冬になると霜柱が起ち、畑も田んぼも、砂利道の通学路も白くなる。
屋根からは、ツララが大きな針のような形でぶらさがり、太陽が当たりはじめると
ガラスのようにキラキラ反射した、尖ったツララの先っぽからは、
ポタリポタリ溶けた雫になって落ち始める。
見渡す限りの景色は、霜の薄いベールで覆われ、冷たい空気がむき出しになったほっぺを
痛く感じさせ、ゴム底の運動靴は、土を持ち上げた霜柱のなかを踏みしめる度に冷たさを浸みこませる。
100メートルも歩かない間に、足先も手の指先もかじかんでジンジンと痛み出す。
毛糸のてぶくろも靴下も帽子も着けているのに・・。
庭先から見える川の水面から白い湯気があがっている。

冬の季節、学校に行く頃にようやく夜が明け、明るくなりはじめる。
此の村は、雪は殆ど降ることはなく、そのかわり、どこもかしこも凍てつく。
砂利道さえ凍てついて、油断していると滑って転んだ。
転んだときに掌を路面に打ち付けたときの痛さは・・声も出ないくらいと言った方が伝わるだろうか。

さて、そうこうジタバタとしながら、友達を誘いに幼なじみの家へ寄るのが日課になり
いつものように、ひろーい間口の木戸をくぐる。
この幼なじみの家は農家で、冬本番になると赤い粘土質の庭先に籾殻が積み上げてあった。
所々が黒く燻り、積み上がった籾殻の上のほうからユラユラと黄色がかった煙が上がっている。
冷たくて痛いくらいにかじかんだ手足を暖めるのに丁度いい暖かさが嬉しくて、
いつも少し早い時間に着くようにしていた。
幼なじみは、待たしてる事を気にしない性分だったけど、それもまた都合が良かった。
じっくりと暖まる時間をすごせるのだから・・。

幼なじみには、祖祖母が居た。
何歳くらいだったかなんて覚えてないけど、いつも家のことをしていた。
ちょっと腰が曲がっていて、とても元気で、短めの着物に前掛けをし、冬でも裸足で
自分で編んだ草履を履いて、姉様かぶりっていうのかな・・日本手ぬぐいで髪を覆っている。

ばあちゃんは、籾殻の山の前で暖を取ってる私に「毎い日ぃほんなこつ冷たかな~!」
そういうと籾殻の山をつついて火種を大きくしてくれた。
ぶわっと頬に熱いくらいの熱気がかかる。「温か~ばあちゃん!」
ばあちゃんは、藁束と平たい石を持っていた。石は火種の中にぽんぽんと放り込んだ。
学校のある日のいつもの光景。火種の中の石は、幼なじみと私のカイロになるのだ。

「ち~っとまっとんなっせ!」ばあちゃんはそういって家の中へ。
暫くして、ばあちゃんと幼なじみが一緒に出てきた。
ばあちゃんの手には二つのお椀。白い湯気が立っていた。
「寒かけん、こ~ば飲んで行くっとよかたいね、ち~っと酒ん入いっとるばってん、どぎゃんもなかけん!」
トロッとして少し酸っぱいような臭いがしたが、飲んでみたら甘くてお腹の中まで暖かくなっていく。
ばあちゃん手作りの甘酒だった。幼なじみは飲みなれてるようで、何度か椀に口をつけて直ぐに飲み干してしまった。
美味しいから、ゆっくり飲みたかったのに、先に飲んでしまった幼なじみにせかされて急いで飲み干す。

身体がポッポと火照って、さっきまでの寒さや冷たさを感じなくなった。
頭のてっぺんから足の先までジンジンと暖かい。
ばあちゃんが藁束に包んでくれた石のカイロをポケットに入れて、何となくいつもより身体が軽くなったような
感じがして、気分も何となくウキウキと楽しい。甘酒って気持ちの良くなるものなんだと思った。

幼なじみと二人、学校に着いた頃には最高の気分だった。
身体が暖かいし、ふわふわとした感じで何をしてるのでもないのに楽しい・・でも、そのうち眠くなってきた。
ゆらゆらと回りが揺れてるように見えてきた。授業がはじまったのだが先生の声が遠くに聞こえる。
斜め隣に座ってる幼なじみは、机に突っ伏して寝てしまったのか目を閉じていた。

頭がはっきりとしたとき、二人とも保健室のベットの中だった。額に乗せられたタオルが冷たい。
心配そうな顔した担任と保健室の先生と教頭先生が側に居た。「あ~・・目ん覚めたんごたる・・。」
まだ、ぼーっとした気分だったが、どうやら、授業は全部終わってしまったらしい。
「役場ん車ば借ってきたけん、家まで送りまっしょ・・あ~・・どぎゃん説明ばしたらよかかね~。」
どうやら、自動車に乗って送ってもらえるらしい・・。何故送ってもらうのかわからなかったが
自動車に乗れるのは嬉しかった。

