星に願いを






 
 思い出せる限りの母という人は芯の強いしっかりとした女性だったと思う。明るく優しいけれど、時には厳しくエレンを叱咤した。他人の子でも間違ったことをしているときは叱ったし、善いことをしたときにはきちんと誉めてくれた。情に厚い――そういう言葉のぴったりした人、それがカルラ・イェーガーだった。
 そんな彼女だったから、父であるグリシャがミカサを連れて来た時には歓迎した。実の子のエレンと分け隔てなく接し、女の子も欲しかったからミカサが来てくれて嬉しいわ、と笑っていた。
 カルラは新しい暮らしを始めることとなったミカサを気にかけ、何かと話を聞いていたが、ミカサは亡くなった両親やその暮らしについては余り語らなかった。――エレンはミカサの両親がどういう人達であるのか知らない。何しろ、初対面が遺体であったから、知る機会などあろうはずもなかった。父は面識があったようだが、ミカサが語らない以上、話すのは憚れるのかこちらも必要以上に語ることはなかった。カルラは時間が経てばそのうちに話せるようになるから、とゆったりと構えることに決めたようであった。
 そんなミカサが珍しく自分の家で行っていた行事のことを話したことがあった。何でも毎年両親とやっていたらしく、そんな話を聞いたカルラがミカサのためにそれをやろうと言い出すのは簡単に予想出来ることであった。
 エレンの聞いたことのない、その行事は――『タナバタ』というものであるらしかった。

「取りあえず、ササって植物がいるんだけど、この辺にはないんだよね」

 エレンもエレンの両親も聞いたことのないその行事は驚いたことにアルミンが知っていた。無論、アルミンが実際に行事を行っていたというわけではなく、アルミンの家にあった本――禁書と呼ばれるものだ――に東洋で行われていた風習が載っていたというのだ。その本に因るとササという植物を飾り付け、細長く切った紙に願い事を書いてササに吊るし家の外に飾るのだという。

「何か星になった恋人達が一年に一度だけ出会える日のお祝い事らしいよ」
「何でその恋人達の記念日に願い事を書くんだ?」
「そこまで詳しくは書いてなかったから僕にも判らないけど……」

 因果関係が判らず疑問符を飛ばすエレンにアルミンが困ったように笑う。そもそも、そんな紙に書いたくらいで願い事が叶うなら誰の願いだって叶うだろう、と思う。

「エレン」

 話を黙って聞いていたミカサがエレンの服の裾を引いて言った。

「エレンがやりたくないなら、やらなくていい」

 そんなミカサにエレンはふう、と息を吐いて、誰もそんなこと言ってないだろう、と続けた。

「ササがないんなら、似たような木に飾りゃあいいだろ。今までもそうしてたんだろ?」

 頷くミカサはでも、と言いかけたが、それはアルミンに遮られた。

「ミカサが選んでよ、ちょうどいい木を。――僕もどんな行事か楽しみなんだ」

 ね、と笑うアルミンにミカサもようやく頷いて、三人は手頃な木を探しに歩き出した。

「どうせやるなら、屋根の上まで届くようなのにしようぜ」
「エレン、それ、僕達じゃ持って帰れないから」
「……エレンが欲しいなら、私が運ぶ」
「いや、ミカサ、無理だから。絶対無理だからね?」


 ―――それは三人がまだ幼く平和な日々を送っていた頃のキラキラとした想い出。










 新兵の歓迎会でタナバタをやる、と聞いたときにはエレンは驚きで両の瞳を瞠った。何でまたそんなことになったのか、とそれを話してきたアルミンに経緯を訊ねると、何でも、新兵が入って来た時には歓迎の意と交流を深めるために歓迎会と称した催し物をやるのだそうだ。いつもより少しだけ豪華な食事が振る舞われ新兵だけでなく団員全員が楽しみにしているイベントなのだという。
 そして、新兵たちへそのイベントで何をしたいかのアンケート調査が行われタナバタに決まったというのだ。おそらく発案者はミカサだろう。

