未来予想図



 その日、エレンが学校から帰宅して二階の自分の部屋のドアを開けると、見知らぬ男がいた。

「よう」
「…………」

 エレンは無言でドアを閉め、それからもう一度開けてみた。だが、見間違いであって欲しいという願いは叶わず、人のベッドの上に勝手に腰かけている男はそのまま存在し、消えてはいなかった。

「ドロボ……」
「うわっ! ちょっと待て!」

 叫ぼうとしたエレンの口を素早く塞ぎ、男はエレンを部屋に引っ張り込んだ。勢いでドアが閉じ、エレンが暴れようとすると、相手はオレをよく見ろ、絶対に叫ぶなよ、と言って自分の姿を確認するように促した。
 よく見ろ、と言うのだから知り合いなのだろうか。誰か来るとは親から聞いていなかったが、親戚でも来ているのだろうか。だが、この二十代半ばくらいの男性に心当たりは――と思いながらその男の顔を見て、エレンはハッとした。この顔は、何だかとても見覚えがある――。

「判っただろう? オレの正体」

 エレンがもう叫ばないと判断したのか、男はエレンの口から手を放した。

「お前は――くたびれたリーマン?」
「誰がくたびれたリーマンだ! オレは未来のお前だ!」

 バシッと頭を叩かれ、エレンは呻いた。確かに、男はエレンが成長したらこんな感じになるのでは、という顔つきをしていた。年の離れた兄です、と周りに紹介したらそっくりね、と驚かれるかもしれない。他人の空似とは思えない程に似ているが、男の言う未来の自分などというSFのような設定が信じられる訳がない。生き別れになっていた兄だと名乗られた方がまだ信憑性があるかもしれない。

「そんな胡散臭い話がどうして信じられるんだよ。大体、未来から過去にどうやって来たんだ」
「それがオレにも判らねぇんだよ。家に帰って部屋のドア開けたら、何故か実家の自分の部屋だったんだからな」

 突然の出来事に男は驚愕しながらも部屋を確認し、窓から外を見てここが実家の自分の部屋だと思い当たった。更に置いてあるものや、部屋のカレンダーなどからこれが自分の過去の部屋なのではないかと推察したのだという。突拍子もない考えだが、部屋を開けたら瞬間移動していたのだから、そこにタイムスリップが加わっていても不思議ではないと結論付けたらしい。そうして、それが事実だと確かめるためにエレンが学校から戻って来るのを待っていたのだ。

「お前がオレだってどうやって証明する?」
「言えっていうなら、家族構成、生年月日、血液型に通っていた学校に友達の名前、初恋がいつで誰か、人に言いたくない恥ずかしいエピソードまで披露してやるぜ」

 そうして、その言葉の通りにされ、エレンはその余りの恥ずかしさに今度は逆に自分が男の口を塞ぐこととなった。

「ちくしょう……すごい精神的ダメージがきたぜ!」

 男が話すのをやめたのでエレンは口から手を放し、そのまま床に崩れ落ちた。

「話してるオレにもダメージがじわじわきた。だがな、一番のオレの黒歴史はこれからなんだぜ!」

 男の言葉にエレンが顔を上げると、お前、今、中三だよな?と訊ねられた。

「中三といや中三だけど、もうこの春から高校一年になるぞ」
「そうか。オレは今から約十年後のお前だ。お前、第一志望の高校受かっただろ? それ、やめて第二志望に行け」
「はぁ? 何でだよ? 折角受かったのに嫌に決まってんだろ!」
「いいか、この高校入学がお前の人生を変えるんだ! 滑り止めに行け!」
「イヤ、無理だって! もう入学手続きしちゃったし!」
「…………」
「…………」
「……マジか?」
「……マジだ」

 エレンがそう言うと、男がうわーっと頭を掻きむしった。折角過去に来られたのに、間に合わなかったか、ちくしょう、とブツブツと呟いた後、両手でがしっとエレンの肩を掴んだ。

