告白





「リヴァイ兵長、今日も格好いいです! 好きです!」
「……そうか」

 清々しい朝の空気の中で自分の部下にそう言われたリヴァイがそれをさらりと受け流すと、告白した彼の部下――エレンは何事もなかったように朝の作業を始めた。周りも人類最強の男に告白するという命知らずな真似をした少年を止めもせずに流している。
 何故ならば、もうこれは日課というか、恒例の行事になっていることだからだ。

(あいつは何を考えているんだか)

 リヴァイはその眉間の皺を深くして、内心で溜息を吐いた。
 ――年下の部下に初めて告白されたのは、彼の身元を引き受けて行動を共にするようになって少し経った頃だったと記憶している。

「リヴァイ兵長、好きです」
「あ?」

 唐突な告白に男は怪訝な声を上げた。人が聞けば恫喝と受け取りかねないものであったが――本人にそのつもりはなくても――、少年は平然と兵長が好きなんです、とまた繰り返した。

「俺は男だが」
「はい。オレも男です」
「……お前、男が好きなのか?」
「いいえ、リヴァイ兵長だから好きなんで、男が好きな訳じゃありません」
「悪いが――」
「あ、返事は要りません。付き合って欲しいとかも思ってないんで。兵長にそういう気がないのなんて判ってますし」

 あっさりと続ける少年に男はじゃあ何で告白したのかと訊ねた。答えが判っていて、尚且つ返事すら要らない告白などする意味があるのだろうか。これが告白の常套句の自分の気持ちだけでも知っていて欲しくて――というものだとしても、そういった場合も心の中では付き合って欲しいと思っていて、良い返事を期待しているものではないだろうか。

「言いたかったんで言いました」
「………」
「これからも言いますけど、気にしないでください」

 けろりとそんなことを言って少年はじゃあ訓練がありますので、と一礼して男の元を去っていった。
 いったい何だったのか、と男は珍しく困惑したが、それから少年は宣言通りにまるで日課のごとく告白を続けている。


「別にいいじゃないか。害がある訳じゃないし」

 だから、その眉間の皺やめなよと、彼の同期は紅茶の入ったカップを口に運んだ。たまたま休憩時間に一緒になったのだが、男の不機嫌オーラが漂ってきて折角の良い茶葉の味が楽しめない。商会から分けてもらったこの紅茶を一番楽しみたいのはこの男のはずであると思うのだが、それを前にしても機嫌が下降し続けるくらい少年の告白が嫌なのだろうか。最早、恒例となってしまった少年の告白だが、それを聞く度に男は不機嫌になり、どんどんその度合いが深まっていっているように思える。
 男が同性から告白されたとは今までに聞いたことはないが、女性はそれなりにあったようだし、部下からの告白など上手くやり過ごすと思っていたのだが。

「やっぱり同性に告白されるのは嫌なの? 気持ち悪いとか?」
「そういう訳じゃねぇ」
「じゃあ何でそんなに不機嫌なのさ。私も周りももう慣れちゃったけどね。あの幼馴染みの子なんて凄い眼であなたのこと睨んでたけど、最近はもう諦めたみたいだし。言われるのが嫌なら言うなって言えば? あ、エレンがそれで不調になったら困るとか考えてるの?」
「そういう訳じゃねぇ」
「じゃあ、その不機嫌オーラなんとかしなよ。上官がピリピリしてたら部下が落ち着かないだろ?」
「……そんなに不機嫌そうに見えるか?」
「見えるから言ってるの。あなたがそんなになるのって珍しいよね」

 基本的に男は自分の内心を周りに悟らせない人間だ。上官が動揺すればそれは部下に伝播する。感情を隠せないものも中にはいるが、焦りや動揺、困惑などといった感情は位が上になればなるほど部下の前では見せないようにするものだ――その筆頭がエルヴィンな訳だが、目の前の男もそういう感情の乱れを悟らせるような男ではない。まあ、いつも不機嫌そうに見える顔をしているとは思っているが、指摘したら蹴られそうなのでそれは言わないでおく。

「……見返りを求めない告白に何の意味があると思う?」

 唐突な質問に一瞬それが何のことか判らなかったが、話の流れからいってエレンの告白のことだろうとハンジは推察した。

「えーと、気持ちが抑えきれなくてつい口から出ちゃうとか?」
「あいつがそんな風に見えるか?」
「うん、見えないね」

 エレンの告白はあっさりしすぎていて、好きで好きでたまらなくて言葉がつい出てきてしまったという風にはとても見えない。最初は何かの罰ゲームか命懸けの度胸試しをしているのかとも考えたが、日課のように告げていることからしてそうではないだろう。リヴァイ相手にふざけ続けるなんてあり得ないし、本気だとして言い続ければ意識してくれる相手でもない。確かに意図の読めない告白ではある。
 そこでふと、ハンジは気付いた。