「オレ、そんなアンケート受けてないけど……」
「エレンは入団時それどころじゃなかったからだと思うよ」

 確かに拘束され、審議所で躾され、その後は監視対象……呑気にアンケートに答える余裕などなかっただろう。

「それにしても、何でタナバタに決まったんだろうな……」
「それは予算の関係じゃないかな。遠征前に余計なお金かけられないし……」

 木ならその辺に生えている木を使えるし、後は紙で適当に飾りを作ればそれなりに見栄えのするものが出来るだろう。そういう考えらしい。願い事も飾られればその新兵の考えや性格の一端も垣間見えるし、いい企画だと思われたらしい。

「ということは実名で書くのか? それじゃあ、本音書かずに建前だけ書くんじゃないか?」
「まあ、それはそうなんだけど、それでも個性は出るだろうし、一応兵団員の全員の分をつるすから特定の誰かのものを探すのは大変だし、案外皆素直に願い事書くんじゃないかな。……で、皆に願い事を書いてもらってるからエレンも書いて。許可ももらってるから行こう」

 どうやら、行事を知っているアルミンは裏方を任されてしまったらしい。休憩時間を利用して一斉に新兵の皆に願い事を書いてもらっているのだそうだ。
 案内された部屋に行くと懐かしい顔ぶれがペンを手に真剣に紙に向かっていた。

「うふふふ…肉、肉、肉。おいしいお肉。お肉が食べられますように」

 涎を垂らしつつ、ぶつぶつと呟いているサシャ。

「身長が伸びますようにって……お前はもう無理なんじゃねぇのか、コニ―」
「うるせぇよ! そういうお前はどうなんだよ!」

 コニ―の言葉にユミルはふふんと鼻で笑った。

「私のは決まってる。クリスタと結婚する、だ」

 願望ではなく断定の言葉に、この女本気だ、本気で結婚する気だ、と周りが引いていてもユミルは気にも留めていない。クリスタをつかまえて何を書いたか聞いている。

「あ…私は、皆の願いが叶うといいなぁって……」

 恥ずかしげに言う女神の降臨に周りの男子達プラスユミルが感じ入っている様子が窺えた。何だかとんでもない事態に陥っている。。

「……カオスだな、こりゃ……」
「あははは…こういうのって、やっぱり個性が出るよね」

 ライナーとベルトルトは故郷に早く帰れるように、あたりだろうか。部屋の中を何気なく見回すと、一角に異様な光景があった。

「エレンが幸せになれますように。エレンが怪我をしませんように。エレンが無茶をしませんように。エレンがあのチビにいじめられませんように。むしろ、私があのチビに然るべき報復を……いや、それより、天罰が下るように願うべきだろうか…」

 ミカサの前には願い事を書いた紙が山となっていた。

「ミカサ、願い事は一つだけだよ。ミカサだって知ってるだろ?」
「判ってる。……でも、一つに決められない」

 窘められしゅんとしてしまったミカサに、仕方ないなぁ、とアルミンは笑った。

「僕はまだ願い事を書いてないから、それを譲るよ。僕の名でミカサの願いを書けばいい」
「!? いいの? それじゃ、アルミンは……」
「僕は願い決めてなかったし、いいよ。ミカサの願いが叶えば嬉しいし」

 ありがとう、というミカサはそれでも願いを決められないようだった。紙を前にしてどれにするべきか考え込んでいる。

「お前な、自分のこと願えよ……」
「私の願いはエレンが幸せになること。それが叶えば私は幸せ」

 呆れたようにエレンがミカサに近付いて言うが、きっぱりとミカサはそう断言する。この幼馴染みは昔から変わらないな、とエレンは苦笑する。ミカサが自分にこだわる理由をエレンは今一つ理解出来ない。彼女には彼女の思うように生きて欲しいとエレンは思うのに。

「ほら、エレンも願い事。今、紙とペン渡すから」
「そいつの願い事なんて決まってんだろ」

 執り成すように言ったアルミンに聞き覚えのある声がかけられた。エレンが反射的に声のした方に振り向けば、予想した通りに腕を組みながらこちらを眺めるジャンの姿があった。

「どうせ、総ての巨人を駆逐して壁外に出たい、だろ」

 こいつが、突っかかってくるのも相変わらずだな、とエレンは眉を顰めながら、じゃあ、お前の願いは何なんだよ、とジャンに逆に問いかけた。すると、ジャンは不意に真面目な顔をして一言言った。