「イヤ、まだ間に合う。いいか、よく聞け、オレ! これから行く高校でお前は一人の男に出逢う。学校の先輩だ。そいつと出逢うのを絶対に回避しろ。何が何でも逃げ抜け!」
「え? 何で? 何かヤバい奴なのか?」
「ある意味とてもヤバい。そいつはお前に交際を申し込んでくる。そうなったら逃げられない」
「………今、男の先輩だと言ったよな?」
「ああ、正真正銘の男だ。股間についてるもんついてる奴だ。実は女の子でした!なんてドッキリ展開はない。バリバリに男だ」
「……逃げられなかった場合、どうなんの?」
「……最終的に掘られる」

 男の言葉にエレンは固った。掘るというのがお芋ほりとか、砂場遊びとかいう可愛いものでは当然ないだろうし、運転免許も持っていない自分が自動車に後ろから追突されるという意味でもないだろう。

「何やってんだよ、オレ! どうしてそんなことになってんだ!」
「うるせぇよ! オレだって逃げられたら逃げてんだよ!」

 思わず、男の胸倉を掴んだら、頭突きを返された。痛みに呻くエレンに男はとにかく、全力で逃げるんだ、と告げる。

「その先輩の名はリヴァイ・アッカーマンという。絶対に逃げきれ。でないと、お前は自分の人生に童貞なのに非処女という黒歴史を刻むことになるぞ」

 その言葉に真剣な顔で頷いたエレンだったが、よく考えてみたら――いや、考えなくても、この男は自分に告げた未来から来たのだから……。

「えーと、お前、ということは……」
「それ以上言ったらもう一回頭突きすんぞ?」

 笑顔で言う男にエレンは口を閉じた。黒歴史に触れてはいけない。男はじゃあ、頑張れ!と告げて部屋の入口に向かった。

「え? どこ行くんだよ?」
「帰るんだよ。いつまでもここにいたら、母さんが呼びに来るかもしれないだろ?」
「どうやって帰るんだよ? 何で来られたのか判んねぇんだろ?」
「理屈は判んねぇけど、ドア開けたら来たんだから、また開ければ帰れるだろ」

 そんな単純な話があるか、と思ったが、男は構わずドアを開けてそのまま出ていった。パタン、と目の前で閉じられた扉にエレンは慌てて後を追ったが、そこには誰の姿もなかった―――。


 まるで狐につままれたような一件だったが、あれからエレンは無事に中学校を卒業し、高校の入学式の本日まで男が再び現れることはなかった。もしかして白昼夢でも見たのか――などと考えたが、自分に高校に入学したら男の先輩に告白されて掘られるから気を付けろ、と未来の自分に忠告されるという発想があるとは思いたくない。
 しかし、自称未来の自分に言われた言葉が高校入学が近付くにつれ、気になってきて、落ち着かない気分になっていた。おかげで、入学式の前日の夜、殆ど眠れなくてエレンは顔に寝不足と書いて初めての登校をした。
 そうして、その睡眠不足はすぐに解消された――厳かな入学式中、エレンはずっと爆睡していたのである。

(うう……恥をかいた)

 結局、新入生退場の際に、爆睡していたエレンを隣の席の生徒が親切にも起こしてくれたので、列の最後に加わることが出来た。しかし、寝ていたのを教師に注意されたのはいうまでもない。退場の際には慌てていたせいもあってこけそうになったのを踏ん張って堪えたが、帰り道でふらふらしていたら危ないので、エレンは頭をすっきりさせるため顔を洗ってから帰ることにした。

(トイレで顔を洗うのもなんだし、運動場の方がいいかな)

 とはいえ、新入生であるエレンはまだ校内を全部把握しきれていない。慣れれば何とかなるだろうが、エレンが入学したこの高校は進学率も良い人気校で校舎は広く、初日ではまだ馴染めそうになかった。

(うわっ……!)

