#5 神奈川県真鶴半島や三浦半島周辺の石碑等にみられる穿孔痕
  Borings created by rock-boring bivalves in andesite stelae and other constructions, Manazuru Peninsula, Miura Peninsula, and environs, Kanagawa Prefecture


このページでは、「#2不思議いっぱいのカモメガイ」 の【不思議その4】において紹介しているケープ真鶴内の「与謝野晶子の歌碑」以外に真鶴半島周辺の石碑等にみられる穿孔痕について写真とともにやや詳しく解説していきます。
また、三浦半島とその周辺においても私が分かる範囲内ですが、穿孔痕を持つ巨岩についてご紹介いたしましょう。

#5-1 真鶴町・真鶴港近くの「真鶴浜港の碑」
" Manazuruhamakou-no-hi" or " Manazuruhama-minato-no-hi" near Manazuru Port, Manazuru Town

真鶴港すぐ近く、葵(あおい)寿司のそばにあるこの碑の台座(標高約2m)にも穿孔痕が確認できます(図1)。台座の石は、安山岩溶岩です。入り口がほぼ円形をした穿孔痕がいくつか見られますが、内部に貝殻が残るものがあり、貝殻後部の特徴からイシマテガイマツカゼガイと判断できます。
(参考までに、私はいくつかの状況証拠からマツカゼガイは正真正銘の穿孔貝ではなく、イシマテガイやカモメガイの構築した穿孔痕に入り込んだ2次的な居住貝と考えています。)

葵寿司の店主によれば、昔はこのお店の直ぐそばまで砂浜が広がり、今のように整備された港湾や車道はなく真鶴岬方面へは海岸伝いには行けなかったといいます。
現在の港湾が整備される前の砂浜はどんな光景だったのかタイムスリップして知りたくなります。きっと岩海岸のように砂浜が広がるとともに、一部には穿孔痕を持つ安山岩礫が多数転がっていたことでしょう。

なお、この碑は、私が案内者の一人として担当した日曜地学ハイキング(2014年5月18日地団研神奈川支部・埼玉支部合同)の際に見学対象の一つとして選びました。



Fig.1 A Stele; "Mananazuruhama-minato-no-hi"(may be translated to "Memories of past Manazuruhama & Manazuru harbour"), created with andesitic rocks, are located near Manazuru Port. Many holes created by rock-boring bivalves, for example, sea dates; Lithophaga curta, can be seen at the base rock of the stele. I now estimate that Irus sp. in a boring(hole) may be not a borer but a secondary inhabitant. The upper monolith of this stele may be made of polished "Komatsu-ishi"; very famous stone from Manazuru Town.


#5-2 真鶴町・真鶴港の「北突堤」
A northern bank of Manazuru Port, Manazuru Town


真鶴港は大小の漁船や港湾工事の船、採石運搬船、観光遊覧船やヨット等が利用する小規模な港ですが、台風等の大波から港や船を守るために突堤がいくつか築かれています(図2)。

海岸での穿孔痕調査の帰りに突堤の一つを見学していたら、突堤の基礎岩ないし捨て石として設置されている安山岩の巨岩(標高約 0m、図3)に多数の穿孔痕が認められました(図4)。 穿孔痕の一部には、カモメガイの貝殻がしっかりと認められます(図5)。

この巨岩は、真鶴浜港の碑同様に地学ハイキングの際に見学対象の一つとして選びました。このハイキングの参加者は約40人という大所帯が予想されましたから、事前に真鶴港の指定管理者である真鶴町から許可をいただいて敷地内に立ち入って見学しました。 一方、翌年に実施された東京支部の地ハイでは、路線バスで真鶴岬まで直行、駅に直帰するルートを設定したのでこの突堤や「真鶴浜港の碑」には立ち寄っていません。
写真では北突堤の先端付近で釣りをしている人たちが写っていますが、現在は頑丈な鉄製フェンスができていて行けませんし、釣りは禁止されています。


Fig.2 Map board of modern Manazuru Port, constructed by the government of Kanagawa Prefecture. Arrow shows the location of a northern bank of Manazuru Port.