幼なじみと二人、学校の遠足以外では乗ったことのない乗用車というものに乗った。
車に乗っている間、先生達が代わる代わる額に手を当てたり、吐き気は無いかと何度も話しかける。
正直言うと、頭の中の方がジクジクと痛いような感じがあった。
でも、それよりどうして先生達が一緒に車で送ってくれるのかが気になっていた。
二人ともすごく悪いことをして、そのことを親に言いつけられるのだと考えてもみたが
悪いことをした覚えがなかった。
あれ、もしかして一日中寝てしまったこと?ん・・でも何故眠ってしまったんだろう?
頭の中で独り言をぶつぶつ言っていたら、幼なじみの家に着いた。

自動車なんて滅多に見ない所に、止まった車の中から、先生に連れられて幼なじみと私が降りたものだから
直ぐに、ばあちゃんが家の中から出てきた。姉様かぶりの手ぬぐいを外していた。
「どぎゃんしたとですか~先生様まできなはっての~」
ばあちゃんは、本当に驚いていた様子で、いつもより大きい声だ。
教頭先生は、幼なじみをばあちゃんの前に立たせた。

「すまんことばって~、どぎゃんもこぎゃんもわからんばってん、いちんちじゅう寝とっとですばい!
学校さん、来たときゃほんなこつ元気だったばってん、なんかおかしか具合だったけん診療所さん連れて
行きましたですばい・・先生のみたてば聞いて、ほんなこつ、たまがっとるわけですたい!こんこたちゃ~
酒ば飲んで酔うとっとちゅうことで~・・学校さん来とっとる間のことだったけん、こぎゃんして
送ってきたとです!酒ん入った甘酒ば飲んだっちゅう言うとりますばってん、ほんなこつなら問題ですけん!」

「なんばいいなさるか~ね~。なんが、問題ですか~どぎゃんしたつか思うたたい、
そぎゃんこつで、まあ~おおげさばいね~!
ちい~っとばっか酒んはいった甘酒ば飲んだだけですたいね~。」
ばあちゃんは、先生の言うのを途中まで聞くと、ガハガハ笑いながら言った。
「なんば~笑いごっちゃなかですばいね!そぎゃんこつ、常識んなか~!学校さん行く子供に酒ば飲まして
笑い事じゃすまんこっですたい!」教頭先生は、赤い顔になって怒ってしまった。
でも、ばあちゃんは、先生が怒ってる様子など気にならないのか

「な~んってですか・・ほんなこつ、あ~たたちは大人げんなかこつば言いなっはたいね!
どぎゃんてな!あ~たたちゃ、ここんくっとに、自動車でんきたでっしょが~!
こんこたちゃ、夜ん明けん、寒か時間に学校さんいきよっとど、
でがける前ん温かもん飲ませたっやよかでんなかですか!どぎゃんね!
そら~ちっ~とばっか酒ん多かったけん、そんこつは謝らないかんばってん、一ん日寝てしもたくらいで
なんば、はらかいて言うこったいね、きもんちいさかこつばいいなはったいね~!」
「はいはい!ご苦労さんですたい!こんこたっちゃ、おんが責任もちますけん」
「よか!ああたたっちゃ悪うなか!酒んはいった甘酒で、きもちんよか昼寝すっとは、
ほんなこて身体ん疲れ取ったちゅうこったい!よかよか、おもさん元気になるったい!心配なかよ。」
ばあちゃんは、何か言いたそうにしていた先生達に構わず私たちを手元に引き寄せるた。

私を家まで送っていくという先生達に、ばあちゃんは、また、ガハハと笑って言った。
「送って行くっとはよかばってん、そんこん父ちゃんな、ああたがたん手のおゆっとね!
なんていうとですか!ここんばばが酒んはいった甘酒ば飲ましたけん、酔って勉強んできかったて
いいなはるね!そぎゃん、はらかいて行って、飲んだそんこがわるかでん、いいなはっとね!」
先生達は、黙ってしまった。

私の父は、校長も駐在さんも土下座させる恐い存在だったからだが、
そのことは今回は話からはずしておこう。

結局、先生達は、ばあちゃんにあしらわれて、自動車で帰ってしまった。
私は、ばあちゃんに、どのくらいの量の酒を飲んだのか聞いてみた。
お椀半分位の酒・・だったらしい・・そりゃ酔うわ!一合にちかいもん!
どうやら、幼なじみと私は、将来有望な酒飲みになる予感がしてきた。

それからも、がちがちに凍えている朝の酒入りの甘酒は続いたが、もう、酔って寝てしまう事は
なくなっていた。少し酒の量は少なくなっていたらしいが、お代わりが欲しいくらい美味しい甘酒は
ばあちゃんが生きていた間ずっと続いた。
寒くて冷たくてがちがちに凍えた冬の朝の、暖かいばあちゃんの甘酒の味は忘れていない。
おしまい