 そうぼんやりとしていたつもりではなかったが、やはりまだ眠気が残っていたためか、エレンはうっかりと階段から足を踏み外しそうになった。ヤバい、と思った瞬間、腕をグイッと引かれ、落下を逃れた。
 ホッと胸を撫で下ろしたエレンが、誰が助けてくれたんだろう、と視線を向けると、そこには先輩らしい男子生徒がいた。エレンの通う高校では学年ごとにカラーがあって、ネクタイや上履き、ジャージのラインなどが違うのだ。色から察するに目の前の男子生徒は一つ上の学年らしかった。

「大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます」

 その生徒はエレンの顔を見て、何かに思い当たったのか、くつくつと笑い出した。初対面で笑われて、むっとしたエレンの眉が寄る。

「ああ、悪かった。お前、入学式中、ずっと爆睡してた奴だろう? 居眠りする奴はまぁいるが、あそこまで見事に眠れるとは驚くくらいだった」

 入学式の失態を見られていたと知って、エレンの頬が朱に染まる。まさか上級生にまで知られているとは思わなかった。

「あれは、ちょっと……たまたま、睡眠不足だっただけなんです」
「イヤ、入学式の挨拶なんて退屈なだけだからな。眠くなるのもよく判るが――壇上からだと丸見えだったから、眼をつけられる前に教師には謝っておいた方がいいぞ」
「……もう、怒られました」

 それを聞いて男はまた笑う。むうっとエレンはむくれた。

「謝罪したんなら、以後、気を付ければいい。次からはちゃんと眠っておけよ」

 そこへ、リヴァイ、どうしたの?という声がかけられ、男は今行く、と言葉を返した。

「じゃあな、気を付けて帰れよ」

 そう告げて去っていく男子生徒をエレンは呆然と見送った。

(リヴァイって……ひょっとして、今のがリヴァイ・アッカーマンっていう先輩?)

 絶対に逃げるどころか、高校生活の初日から関わってしまった。いや、まだ彼は自分の名前も知らないのだからこれから関わらなければいい。それに、名前がリヴァイらしいというだけで、まだ彼が交際を申し込んでくる先輩だとは限らない。
 そう言い聞かせながら、エレンは顔を洗うのも忘れて自宅へと戻ったのだった。


「おかえり」
「…………」

 扉を開けたら見知らぬ男がいた――こう書くと小説の冒頭みたいだな、と思いながら、エレンは自室のドアを閉めた。

「帰ったら誰もいないはずの自分の部屋に人がいるって軽くホラーなんだけど」
「仕方ねぇだろ、オレだってどういうタイミングでこっちに来るのか判んねぇんだから。コーヒーでも飲んでゆっくり考え事しようと思ってたらこっちに来るってどういうタイミングだよ」

 言われてみると、男の手にはカップが握られていた。それを見て、ふとエレンは気付いた。

「お前、それ、もしかしてペアカップ?」

 エレンの言葉に男が狼狽えるのが判った。おそらく、エレンの言葉は当たっていたのだろう。

「一回目の時、実家の自分の部屋って言ってたし、社会人になったら家を出たってことか。もしかして、十年後はもうオレ、結婚してんの? 全く想像つかねぇんだが」
「――イヤ、結婚はしていない。一緒に住んでる人はいるけどな」
「同棲中? ああ、そうか、だからか」

 エレンは納得したように頷いた。

「その人に黒歴史を知られそうとか、知られたくないから、過去を変えたいのか! 確かに自分の彼氏が非処女って笑えないネタだよな」
「非処女言うな! まあ、そんな感じかな。将来のことを考えて過去を変えたいというか……」

 そう言う男に、エレンは考え込むように口元に手を当てた。

「でも、過去を変えたら未来のお前はどうなんの? そもそも、先輩と付き合ってなかったら、こんな話になってないんじゃねぇの? タイムパラドックスだったっけ? 過去や未来の自分に直接会うのはまずいって聞いたけど、大丈夫なのか?」
「もうすでにこうして会ってるし、何ともなってないんだから、大丈夫だろ。オレが前に観た映画だと、未来に戻ったら環境がガラッと変わっていたけど、本人はそのままだった。多分、世界が勝手に修復して矛盾を直してくれるだろうと予測する。人の生き死にとかじゃねぇし、平気だろう」
「まあ、そうかもしれねぇけど……」
「それとも、お前、男に掘られたいのか?」