Fig.3 Photo of a northern bank and the entrance of the Manazuru Port. Arrow shows the huge andesite rocks bearing many borings created by Penitella sp.
Small white bout for sightseeing in the center is going out of the Port.




Fig.4 On the upper and lateral facies of the huge rocks, abundant borings created by Penitella sp. can be seen at low tide. A small camera bag is about 20cm wide.




Fig.5 The bivalves of Penitella sp. remain inside only two a little weathered holes. This rock is defferent from the rock of Fig.4.


#5-3 真鶴町・真鶴駅入り口そばにある記念碑「ふるさとの碑」
"Furusato-no-hi" near the entrance of Manazuru station, Tokaido Line, JR East.

真鶴駅入り口の北側(小田原寄り)にある外トイレのそばに、「ふるさとの碑」(標高約 50m:図6)があります。その碑自体は研磨された小松石でできていて、大変りっぱな石です。 その碑に向かって左側に径数10cmの岩石がありますが、詳しく観察してみたところ、この石にも穿孔痕が多数みられました。
・・・<この岩の件は、日曜地学ハイキングでも触れておらず、このHPで初めて紹介します!>



Fig.6 Some borings of Penitella sp. or Lithophaga sp. can be seen in one of rocks beside the stele;"Furusato-no-hi", may be translated to "some recollections of our town", written in Japanese characters and lettters, located at the north of the entrance of Manazuru Station, Tokaido Line. Yellow arrow shows the position of borings. Those who are interested in borings can distinguish the borer very easily. If you insert one's little finger into holes, in case of finger's tip moving freely the excavation is created by Penitella, i.e, hemispheric bottom, but in case of being unable to move it is the excavation created by Lithophaga, i.e, pointed bottom.

This rock with borings is not be here originally, ca. 50 meters high, may be carried from the nearer coast by builders, too. The upper polished monolith of the stele is made of high qualitative "Komatsu-ishi".
The background of this stele is a rest room, and the upperleft is the track and platform of Tokaido Line.


このように真鶴町内の石碑等に穿孔痕がみられるという報告は公式・非公式問わず見当たりませんので、私の指摘が最初になると思います。
上記、#5−1〜#5−3の石は、記念碑の土台であったり、防波堤の捨て石であったりして、穿孔痕を多数有する岩の設置とその利用自体には穿孔痕に対する制作者の意図はほとんど、いや全く感じられません。 それらと同様に、これから紹介する穿孔痕を多数有する真鶴町以外の岩もそれぞれの場所に備え付けられてはいるものの孔の存在には気が付いていても主題ではなく、またそこに注目したという意図は残されていないのではないかと思われます。

最初は、「子産石」です。


#5-4 横須賀市秋谷・「子産石(こうみいし)」
" Koumi-ishi" at Akiya, Yokosuka City, Kanagawa Prefecture


 神奈川県博(当時)のKさんからこの子産石に関する情報をいただいた後に、ネットで調べてみたところ「ハマのダッフィ−さんのブログ」に詳しく紹介されていることがわかりました。 多数の丸い穴を持っている点がとても興味深く、穿孔性二枚貝類による穿孔痕が疑われるので、これらの情報をもとに確認のために現地に出かけることにしました。

横須賀線逗子駅から長井行き(または、市立病院行き)の京浜急行バスに乗って秋谷方面に向かい、バス停「子産石」にて下車。 バス停の名称になるほど有名な石はどこか??とキョロキョロしましたが、バス停の先にありました。 秋谷の国道134号線沿い、レストラン南葉亭の入り口、神社の斜向かいにある民家の庭先には、ほぼ球形の巨岩が展示されています(図7)。

この巨岩には「横須賀市指定市民文化資産」の標識や「子産石」のりっぱな石版も埋め込まれています。 メインの丸い巨岩、あえて言えば「親分」の回りに「子分」と呼べるような小さい丸石が献上されています。この事実に重きを置くと、設置の理由はまず多数の穴の有無ではないことが伺えます。 さらには似たような石が過去海岸に多数見られたという情報がありますから、このような形態の岩(石)の産出が人々の関心を引いたのではないかと思われます。

