口ほどに




 いったいこの状況は何なのだとエレン・イェーガーは頭を抱えた。
 見知らぬ部屋の見知らぬベッドの上、産まれたままの姿の自分、そして隣には同じく素っ裸の見知らぬ相手――ではなく。

(何でこうなってんだ、オレ! ああ、昨夜のオレを捕まえて小一時間問い詰めてぇ! 何で隣にこの人が寝てるんだよ!)

 エレンの隣で寝ている人物――自分の上司である年上の男、リヴァイ・アッカーマンを見やってエレンは盛大に溜息を吐いた。



 エレンは昔から面食いだと言われていた。何故なら付き合う相手の顔面偏差値が皆高かったからだ。エレンに好意的ではない人間からは「自分の面がいいのを鼻にかけて、自分に釣り合う顔じゃないとダメだって外見だけで相手を選んでいる」などと陰口を叩かれたが、綺麗なものが好きで何が悪い、と言いたい。
 第一条件が顔、などと言ったら世の女性達からは「最っ低!」と蔑まされそうだが、別に美人なら誰でもいいという訳ではない。相手の顔が綺麗と言われる部類が多いというだけで、単純に自分が好感を持てる印象に残る相手と付き合っていただけの話だ。そもそもエレンは興味のないものには全く反応を示さない人間であるので、印象に残らない相手とは付き合う気にもなれないのだ。
 自称美人からの告白を「あんたに興味ねぇから」と即答で断ったりとか、相手から告白されて付き合うのが常だとかの事情もあってやっかまれたり、自分は関係ないだろうと思うトラブルに巻き込まれたりと、今まで恋愛関係では散々な目に遭っていた。エレン自身の容姿も良い部類に入るのも原因の一つであったが、エレン自身は自分の容姿を気にしていなかった。
 故に、入社したときにエレンは社内の人間に告白されることがあっても全部断ろうと決めていた――告白される前提でいるのを知られたらまた反感を買うであろうが、それを人前で言う程愚かではない。社内恋愛でごたごたを起こして社内に居辛くなる空気を作りたくなったからだ。まあ、断ったら断ったでまた問題が起きることもあるのだが。未だに理解出来ないのだが「自分の好きな女を振った」とか「自分の好きな女に好かれている」とかで何故見知らぬ相手から恨まれなくてはならないのか。むしろ、そこは好きな女性が振られたなら自分にもチャンスが残っていると前向きに考えればいいのではないか。自分の好きな人間を振ったからといって、理不尽に絡むのは間違っていると思う。
 まあ、会社には大勢の人がいる訳だし、学生時代と違って社会人なんだし、大人の対応というかもう少し違うだろう――と、考えながら自分の配属先に行ったとき、エレンは衝撃を受けた。

「リヴァイ・アッカーマンだ。ここの主任だ。ビシバシ鍛えるから覚悟しておけ」

 うわぁ、と叫び出したいのを堪えた自分を褒めてやりたい、とエレンは思った。リヴァイ・アッカーマンと名乗った上司の顔は今までに見た誰よりもエレンの心を掴んで離さなかったのだ。相手が自分と同じ男性であるとか、一回り年上だとか、顔立ちは整っているが目つきが悪くて怖がられやすいとか、そんなものはどうでも良かった。ただただひたすらに格好いいとその姿に見惚れた。

(俗に言う一目惚れってやつなんだろうな)

 勿論、上司は顔だけの男ではなかった。仕事はばりばりに出来るし、厳しいがその実部下思いでフォローも完璧であるし、まさに理想の上司であった。
 どんどんと彼に惹かれていく自分を感じていたが、エレンに上司へ告白しようとか付き合おうという気はなかった。何しろ相手は同性であるし、自分も同性愛者ではない。知られたら嫌悪感を持たれるだけであろう。勿論、上司が人の気持ちを無下にする人間ではないことは承知しているが。
 ただの上司と部下で構わない。一定の距離を保ちつつも、それなりに良好な関係を続けていって、この恋心が落ち着いて別の誰かを好きになる日を待てばいい。


(なのに、何でこんなことになってんだ、オレ!)

