ショコラタルト


 ――鍋の中から甘い香りが漂ってくる。焦がさずに混ぜること、あくは丁寧に取ること。調理の中でも基本的なことだが、手間を惜しまないことが美味しさにつながってくる。エレンが現在作っているものは季節の果物を使ったジャムである。
 ジャムやマヨネーズ、ドレッシングなどはわりと失敗なく作ることが出来るものだと思うが、市販のもので済ます人の方が多いだろう。勿論、市販のものも種類が豊富で安価なものが数多くあるし、わざわざ手間暇かけなくても美味しいものが味わえるならそちらにするのも当然の話だ。かける時間や材料費、調理の腕、保存期間など様々なことを考慮すれば、割に合わないと思う人は多いだろう。
 だが、エレンは手作りのものは手作りの良さがあると思う。自分の好みの味や食感に調整できるし、何より作りたての新鮮な美味しさを味わうことが出来る。お菓子作りに使うジャムは大抵のものは手作りするようにしている。
 手作りのジャムは日持ちしないとよく言われるが、保存方法に気を使えば数ヶ月は持つ。きちんと煮沸殺菌された瓶と、密閉できる蓋であること。空気はちゃんと抜くことが必須条件ではあるが。
 だが、保存料が入っていないため安心ではあるが、市販のものより保存がきかないのも事実だ。長持ちさせるためには糖度を上げた方がいいのだが、甘くしすぎると素材本来の味が損なわれる。

(まあ、それはジャムに限った話じゃねぇけど)

 素材そのものの味も生かしつつ、更に手を加えることでよりいっそう美味しくなるものを目指す――言うのは易しいが実行は難しい。
 すりすりすり。

(まあ、ジャムは材料は果物と砂糖とレモン汁だし、鍋で煮詰めるだけだからわりと簡単だとは思うが)

 苺、ブルーベリー、キウイ、林檎、夏蜜柑、ルバーブ、等々、質の良い材料も手に入りやすくなったと思う。
 今はジャム用の果物も売られている。生食ではなく、ジャムにすることを最初から想定して栽培されているのだ。
 すりすりすりすり。

「……リヴァイさん」

 スルーしたかったが、それも出来ないので、エレンは背後からぴったりと張り付いて頬擦りをしている男に声をかけた。

「あの、やりにくいんですが」
「くっついているだけだ」
「まあ、そうですけど……面白いですか? ただ鍋掻き回してるだけですよ?」
「お前は何をしていても可愛い。存在総てが可愛い。どこをとっても可愛い」
「…………」

 ダメだ、話が通じねぇ、とエレンは心の中で呟いた。こんなことになっているのには心当たりがあるというか――原因を作ったのは自分が大いに関係している。
 つい先日、エレンがストーカー被害に遭ったからだ。本当なら五月の連休にどこかへ出かける計画を立てていた男がそれを断念したところからしてかなり心配させたに違いない。自分も反省したし、幼馴染みにも説教と言う名の恐怖時間を与えられたので二度と相談なしに行動することはない。
 エレン自身もやはり落ち着くには時間が必要であったし、出かけても楽しむ余裕はなかったかもしれない。――まあ、男と一緒ならそこがどこであっても十分に幸せなのだけれど。

(ジャム作りをリヴァイさんの家ですることになるとは思ってなかったけど)

 苺が大量に出回るこの季節、ジャムを作るのは恒例行事なのだが、男からそれなら自分の家で作れと要望が出るとは思わなかった。どんな調理でも下ごしらえは大事であるし、美味しいものを作るためには手を抜いてはならない。地味に見える作業こそ大事だったりするのだが、鍋で煮詰める工程はケーキのデコレーションや和菓子の細工のように見ていてわくわくするようなものではないだろう。
 一応、そう説明したのだが、男にはそれはどうでもよかったようで。

(心配させたし、リヴァイさんが安心するのならくっついていてもいいんだけど)

 調理に支障があるものならエレンは突っぱねたのだが、くっついていても出来るものだったからつい受け入れてしまった。恋人とくっついていられるのは少年にとっても嫌ではない、むしろ嬉しいことだったこともある。
 そうして受け入れた結果、後々、頭を悩ますことになるとは予想もしていなかった。