 男の言葉にエレンはぶんぶんと首を横に振る。エレンは同性に興味はないし、ましてや、押し倒される事態になるなんてことは避けたい。

「それで、今日はいつなんだ? オレの時間でいうと、あれから三日後なんだが」

 男の言葉にエレンは目を瞠った。エレンの方はあれから一ヶ月以上が経っていることになるのだが、男にとってはまだたったの三日らしい。

「今日、入学式だった」
「もう入学式なのか! で、どうだった?」
「えーと、あの、リヴァイって人、一個上に何人かいた?」

 エレンが本日出逢った先輩のことを詳しく話すと、男はその場でがくりと膝をついた。

「先輩だ! それ、絶対にリヴァイ先輩だ!」
「同じ名前なだけの可能性は?」
「ない。壇上から見たって言ったんだろ? あの人、在校生代表で挨拶してるんだ。絶対に間違いない」

 そう言うと、また男はがしっとエレンの肩を掴んだ。

「いいか、出逢ってしまったのはもう仕方がない。これから二度と接触しないようにするんだ。絶対にうちの生徒会には近付くんじゃねぇぞ」
「生徒会?」
「あの人、生徒会長なんだよ。うちの生徒会は二期で、二月と七月に選挙をやるんだ。あの人は一年時から役員入りしていて、今は生徒会長。執行部は行事の度に人を集めていて、下手に接触するとあの人と遭遇する危険が増す」

 エレンはそれに頷いて、それからうーんと首を傾げた。

「……あのさ、お前、あの人のこと嫌いなのか?」

 思いも寄らない言葉だったのか、男は目を瞬かせた。

「あの人、いい人だろ。助けてくれたし、ちょっと目つき悪くて取っつきにくい感じだけど、笑うと雰囲気和らぐし……」

 階段から落ちそうになったところを助けてもらったのもあって、エレンの男に対する印象は良い。生徒会長になるくらいなのだから、素行だっていいのだと思う――確かに付き合えるかと問われれば付き合えないと答えるが、あの人といい先輩と後輩の関係になれたら楽しい気がする。その道は残されていないのだろうか。

「――お前、男と付き合う覚悟はあるのか? ないなら、近付かないのが一番だ。絶対に後悔する」
「……お前は後悔したのか?」
「ああ、オレの黒歴史だからな」

 そう言うと、彼はとにかく近付くな、とエレンに言い置いて、また部屋を去っていった。
 残されたエレンの胸の中にはもやもやとしたものが残った。


「お前、バッカじゃねぇのか?」

 目の前で怒りをあらわにしている男に、エレンは引き攣った笑いを浮かべるしかない。

「何で学級委員になんかなってんだよ! 委員会とかで絶対に生徒会に関わるじゃねぇか! 何で無難な委員にならなかったんだよ!」
「仕方ねぇだろ! 風邪ひいて休んでるときに委員会決めあったんだよ! 休んでるうちに面倒なことを押し付けられたオレに同情しろよ! 入学早々休むのって大変なんだぞ! タイミングずれたらぼっちになるんだぞ! イヤ、オレ、友達いるし、ぼっちじゃねぇけど!」

 入学早々風邪をひき、熱が下がって登校したエレンに待っていたのが学級委員という役職だったのである。おそらくは立候補が誰もいなくて、推薦という形で休んでいたエレンに押し付けたのに違いない。クラスに一人や二人くらい、学級委員をやりたがるものがいてもおかしくはないと思うが、エレンのクラスにはそういったものがいなかったらしい。

「……はあ、そうだな、決まったものはもう仕方がない。後はなるべく接触を避けるしかねぇ」
「というか、学年違うなら向こうも話しかけたりしてこないんじゃねぇの?」
「甘いな。あの人は生徒会の後任を探しているから目立つと声をかけられるんだよ」

 さすがに三年生は受験があるから生徒会役員にはならない。なので、生徒会の活動のメインは二年生になる。一年時から早めに声をかけ、参加させ仕事に慣れさせて後任を育てる慣習があるのだという。

「とにかく、関わらないように!」

 そう念を押して去っていく未来の自分を見送ってエレンは溜息を吐いた。
 関わるな、と言われてもどういう訳か関わるように関わるようにと道は進んでいる。関わらないようにしたいのならもっと細かく教えてくれてもいいと思うのだが。

(イヤ、ひょっとして、オレにも判ってないのか?)

