拍手文シリーズ2



 ※拍手で回っていた小話で同設定で続いたものをまとめました。


※現代パラレルリヴァエレ。社会人×高校生。



第一話


 ポツポツ、と降り出してきた雨にエレンはゲッと小さく呟いて、咄嗟に近くの飲食店の軒下に避難した。無論、駆け込んだくらいだから傘は所持していない。天気予報では本日は雨は降らないはずだったが、今更そんなことを言ってみても始まらない。

(どうするかな……)

 空を見上げてみるが、雨はやむ気配を見せない。店に入る気はないエレンがいつまでも店先で雨宿りしていては営業妨害になるだろう。雨脚が弱くなったところを見計らって近くのコンビニエンスストアでビニール傘でも買うのが無難かもしれない。

(あー、でも、この辺にコンビニはなかったっけ。一番近いとこまで結構あるな)

 更に言えば現在は買い物帰りなので両手がふさがっている状態だ。この荷物を持ってコンビニエンスストアまで走るのは面倒な上、到着までに濡れるのは確実だろう。
 だが、自宅まではまだ距離があるので傘は必須だ。いつまでもここにいるわけにもいかないし、とエレンが濡れるのを覚悟した時、近くからふわりと紫煙の匂いがした。
 それにつられるように視線を向けると、店から出てきた男が煙草を燻らせていた。年の頃は三十になるかならないかくらいだろうか、スーツ姿の目つきの鋭い男性だった。高校生のエレンにはその年代の男性と接点はないのだが、何か記憶に引っかかるものを感じてついその男性を眺めていると、視線に気付いたのか、相手もエレンに顔を向けた。
 視線がぶつかって、相手は怪訝そうな顔をしてから――何かを思い出すかのように軽く額を押さえた。それから、思い当たったかのように、ああ、と頷いた。

「お前、隣の部屋のガキじゃねぇか?」

 男にそう言われて、エレンもああ、と気付いた。エレンが住んでいるマンションの隣の部屋の住人――確か、二、三ヶ月前程に越してきた男性がそういえばこんな顔をしていたかもしれない。一度、家に引っ越しの挨拶をしにきたが、社会人の彼と自分では生活サイクルが違うのでその後は殆ど顔を合わせることがなかったから、すぐには思い出せなかった。

(確か、どこかの公務員だって話だったけど)

 その見た目の怖さからその筋の人かとマンション住人の間で噂されていたが、公務員だと聞いて周りが驚いていたのを小耳に挟んだことがある。まだ越してきてから間もないというのもあるだろうが、ご近所付き合いというものもしていないらしい。

「この店、入ったはいいが、全席禁煙なんだとよ。ふざけてると思わないか?」

 男はそう言ってから、吸い終わった煙草を携帯灰皿に入れ、お前はどうしたんだ、と訊ねてきた。

「えーと、雨宿りです。買い物帰りなんですけど、傘持ってなくて」

 雨はまだやみそうにない。ここで無駄に時間を過ごすよりもやはり覚悟を決めて行くか、と考えたエレンの前にすっと傘が差し出された。

「持っていけ」
「え? でも……」
「俺は車だからなくても大丈夫だ。帰るまでにずぶ濡れになるぞ」

 躊躇うエレンに男は傘を押し付け駐車場へと歩き出した。

「あ、あの、傘はいつ返したら――」
「他にも持ってるし、返さなくていい。要らないなら、ドアのところにでも引っかけておけ」

 そう言ってさっさと車に乗り込んで去って行った男を見送ってから、男に礼を言っていないことに気付いたが後の祭りだた。



(返さなくていいって言われたが……)

