。
どのくらいそうしていたのでしょう。
泣いてはいるのですが、もう、涙は出ていませんでした。
泣き声もゼーゼーとかすれ声になっていました。
息をするのが苦しくなっていました。
心臓の音が、胸を突き破るほどに激しくなっていました。
少しづつ周りの音が耳から遠くなり始めていました。
すると、何処かで何かを叫んでいるような人の声のような音が
かすかに風に乗って聞こえたような気がしました。
ずっと閉じたままの目を恐る恐る開けると、周りの音がハッキリと
聞こえるようになりました。

「おーい!!おーい!!」風に乗って聞こえたのは人の声でした。
聞き覚えのある声です。又、聞こえます。
何度も何度も叫んでいるのが聞こえました。
「とうちゃん..あんちゃん..?」
それは、でこちゃんを探して呼び掛ける父と兄の声でした。
でこちゃんは、塞きを切ったように声を出しました。
「とうちゃん...とうちゃーん!!」
でこちゃんは、何度も何度も声を限りに叫んでいました。
どのくらいの間だったのか、見上げる方角からチラチラと竹の間を
ぬうように白い明かりが近付いて来ます。
「今、行くからじっとしてなはいや~.わかったなあー!
じっとしてなはいやー!!」
明かりの動く方から、父の声が大きくハッキリ聞こえ始めました。
泣きジャックりをあげながら、でこちゃんは、声の方を見ていました。

まぶしい明かりが顔に当りました。
落ちた葉笹を踏み込む音がして目の前に父の姿が浮き上がりました。
「ぬしゃ・・な~しこぎゃんとこにきたつな・・!」
聞きなれた関西なまりの地方弁です。
父は、でこちゃんを背に負うと、「よか、よか~泣かんでんよか!」
兄の照らし出す懐中電灯の明かりを追うように、歩きながら
まだ泣きジャックりをあげ続けるでこちゃんに優しく話しかけていました。。
直に、砂利道を踏みしめる足音に変わって、星空が目に写り始めました。


玄関前に、心配顔の母の姿がありました。
母は、父に背負われたでこちゃんを見つけると、甲高い声を
出していました。
「今日はよか!はよ風呂に入れてねかすとがよかばい!
傷負うてるさかい熱出すばいた..。」
母の姿を見たでこちゃんが、声を出して泣き始めると
父は、何か言い出しそうな母の口を遮って、
でこちゃんを離れの風呂場に連れていきました。
前抱きに抱きながら、ごつごつした大きな手で
でこちゃんの顔を撫で頭を撫でました。
でこちゃんは、その時の父の優しい顔は 初めて見た気がしました。

でこちゃんの身体は、そこらじゅう傷だらけでした。
土手から飛び降りた時、額と右の頬を擦り、両手の平は
砂利石の角で切ったのか何本もの切り傷が入っていました。
そして竹山で付いた擦り傷、引っ掻き傷が無数にありました。
額と頬の顔の傷は、顔の色も形を変えていました。
でこちゃんは、その日の夜、高熱を出し傷の痛みと
二重に苦しむ事になったのです。

でこちゃんは、熱にうなされ夢を見ていました。
逃げても逃げても、暗闇から犬が追いかけてくるのです。
でこちゃんは、ずっと叫び続けて居ました。

朝になっても、まだ下がる切らない熱と痛みと
腫れで開かなくなった右の目蓋を冷やして貰っていました。
掌もパンパンに腫れ上がって指を曲げる事も出来ません。
いつもなら、夜明けと共に仕事に出ている父が居ました。
母に何か言っていました。
でこちゃんは、てぬぐいを替える母に
「なして、とおちゃんな、おんなはっと?」
口をきくと痛みが顔中に響きました。
「あんたを追いかけた犬ん家に、文句いいにいかはったんや!
なんでスイカ畑に行ったりしたんや・・かみ殺されるえ・・・。
そないな事になったら,かあちゃんは、生きて、とおちゃんに
顔向けでけへんかったんやで・・こないな大怪我してからに・・
おとなしいおもうてたあんたが、、こないな事をするやなんて
かあちゃんは、息が止まるほど心配したんやで・・!」
母は、いつもと変らない静かな口調で、でもひどく力の無い
声ででこちゃんの顔を見ながら言いました。

でこちゃんは、ウトウトとしていました。
人の声に目が醒めました。
知らない人が枕元に座っていて、その人の隣に父が座っていました。
目を開けていたでこちゃんに、その人は
「ほんなこつ、ひどかめにあわして・・.恐ろしか目に逢わして・・
ごめんしてはいよ~.じょっちゃん。
家ん犬は、人ば噛まんごつしつけてあるばってん、な~し、
こぎゃんこつなったか、わからんばってんが、もう、犬さんおかんごつ
したけん・・.こわかおもいは、もうせんでんよかったい・・.いつでん
畑んきてよかよ・・.実いん出来たら、好きなだけ食わしてやるけんな
はよ元気になってはいよ・・.じょっちゃん!!」
そういって、頭をそっと触れました。

もとはと言えば、好奇心で畑に近付き、犬を驚かしたでこちゃんが
悪かったのですが、その畑の持ち主は、犬が走り荒らした足跡と
砂利路に血のあとを見つけ、誰かを襲ったのではないかと心配したのでした。
そこへ、でこちゃんの父が怒鳴り込んで行ったものだから
びっくりして謝りに来たのでした。
後から聞いたことなのですが、何処の犬も、畑への進入者へは
吠えつくだけで、スイカそのものを持ち出さない限り、
側にちかずかないようにロープが付けてあったらしいのです。
が・・.たまたま、でこちゃんが行った時は、何かの弾みでロープに
つないだリングが外れていたのでした。

怪我の巧妙・・.なんて言える事ではないのですが、お陰でその年の
夏は、特上のスイカを飽きるほど食べる事が出来ました。
それどころか,親しくなったその畑の持ち主にでこちゃんは可愛がられ
スイカの熟れ具合の見方などを教えてもらえたりしたのです。
それからも、不作で無い限り、かたちの不揃いのスイカを
分けてもらえるようになったのです。
そのころのでこちゃんの家では、買って食べられる程、
余裕のある生活ではなかったので、出荷用のスイカを
食べる事なんて考えられないことでした。
日向で、生ぬるいけど、とても美味しかった甘いスイカを食べた記憶は、
恐怖と背中合わせの思い出になって残りました。
毎年スイカの売り出される季節になると、でこちゃんの心の中で
思い出されるようになりました。

 おしまい