蛍火





「祭り?」
「そう、近くの街でやるらしいんだ」

 幼馴染みの少年にそう言われ、エレンは首を傾げた。つい先日トロスト区に巨人の襲撃があったのは誰でも知っているはずだ。このような状況下で祭りが行われるなんて俄かには信じがたい。第一、ウォール・マリアが陥落してからは物資が不足しがちで、口減らしともいえる奪還作戦で人口の二割を減らしてようやく供給が行きわたるようになってきたところだ。それで、よく祭りの許可が下りたものだと思う。

「よく、許可が通ったな」
「古くから行われている伝統行事だから、中止にしたくないっていうのがあるみたいだね。それに、人々は王政に対して不満があるから、尚更許可を出したんだと思う」
「? どういうことだ?」
「王政に対する不満を人々の目から逸らすために。日頃のストレスをどこかで発散させないと、暴動とか起こるかもしれないだろう? こういった行事を押さえつけるよりはいいと、判断したんじゃないかな」

 そもそも、街の行事は街の予算で賄われるから懐が痛むわけではない。警備に憲兵団から兵士が何人か引き出されるだろうが、それも上層部の知ったことではないだろう。警備に回されるような下っ端の仕事が増えようと別に彼らが忙しくなるわけではないのだから。
 余りの勝手な話にエレンが眉を寄せていると、少年――アルミンはでも、お祭り自体はいいことだと思うよ、と続けた。

「こんな世の中だからこそ、たまには息抜きが必要なんじゃないかな。それに小さい子には世界の状況なんて関係ないしね。……シガンシナにいた頃、お祭りによく一緒に行ったよね、エレン」

 シガンシナ区にも年に一度お祭りがあって、小さい頃は両親と、少し成長してからはアルミンと、それからミカサも加わって三人で駆けまわって楽しんだものだ。ハンネスは大っぴらに酒が飲めると喜んで、いつも飲んだくれてるじゃねぇかとエレンは憎まれ口を叩き――周りの誰もが皆笑っていて、とても楽しかった。あれは、いつ崩れるか判らない薄氷の上の平和での出来事で、もろくも崩れ去った今は跡形もない。だが、その思い出はいつまでもキラキラと輝いている大切なものだ。それを取り上げてしまうのは確かに酷いことだと思う。

「……確かに楽しかったよな、祭りは」
「うん。今回は少しだけど、花火も上がるらしいよ」

 花火、と聞いてエレンは目を丸くした。

「火薬が勿体ないじゃねぇか」
「……そこで、現実に返っちゃうんだね、エレン。まあ、それなら砲弾に回せっていうのが兵士の考え方だけど。でも、たまにはいいんじゃないかと僕は思うよ」

 大体、全く作らなくなってしまったらその技術は廃れてしまうのだから、何でもかんでも全部兵団に回すのは間違っていると思うよ、とアルミンは続けた。弁論でアルミンに勝てると思っていないエレンは頷くしかなかった。

「ああ、何か前置き長くなっちゃたんだけど、その祭りには兵団の皆も参加していいって通達があったんだよ」

 街の人間にも息抜きが必要なように、兵士にだって休息は必要である。勿論、全員が揃って本部から出払うのは不可能なので、組み分けして交代でということになるだろうが、久し振りの息抜きを皆楽しみにしているらしい。

「それで、エレンはどうなのかと思って。僕とミカサは一緒に行けると思うんだけど……」
「オレは……」

 果たして行けるのであろうか。そもそも自分は監視対象であって自由な行動は許されていない。監視付きであるなら街での行動は許されるであろうが、何せ年に一度の祭りに兵士達も加わるとなると、結構な賑わいとなるだろう。何かの騒ぎも起こらないと限らないだろうし、そんな中に自分は出してもらえるのだろうか。

「聞いてみないと判らねぇが……どうだろうな」
「うん、そうだよね。判ったら教えて。ミカサも気にしてたし」

 じゃあね、と手を振って戻っていくアルミンにエレンも背を向けて、あの人はどんな回答をくれるだろうか、と思いながら歩いていった。





「却下だ」

 祭りの話を上官であり、自分を監視する立場のリヴァイに話したところ、にべもなく断られた。

「あの、でも、気晴らしになっていいと思いますよ。夜店の屋台とか色々出ると思いますし、花火とか色々企画されてるって聞きましたし」
「却下だ。人混みなんてうぜぇだけだし、夜店で出てるもんなんて不衛生で誰が触ったか判らねぇだろうが。花火なんて火薬の無駄遣い見る気もねぇし」
「…………」