〇ハマのダッフィ−さんのブログ「子宝に恵まれる子産石と森戸神社へ」
https://hamaduffy.blog.fc2.com/blog-entry-102.html





Fig.7 "Koumi-ishi" designated as "Yokosuka-shi-shitei-shiminbunka-shisan"; may be translated to " Citizens' cultural property in Yokosuka City" . I think that "Koumi-ishi" may be translated to "Prayer stone for the pregnancy and an easy delivery" on the base of builder's purpose.
Undoubtedly most people used to admire this boulder for lomg time. Many spherical smaller stones beside this huge boulder can be interprited "baby rocks" which were offered by women in returns for the pregnancy and their easy deliverry.
Upper photo is the front of this property, lower photo is the back of it.

この岩は直径約70cm(暫定的な計測値)あります。密度を仮に2.2gr/cm3とすると、約400kgにもなる大岩です。昔の人はこのように重たい石を海岸から引き上げてよくこの場所に設置したものですね。

私の関心は大きさや岩質はさておき、何と言っても大小の孔ですから簡単にささっと観察してみました。
大小の孔の入り口はどれもほぼ円形をしています。そして、大きい穴は径が2cm程度、小さい穴は径が数mmありました。深さは径の大きなものでもせいぜい2cm程度です。 このような状況から大小の孔は岩石穿孔性二枚貝類による穿孔痕と判断して間違いありません。
穴は本来の穴が風雨か浸食によって浅くなったとみられますが、本来の径よりも大幅な拡大はほとんどないようです。

このような球形〜ラグビーボール状をした自然の岩はノジュール nodule またはコンクリ-ション concreation といいますが、日本各地では特定の地層から集中して産出することが知られています。 ちょうどこの海岸一帯がそうだったのでしょう。
「子産石」は、岩質的にみて石灰質砂岩のノジュール(コンクリ−ション)calcareous sandstone nodule と言えます。とにかく、周辺の地質を知る必要があります。

すぐに海岸に出向いて地質を調査しました。子安石の石碑そばの細道を歩くと、しゃれた建物の先に相模湾が広がり、沖合いに大小の岩や人影が見られます。
立ち乗りのサーフィン?、いや 正確にはスタンドアップパドル・サーフィン(SUP;Stand up paddle surfing)と言うそうですが、冬場にもマリンスポーツをする男性がいるくらい波は穏やかでした。


Fig.8 A scenary of Sagami Bay, under the condition of gentle winds and waves in winter. A man wearing wetsuit offshore was enjoying playing SUP. The biggest rock may be "Idoishi", which is formed from Miocene sandstone.  Akiya, Yokosuka City

海岸には次の岩石が見られました(図9,10)。

@ウニの化石や生痕化石を含む、黄土色をした石灰質の粗粒砂岩ないし細礫岩
A灰色中粒砂岩
B灰色泥岩
C黄灰色凝灰岩


@はそれほど角が丸まっている状態になく、また岩場に露出が見当たりません。また、後述の地質図幅にもこのような岩石・地質の記述はありません。 このことから、よそから運ばれてきたもの=「よそもの」と思います(ただし、海中や付近を詳細には探査していません)。

Aは波打ち際に岩盤としての露出があるので、この付近の産出物、言わば「地物」とみてよいでしょう。

試しにAのレキ表面に希塩酸を垂らしたところ盛んに発泡しましたので、石灰質と言えます。

A〜Cのれきには穿孔痕がたくさん見られます。図9は、Aのレキですが、イシマテガイが多数穿孔しています。
この海岸で、観察できた穿孔貝はほかに、カモメガイ・ニオガイ・ニオガイモドキ・ヤエウメノハナガイでした。



Fig.9 A sample of gravel in the beach; a calcareous medium grained sandstone with some holes created by Lithophaga sp. This bivalve can creat a characteristic boring(excavation) like a torped, i.e. the central part of main chamber is widest and the base is pointed and inside wall near narrow entrace is covered with thicker calcareous lining. 
 