 エレンは男から借りた傘を前に溜息を吐いた。
 これがコンビニエンスストアで買える五百円もしないようなビニール傘だったらエレンだってそれ程気にしなかったかもしれない。だが、男がエレンに渡した傘はしっかりした作りのもので、よくよく見たらエレンも聞いたことある有名ブランドのものだったのだ。これ一本でビニール傘の十本や二十本は買えてしまうに違いない。返さないわけにはいかないだろう――男が気にしなくても、エレンが気にしてしまう。
 しかし、傘を返そうにも男に会う機会がないのだ。朝はエレンよりも早くに出勤しているようだし――というか、出勤前の忙しいときに訪ねるなんて非常識な真似は出来ない――仕事が忙しいのか帰宅してくるのもかなり遅い時間のようだ。余り遅くに訪問するのも迷惑だろうと考え、男を訪ねるタイミングを計っているのだが一向に上手くいかない。
 男の言うようにドアにかけておくのも手だが、余り気が進まなかった。ブランド物の傘だから誰かが勝手に持っていかないという保証はない。それに、男にちゃんとした礼を言っていないのも引っかかっていた。
 悩んだ末、やはり直接手渡すべきだと考えたエレンは休日に男の家を訪ねてみることにした。


 ピンポーン、とインターフォンを鳴らしてみたが、応答はなかった。

(休日だし、出かけているのかな?)

 ここは出直すべきなのか――取りあえず、相手が気付かなかった可能性も考えて、エレンはもう一度だけインターフォンを押した。すると、中からどたん、だとか、がたん、とかいう派手な音が聞こえた。何事だ――とエレンが固まっていると、キキィという不気味な擬音が似合いそうな感じでドアが開いた。

「何の用だ……クソガキ。俺は忙しいんだ。くだらねぇことなら蹴り殺すぞ……」

 たった今、人を殺してきました、とでもいうような鬼気迫る顔とドスの利いた声で言われ、エレンはその場で硬直した。
 男は固まったエレンを訝しげに見て――ああ、お前隣の部屋のガキか、と呟いた。

「何の用だ?」
「あ、あの――傘を返しに」
「傘?」

 男は何のことだ、というような顔をしたが、エレンの言葉に傘を貸したことを思い出したのか、ああと頷いた。

「その辺に置いておけ。俺はこれから重大な問題を解決しなければならない」
「あ、あの、重大な問題って……」

 男の余りの様子につい訊ねてしまったエレンに彼はきっぱりと告げた。

「これから部屋の掃除の時間だ」
「…………は?」

 思わずぽかんと口を開けたエレンに、男は思いついたように、そうだな、お前、暇そうだから手伝っていけ、と続けたのだった。


「いいか、三日だ。三日も掃除が出来なかったんだぞ! これがどんなに危機的状況か判るか?」
「……………」

 いや、掃除を三日しないくらい特に問題はないと思います、とは男の様子からは言えないエレンだった。何でも、男はこのところ忙しくて家の掃除が出来なかったらしい。今日ももっと早くからやるつもりだったそうだが、連日の睡眠不足が祟って思っていたよりも遅くまで寝てしまったらしい。遅れを取り戻そうと急いで支度をしていたところにエレンが押し掛け――その際に掃除用具を落としたらしく、物音はそのためだったらしい――機嫌は降下してあの対応だったようだ。それも、エレンが掃除に付き合ったことで帳消しにされたが。

「……綺麗好きなんですね」
「いや、普通だろう」
「…………」
「それより、お前、手慣れているな。普段から家の手伝いをしているのか?」
「ああ――オレの家、母親がいないんです。小学校のときに他界しましたから、家事は殆どオレがしてますので」
「――そうか」

 エレンの母親は十歳の頃に事故で亡くなっている。医師である父親は忙しく中々家のことには手が回らないのが現状なので、家事はほぼ全部エレンが行っていた。最初の頃は失敗もしたが今では手慣れたものだ。

「あ、傘ありがとうございました。助かりました。えーと……」

 若干、気まずくなった空気を変えるようにお礼を口にしながらエレンははたと気付いた。そういえば、この男の名前を自分は知らなかった。いや、引越しの挨拶のときに聞いているはずなのだが思い出せない。今まで男の名前を呼ぶ機会がなかったから、気にしていなかったが、何という名前だっただろうか。

(えーと、何とか……何とかヴァイとかヴォイとかそんなんだったはずだ。えーと何だっけ。思い出せ、確か……)
「オイ、どうかしたか? 急に黙りやがって」
「あ、いえ、何でもないです、ヤヴァイさん!」