 例えば、自分と先輩との出逢いは階段から落ちそうになったのを助けてもらった、だったが、未来の自分だと違う方法で出逢っているのかもしれない。落とし物を拾ってもらったとか、ぶつかって転んだとか、そんな感じで。
 未来の自分と遭遇したという時点で、自分の未来は彼とは微妙に違っているのかもしれない。大まかな筋は一緒だが細かい部分が合わず、けれども、結局は同じルートを進んでいるといったところか。

(何か、絶対に関わってしまいそうな予感がするんだが――)

 そうして、エレンのその予想は外れなかった。


 疲れた、と一段落した仕事に大きくエレンは息を吐いた。どういう訳かエレンは生徒会の仕事を手伝うことになってしまった――学年も違うし、接点はないだろうと思っていたエレンが甘かった。入学式で爆睡したのが余程印象に残っていたのか、リヴァイに――やはり、彼の名はリヴァイ・アッカーマンで生徒会長だった――目敏く見つけられて、構われることとなった。
 それ自体は別にいい。リヴァイは思った通りに厳しいことは言うが、やるべきことはきちんとやり遂げるし、生徒会役員のことをよく見ているし、判りにくいが気遣いが出来る男だ。人望もあるし、彼と一緒にいるのは苦ではない。むしろ、いい先輩で一緒に仕事をするのが楽しいくらいだ。

(この人がオレを好きって本当なのかな?)

 今のところ、ただの先輩と後輩でそんな素振りを彼は見せていない。

「よく頑張ったな。ご褒美にジュース奢ってやるよ」
「本当ですか! ありがとうございます!」

 リヴァイがそう言うので、エレンは自販機に向かう彼についていった。嬉しそうなエレンにお前、単純だな、と男は笑う。

「先輩は何飲むんですか?」
「俺か? いつも紅茶か緑茶だな」
「お茶ですか! 渋いですね」
「イヤ、普通だろう」
「オレ、炭酸にします! 弾ける青春っぽいので!」
「イヤ、意味が判らん」

 がこん、と落ちてきたそれに頬を当てるとひんやりとしていて気持ちがいい。まだ、本格的な夏にはなってはいないが、段々と気温が高くなっていて、そのうちにクーラーなしではいられなくなるかもしれない。
 すっと伸びてきた手がエレンの頭に乗って、優しく撫ぜていく。その心地好さにエレンは目を細めた。

「先輩?」

 エレンが不思議そうに問うと、ハッとしたようにリヴァイは手を放した。それが惜しいように感じられるのは何故だろう。

「……悪いな。何かお前を見てると、構いたくなるというか――触ってみたくなるんだ」
「――――」
「何でだろうな? きっとお前だからだろうな」

 自分でも気持ちを持て余しているみたいな男に、エレンは鼓動が早くなるのを感じていた。
 逃げなければならないのに――捕まってしまいそうだ。


「――で?」

 自分の部屋で待ち構えていたのは、またしても未来の自分だった。いつもどうやって部屋が繋がるのか判らないのだが、男にとっては数日、自分にとっては数週間の時間経過で不意に繋がるらしい。しかも、こちらで彼が過ごした時間は向こうではカウントされないらしいのだ。人から見れば普通に部屋に入っただけのように見えるらしい。――まあ、いつもこの事象は彼が一人のときに起きているらしいのだが。

「先輩に付き合ってくれって言われた」

 一緒にいるうちにどんどん距離が近くなって、結局はそういうことになってしまった。逃げろ、と言われていたので彼に告げるのは気が重かったが、話さない訳にもいかない。

「断ったんだろ?」
「――付き合うことにした」

 エレンの言葉に男は絶句して、それから頭を掻いた。

「お前、意味判ってやってんのか!」
「判ってる! でも、しょうがないだろ! オレも先輩のこと好きなんだから!」

 エレンは同性と付き合う嗜好は持ち合わせていないし、初めて話を聞いた時は絶対に有り得ないと思っていた。だが、実際にリヴァイと出逢って親交を深めるうちに、そういう対象として好きになってしまったのだから仕方がない。他の誰でもないお前だから好きになったんだ、とはよくあるくさい台詞だと思っていたが、実際に人を好きになるとそういう気持ちになるのだとエレンは知った。リヴァイだからこそ自分は好きになったのだ。