この海岸周辺に露出する地層は、5万分の1地質図幅『横須賀地域の地質』によれば鐙摺(あぶずり)層で、砂岩部分には石灰質ノジュールを多く含むとされています。


Fig.10 Seashore beside a restrant "HAYAMA funny house". I can distinguish four types of sedimentary rocks here. That is, yellowish very coarse-grained sandstone bearing tests of sea urchins, trace fossils, and etc(@),calcareous gray medium grained sandstone(A), gray mudstone(B), and yellowish gray tuff(C).
Only rocks of type @ have no borings created by rock-boring bivalves. Because of their relatively angular edges, no polishing surfacies by waves, and no identification of geological report by geologists, these kind of rocks would be transported by constructors from other places.


海岸に面したレストラン「HAYAMA funny house」の下から北方の浜に回り込むと「小砂利の浜」new pebble beachが延々と続いています(図11)。小砂利の岩質はルーペを使わずとも肉眼で砂岩やチャート?が確認できるので、かなり「違和感」を覚えました。

「ここで作られた小砂利ではない・・・、それよりも、あるべき浜砂がない・・・」。

北方、はるか300m先まで同じ小砂利の浜です。

この私の疑問に対する答は国道から浜への降り口にある看板にありました。(図12)
そこには養浜という工事を神奈川県が施したとあります。海岸侵食 wave erosion of coastにより浜が痩せ、海岸が後退するのでその対策だそうです。残念ながら、小砂利の由来は記載されていません。

いつか看板がなくなり、工事の記録も記憶もなくなると後世の人たちはたぶん「自然の浜」と勘違いすることでしょう。それとも、自然の力は予測不能ですから、小砂利は台風等の起こした高波や沿岸流により周辺の海底に運び去られて消えているかもしれません。 また何万年か何十万年後にこの浜で形成された地層を後世の人類(特に、地質学者)が目にしたときには大いに「小砂利の地層」の解釈に悩むことでしょう。
とにかく「海岸工事の実験場」と言えるものです。



Fig.11 After the introduction of lots of pebbles into this beach, the scenary may have changed. The slope might be for construction cars' drive.



Fig.12 An explanation board of this construction tells us that the introduction of pebbles into this beach will be useful for preventing beach from the wave erosion.



ここで、「子産石」の話しに戻ってこの表現を考えてみたいと思います。

もし“子産石”という表現を“子を産みし石(子どもを産んだ石)”と文字どおり解釈すると、その「子」は何を指しているのでしょうか? 「子」を「何らかの石」とみても、ここに展示されている「子産石」は科学的にみて“子を産むような石(子どもを産んだ石)”、言いかえると“分裂の元となるような石”、ないし“内部に小さな球形の石を有する巨石”にはなりえません。

地質学では化石や鉱物を含む大きな岩石を母岩 host rock と呼びますから、展示されている「子産石」の母岩(=母)は「地層」です。 つまり、展示されている「子産石」も含めて丸い大小の石はどれも“子ども”であって、これらの石の“母”は、大小のノジュールを含んでいたであろう大元の地層、大きくとらえれば「地球」のはずです。
(このような屁理屈を言ってしまったら(=いちゃもんをつけたら)、文化財に対して不謹慎だ!とお怒りになる方が現れるかもしれません。)

そこで、野ざらしにされている、いや少々かっこよく表現して”青空の下での展示 open-air exhibition”または“地産地ショー(a show of the product just in its district)”されている「子産石」も、地層から産み落とされた石(子)という扱いになるので、「子石」や「子ども石」の方が正しい捉え方になるのではないでしょうか?
では、「子石」ではなく、「子産石」と呼ぶのは、なぜでしょうか?