「あれ? あなたの不機嫌ってエレンの気持ちが見えないことなの?」

 まさかな、と思いながらもハンジは続けた。

「というか、エレンが見返りを求めないことに対して苛立ってるとか?」
「…………」

 男は無言で立ち上がりその場から去っていき、ひとり残されたハンジはええええっと叫び声を上げたのだった。


 男の少年に対する認識はぎらついた眼をするガキ、だった。興味は持ったが、それはこの世界を変えることが出来るかもしれない能力と心の内側に獰猛な獣を飼っていることに対してで、いわゆる色恋と呼ばれるものとは別のものだった。
 それが次第に変わっていったのだが、いつからそうなったのかはリヴァイ自身にも断言出来ない。気がついたらそうなっていた、とは使い古した言葉だが実際にそうなのだから他に言いようもない。
 だが、少年とどうこうなろうという気は男にはなかった。そういったものにかまけている時間などなかったし、いつどこで死ぬか判らない自分はそういう存在を作らないと決めていたからだ。少年が告白に対して答えを求めていたらきっぱりと断っていただろうと思う。
 応える気がないのなら期待させてはいけない。そう思っていたのだが、エレンは最初から返答を求めていなかった。何故か好きだと告げ続ける少年に、それで楽になるのなら続けさせればいいと考えていたが、どうもそういう訳ではないようで。エレンは何も求めていないように見える――だが、告白はやめない。振り向いてもらうためでもなければ、諦めるためでもない、意図の見えない告白を。罰ゲームや嫌がらせならいっそ簡単だった。本気で自分を好きでいることは見ていれば判る。

(何を考えてやがる)

 男は目の前の巨人のうなじにブレードを突き立てた。そして、中から少年を引き摺り出す――本日の巨人化の実験でエレンを巨人から切り離す役目を担当していたからだ。しゅうしゅうと蒸気を上げる巨人の肉体から出てきた少年に声をかけると、エレンはうっすらと眼を開けた。その瞳が男を認めると嬉しそうにほころぶから、こんなところはバカ正直なのに、とリヴァイは思う。

「へい、ちょう……」
「今日はここまでだ。もう限界っぽいからな」
「……すき、です。だい、すきです」

 そう言ってまた瞳を閉じて意識を失った少年に、リヴァイはその意図を理解した。今まで明確ではなかったものがはっきりとした形になる。――胸中に湧き起こるこれは憤りが近いだろうか。

「この、馬鹿野郎が……!」


 エレンが目を覚ますとそこはベッドの上だった。

「起きたか、クソガキ」

 声をした方に少年が視線を向けると、椅子に腰かけた上官がいた。エレンはぼんやりと思考を漂わせてこの状況に思い当たる。

「ああ、実験終わったんですね……お手数かけてすみま――」

 少年が言いきる前にごつん、と拳が頭に落とされた。大分手加減されたものであったけれど、思わず呻く。

「え? あの、何かオレすげぇ失敗とかしました?」

 唐突に落とされた拳の意味が理解出来ずに少年が困惑の声を上げると、男はそうじゃねぇと不機嫌そうに眉を寄せながら言った。

「お前の告白――意図が判らなかったが、さっきので判った。お前のあれは告白じゃねぇ。遺言だろう」

 男の言葉に少年は眼を見開いて、それから観念したように笑った。

「ああ、判っちゃいましたか」
「道理で返事が要らねぇ訳だ。遺言に返事も何もないからな。毎日毎日何を考えて言っていたんだ」
「――忘れないでいて欲しかったんです」

 思いがけない言葉にリヴァイはエレンをまじまじと見つめた。

「……巨人化する人間のことなんて忘れる訳がねぇだろ」
「忘れますよ。だって、人間はそういう風に出来ている」

 エレンがまだ開拓地にいた頃の話になるが、その日の作業を終え、通りがかった場所で自分と同世代の少年が泣いているのを見つけた。
 泣いている彼から事情を聞き出した――のは、一緒にいたアルミンだったが、彼は妹が母親のことを忘れていくのが哀しいのだと泣いていた。
 避難民たちは突然の巨人の襲来に着の身着のままで逃げ出したから、身内の形見や想い出の品などを持ち出していくことが出来なかった。襲撃で母親を亡くした少年は妹と共に疎開してきたのだが、当時三歳だった妹の記憶がどんどんあやふやになっていくのだという。
 それは仕方のない話だろう。エレンも三歳児の頃の想い出を詳細に語れと言われたら出来ない。三つの年の頃までしかいられなかった母親の想い出はいずれ薄まってしまうだろうが、その少女のせいではない。
 彼にもそのことは十分に理解していて、妹にせがまれるまま母親の話をしているのだが、自分の記憶もいずれぼんやりと薄れて大好きだった母親を忘れてしまうのではないか、と恐れているらしい。
 それは仕方のないことなんだよ、と言ったのは誰だったか。その少年の保護者か開拓地にいた大人か。
 人は辛いことも楽しいことも忘れていく生き物で、それは決して哀しいことではないのだと。
 ――エレンは死んだ母親のことを決して忘れない。父親も死んでいった同期も先輩も忘れることはないだろう。
 だが、人はいつか人の記憶から消えていく。その人物を知るものがいなくなれば忘れ去られていくだろう。自分だって死ねばやがて忘れ去られる。それはごく自然な当たり前のことだ。