 そうエレンが言った瞬間、男は眉間に皺を寄せ、少年の頭に拳を落としたのだった。


 ――確かに名前を間違えたのは失礼だったと思う。思うが、殴らなくてもいいんじゃないかとひっそりとエレンは思った。あの後、頭の痛みにしばらく悶絶したエレンだった。

(まあ、オレが悪かったから自業自得なんだが)

 スーパーのレジ袋を提げながら自宅に向かおうと足を進めつつエレンはこの前の休日のことを回想していた。まあ、傘は無事に返せたのだし、お礼も言えたのだからよしとすることにしよう。――男とはあれから顔を合わせていない。やはり、社会人と高校生の自分では時間が合わないようだ。
 スーパーから出ようとした自分にすーっと近付く車があった。ウィンドウから顔を覗かせたのは、休日に会った男。

「買い物か?」
「あ、はい」
「乗れ、送っていく。ついでだ」
「え? でも、すぐそこですから」

 エレンは遠慮したが、強引に車に乗せられて自宅マンションまで送られることとなった。

「ありがとうございました」
「どういたしまして」

 男はこれから用があるのでそちらに向かうとのことだった。その途中でたまたまエレンを見かけたので運んでくれたらしい。傘を貸してくれた一件もそうだが、男は見た目に反して親切だと思う。目つきの悪さと無愛想なので損をしているが、あたたかい人なのではないか、とエレンはぼんやりと思った。

(あ、そうだ)

 ふと、思いついたエレンはレジ袋の中からあるものを取り出して男に渡した。

「良かったら、これどうぞ」

 男の手の上にあるものはのど飴で、男は怪訝そうにのど飴とエレンを見つめた。

「煙草の代わりに。少しは控えた方がいいですよ。それと、名前間違えたお詫びに。……リヴァイさん」

 エレンの言葉に男はふっと笑ってくしゃりとエレンの頭を撫ぜた。

「生憎禁煙する気はないが、有難くもらっておく。……またな、エレン」

 撫ぜていた手を離し、軽く振って挨拶しながら車を走らせていく男を視線で追ってから、エレンは男に撫ぜられた頭に自分の手を置いた。
 子供みたいに頭を撫ぜられたことや、笑うとびっくりするほど表情が柔らかくなることや、色々あったけれど。

(名前、知ってたんだな)

 ガキとかお前とかしか呼ばれないから知らないのかと思っていたけれど。

(……何だろう、何か、嬉しいや)

 自分の胸に淡い想いが芽生えたことを知らずに、エレンは知らずに口元に笑みを浮かべて自宅へと戻っていった。



 2014.6.14up



 またもや現代パラレルネタ。実は元々は以前やっていた某ジャンプ系マンガの別カプの拍手連載用に考えていたネタだったりします。結局、書かなかったので今回サルベージ(笑)。元ネタではくっつくまでを考えていたんですが、他とネタがかぶるので出会いだけでもういいかな……。←と書きましたが、続き読みたいという方がいましたので、書くことにしました(笑)。





第二話


 今日の夕飯はどうしようかな、と考えながらエレンは近所にあるスーパーへと向かっていた。近所にあるスーパーは品揃えが豊富で、比較的安価なものが多く、特売セールなどもあるのでエレンはよく利用している。まるで主婦のようだと友人に言われたことがあるが、母親が他界してから家計を預かっている身の上としては余り無駄遣いはしたくなかった。
 エレンが家事をしていると知ると、家政婦を雇えばいいじゃないかと軽く言われるが、自分で出来ることは自分でやった方が経済的に助かるし、気も楽だとエレンは思っている。どうも、世間的に医者の家は相当な金持ちだと思われているらしい。確かに同年代の会社員に比べれば多くもらっているのかもしれないが、開業して自分の病院を持っている医師ならともかく、勤務医が高級外車を乗り回せる程の所得があるわけもない。ある意味偏見ともいえる人の思い込みをやり過ごすのにももう慣れたが。

(今日は父さんは帰ってこないし、何にしよう)

 一人だとどうしても手の込んだものは作らなくなってしまう。一人の食事にはもう慣れているが、張り合いがないのは確かで。

(あれ?)