ここで、飛躍した私の解釈を紹介しましょう。
つまり、

「この大きな岩を母親として扱い、海岸で拾える多数の球形の小石がその母親に形態や質感が似ていることから子どもの石として扱うことにしよう」

という見方もできるかもしれません。
この解釈は、展示されている「子産石」が最大級の球形石灰質ノジュールと思われることからもたぶん妥当でしょう。
(もし、この石よりも大きな石灰質ノジュールがあったら、この「子産石」は子石になってしまう・・・)

前述のように地質学的には大小のノジュールの間には親子関係はまったくあり得ませんが、飛躍した解釈ではあっても「昔の人の見方」として想像できなくもありません。
こちらの解釈が現実的かもしれませんね。


昔の人たちが、地層中から一部ちょこんと、ないし半分以上が顔を出した丸い石や、または地層から洗い出されて海岸に転がる大小の丸い石をとても不思議に思いつつ“愛でた”のではないでしょうか。
また、自然に対して畏敬の念を抱いた証ではないでしょうか。

そして、しばらくして安産や懐妊を祈願するという意味合いをおそらく持たせてきたのでしょう。 巨大な「子産石」の周囲にはずっと小さな子産石に似た大小の石が多数納められているのはその証左の一つでしょう。

なお、上記の私の「屁理屈」は、そのような人々の歴史を否定するものではないことを申し添えます。 いずれにしても「子産石」は、「母なる地球のなせる技」です。
おそらく世界中を見渡しても「父石」はないでしょう。

最後に、この「子産石」の将来にわたる保存について意見したいと思います。
石灰岩や大理石でできた石像等が長い間に雨水(もともと大気中の二酸化炭素を溶かし込んでいるため弱酸性)や酸性雨 acid rain によってゆっくりと溶かされて原型を失っていくことは有名ですが、それと同じように石灰質の砂岩でできた「子産石」も雨ざらしの中で次第に石灰分が溶け出して形が変わることでしょう。 屋根を付けてあげるか(参照:森戸神社の「子宝石」)、傘をさしてあげないといけません。そう言う自分の逆説ですが、個人的には屋根がない方が威風堂々としているので好きですね。

なお、子産石についての解説は、次のウェブサイトをご覧ください。

〇『子産石』 「おおくすエコミュージアムの会」の『大楠のみどころ』の中の『子産石』のページにありますので、ぜひご覧ください。
http://ohkusu-eco.wixsite.com/ohkusu-eco/koumi-ishi



なお、「子産石」と呼ばれている石、ないしこれに類似する石は、横須賀市以外にもあります。球形の石灰質ノジュールでしょうか・・・
ここに各写真が引用できないのが残念です。いつか取材に出かけて、ここに報告したいと思います。

@海南神社・「子産石」(こうみいし)
○所在:三浦市三崎4丁目、海南神社
○岩質:不明(後日調査したい)
○母岩:岩質や由来となる母岩については不明(未調査)

【参考資料】ウィキペディアより
○コメント・・・岩質や由来となる母岩については不明、記述なし


A大興寺・「子生まれ石」(こうまれいし)
球形ばかりではなく、球が2つつながったまゆのような形態をしたものまで産出する。この寺の住職が代わる度に、まゆ型の石が出現するという不思議な現象は遠州七不思議の一つとされる。 歴代の住職の墓石(墓標)に使われている。
○所在:静岡県牧ノ原市西萩間、大興寺、
○岩質:不明(後日調査したい)
○母岩:掛川層群堀之内層(鮮新世)

【参考資料】『静岡地学』第107号,B,2013,および、同,89号、25-27,2004
○コメント・・・この石は、山の崖に現れていたり、落下した石灰質ノジュ−ルであり、横須賀の「子産石」のように穿孔貝による穿孔痕を持つことはないと思われます。
もし、この石を最寄りの太平洋岸に運んで潮間帯にしばらく置けばイシマテガイ等が確実に穿孔すると思います。


B菅原大神・「子産石」(こうみいし)
○所在:銚子市桜井町、菅原大神
○岩質:不明(後日調査したい)
○母岩:不明(下記資料には記述なし)

【参考資料】銚子市市報『広報ちょうし』(平成24年2月号)より
○コメント・・・岩質や由来となる母岩について記述がないのが残念

なお、愛知県清須市清州の日吉神社にある「子産石」は、このページで言う「子産石」に該当しません。
ウェブ上の確認になりますが、形態や岩石的に全く別物です。それに、この岩は球形ではありません(不思議な形)。残念ながら、岩質は写真から推定できません。