 リヴァイの言葉に見るからにしゅんとして肩を下げた少年に、男はふうっと溜息を吐いた。

「……誰も、お前に行くなとは言ってねぇ」
「え?」
「俺は行く気はねぇが、お前は行ってきてもいい。無論、一人じゃ行かせられねぇが、誰かつければ特に問題はねぇだろ」

 男の言葉に少年は困ったように眉を下げ、なら、オレも行かなくていいです、と呟くように答えた。男はその言葉に困惑して少年を見つめた。

「行かなくていいって……お前、さっき行きたいって言っただろうが」
「兵長と一緒に行きたかったんです。だから、兵長が行かないならオレも行かなくていいんです」

 もしも、少年に犬の耳としっぽがあったなら確実に垂れていただろう、と思えるような寂しげな様子に――いや、男にはあるはずのない耳としっぽが見えた気がした――リヴァイは心中で唸った。クソ可愛い顔すんじゃねぇ、と叫びたい気分だが、少年が計算ではなく素でやっているのは判っているから、リヴァイはその衝動を何とか堪えた。

「……夜だ」
「え?」
「俺は無論だが、お前も顔を知られている可能性がある。騒ぎになるのはごめんこうむるからな、顔が人目につきにくい夜なら連れて行ってやってもいい」
「はい! ありがとうございます! 兵長」

 今度は打って変わって顔を輝かせ、しっぽがあったら全力で振っているに違いない少年にリヴァイはまあ、惚れた方が負けとはよく言ったもんだ、と内心で深い溜息を吐いていた。




 祭りには行けるようになったとアルミンには話したが、アルミン達とは同行は出来なかった。エレン達は人目を忍んで夜に行くことになったのだが、アルミン達は組み分けで昼に出かけることに決まったからだ。ミカサは「絶対にあのチビの陰謀に違いない。いつか私が然るべき報いを……」とぶつぶつと呟いていたが、組み分けは本人の希望も入れられるが、役職や能力も考慮されてバランスよく振り分けされたものだから、個人的な理由での変更や文句は言えなかった。
 幼馴染み達と祭りを楽しめないのは残念ではあったが、リヴァイと二人きりでいられるのが嬉しくもあった。余り大人数で動くのも目立つだろう、ということで、この祭りにはリヴァイと二人きりで行くことになったのだ。――一応、自分達は恋人と呼ばれるような関係なのだとエレンは思う。リヴァイの性格からいって甘い関係など望むべくもないが、一緒にいられるだけでエレンは嬉しかった。

「うわぁ、綺麗ですね」

 夜の街は思っていた以上に綺麗だった。通常、日が暮れれば店はどこも閉まってしまう。勿論、酒場や、そういった関係の店の一部は夜でも営業を続けているが、暗くなれば明かりを灯さなければならず、その照明代がバカにならないからだ。
 だが、今はどの店先にもランプの灯が灯され、広場には大きな篝火が焚かれ楽しそうに楽器の音色に合わせて踊っている人達がいる。屋台からは美味しそうな食べ物の匂いが漂っているし、何も買わなくてもただ眺めているだけで楽しそうだ。エレンが想像していたよりも、ずっと賑やかな祭りらしい。人目につかないようにフードを深く被ったエレンはきょろきょろと辺りを見回しながら動き回り、リヴァイにあんまりうろちょろするな、と教育的指導――躾ともいう――を受けたくらいだ。
 屋台のものは口にしたくないと言った通りにリヴァイは何も口にはしなかったが、エレンには「遠慮してないで食え」と命令口調で言いながら、揚げたての芋と魚のフライの包みを買ってくれた。遠慮するのは却って失礼なので、熱々のそれを冷ましつつつまみながら、二人は人混みの中を縫うように進んだ。

 どれくらい経ったときだったろうか、小さな泣き声が聞こえてきたのは。エレンがそれに気付いて見ると、道端の隅で小さな女の子がしゃがみ込んで泣いていた。

(迷子か……?)