 エレンはベッドの上で上半身を起こし、わしゃわしゃと乱暴に自らの頭を掻き回した。こうなった記憶がかけらも残っていないのが痛い。どうして同じベットの上で全裸の上司と自分が寝ているのか。

(落ち着け、オレ! 昨夜は確か……飲み会だったはずだ。会社のみんなと居酒屋に行って、それから――)

 今回の飲み会はつい先日行われた人事でリヴァイが課長に昇進したことの祝いの席だった。祝いの酒席ということもあって勧められるまま結構な量を呑んだのは覚えている。だが、途中からぶつりと記憶が途絶えている。エレンは酒豪ではないが弱い方でもなかったので、酒を呑んで記憶が失くなるなんて初めての経験だ。二日酔いにもならないタイプなので、今も吐き気や頭痛といった症状はない。いや、別の意味で頭が痛いのだけれど。この状況はまるで――。

(お持ち帰りした? イヤ、ここオレの家じゃねぇからお持ち帰りされたのか? いやいやいや、そこはどうでもいい。こういうのって普通は女子とじゃねぇのか? イヤ、そっちはそっちで問題だけど! ああ、本当に昨夜のオレを殴りてぇ!)

 一人でうんうんと唸るエレンは背後から伸びてきた手に気付かず、ベッドの中に引き倒された。突然のことにわわっと声を上げるエレンの身体を反転させて、相手はその顔を覗き込む。

「おはよう、エレン。まだ早いから寝ていていいぞ」
「……主任」
「主任ではなくリヴァイと呼べ。恋人に役職名はないだろう? 課長に昇進したからそもそも間違っているが――それともそういうプレイがしたいのか?」
「はぁ?」

 上司の言葉にエレンは固まった。今、恋人という聞き捨てならない単語がその口から飛び出してこなかっただろうか。

「忘れたのか? 昨夜、お前が俺に告白してきて、付き合うことになっただろう」
「は? はぁ? はぁああああああああ!?」

 思わず三段活用のような叫び声を上げてしまったエレンに、年上の上司は溜息を吐きながら昨夜の顛末を説明した。


 昨夜の飲み会の席で酔いつぶれてしまったのはエレンだけだった。さてどうするか、となったときにリヴァイは自分が引き受けると申し出た。エレンの酔い具合からして一人でタクシーで帰れそうにはない。だが、誰かが同乗するとして女性が酔いつぶれた男を部屋まで送り届けるのは無理があるし、男性でエレンと家が近いものはその場にいなかったからだ。飲み会の場は幸いリヴァイの自宅からそんなに遠くはなかったし、翌日は休みである。リヴァイが自宅まで連れ帰り、一泊させて家に戻せば問題はないだろう、と一緒に帰宅したのだ。
 そうして、エレンを着替えさせてベッドで休ませようとしたところ――エレンが目を覚まし、熱烈な愛の告白をしたのだ。


「あああああああ愛の告白って!?」
「一目惚れしたんです、大好きです、愛してます、主任、付き合ってください、同性とか関係なく好きなんです、尊敬してます、主任格好いいです、抱いてください――とか、まあ、そんなことを言っていたな」
「うぎゃぁあああああああああああああ!」

 エレンはその場で転げまわりたくなったが、がっちりと男に掴まれていたため出来なかった。確かに一目惚れしたし、尊敬しているし、格好良いと思っているが、それを男に告げるつもりはなかったのだ。いや、格好いいとか尊敬しているとかは伝えてもいいが――実際に主任は凄いです、といったようなことは伝えているし、周囲にも尊敬していることは公言している――付き合ってくれなどと何故言ってしまったのか。