「ねぇ、エレン、今度は手作りジャムの店を開きたいの?」

 幼馴染みの少年が持参したジャムサンドクッキーを口に運びながらアルミンはそう訊ねた。

「そういう訳じゃねぇんだが……あ、スコーンも作ってきたからおばさんに渡してくれ」
「うん、だから、明らかにジャムを消費させたいよね? イヤ、エレンのジャム美味しいし、母さんももらって喜んでるし、いいんだけどさ、去年より作るジャムの量多くなってない?」

 朝食は絶対に和食、という家庭でなければジャムは喜ばれるものだと思う。トーストにパンケーキ、アイスにヨーグルト、柑橘系のジャムなら料理にも使えるし、隠し味に入れる場合もある。あっても困らないし、むしろ市販のものより美味しいし保存料も入っていないから安心ではあるのだが、ここまで作っているのを見ると、何か理由があるのではという考えが浮かんでしまう。
 調理に関することでは譲らない少年に理由があるとしたらきっと一つしかないのだろうけれど。

「イヤ、何ていうか……リヴァイさんが喜ぶからつい作っちまうというか、使うからいいかとか思ってたら思っていたより大量に出来てたというか」

 基本的に男はエレンが調理中には手出ししてこない。そこが少年の地雷だと知っているし、調理中の不注意で怪我をする可能性もあるからだ。
 だが、ジャム作りは少年が恋人に構うのを許してしまったので、例外的にひっつきたがる。ひっつけるから作るなら男の家で――というのが恒例になり、季節の果物が出回るとエレンは恋人の家でジャム作りをしている。
 まあ、どんな料理でも不注意で怪我をする可能性はあるのだが。

(元々はオレが心配させたのが原因なんだが、確かに作りすぎてるな)

 恋人が嬉しそうであったから、ついエレンも作りすぎていた感がある。最初は調理をする時間も一緒にいたいという理由だったのかもしれないが――今は別の理由になってしまった。

「なあ、何をしたらリヴァイさんを安心させられると思う?」

 色々と話した結果、恋人の過保護は現在は落ち着いている。エレンも反省するところは反省したし、いちゃいちゃする時間も十分に作っている。だが、それでも足りないのだろうか。根本的な問題はそこだと思う少年が幼馴染みにそう訊ねると、やっぱりあの人絡みか、と彼は溜息を吐いた。

「エレンが愛の告白をし続けるとか、あの人を褒め続けるとかすれば愛されてるって思うんじゃない?」
「それはもうやった。死ぬ程恥ずかしい思いをした」

 大好きだと伝えれば愛してると返され、まあ、その後はそういう方面に突入する訳で、気持ちを伝えるのは大事ではあるし、これから先も伝えていくつもりではあるが、加減というものは考えなくてはならない。問題はそちらよりも男を褒めたときのことで。

「リヴァイさんが格好いいのは当然だけど、そう言ったらその百倍くらい可愛いって言われるし、恥ずかしいから態度で示そうとしたらそっちはそっちでめちゃくちゃ喜ばれてもうどうしていいのか判らねぇ」
「え、僕、今、惚気られてる? めちゃくちゃ惚気られてる? 惚気られてるよね?」

 机に突っ伏して照れている幼馴染みの姿は可愛くて、彼の恋人が見たら天使!と言い出しそうだが、惚気話が聞きたい訳では決してない――まあ、無自覚に惚気られるのはよくあることではあるのだが。
 そもそも彼の人は幼馴染みにこれだけ愛されているのだから過剰な心配をする必要はないと思う――まあ、それが男の性分なのは判ってはいるけれども。過保護なのは自分も一緒なので、男から突っ込みが入りそうではあるが、あそこまでではないとアルミンは思う。というか、いくら幼馴染みが可愛くてもあそこまで到達したくはない。

「前にも言ったことあると思うけど、素直にそう言えばいいんじゃないかな」
「伝えてるつもりなんだが」
「そうじゃなくてさ、不安は伝播するものだから、不安そうにされると不安になるってはっきり言えばいいんじゃない?」