 付近を見渡してみるが、少女の親らしき人間は見当たらない。周りの人間も泣いている少女に気付かないのか、通り過ぎていく。

「あの、兵長…あの子」

 エレンが告げると、リヴァイも迷子みてぇだな、と頷いた。

「こういうのは憲兵団の仕事のはずだが…チッ、何してやがる」

 祭りなどの多くの人々が集まり騒ぐ行事には犯罪が起こり易い。酒を飲んで気が大きくなったものが喧嘩などの騒ぎを起こしたり、人混みを利用したスリや、祭りへと出かけ人が出払った人家への空き巣、暗がりを利用して婦女子に乱暴しようとするものなどが現れる。そういったことのないように人家の周りを見回り、暗がりに注意するものなのだが―――。

「兵長……」
「チッ、仕方ねぇな」

 リヴァイから許可が出たので、エレンは少女に近付いてどうしたのか聞いたが、少女は泣くばかりで要領を得ない。困ったエレンが眉尻を下げていると、リヴァイはエレンに少女を肩車するように告げた。

「あの、兵長、何で肩車なんか……」
「いいから、やれ」

 命令されたらエレンに否やはない。少女を肩に乗せると、急に高くなった視界に驚いたのか、少女はぴたりと泣きやんだ。

「オイ、ガキ、親を呼べ、その高さなら、まだ見つけやすいだろ」

 リヴァイの言葉に頷いた少女は――明らかにリヴァイを怖がってエレンの頭にしがみついてきたが――両親を大声で呼び始め、その声を聞き付けたのか母親が現れ、少女はエレンに下ろしてもらうと母親に飛びついた。良かったわ、ずっと探してたのよ、心配かけてお前は――少女を抱き締めながら言う母親は涙ぐんでいた。ほどなくして、父親も現れ、二人はエレン達に何度も頭を下げ、お礼を言いながら人混みの中へと消えていった。

「……………」


 ――ほら、エレン、高いだろう? よく見えるか?
 ――うん、父さん、すごーい。
 ――エレン、何が食べたい? 母さんが買ってきてあげる。
 ――うん、あれとね……。


 あれはいつの頃だっただろう。エレンがまだ先程の少女くらいに小さかった頃だったかもしれない。まだ健在だった両親と祭りに出かけたときに、余りの人出によく見えないと唇を尖らせたら、父がエレンを肩車してくれたのだ。父のグリシャは背が高く体格も良かったから、軽々と少年を抱え上げ、いつもとは違った景色をみせてくれた。
 まだ、平和だった頃の、家族で幸せに暮らしていた頃の思い出。


「オイ、エレン、ぼさっとしているな。ここから離れるぞ」

 リヴァイに話かけられてエレンはハッと我に返った。見ると、リヴァイは厳しい顔をしている。

「さっきの騒ぎでこっちに注目している奴が何人もいる。素性がバレて騒ぎになる前にここから離れるぞ」

 先程の迷子騒ぎで注目を浴びてしまったらしい。人助けをしたことに後悔はないが、面倒事は確かに困る。二人は急ぎ足でそこから離れた。




 二人が来たのは街の中心から少し遠ざかった川べりだった。小さなランプで足元を照らし、そこに座り込む。

「すみませんでした、兵長。ご迷惑をおかけして」
「命じたのは俺だ、気にするな。親も見つかったし、騒ぎにもならなかったんだから、問題はなかっただろうが」
「はい、ありがとうございます」

 それから二人の間に沈黙が下り、何をするでもなく川を眺めていると、小さな明かりがぽつり、ぽつり、と灯り始めた。

(あ……)

 ゆらゆらと揺らめく小さな明かり――それは人の手では生み出せない美しい光景だ。そういえば、そんな季節だったな、とエレンは思い出した。ここに棲息しているとは知らなかったが――綺麗な蛍の光。
 思わず見惚れていると、隣で男が蛍か、と小さく呟くのが聞こえた。エレンも頷いて光が舞うのを見つめる。

「……昔、母親に蛍の話を聞いたことがあったんです」

 話し始めたエレンの言葉をリヴァイはただ静かに聞いている。こんなことを思い出したのは、先程の親子に触発されたのか、蛍の幻想的な光に魅せられたのか。

「蛍は死んだ人の魂なんだって。年に一度、蛍の姿を借りて、家族に会いに来るんだって言っていました」

 エレンの住んでいたシガンシナ区には蛍はいなかったが、昔、父親の所用で家族全員で内地に出かけたことがあり、訪れた先にあった綺麗な水辺が蛍がよく目撃される棲息地だったのだ。滞在の時期が丁度蛍が発光するときにあたり、エレンは一度だけそこで蛍を目にした――今回は二度目になる。
 母はそこで蛍にまつわる言い伝えをエレンに教えてくれたのだ。

「そのときは随分とバカにした話だと思いました」
「バカにした?」

 意外な言葉にリヴァイが思わずオウム返しにすると、エレンは頷いて先の言葉を続けた。

「幼馴染みに聞いたんですが、蛍の一生ってとても短いらしいんです。まあ、昆虫は皆そうなんでしょうけど。それでも一生懸命生きて子孫を残してるのに、傍で勝手に家族が帰って来たなんて騒がれるのはさぞ迷惑だろうな、って」