「でも、兵長と出逢って――それで、きっとオレが死んだら忘れるんだろうなって思ったら、ダメだったんです」

 勿論、リヴァイが薄情で死んだ部下のことをあっさりと忘れていくのだとは思っていない。むしろ、死んでいった部下達を胸に刻み込むようにして戦っている人だ。自分が死んだらその中に自分も入るのだろうが――その他大勢の部下のひとりとしてくくられるのが嫌だった。他の誰に忘れ去られても構わないけれど、この人の中に少しでも強く遺りたかった。

「だから、毎日告白することにしました。毎日告白してくる男なんていなかったでしょう? 気持ち悪がられるかなぁって思いましたけど、兵長はやめろとは言わなかったから」

 勿論、本気で言っていた。言うたびにああ、好きだなぁ、と思う。そして、伝えられて幸せだと思う。今日も言い残すことが出来た、と。この人の中に少しでも降り積もればいい――好きという言葉が。
 それは自己満足でしかないエレンの――確かに遺言だ。

「すみません。兵長が拒絶しなかったから調子に乗りました。もう、言いませ――」
「好きだ」

 被せるように男に言われて、エレンはぽかんと口を開けた。空耳でないのなら今、確かに好きだと聞こえたのだが気のせいだろうか。

「何かお前には色々と腹が立っていたんだが、もういい。俺にも非はあったからな。これが遺言だというなら俺も同じようにするまでだ」
「え? は? 兵長?」
「お前が好きだ、エレン」

 きっぱりと断言した男に少年は完全に固まった。

「これから毎日告白してやる。言っておくが冗談ではなく本気の告白だ。覚悟していろ」



「今日も可愛いな、エレン。好きだ」

 男の言葉に少年は真っ赤になってうひゃいああああという奇声を発しながら逃げていく。

「オイ、お前の告白がまだだぞ」
「無理です無理です無理無理無理無理ぃ!」

 告白をする人類最強に、その男から逃げる人類の希望という新しい日課が出来、周りの人間は二人に生温かい眼差しを向けていた。

「何であんなに恥ずかしがってるの、エレンは? 毎日平然とリヴァイに告白していたじゃないか」
「自分から告白するのはいいけど、リヴァイ兵長から言われるのは恥ずかしいらしいです」

 首を傾げるハンジにアルミンがそう説明した。

「そもそもエレンは兵長と両想いになれるとか全く考えてなかったから、今の状況は想定外みたいです」
「まあ、私もリヴァイが好きだのなんだの言ったの初めて聞いたときは気が狂ったのかと思ったけど」
「そうですか? 僕は結構脈ありだと思ってましたけど」
「確かに後で思い返せばそうかなぁって節あったけど。リヴァイの方も最初は言う気なかったんじゃないかなぁ。だから、人前でああもきっぱり告白するなんて思わなかったよ」
「エレンの告白に思うところがあったんじゃあないですか。おかげでミカサの顔が毎日凄いことになってますけど」

 そのうちに本気でリヴァイ兵士長抹殺計画を実行しそうだと周りが危惧しているが、エレンが哀しむような事態は引き起こさないはずだ……おそらくは。隙を窺って殴るとか、訓練中に殺気をぶちまけるとかその程度だろう――いや、それも見ていて十分に怖い状況ではあるが。

「バカだよねぇ」

 やれやれ、とハンジは肩を竦めた。

「遺言だのなんだのと言ってないで、生きて幸せになること考えればいいのに。――だって、生きてるんだからさ」

 ハンジの言葉にアルミンは眼を見開いて――それから、そうですね、と微笑んだ。





《完》



2019.5.21up



 思い付いたので書いてみた作品。時期的にはウォール・マリア奪還作戦の前の実験やってるときくらいを想定してます。タイトルはまんま『遺言』にするつもりだったんですが、それだと読む前にオチが判ってしまうのでやめました。拍手用で書いてましたが、文字制限に引っかかりそうだったのでnovelにUP。


←back