 幼馴染みの言葉に少年は瞳を瞬かせた。

「……オレ、不安そうだったか?」
「イヤ、安心する姿を見たいってことはそういうことなのかなって思っただけなんだけど。単純に好きな人を喜ばせたいってのはあるだろうし。ただ、エレンが調理に関することを曲げるって普通はないから。それを許したってことはそれくらいあの人を安心させたかったってことだし、無意識にしろ、一緒に不安になってたのかなって」
「…………」

 幼馴染みの言葉にエレンは再び机に突っ伏した。そんな風に考えたことはなかったが、言われてみると一理あるのかもしれない。

「……アルミンはすげぇな」
「エレンは判りやすいよ? まあ、これでも長い付き合いの幼馴染みだしね」
「…………」
「それで、僕はあの人殴りに行った方がいい?」
「絶対にやめろ」

 冗談だよ、と笑う幼馴染みに今のは絶対に本気が入っていたと思った少年だったが、口には出さなかった。

「……ちゃんと、話してみる。自分でもよく判んねぇけど、気持ち」

 そうしなよ、と言う幼馴染みに少年は頷いた。


 リヴァイが可愛い恋人が待つ自宅に帰ると、部屋から甘い香りが漂ってきた。

「おかえりなさい、リヴァイさん」
「ただいま、エレン。甘い香りがする――」
「はい。ショコラタルトを作りました」

 季節のフルーツをふんだんにのせて仕上げたショコラタルトはパートシュクレ――タルト生地から手作りしたものだ。フィリングは迷いなくショコラにした。洋酒をきかせてシンプルにしてもいいし、ショコラはナッツ類とも相性がいい。抹茶や紅茶の風味をつけたり、クリームチーズを混ぜてチーズショコラタルトにしても美味しい。タルトだけでも色々なバリエーションがあるが、今回はフルーツをのせて飾ってみた。
 やはり、菓子作りは楽しいとエレンは思う。美味しそうに見えるように工夫し、実際に食べても美味しいものを考え、食べた人が幸せな気分になれるようなものを目指す。食べる相手のことを考えながら作る――総ての基本はそこだ。

「リヴァイさん、こっちに来てください」

 そう言ってエレンが男の手を引いてきた先はソファーで――いわゆるラブソファーと呼ばれるもので、恋人同士がいちゃつくならこれだ!と男が購入したものである――促されるまま腰を下ろした。二人で並んで座ると、エレンはすぐに体勢を変えた。
 ぽすり、とそういう擬音が聞こえそうな動きで。
 エレンの頭がリヴァイの膝に乗っていた。

「…………」
「…………」
「……固いのは判ってましたが、この体勢ちょっと辛いかも」
「足の向きが悪い。動かしてみろ」

 男に言われるまま体勢の調整をしていた少年は丁度いい位置を見つけたのか、そこで動かなくなる。

「……膝枕して欲しかったのか?」

 してもらうたびにご褒美と内心で悶えていた男だったが、恋人もどんなものなのか試したかったのかもしれない。自分の膝など固くて寝心地が悪いだけだと思うのだが。

「して欲しかったというか、リヴァイさんが膝枕好きなので、したら安心するのかなぁって思いまして」

 怪訝そうな顔の男に少年は更に続けた。

「オレ、パティシエになりたいです。菓子を作るのは手間がかかったり色々あるけど楽しいし、それを美味しいって言って食べてもらえたら嬉しいしです。やっぱり菓子を作ることが一番好きです」

 そう言ってエレンは微笑んだ。

「それで、それに負けないくらいリヴァイさんが好きです。大好きです。誰よりも好きです」
「――――」
「アルミンに言われたんです。リヴァイさんが不安になるとオレも不安になるって。不安は伝わるって」
「――俺はお前を不安にさせたか?」

 顔を曇らせる男に少年は否定の意を示した。

「よく判らなかったんです。自分の気持ちなのに。ただ、不安が伝わるなら安心も伝わるんじゃないかと思ったんです」

 だから、少年は自分が一番好きなことをすることにした。

「作りたい菓子を作って、一番好きな人に食べてもらって、一緒に過ごす――これがオレが一番幸せなことです。幸せだって気持ち、少しでも伝わってますか?」

 人の幸せそうな姿はこころをあたたかくさせる。勿論、幸せな人に対して妬んだり、やっかんだり、自分と比べて相手が幸せなのが許せないという人間もいるだろう。だが、自分の恋人が幸せそうにしていて全く嬉しくないという人がいるだろうか。少なくともエレンは恋人が幸せそうなら嬉しい。自分の幸せが少しでも男に伝わればいい。エレンがそっと手を伸ばすと、男はその手を引いてエレンを起こし、ぎゅっとその身体を抱き締めた。