「――別れろ。それが身のためだ」

 男の言葉にエレンは首を横に振った。

「別れねぇ。オレは先輩が好きだ。お前が例え未来のオレ自身でも、オレを止めることは出来ない」
「オレは忠告してるんだ。お前は未来で必ず後悔する。付き合わなければ良かったって思う。今ならまだ間に合う。傷が浅いうちに別れろ」
「オレは先輩に出逢えたこと、付き合ったことを後悔なんかしない」
「……この先、お前らは破局する。別れが決定していても付き合うのか?」
「それでも、だ」

 二人はしばらく睨み合っていたが、先に眼を逸らせたのは、青年の方だった。

「……クリスマスだ」
「え?」
「タイムリミットはクリスマスだ。その日は先輩の誕生日で、初めてヤル日だ。その日までに別れろ。身体の関係がなければまだマシだろ」

 そう言うと、未来のエレンはドアの方へと歩き出した。

「待てよ! お前――先輩のこと、好きじゃなかったのか? 一緒にいて楽しいとか嬉しいとかなかったのか? そんなことねぇだろ! お前がオレなら、オレだったなら、絶対に先輩のことが好きで一緒にいて楽しかったはずだ」
「――お前は何も判ってねぇ」
「は?」
「好きとか楽しいだけで全部終わる程、世の中は甘くねぇんだよ」

 そう言って男はドアの向こうに消えていった。


 クリスマス・イヴの日は親が外泊していないから、自分の家に泊まっていかないか、と言われ、エレンは固まった。リヴァイと付き合うことになって家に遊びに行ったことはあるが、泊まるのは初めてだ。未来の自分に予告されてはいたが、実際に本人から誘われると判っていても咄嗟に反応が返せない。

「イヤ、都合が悪いのならいいんだが――」
「いえ、都合はばっちりです! イヴもクリスマスも先輩と過ごすために空けてます! 準備万全です!」

 慌ててエレンはそう返し、ばっちりって何なんだよ、準備って何すんだよ、滅茶苦茶期待してました感がするんだけど、と内心で自分にツッコミまくっているが、その声が男に聞こえるはずもない。

「……そうか」
「…………」

 二人して無言になってしまう。男の家に泊まるというのはつまりはそういうことなのだろう。
 キスはした。大人のキスもした。それよりももうちょっと進んだこと――触り合いくらいまではするようになっていた。ここで、クリスマスである男の誕生日に合わせて泊まる、という意味はつまりは更にその先――結合というか合体というか、最後まで行為をするという了承を示したことになる。まさか、男と付き合って、更に突っ込まれる側で、それを了承することになるとは考えてもみなかった。

「本当にいいんだな?」
「いいですよ。あの、ちゃんと意味も判ってます」
「そうか」

 そう言う男は珍しく耳まで朱に染まっていた。エレンも真っ赤な顔を隠すために俯く。

「……多分、お前が俺の告白を受け止めてくれた次くらいに嬉しい」
「……オレも嬉しいです」

 そう言ってそっと二人で指を絡めた。
 ――だって、仕方がない。この人のことが本当に好きなのだから――。


 約束した当日、エレンは準備を済ませ、部屋を出ようとドアに向かおうとしたら、それが勝手に開いた。
 いや、開けて部屋に入ってきたものがいたのだ。

「――どうやら、間に合ったみたいだな」

 そこには未来の自分が険しい顔で立っていた。おそらくはこの日が約束の日だと気付いたのだろう。

「どけよ。オレは先輩のところに行く」
「行かせねぇよ。どうしても行くっていうなら縛りつけてでも止めるぜ」

 そういう自分と同じような顔はいたって真剣だ。未来の自分だという彼はどうして、そんなに必死になるのだろう。

「お前、どうしてそんなに止めるんだ。そこまでして、なかったことにしたがる理由は何だ?」
「人にバレたら困る黒歴史なんてない方がいいに決まってるだろ!」
「イヤ、お前がオレならそう思わない。この先、先輩と破局しても、先輩に酷いふられ方するんだとしても、あの人を好きになったことをオレは後悔しない」
「男と過去に付き合っていて、更に肉体関係まであったなんてバレたら社会的なダメージを食らうだろ」
「オレがそんなの気にするとでもお前は言うのか? オレなのに? それに、オレか先輩が言わなければそんなの周りにバレねぇだろ。あの人が言い触らすはずがねぇし、お前が黒歴史だって言うのなら、自分でそれを話したり肯定するとは思えない」
「…………」
「とにかく、オレは行く」
「行かせねぇ!」