(ああ、昨夜のオレを殴りてぇ! 無理なのは判ってるけど殴りてぇ!)
「で、俺も一目惚れしていたんでな、めでたく付き合うことになった訳だ」

 瞬間、その言葉が理解出来なかった。付き合う、何それおいしいの?という言葉が頭の中を駆け巡る。

「は? え? 付き合うって、誰と誰がですか?」
「俺とお前に決まっているだろう。最初から付き合うことになったと俺は言ったはずだが?」

 そういえば、昨夜の経緯を詳しく聞く前から、確かに自分が告白して付き合うことになったと男は言っていた。告白したという言葉が衝撃すぎてすっ飛んでいた。

「え? でも、主任同性愛者じゃないですよね? オレ、男ですよ? ついてますよ?」
「それはお前だって同じだろう」

 全部見たから知っていると続けられ、今更ながら全裸なのを思い出して恥ずかしくなったが、今はそれを考えている場合ではなく。

「イヤ、でも、主任ならもっと綺麗で素敵な女性がいくらでも――」
「……嫌なのか?」

 男にじっと見つめられて、エレンは固まった。エレンは昔から面食いだと言われているが、誰でもいい訳ではない。絶世の美女に見つめられたところで興味ない相手なら何とも思わないだろう。だが、この男なら話が別だ。
 エレンにとって、世界で一番好きで見惚れてしまう相手なのだから。

「……い、や、じゃない、です……」

 そう言った途端、男が幸せそうに微笑んだものだから。
 エレンはしゅうっという擬音がしそうな程顔を朱に染めた。

「そうか。なら、よかった」

 そう言うと、男はエレンの上にのしかかった。

「昨夜の続きをしよう」
「へ?」
「途中でお前が寝ちまったから、最後までしてねぇんだ。今日は休みだし、めいいっぱい可愛がってやる」
「え? あの、ちょっと、主任?」

 男はエレンの耳元でリヴァイだ、と囁いた。男の声にぞくぞくとしたものが身体を走る。声もまたいいというのは反則だとエレンは訴えたい。

「あ、あの、展開早くないですか!? 付き合うって決めた初日ですよね!」
「恋愛に時間は関係ない」
「それ、付き合う前の話じゃ? イヤ、その、心の準備というか、そういうのが」
「抱いてくださいって言っただろう?」

 だから、大人しく俺に食われろと男はエレンに囁いて――そのままおいしくいただいたのだった。



「ふーん、そういう馴れ初めなのか」

 カウンターに突っ伏しているエレンに、まあ、予想はしてたけどね、と女性――ハンジは呟いた。

「でも、オレ、ぜんぜん、おぼえてなくて。こくはく、とかするきじゃなかったのに。ひとめぼれだったけど、リヴァイさんと、つきあうとかかんがえてなくて」
「うーん、それはね、リヴァイが策士だったからだよ?」

 ハンジの言ったことが判らないのか、エレンはさくし?と不思議そうに呟いている。

「君はもうちょっと人を疑うことを覚えた方がいいよ? 後、お酒は気を付けないとダメだから。口当たり良いからってどんどん呑んじゃってたら、滅茶苦茶アルコール度数の高い酒で酔いつぶれたりするんだよ。女の子無理矢理酔わしてどうこうとかいう事件あったし、腹黒い上司の勧めるものには特に要注意」

 また理解出来なかったのか、エレンは不思議そうに何事かを呟いている。

「私もどうかなぁ、とか思ったんだけどさ、昇進祝い何が欲しいって訊いたら『エレン』って即答されちゃってね。君がリヴァイを好きなのって周囲にはバレバレなのに、全然進展する気配ないしさ。両想いなの判り切ってたから飲み会の席設けたんだけど、こうも見事に引っかかってるの見ると、良心が疼くというか……」
「余計なこと言ってんじゃねぇ、クソメガネ」

 後頭部をばしんと叩かれ、ハンジはうぎゃ、と声を上げた。振り向くと、同期の男――リヴァイが不機嫌そうに眉を寄せて立っていた。今回はエレンから話を聞きたかったハンジが男抜きで呑んでいた訳だが、帰りが遅くて心配して迎えに来たというところだろうか。エレンはあの飲み会の後、結構な頻度で男の家に泊まっているらしいので、同棲する日も近いかもしれない。まあ、そこは二人の問題なのでハンジは突っ込む気はない。今回ことのあらましを訊き出したのはそこにハンジも関与しているというか、手を貸したというかそういったハンジの事情があったからで。