 何にしようかと視線を走らせていると、ふと、見覚えのある姿が目に映った。惣菜品の売り場の前でそれを睨み付けるように眺めている男性―――。

「リヴァイさん?」

 そこにいたのは先日傘を借りて返したマンションの隣室の男だった。今日は仕事は休みだったのだろうか、と内心で首を傾げる。
 男は噂によると公務員だという話だったが、どうにも勤務時間が不規則のようだ。最初は時間帯が合わないのか、忙しい時期なのかと思っていたが、あれから一度も顔を合わせることがなかったので、それも当てはまらないような気がしていた。エレンが公務員と聞いて思い浮かべるのは真っ先に役所の人間だが、それにしては不規則な気がする。
 エレンが声をかけようか迷って男を見ていると、相手の方が気付いたようで、軽く手を振ってこちらを呼ぶような仕種をしたのでエレンは小走りで彼に近付いた。

「買い物か?」
「はい。夕飯の材料とか色々。リヴァイさんも買い物ですか?」
「ああ。晩飯を買おうかと思ったんだが……コンビニ弁当と余り変わらないな」

 男は並べられた惣菜を眺めながら眉を寄せている。どうも気に入ったものがなかったらしい。

「コンビニよりも安いと思いますけど。値引きもありますし。オレはそんなに惣菜買わないので、どれが美味しいとかお勧めは出来ないんですけど……」

 惣菜を利用するなら米を炊いておかずだけ買ってもいいし、炊くのが面倒なら弁当を買ってはどうだ、と言うと、男は面倒以前に家には米がないと答えた。

「米を炊いたのなんて何年前か思い出せねぇ。炊飯器はまだ壊れてないと思うが」
「え? リヴァイさんって自炊しないんですか?」

 あれ程掃除に執念を燃やしていたし、手先も器用そうだったから何となく家事は全部完璧にこなすのだと思っていた。まあ、男がいそいそとスーパーで買い物してエプロン姿で料理をするという図が想像出来ないのは確かだが。

「自炊する時間があるなら掃除する」
「…………」

 どうやら男の家事能力は掃除だけに費やされているようだった。普段、食事はどうしているのかと訊いてみれば、主に外食とデリバリーとコンビニ弁当らしい。思えば、傘を借りた時も飲食店の前だったし、自分で作らないというのが当たり前になっているのかもしれない。
 話を聞いて眉を寄せたエレンはよし、と決意すると男にこれから一緒に夕食をとらないかと持ち掛けた。無論、自分が調理するからと。

「お前が作るのか?」
「これでも、料理はわりと得意なので。どっち道、自分の分も作るので、一人分も二人分も手間は変わらないので、良かったら」

 男は少し迷っていたようだが、外食やコンビニ弁当に飽きていたようで、材料費を折半するという――全額払うと男は言ったがそれはエレンが丁重にお断りをした――条件で提案を聞き入れた。

「何にしましょうか? 折角二人なんだし……鍋とかどうでしょう?」

 一人では中々食べない料理を浮かべて提案してみる。一人用の鍋セットなども売られてはいるが、何となく鍋や焼き肉などの料理は大勢で食べるというイメージがついていて一人では作らない献立だ。

「あ……鍋は嫌ですよね。他に食べたいものはありますか?」

 提案してからあれ程綺麗好きな男なら人と同じ鍋をつつくのは生理的に駄目かもしれない、と思いエレンはそう言ったが、男は別に構わないと答えた。

「知らない奴なら嫌かもしれないが、お前だからな」
「…………」

 さらりと返された言葉に特に意味はないだろうに、何だか頬が熱くなるのを感じて、エレンは慌ててじゃあ鍋にしますね、と早口で告げた。

「あ、シメは麺だ。そこは譲れねぇ」
「雑炊も美味しいと思いますけど……リヴァイさんは麺派ですか?」
「一緒に飯も食うのに、また米なんておかしいと思わないか? 炭水化物をどうしてそんなに過剰に摂取したいのか……」
「イヤ、麺にしてもどっちにしろ炭水化物だと思いますけど」
「気分の問題だ」
「じゃあ、麺にしましょう。お餅を入れても美味しいですよね」
「結局、炭水化物だな……」