 そうやって、しばらく押し問答を続けていたが、やがて、未来の自分は振り絞るような声で過去の自分に告げた。

「頼むから、行かないでくれ。もう、あの人を自由にしてやってくれ。もう、十年も付き合ったんだから、充分なんだ。今日行ったら、自分の愚かさでずっとあの人を縛ることになる」

 その言葉にエレンは戸惑った。自分に向けられているようで、また違う意味を持つ台詞に彼をただ眺めるとその顔が歪んだ。

「お前は、先輩とした後、言うんだ。『初めてだったんですから、責任とってください』って。まさか、それをずっと続けてくれるとは思わなかった」
「ずっとって……」
「あの人が高校を卒業しても付き合いは続く。そして、オレは先輩と同じ大学に進学して親にはルームシェアだって言って一緒に住む。大学を卒業してからもそれは続いている」
「それって……」
「オレの同棲相手は先輩だ。あのカップも先輩とペアのものだ。オレ達は高校からずっと付き合ってる」

 思わぬ告白にエレンは何を言ったらいいのか判らない。彼が自分に破局したと言ったのは嘘だったのは判ったが、どうしてそんな嘘を吐いたのか。もし、彼と別れたいのなら今別れたらいい。過去の自分に付き合わないように告げ、別れさせようとして、関係が進むのを食い止めようとしているのは何故なのか。

(なかったことにしたいくらいに嫌いになった――ことは絶対にない。だって、オレなんだから)

 十年後も彼が好きだろう。二十年後も三十年後もやっぱり彼が好きだろうと思う。

「なあ、オレ、お願いだから行かせてくれ。お前が言った台詞は絶対に言わない。オレは先輩が好きなんだ。例え、この先何があっても好きなんだ。お前がオレなら判るだろう?」
「――ああ、知ってる。オレだからな。だけど、ダメなんだ。オレが好きでもあの人はもうオレを好きじゃない」

 もう、同じ想いではないのだと彼は言う。リヴァイは中学の時には女生徒と付き合っていたことがあり、元々、同性愛者ではなかった。そうでなかったのはエレンも同じだが、リヴァイは意外に女性にもてた。大学を卒業し、仕事をバリバリとこなし、順調に出世していくとそれは顕著になり、近付く女性が多くなった。

「一度、待ち伏せされた女に言われたことがあった。何でまだ一緒に住んでるのって。オレがいたら先輩が遠慮して彼女を家に呼べないってさ」

 学生の頃なら良かった。先輩とルームシェアをしていると言えばそれ以上追及されないし、皆、納得する。しかし、二人とも大学を卒業し、社会人になれば男の二人暮らしはおかしく思われ始める。就職先が一般企業でなければ――例えば俳優や芸人を志していて貧乏だからとか、就職出来ずにアルバイトで生計を立てているから節約のためにとか、一緒に暮らしている理由付けがまだ出来ただろう。だが、血縁関係のない、普通に会社勤めしている男二人の同居は一般的に見て不自然だ。今はまだ安月給だから、とか、二人暮らしに慣れてその方が楽だからとか何とか言い繕っているが、年齢が上がるにつれ、その理由は通じなくなってくる。

「ルームシェアが自然なのは若いうちだけだ。後数年も経てば何で結婚しないのかって言われるようになる。――先輩には付き合って欲しいっていう女がたくさんいて、先輩は仕事が充実してるから恋人は要らないって言って断っているけど、彼女がいないのを不思議がられてる。不思議が不審に変わるのは有り得ない話じゃない」
「……だから、別れたいのか?」
「先輩に訊いてみたんだ。冗談っぽく何でまだオレと付き合ってるんですかって。そうしたら『初めてだから責任とれって言ったのはお前だろう』って言われた」