「酷いなぁ。狼の手にかかった可愛い子羊ちゃんから事情を聞いてただけだってのに」
「誰が狼と子羊だ。――俺は別に無理に呑ませた訳じゃねぇぞ?」
「そうだよね、ただ単に偶然飲み会の会場が自宅に近かっただけだし、勧めた酒が呑みやすいけど度数のキツイものだっただけだし、自宅に連れて帰るって周りに有無を言わさず決めただけだし」
「会場やら何やら全部セッティングしたのはお前だろう?」
「判ってるよ。だからこう、何というか、見事にはまってるの見てるといたたまれなくなるというか……」
「元から両想いなんだから問題はない」

 ただ、あの日、酔っぱらったエレンはリヴァイに「付き合って欲しい」とは言わなかっただけの話だ。
 その大きな瞳でいつも訴えるように見つめてくるくせに、肝心なことは一つも伝えないのだからちょっと素直になるように細工をしたところで問題はないだろう。両想いだと気付かない部下にこちらはいつだって告白する隙を狙っていたのだから。

「ほら、エレン、帰るぞ」

 そう言って男が軽くエレンの肩を揺すると、もぞりとその頭が動いた。大きな金色の瞳が瞬きして、男の姿を認識すると、ふにゃりとほころぶ。

「えへへへ。りばいさんだぁー」
「ああ、帰るぞ」
「えへへへ。りばいさん、かっこいい、だいすきーオレがひとめぼれしたのむりないれす。せかいいちすきぃ」

 そう言ってエレンは座ったまま男の腹に抱き付いてすりすりとその顔を擦り付ける。

「……この状態のこいつを前にして、あのとき手を出さなかった俺を褒めろ」

 エレンは確かに「付き合って欲しい」とは言わなかった。だが。
 エレンが眠るまで「かっこいい」「ひとめぼれしました」「だいすき」「いいにおいする」「すきぃ」と言われ続け、あの日、リヴァイは実は一睡もしていない。ちゃんとエレンから交際の了承をとるまでは待ったのだから偉いと男は思っている。
 本格的に禁酒をさせるべきだろうか――だが、社会人としては断れない付き合いがあるし、全く呑ませないというのはエレンも困るだろう。今の世の中は酒を呑むように強要すればパワハラアルハラになる案件だが、付き合いが悪いと思われる一面も未だ残っているので。
 そんなことをリヴァイが考えていたとき、思い切り頬擦りして満足したのか、エレンが顔を上げてリヴァイを見つめた。とろけるような、というのがぴったりする笑顔で。

「えへへへ。もうオレのものですからね。だれにもあげましぇん。オレのー」
「…………」
「……リヴァイ、顔物凄いことになってるよ?」

 固まっている男にハンジが声をかけると、男は物凄い勢いでエレンを抱え、その場から去っていった。
 呆気にとられたハンジが見やると、一応の理性は残っていたのか、呑み代としてテーブルに札が一枚置かれていた。
 まあ、多分、おそらく、きっと大丈夫だろう、とハンジは自分を納得させた。少なくとも、自分の可愛い恋人を傷付けるような真似は男はしない。ちょっと腰が立たなくなるとか、翌朝起き上がれなくなるとかそれくらいだ。
 明日は休日で良かったね、と呟きながらハンジはグラスに残っていた酒を口に運んだ。





《完》


2019.5.25up




 思い付いたから書いておこう作品。上司に一目惚れしたけど告白するつもりのないエレンと、一目惚れした部下を恋人にするため色々と動いているリヴァイ。周囲からは早くくっつけと思われてましたが、くっついたらくっついたで甘い空気漂わせて困らせてそうです。タイトルは目は口程に物を言うからですが、全然思いつかなくて考えた後結び付けるために文足したという……。



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