「――本当に、お前は俺を喜ばせるのが上手い。お前が俺を甘やかすから調子に乗るんだ」
「甘やかすって――オレに言わせれば、リヴァイさんがオレを甘やかしてますよ?」

 恋人とのことならお金を惜しまないし、行事や記念日は絶対に忘れないし、何ならバイト先に迎えに来たがるし――と、幼馴染みの少年が聞いたら、いや、それむしろ犯罪臭しかしないからねと突っ込むようなことを少年は考えていた。

「エレン、俺はお前に関しては心が狭い。めちゃくちゃ狭い。嫉妬するし、お前に近寄る男は排除してぇし、イヤ、だからといって女でも嫌だし、だが、そういう格好悪い姿は見せたくねぇって思ってる」
「リヴァイさんは世界一格好いいですよ?」
「――また、そうやって甘やかす」
「本当のことですよ」
「お前は世界一可愛い」
「……可愛くは、ない、です……」

 真っ赤になった顔を隠すように抱き付いてくる少年を愛しいと男は思う。

「可愛いものは可愛い」
「……そこは格好いいにしてください」
「そうだな、格好よくて可愛い自慢の恋人だな」
「――――っ」

 ますます抱き付いてくる恋人の背中を撫ぜながら、男は続けた。

「不安、というより、心配だな。お前が変な奴に狙われないかって心配するのは止められないと思う。だが、過剰なまでに心配しないように気を付けるつもりだ」

 男の言葉に少年はピタリと動きを止めた。

「エレン?」
「それ、本当ですね? 約束ですよ? 言質とりましたからね」

 顔を離した少年はまだ真っ赤であったが、後で言おうと思ってたんです、と男に告げた。

「リヴァイさん、オレの修学旅行についてきたいとかそんなこと考えてないですよね?」

 少年の言葉に今度は男が動きを止めた。

「その日を社員旅行にして出かけられないかとか、休暇を取ってどうにかいけないかとか、行けないなら誰かについていってもらって報告を頼めないかとか考えてないですよね?」
「…………」
「ハンジさんから無理って言われてますので、ダメですよ?」

 情報源はあいつか、と男は思うもののにっこりと笑う少年に何も言うことは出来ない。幼馴染みの少年から伝授されたとしか思えないこの笑顔のときの恋人には要注意なのだ。お触り禁止令は今でもリヴァイのトラウマだ。

「ダメですよ?」
「……判った」

 未練がありそうではあったが、了承を得られたので少年は先程とは違う笑みを浮かべた。
 男はそんな恋人を見て、軽く唇を合わせた。

「その代わり、行く前にはお前を堪能させてくれ」
「……たったの数日ですよ?」
「お前の顔は毎日見てぇ」

 勿論、今だって毎日逢っている訳ではないのだが、逢おうとすれば逢えると、絶対に逢えないのでは気分が違うらしい。
 逢えないと判ると逢いたくなるのが世の常だ。エレンはそんな男を宥めるように額と額を合わせた。

「オレも逢えないのは寂しいですよ?」

 ここでまた寂しいと言い合うのも不毛だと思ったのか、男は恋人の唇を塞いだ。段々と深くなるそれに少年の息が上がっていく。

「まだ足りねぇ」
「………?」
「お前の気持ち、伝えてくれるんだろう? 俺もお前に伝えてぇ」

 ――そうして、二人の幸せを噛み締めるために、男は恋人を連れて寝室にこもることとなったのだった。



《完》

2019.7.20up



 ものっそい久し振りに書いたせいで色々忘れていることがありそうなショコラシリーズです。冒頭はストーカー事件後、その後はショコラアイスの後、夏休み明けくらいを想定しています。このシリーズのリヴァイなら修学旅行に絶対についてきたがると思うのですが、まあ、無理だろうということで。これで一作目から季節が一巡りしたのでもう書くことなくなった感があります。


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