「オレはオレが今やるべきことをやる。それを間違わない。以上だ」

 意外な答えにエレンはぽかんとし、傍で聞いていたアルミンも驚いた顔をしていた。

「ジャン、それって、願い事じゃないんじゃ……」
「いいだろ。何を書くのかは自由なんだよな? だったら、それでいいだろ」

 ぽかんとした顔でこちらをじっと見つめてくるエレンに何だよ、悪いのかよ、とジャンはばつの悪そうな顔をした。
 エレンは首を横に振って、いや、と答えた。

「いいんじゃねぇの、そういうのだって」

 そう言ってエレンが笑顔を向けると、何故かジャンは固まっていた。どうしたんだろう、と首を傾げるエレンに、アルミンがほらほら、エレンも書いて、と急かすのでエレンは不思議に思いながらもジャンから離れた。
 渡された、紙とペンを前にエレンが書いたことは―――。






 イベントはそれなりに賑わっていた。どうやら、願い事を書くというのは童心に帰れて楽しい、と思う人が多かったらしい。

「私はね、新しい被験体の巨人が欲しいって書いたんだけど、叶うかな。7メートル級かな? ああ、どんな子達が現れるんだろう、楽しみだよ」
「分隊長、そういうのを捕らぬ狸の皮算用っていうんですよ」
「モブリットは夢がないなあ。君は何て書いたの?」
「分隊長が生き急がないように、です」

 予想通りのハンジ達の会話が聞こえてくる。そういえば、とエレンは思い、ちらりと隣に立つ人を見た。

「何だ、エレン」
「あ、いえ――兵長はどんな願い事を書かれたのかと思いまして」
「チッ、あんなもん、書くわけねぇだろ」

 当然のように返された言葉にエレンが眼を丸くすると、リヴァイはあんな紙に書いた願いなんて叶うわけねぇだろうが、と続けた。

「そもそも、願いなんざ自分で叶えるもんだろうが。お前はあれか、巨人を全部ぶっ殺したいとでも書いたのか?」

 同期と同じようなことを言われ思わずエレンは噴き出したが、ジロリとリヴァイに睨まれ、慌てて表情を改めた。

「すみません、同期にも同じようなことを言われたので、皆にそう思われてるのかって思って。……オレが書いたのは、オレは自分がやりたいことをやり遂げる、です」
「お前、それ、願いとは違うんじゃねぇのか」

 同期の男も言われていたことを思い出し、再度噴き出しかけたが、エレンは今度はどうにかして踏みとどまった。
 ジャンの言葉に触発されたわけではないけれど――希望ではなく断言調のそれは願いではない。決意表明だ。

「そもそも、巨人を一匹残らず駆逐するのは、願い事ではなくオレの目標です。誰かに叶えてもらいたいわけじゃない。オレがこの手でやり遂げることです。――いつか、巨人が一匹残らずいなくなったら、オレは壁の外を自由に探検したいんです」

 幼馴染みに聞いた、炎の水や氷の大地、砂の雪原――外の世界にあるというそれ。初めて聞いたときからずっと胸にある思い。本当の意味で自由を手に入れること。

「そうか。……悪くない」

 リヴァイの言葉にエレンが視線を向けると、彼は口許にうっすらと――ごく親しいものにしか判らない程の――笑みを浮かべていた。

「そのときは俺もお前の探検に付き合ってやる」

 まさか、そんなことを言われるとは思っていなかったエレンはまじまじとリヴァイの顔を見つめた後、嬉しそうに笑った。

「はい! 是非、お願いします」



 総てが終わったら――それがいつになるのか判らない。夢のまた夢かもしれない。
 それでも、そのときにこの人の隣にいられたらいいと、そうエレンは思った。








 ≪完≫






2013.8.14up





 進撃世界に七夕があるか判りませんが、七夕ネタ。時期外れですが、旧七夕は8月13日だからいいかと言い訳してみます。いろんなカプ要素が入ってますが、オチはやっぱりリヴァエレで。私の中のエレンのイメージは願い事や祈りをしない人なのでこんな話になりました。やはり、キャラが定まってないような……。背景固定してるんですが見にくかったらすみません…イマイチやり方がよく……(汗)。





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