#5-5 石灰質ノジュール(コンクリ-ション)のでき方

A study adout the mechanism of calcareous nodule (concretion) production


石灰質ノジュールは石灰質コンクリ−ションとも呼ばれますが、「石灰質」とは炭酸カルシウム成分が含まれていることをさしますので、炭酸塩ノジュールとか炭酸塩コンクリ−ション carbonate concretion の部類に含まれます。 炭酸塩コンクリ-ションとは言ってもすべて炭酸塩でできているのではなく、炭酸カルシウムが砂や泥の粒子をしっかりとつなぎ止めているので、硬い岩石となっています。

実は、これらの詳しい形成メカニズムは地質学者や地球化学者の中で長い間不明でした。
割ると保存のよい貝殻やアンモナイトの殻などが出てくるのでそれらが形成に関係しているのではないかと言われてきました。

近年、名古屋大学博物館教授の吉田英一先生の研究グループがその形成メカニズムを解明しました。
その画期的な論文、Yoshida et al(2015)およびYoshida et al(2018)によれば、海底の泥の中に埋没した生物遺骸が腐敗していく過程でできる脂肪酸がさらに化学変化していき、炭酸水素イオンとなります。 このイオンが堆積物中のカルシウムイオンと反応して炭酸カルシウムができると言います。この化学反応をする部分(反応縁)は球状に形成され、徐々に外側に移っていきます。 この炭酸カルシウムは砂粒などの粒子を堅く結合させます。その結果、球状の構造物が数週間〜数ヶ月という短期間にできるというのです。

私は秩父盆地の荒川支流の川原で約1600万年前の地層に含まれるノジュールをいくつか見た際には、地層の古さからその形成には数万年とか数十万年、あるいはそれ以上の年数がかかるのではないかと勝手に思っていましたから、この論文を読んで大きな驚きを覚えるとともに明快なメカニズム論に感銘を受けました。

○Yoshida et al, 2015, Early post-mortem formation of carbonate concretions around tusk-shells over week-monthtimescales, Scientific Reports 5, 14123, https://doi.org/10.1038/srep14123
○Yoshida et al, 2018, Generalized conditions of spherical carbonate concretion formation around decaying organic matter in early diagenesis, Scientific Reports


#5-6 葉山町・森戸神社の「子宝石」 <準備中>
" Kodakara-ishi" at Morito-jinjya(shrine), Hayama town 【sorry, under construction】

「森戸大明神 水天宮」および「子宝石納所」を見学後、球形の巨石について解説する予定です。




Fig.13
#5-7 鎌倉市・鎌倉の御霊神社の「力石」 <準備中>
" Chikara-ishi" at Goryo-jinjya(shrine), Kamakura City 【sorry, under construction】


「力石」を見学後、球形の巨石について解説する予定です。


Fig.14


********chiyoditeのつぶやき********************
 横須賀市秋間の市民文化遺産「子産石」の実態を参考にして、
子産石を
「地層から洗い出され、沿岸域(潮間帯付近)で穿孔貝に穿孔された球状、ないし球状に近い形態の石灰質ノジュール」
とここだけですが仮に定義することにしましょう。

すると、同様に子産石として認識されてもいいノジュール塊が、残念ながら地元の人々には目を向けてられていないケースが現在の海岸部にもありそうです。

また、長い地球史の中でも同様な特徴をもった石が波の侵食作用等で海岸域に出現するチャンスは世界中にあったはずです。日本では石灰質ノジュールが中生代〜新生代の地層にふくまれているのですから・・・

実は、上記の定義に当てはまる子産み石は海から遠く離れた内陸部、埼玉県の秩父市にもあります。
その子産み石はその昔海岸からだれかが運んできたものではなく、太古の秩父の海岸(=2016年頃から叫ばれている“古秩父湾”?)で形成されたものです。