 エレンはどちらでも構わないので麺を買い物かごに入れ、丁度良かったとリヴァイに特売の卵を買ってもらうことにする。

「お一人様一点なんです。後、牛乳も」
「お前は主婦か。卵を摂りすぎるとコレステロール値が上がるぞ」
「まだ気にする年じゃないですし、卵とコレステロール値って関係ないって聞いた気が……。あ、でもリヴァイさんの年だとそろそろ中性脂肪とか気にした――」
「誰がメタボだ、クソガキ!」

 ――リヴァイの拳が落されたのは言うまでもない。



 予想はしていた。予想はしていたが、これ程とは思わなかった。

「本当に普段何食べているんですか?」
「まあ、殆ど外食だな。今は二十四時間営業の店があって助かっている」
「栄養偏りますよ。というか、せめて調味料くらい置いてください」
「何か、お前、一人暮らしの息子を心配する母親みたいになってんぞ」
「イヤ、だってこれはあまりにもないですよ……」

 エレンが男の家のキッチンで忙しなく動きながらそう溜息を吐いた。エレンの家ではなく男の家で食べることにしたのは、エレンの家ではおそらく男が居心地が悪いだろうと思ったからだ。というか、まず最初に掃除をする羽目に陥りそうな気がする。エレンの家は別に散らかっている訳ではないし掃除もちゃんとしているが、男の家を基準にしたら及第点が取れるかは謎である。さすがに初対面の人間の家ならば男も掃除までしないだろうが、こちらは男の家の掃除の手伝いをしたことのある身の上だ。掃除を言い渡される可能性は有り得なくはない。
 掃除が嫌という訳ではなかったが、料理の時間を掃除に取られそうなのでエレンは男の家に行くことにしたのだ。訊いてみたところ、使ってはいないものの一通り調理器具はあるとのことだったので、それ程問題はないかと思ったのだ。が。

(まさか、冷蔵庫には飲み物だけ。調味料も一切ないとか思わなかった……)

 米がないのは判っていたが、少なくとも醤油や塩コショウ、砂糖くらいは常備しているのが普通だろう。料理酒やみりん、酢などは期待してなかったが、あそこまで何もない冷蔵庫は初めて見たと思う。シンクなどはまるで新品のように綺麗で使われた形跡は殆どなく、オーブンや食洗器つきの立派なものなのが心底勿体なさすぎるとエレンは思った。
 余りの状況にいてもたってもいられなくなったエレンは追加で買い出しにいき、家から足りない調理器などを持ち込み、有無を言わさずに調理を開始したのだった。本日食べる分ではなく、後日温め直して食べるストックである。無論、この後本日の夕食の鍋の支度もするつもりだが。

「冷凍庫と冷蔵庫に作り置き入れておきますから、レンジであっためて食べてくださいね。あ、時間判ります?」
「いくら何でもそれくらい判る。……お前、料理本当に得意なんだな。あっという間にこんなに……」
「圧力鍋は正義です。味は保証出来ないですけど」
「いや、旨そうだ」

 出来た料理を保存していくエレンを見て、男が感心した声を上げている。一通り終えて、エレンははたと余計な真似だったかなと反省した。

「あー、色々勝手してすみません」
「イヤ、逆に助かった。これなら、鍋にも期待出来そうだな」

 そう言って笑う男にも今度は手伝ってもらいながら鍋の支度をし、二人はあたたかい鍋をつついたのだった。



 ――数日後、エレンは再び食材を買いにスーパーへ向かっていた。

(今日は何にするかな)

 そう考えながら歩いていたエレンの思考はいつの間にかあの隣室の男のことになっていた。

(ちゃんと食べてるのかな。ストックはまだあるはずだけど、また外食三昧なのかも……)

 ちょっとした顔見知り程度の自分が心配することではないし、この前勝手に料理してしまったのも行き過ぎだったと判っている。男は助かったと言っていたが、有難迷惑だったかもしれない。

(でも、何かほっとけないというか、気になるというか……)

