尊厳【旅立ち】

フレーム
 ずーっとずーっと昔の事。
友人の家に遊びに行くのが何よりも楽しみだった。
おきな茅葺き屋根の母屋、母屋続きには馬小屋があり
納屋と少し離れたところに白壁の蔵がある。
田畑を多く持つ友人の家は3世代が住み、
皆が野良仕事に行ってしまうと、留守宅を守るのは
最年長のおばあちゃんだった。

ある日、おばあちゃんの姿が見えないので
どうしたのだろうと友人に聞いた。
【お迎え待ち】だという。
何のことか解らなかった。
友人は言った。
「屋根裏に居るよ・・お迎え待ちで
もう、降りてこないの。」

古い風習の残る村だった。
年をとり働き手として身体が動かなくなると、
その時が身を引くとき・・.
屋根裏にあがり死が訪れるのを静かに待つという。
誰かが何をいうでなく自ら悟ったとき
旅立ちの衣服に身を包み、2畳ほどのむしろ敷きの
上に敷かれた布団に横になると、その時から
食べなくなるという。
水だけを飲み数珠玉を一つづつ送りながら
静かに経を唱え、眠るように息が途絶えるのを
待つのだという。それがしきたりだからだと。

何日くらい経っただろうか・・
友人に誘われるまま屋根裏を覗いた。
小さな明かり取りの窓の方に頭を向け布団に
寝ているおばあちゃんの姿があった。
目を閉じ、まるでもう死んでしまったように動かない。
浅黒かった顔が白くなって見えた。
真っ白な髪が窓から入る明かりに透けて、綺麗だった。

家の人は、そんな時も日々の暮らしを変えることはしない。
朝夕、毎日様子を見がてら水だけを枕元に置きに行く。
それ以外は何もしないと。
いつしか茅葺きの屋根の上をカラスが飛び交うように
なって数日後、本当に眠ったまま
おばあちゃんは逝ってしまった。
誰の手もわずらわせず一言の苦しみも言わず
屋根裏に上がる日、「私は逝くよ!」と言ったのが最後に
友人の家族と交わした言葉だったと聞いた。

子供心に残酷な風習と思った。
友人は言った。
健康なまま、自分で死を迎えられる事が
最大の誇りになるのと・・。
それは哀しみではなく喜ぶ事なのだと。

おばあちゃんのお葬式の時、
母屋で見たおばあちゃんの遺体は
とても小さくなっていた。
直ぐに起きてきそうな程穏やかな表情を保っていた。
家族皆で身体を綺麗にして納棺する。
誰も泣いていなかった。
お墓に埋葬して一定期間、交代で墓の側で過ごす。
それもまた、習わしだった。

年を重ね、いつか誰もがその時を迎える・・。
これは避けようのない運命だろう。
でも、これほどまでに尊厳をもって死を受け入れられる
人が近世代居るだろうか。

近年、長く病気に苦しみ、病院でチューブだらけになって
か細く生きながらえ、挙げ句死を迎えなければ
ならない患者の多くの最後は、決して望んだ終末では
無かったのではないかと思う。