 ぽたり、と彼の瞳から雫が零れた。

「そんなつもりで言ったんじゃねぇんだ」
「うん、判ってる。だって、オレだから」

 ぽたり、とエレンの瞳からも涙が零れた。

「でも、頼むから行かせてくれよ。先輩が好きなんだ。絶対に言わねぇから。一緒にも住まねぇようにするから。先輩を縛らないようにするから。だって――好きなんだ」
「ああ、知ってる。だって、お前、オレだもんな。――こんなになっても別れようって言えないくらい好きなんだ。だから、お前に押し付けようとした。オレが出来ないって判ってたのに」
「そんなことされたら俺が困る」

 不意に聞こえてきた声に二人のエレンは一斉に声の方を向いた。――そこには一人の男が立っていた。

「リヴァイ先輩……」
「え? 先輩?」

 未来の自分と新たに現れた男を交互に少年は見た。確かに、男はリヴァイが後十年程年を取ったらこうなるのではないかと思われる容貌をしていた。未来の自分が来たのだから同じ場所に住んでいるというリヴァイが現れてもおかしくはない。いったい自分の部屋のドアはどうなっているというのだろう。

「先輩どうして――」
「家に戻ったらドアがちゃんと閉まっていなくて、中から声が漏れていた。お前が友人でも連れてきたのかと思ったんだが――まさか、こんな奇妙なことがあるとは思わなかった」

 リヴァイはそう言ってエレンに視線を向けた。

「信じられないが、お前は高校の時のエレンなんだな? で、何故か部屋が繋がった、と」

 ただ頷くしか出来ないエレンの目の前で男は未来の自分に手を伸ばした。

「誤解しているみたいだが、あの言葉は俺にとっては嬉しい言葉だったんだ。お前の初めてをもらえて、この先責任をとるという名目で一緒にいられる。言質を取れたってな」

 優しく涙を拭ってやりながら、男は最近何か変なのは判っていたのに、気付いてやれなくてすまなかった、と告げた。

「俺はお前以外と付き合う気はないし、周りの目が気になるなら引っ越してもいいし、保証が欲しいのなら海外に行ってもいい。この先お前のいない人生は考えていない。――責任はとるからお前も責任をとれ」
「……何ですか、それ。プロポーズみたいですよ」
「プロポーズだからな。証人もいるしな」

 そう言って、男は視線をエレンに向けた。

「過去のエレン、過去の俺にちゃんとあの台詞は言ってくれ。俺は顔に出さないかもしれないが、死ぬ程嬉しいと思うからな」

 そうして、未来の自分に向き直って、返事を促した男は、はい、と頷く未来の自分を抱き締めた。
 まさか、未来の自分のプロポーズ現場に出くわしてしまうとは思わず、エレンは一連の会話をただ呆気にとられて眺めていた。まあ、リヴァイとなら生涯を共にするのに異存はないが。
 やがて、男に抱き締められていた未来の自分がこちらを向いた。

「ごめん、オレ。迷惑かけたな」
「イヤ、いいけど。それより、幸せになれよ、オレ」
「安心しろ、俺が幸せにする」
「……泣かせた人間が言っても信憑性がないですよ、先輩」

 ――そうして、未来の自分とその恋人は元の場所へと帰っていった。
 それを見送ったエレンはドアを開閉してみたが、やはりそこはただの普通のドアだった。

(やっぱり、普通のドアだよな? 何でこんなことが起きたんだろ?)

 もしかして、自分達の破局の危機に運命が味方してくれたのかもしれない――そんなことを考えたとき、エレンはハッと気付いた。こんなことをしている場合ではなかったのだ。

(先輩との約束の時間に遅刻する!)

 慌てて部屋を飛び出しながら、エレンは未来の自分に心の中で盛大に文句をぶつけた。

(これで先輩と破局したら、絶対に文句を言ってやる)

 無論、そんな未来予想は御免だが。むしろ、また未来の自分に出逢うことがあったら、物凄く惚気られそうな気がする。
 いつか、自分も未来の自分達のようになれるといいと思いながら、エレンは待ち合わせ場所まで走った――。




《完》




2016.11.25up




 思い付いたから書いておこう作品です。誰でも思い付きそうなネタだと思いながらも勿体ないから書いてみました。ギャグと思いきや、シリアスと見せかけてほのぼのオチです(笑)。タイトル思い付かなかったので適当につけてしまいましたが、スルーでお願いします。



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