 蛍は死んだ人の魂――そんな話をリヴァイも兵士達から聞いた覚えががある。そんなことあるわけねぇだろ、と一笑に付した話だったが、エレンは随分と現実的というか、変わった考え方をする子供だったようだ。そういえば、五年前のウォール・マリア陥落の前から調査兵団を目指していたとも言っていたし、周囲からはちょっと変わっていると思われていたかもしれない――まあ、変人の巣窟と言われる調査兵団に身を置いている自分が言えることではないが。

「で、今も信じてないのか?」

 リヴァイの言葉に兵長だって信じてないくせに、とエレンは苦笑した。

「信じてはないです。ただ、そういった気持ち――蛍に姿を変えていてもいいから会いたい、っていう気持ちは何となく判るような気がして」
「……………」

 リヴァイは先程のことを思い出した。仲良さそうに連れ立って歩いていった親子をじっと見つめていたエレン。

「……会いたいのか?」

 誰に、とは言わなかったが、エレンは首を横に振った。

「死んだ人間には二度と会えないって判ってますから。それに会えるとしても、今は会えません」

 だって、自分はまだ巨人を駆逐していない。巨人を一匹残らず駆逐して、真の自由を手に入れて初めて会うことが出来るのだと思う。
 そうか、と一言、言ってから、リヴァイは軽い気持ちでエレンに問いかけた。

「なら、俺が蛍になって会いにきたらどうする?」
「あり得ません」

 きっぱりとエレンは断言し、リヴァイは余りの即答ぶりに驚いたが顔には出さなかった。

「だって、兵長がオレより先に死ぬなんてことはないですから」
「……お前、俺を何だと思ってやがる」

 まさか、殺しても死なない奴だろうと思われているのだろうか、と考えているリヴァイに、エレンはあっさりと人類最強の兵士長です、と答えた。

「なので、兵長がオレに会いに来るなんてないです。逆ならあるかもしれないですけど。あ、でも、蛍になるのは嫌ですね」
「短い一生だからか?」

 先程の少年が幼馴染みから聞いたという話を引用して言うと、少年は首を横に振った。

「だって、蛍じゃ、何も出来ないじゃないですか。兵長に抱き締めてもらえないし、抱き付けません」
「……………」

 エレンの言葉に男は黙ってしまい、少年は何か気に障るようなことを言ってしまったのだろうか、と心配そうに首を傾げていると、クソッと舌打ちする声が聞こえた。
 同時に引き寄せられて、顔を掴まれると、唇にかぶりつかれた。

「ん……っ、ふう……っ」

 男と口付けはもう何度もしたが、未だに少年は慣れない。上手く息を継げなくて男にヘタクソと揶揄されることもしばしばだ。男の舌はまるで別の生き物のようにエレンの口中を這い回り、少年はその動きについていくことが出来ない。促されるまま舌を差し出すのが精いっぱいで、男は自分の思うままに口内を蹂躙する。グチャグチャと舌同士の絡まる音が響き、溢れ出しそうな唾液を飲み込むように促されて、こくりと飲み込むと、男は満足げにくっと咽喉を鳴らした。潔癖症、と言われている男がそれを喜ぶのがいつも不思議なのだが、人に自分のものが混ざった唾液を飲み込まれても平気なのだろうか。――まあ、もっとすごいところを舐められたり触られたりしているので、というか、それがダメならそういった行為は出来ないので、意識しないようにしているのかもしれない。
 少年の意識が逸れたのを感じたのか、男は悪戯を仕掛けるように少年の耳朶をいじってきた。指先でくすぐり、少年が息継ぎで喘いでいる隙に舌でなぶり歯を当てる。口付けだけでもついていくのが大変なのに、男は少年が弱いと知っている耳朶を弄び、指先で身体の線をなぞって更に少年の快感を引き出そうとする。
 悪戯を仕掛ける指先が上衣の中に侵入し胸の突起をいじり出し始めたとき、さすがに少年はいやいやするように首を振って男の手から逃れようとした。

「へ、ちょう……ここ、外、外ですから……っ!」
「煽ったのはお前だ、クソガキ」

 煽ったとは何の話だろう。判るのはここは外で、誰が来るとも判らない場所で、そんな場所で行為に及べるはずがないということだけだ。
 だが、男の手はエレンの身体をいじり続け、ぷっくりと固くしこり始めた胸の突起を指先で引っ掻いた。びくん、と少年の身体が震える。こりこりと固く赤く色づいたそれをいじるのが楽しいとでもいうように両方を捏ねると、男の手により快感に目覚めさせられた身体が意思とは反して反応してしまう。
 甘い反応に気を良くした男が下肢へと手を伸ばしたとき、少年は今までよりも一層激しく首を振って抵抗の意を示した。