 そんなことを考えていたからか、不意に目の前に現れた男の姿にエレンは幻覚を見ているのかと思い目を擦った。

「あれ? リヴァイさん?」
「奇遇だな。また買い出しか?」

 どうやら本物だったらしい。エレンが頷くと、男は仕事の途中でこれからまた別の場所に向かうのだと言った。

「あ、そうだ、お前気を付けろよ」
「何をですか?」
「最近、この辺りでひったくり事件が多発している。ぼーっとしてると狙われ――」

 と、そう男が言いかけたときだった。高い女性の叫び声と、ひったくりだ、という声が聞こえたのは。
 突然の出来事に反応が遅れたエレンとは違って、男は小さく舌打ちして駆け出し、通りすがりの人から自転車を借りると――借りるというより奪い取ったという方が正しい――物凄いスピードで相手を追いかけていった。

(え、でも、相手バイク――)

 ミニバイクだが、自転車が敵うとは思えない。だが、事態についていけず眺めていたエレンの目の前で男はバイクに追いつき、見事な飛び蹴りを食らわせたのである。こうも見事に決まると芝居かと疑ってしまいたくなる程だ――いや、現実なのは承知しているが。

「リヴァイさん、大丈夫ですか?」
「ああ、何ともねぇ」

 我に返ったエレンがリヴァイに駆け寄ってそう訊ねると、男は何でもないかのようにあっさりとそう答えた。

「現行犯だからな、言い逃れは出来ねぇぞ」

 取り押さえた男に手錠をかけながら窃盗犯は管轄外なんだがな、と男は呟いた。わめくひったくり犯に取り出した身分証のようなもの――いわゆる警察手帳なのだろう――を突きつけて黙らせてから、携帯電話で連絡を取り始めた。おそらくこの男の身柄の引き渡しをするのだろう。

「あ、あの、リヴァイさんって……」
「何だ? こいつなら管轄の警官が来るから大丈夫だ」

 確かに公務員だと聞いてはいた。聞いてはいたが、これはちょっとないんではないかとエレンは思った。

「刑事さん、なんですか?」
「ああ、そうだが?」

 あっさりと肯定され、エレンは固まった後、ええええっと素っ頓狂な声を上げてしまった。

「見えません! どっちかというと、逮捕される方というか、その道を極めたと言われた方が納得――」
「オイ、誰が犯罪者でその筋の人間だって……?」

 少年の頭に拳が落されたのは言うまでもない。


 駆け付けた警察官に事情を説明すると、リヴァイはエレンへと近寄ってきた。

「じゃあ、俺はこれから別の仕事があるから。お前も気を付けて帰れよ」
「あ、あの、リヴァイさん!」

 エレンは立ち去ろうとする男の服を咄嗟に掴み、引き留めていた。

「今度、またご飯作りに行きます。忙しいとまたろくなもの食べなそうだから」

 何を言っているのだろう、とエレンは思った。だが、ここでこのまま別れてしまったら、男と出会うことは滅多にないだろうと思ったのだ。それは何だか嫌だったのだ。

「俺は助かるが――お前は面倒だろう?」
「面倒なんかじゃないです!」

 勢い込んで断言する少年に男は目を瞬かせて、それから口の端をふっと持ち上げた。

「オイ、エレン、携帯貸せ」

 言われるままに差し出された携帯電話を受け取ると、男は自分のものを取り出して手早く番号を交換した。

「これでよし。……忙しくて出られない場合も多いと思うが、暇な時間が取れたら連絡する」

 お前の飯は旨いから楽しみにしている、と男は少年に告げ、その頭をするりと撫ぜて立ち去って行った。
 置いていかれた方の少年は呆然とその姿を見送って、事態が飲み込めると徐々に頬が熱くなるのを感じた。

(携帯の番号とアドレス教えてもらえた)

 そんな些細な出来事が何故嬉しいのか判らず、ただ少年は返したもらった携帯電話を握り締めながら、当初の目的であるスーパーへと向かったのだった。



 2014.11.2up



 シリーズ二話目。読みたいという方がいらっしゃいましたので書いてみました。リヴァイが刑事なのは元々考えていたネタの影響です。次でくっつくかな……?←作者にも判らず(汗)。





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