ここで詳しく紹介しましょう。
秩父盆地北東部・赤平川にかかる郷平橋の近くには巨礫岩層が露出しており、どの巨レキにも穿孔痕がたくさんみられます。(「#0 穿孔貝とは何か」の図6参照)
これら一つ一つの巨レキは上記のchiyoditeによる定義に相当する「子産石」の実例ですが、太古の(約1600万年前の)海のものです。批判を恐れずに強いて表現すれば、これらは「子産み石の化石」と言えましょう。

つまり、約1600万年前、秩父には海岸域があって、そこには地層(現在、富田層 Tomita Formationと命名されているもの)から洗い出された石灰質シルト岩ノジュールがたくさん転がっていたのです。 このレキには穿孔貝 boring shellsが群がるように多数の穿孔痕 boringsを開けました。そこは波が砕け散る磯だったでしょうか。
しばらくして、その岩が土砂に埋もれて地層の一部となり(現在、子ノ神層 Nenokami Formationと命名されているもの)、長い間地下に眠り続け保存されてきました。
地域一帯が隆起し、山域となり赤平川の流れがどんどん地層を削っていき、この部分が河原において見られるようになりました。

荒川やその支流の赤平川の河原では、球形の巨石(レキ)があっても奥秩父から流されてきた巨レキや秩父盆地の地層から形成された巨レキに埋もれてしまい、また台風等の降雨による増水時にずっと下流に流されてしまいます。
また、海岸ほど河原に降り立つ人が少ないことも影響すると考えられます。(ビーチコーミングはあっても、リバーコーミングはない)
したがって、海岸ほど球形の石灰質ノジュールは人目につかないことでしょう。

化石穿孔痕を持つ石灰質のノジュ−ルに注目している人は私を含めてわずかの人間です
(∴化石穿孔痕を持つ石灰質のノジュ−ル=研究上のニッチないしニッチェ、niche)。 しかし、生痕化石について調査・研究している者だけが魅了されるのではなく、その意味や意義がわかれば多くの人にも注目していただけることでしょう。

横須賀市秋間の「子産石」が横須賀市の文化資産であるのと同様に、この「子産み石の化石」は、大事な“秩父地域の自然遺産”と位置づけられるべきものと私は考えています。

参考までにイシマテガイの穿孔痕を有する石灰質ノジュールのレキを紹介しましょう(図15、16)。
図15は子ノ神層の基底にある巨礫岩層から採取した小型の円レキの外観ですが、このレキは女子陸上選手が使う砲丸のような大きさで球形をしています。石灰質のレキ表面がいくぶん溶解したため、穿孔痕の入り口が浮き彫りとなっています。 (下のスケールがなければ、小惑星りゅうぐうではありませんが、どこかの天体に見えませんか?)

一方、図16はこのレキの中心を通るように岩石切断機で真っ二つに切断した後、研磨した標本です。少しずれてはいるものの砲弾型をした穿孔痕の縦断面で現れました。薄い貝殻(イシマテガイ類の殻はもともと薄い)の輪郭や入り口付近の石灰質の壁 calcareous liningがよくわかります。 また、他の穿孔痕の断面もいくつか現れました。
秩父盆地では大小のノジュール内部に保存の良い巻き貝や二枚貝の化石が見つかることがありますが、図16でわかるようにこのノジュール内部には貝殻などはまったく含まれていませんでした。



Fig.15 This palm-sized rock is a calcareous concretion or nodule with borings from the basal conglomerate of Miocene Nenokami Formation, Chichibu basin, Saitama prefecture. Collected by chiyodite. This rock looks like an iron ball of women's shot put in size and one of satelite or asteroid in shape. After the exhumation by wave action this rock may have been bored by rock-boring organisms at 16 Ma intertidal zone . Therfore, I think that it is possibl to name this spherical rock "fossilized Koumi-ishi".



Fig.16 A pair of hemispheric rock specimen, calcareous siltstone nodule with some borings. After cutting the specimen of Fig.15 by rock-cutting machine each surface were polished with water-resistant sandpapers in #1500. Each elongate section with green clastics and sands show a boring of Lithopahaga sp., Ichnologically may be identified Gastrochaenolites torped. Thin shells and calcareous lining near the entrance can be seen in each sections.
Unfortunately other three borings can not been idenfied.