「……や、です、へ、ちょう…ここじゃ、嫌です……」

 半泣きになって嫌がる少年に男はようやく手を止め、てめぇ、ここでやめさせるなんて、どこまで小悪魔なんだ、と低く呟いた。少年はそんな男を涙で潤んだ瞳で見上げ、兵長、お願いです、と続け、その攻撃に男はぐっと詰まるしかなかった。そのまま、頭をガリガリと掻くと、少年の着衣の乱れを直し、立ち上がった。

「……兵長?」
「ほら、とっとと帰るぞ。……ここじゃ嫌なんだろ、兵舎に戻るぞ」

 無論、戻ったら有無を言わさず続きをするというのが語らずとも伝わってくる。
 だが、エレンは立ち上がらなかった。

「オイ、エレン」

 声が更に低くなる男に、少年は涙目で訴えた。

「すみません、兵長、オレ……立てません」

 どうやら今ので腰にきてしまったらしい。泣きそうな顔の少年を前にリヴァイは溜息を吐くしかなかった。





 どーんと花火の打ち上げられている音が遠くから聞こえていた。

「あの、兵長、重くないですか?」
「俺がお前くらいの重みでつぶれるとでも?」
「いえ、違います。すみません」

 低く言う男にエレンは男の背で身を縮ませながらそう謝った。あの後、腰の立たないエレンはリヴァイに担がれるのと、姫抱きと、背負われるのとどれがいいか言え、と宣告され、消去法で背負われる――いわゆるおんぶを選ぶしかなかったのである。三秒以内で答えなければ、ここで続きするぞ、と続ける男に他に何が出来たというのだろう。
 別に、エレンはそういうことをするのが嫌なわけではない。恥ずかしさと、余りの気持ち良さに自分がどうなってしまうか判らないような怖さはあるのだけれど、体温を分かち合うのは心地好い。だが、ときと場所は選んで欲しいわけで。

「花火、見なくて良かったんですか?」
「興味ねぇ。……お前は見たかったか?」
「いいえ、兵長と一緒にいる方がいいです」
「……………振り落とされたいのか、お前」

 どうやら、また何か、よくないことを言ってしまったのだろうか。首を傾げる少年に男が天然小悪魔の称号を与えたのを少年は知らない。

「……肩車の方が、良かったか?」
「いえ、それだと、兵長が大変――」
「削がれてぇんだな。判った」
「いえ、何でもありません。失礼しました」

 不機嫌そうな顔をしているけれど、男が気遣ってくれているのが判る。エレンがあの親子を見て何を思ったのか、彼は悟ったのだろう。
 優しい人だ、とエレンは思う。厳しくて怖いところもあるけれど、この男は本当にあたたかい―――。

「兵長」
「何だ?」
「来年も一緒に蛍を見に行ってくれますか?」
「………暇だったらな」
「はい、ありがとうございます」

 先があるか判らない未来の約束を取り付けて、少年は男にぎゅっとしがみついた。

「やっぱり、オレは蛍にはなりたくないです。生きて、生き残って兵長とぎゅうってしたいです」
「……………」

 返事がない。また何か間違っただろうか、とエレンは内心で冷や汗をかいた。抱き合うイコールぎゅうで合っていると思ったのだが、違ったのだろうか。やはり、自分は言葉の勉強がまだまだだ、アルミンにでももっと語彙を深められるように教えを乞おう。
 うんうん、とエレンが一人でそんな風に納得していると、低い声が聞こえた。

「オイ、エレン……お前よ、明日立てると思うなよ」
「は?」
「散々煽りやがって……お前には躾が必要だ」
「兵長?」



 疑問符を飛ばす少年を超特急で連れ帰った男に、エレンが躾と称されて嫌というほど鳴かされたのは言うまでもない。翌日、体調不良で休んだ少年にハンジが押し掛け、少年は身体中につけられた所有印を見られないように格闘を繰り広げ、本気で幼馴染みに言葉の教えを乞おうと決意したのだった。






≪完≫



 
2013.8.30up






 兵長寸止め(爆)。実は最後まで書こうか悩んだのですが、屋外なのでNGになりました…。ちょっと、エレンが可愛すぎたかも。この後、アルミンに教えてもらっても、エレンの天然は治らないと思います(笑)。進撃の季節がよく判らないので勝手に書きましたが、時期についてはスルーでお願いします(汗)。




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