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最後に、球状ノジュールないし球状コンクリ-ションと言えば、ニュージーランド南島にみられるモエラキボウルダー Moeraki Boulders は大きさと数の両面で見物(みもの)です(図17)。
大きいものでは、直径1mを越えるものが幾つも砂浜に転がっていると言いますから、驚きです。横須賀市の「子産石」の数倍のインパクトがあります。

〇お勧めのウェブサイト http://www.moerakiboulders.co.nz/




Fig.17 Moerakiboulders. Upper photo by skeeze, lower photo by Simon Steinberger. I' d like to express special thanks to two photographers.


私がこの巨岩の存在を初めて知ったのは、1986年にNZに旅行した際でした。
日本への帰路、オークランド国際空港内の書店でちらっと見た「地質ガイドブック」(書名は未確認)の表紙写真がちょうどこのボルダー(ボウルダーズ)だったと記憶しています。
日本では見られない大きさの、不思議な巨石だという強いインパクトを覚えながらもこの本を購入しなかったことを後に悔やみました。 数年後NZを旅行した母にこの本の有無について確認を依頼しましたが、わかりませんでした。
しかし、今ではネットで見られますから、よしとしましょう。

このボルダーには、穿孔痕はあるでしょうか??(いつか実物を見てみたい!!)
波打ち際や潮間帯に露出する巨岩なので、穿孔痕があってもおかしくありません(ただし、穿孔性生物が棲息していればの話し)。


最初にこの島にやってきた原住民や英国等から移住してきた人たちがどのようにこの巨岩群をみていたか強い関心があります。

モエラキ・ボウルダーは、言ってみれば「ニュージーランドの子産石」、ないし「ニュージーランドの子生まれ石」(こうまれいし)でしょうか・・・・

なお、このボウルダーからは海棲ほ乳類の骨が出てくることがあるそうです。

#5-4では、「子産石」の話しから、石灰質ノジュールやモエラキボウルダーの話しまで発展してしまいました。


付録・真鶴町の祭の紹介

この#5では真鶴町内の穿孔痕を有する巨岩について紹介しました。このような巨岩に出会えたのも、私が2010年より現生の穿孔貝調査に真鶴町に毎年出かけた際の副次的な成果です。
その調査の機会に真鶴町では、おおぜいの地元の方々と交流することができ、真鶴町の人々の暮らしや文化、歴史を学ぶこともできました。
そこで、この項目の最後に、穿孔貝の話題から離れますが、貴船まつりを写真で紹介します。

国の重要無形民俗文化財に指定されている、貴船神社の例大祭「貴船まつり」は日本三大船祭りのひとつで、およそ300年以上の歴史がある伝統行事です。
貴船神社のご神体を神輿に乗せ、船で港を渡り、町内を豊漁・無病息災を祈願しながら巡行するものですが、花山(はなだし)鹿島踊りも行われます。 毎年7月27日〜28日に開催され、大変なにぎわいをみせます。

穿孔貝調査に初めて町を訪問した年に地元の方からこの祭を紹介されました。実際に見物してみると、私の地元の夏祭り(吉川・八坂祭)とは異なって海の男衆の熱気と、内陸部と沿岸部という舞台設定の違いを強く感じました。 担ぎ手が神輿を担いで100段以上の階段を登り下りするシーンも見物でした。

1枚目の写真は貴船神社の神主さんたちが対岸から飾られた渡船でやって来る様子、2枚目の写真は真鶴港・漁船の船着き場にて神輿のみそぎに向かう(神輿を海水で清める)様子です。




Fig. F01 Kibune-Matsuri is a traditional summer festival at Manazuru town, held on June 27 and 28 every year, praying to God for the good catch and the perfect health. Kan-nushi(Shinto priest) of Kibune Shrine and the people concerned ride on the decorated ships to the opposite shore; downtown.


Fig. F02 After Mikoshi(a portable shrine) is carried on a flat boat from hillside of shrine to the town, young to old people carry it on their shoulders downtown. And, people carry it into sea water with their fighting spirit at the port, this activity may mean the purification.




Last update: August.8, 2019