そうするべきことがおそらくは最善の選択であり、一番犠牲の出ない方法なのだとは男は理解していた。巨人の脅威がなくなった今、たった一人残った最後の巨人――『彼』の存在に民衆が黙っていないことは判っていた。
 今までにどれ程の犠牲を払ってきたかを考えれば、民衆が憎むべき『巨人の根絶』を望むのは無理からぬことであった。だが、頭では理解出来ても感情は納得がいかない。彼が人類に齎した功績や苦労には見ない振りをし、ただ、巨人になれる能力を持つものとして敵視する。彼がどれだけ傷付いて、努力して、ぼろぼろになりながらも戦っていたのかを自分は知っている。
 しかし、民衆の総意を無視出来ないというのも事実だった。ここで彼を匿い逃がし、それを行ったのが兵団だと知られれば、民衆からの信頼は失われ、暴動や内乱が必ず起こるだろう。そして、長い戦いで疲弊しきった人類にとって、内乱の齎すものは破滅の道しかない。彼を人類最後の巨人として処刑すること――それが上層部の辿り着いた答えであり、彼本人も承諾したことだった。
 何度も彼に訊ねた――これはお前が本当に選んだ道か、と。本当にその選択でいいのかと。
 その度に頷く彼に男は身を引き裂かれるような想いを味わった。一言で良かった。逃げたい、と――生きていたいと言ってさえくれたら、何があってもどんな手段を使ってでも彼を連れて逃げた。しかし、これが本当にお前が望んだものか、との問いにただ微笑むだけの彼は、伸ばされた手を頑なに拒んだ。
 ――そうして、彼の処刑は行われた。彼に手を下したのは自分だった。


 追手の気配はもうなかった。上手くまけたな、と男は思った。男が綿密に計画を立て準備したのとその能力がずば抜けていたのが追手をまけた主な要因だが、兵団が手を回して追手の手を緩めてくれたのもあるだろう。推測になるが、兵団の中には彼を知るものも多かったし、口には出さずとも彼の処刑に心を痛めるものも少なからずいたのだろう。
 目的地に辿り着いて、男は丁度いい場所を見定めるとそこに大きな穴を掘った。一人でなすには労力のいる作業だが、別にそんなことは苦にもならなかった。それに、どうせすぐにそんなことは感じなくなるのだから。そうして、人一人を埋めるのには丁度いい大きさに到達したとき、男の口元に笑みが浮かんだ。ああ、やっと彼を弔えるのだと。
 彼の遺体は本来なら見せしめとして晒されることになっていた。公開処刑のため、多くの人間がその死を確認したが、遺体を見なければ安心出来ないというもののことを考えての処置だった。――そんなことが男に許せるはずもなかった。晒される前に彼の遺体を奪い、男は追手の及ばない遠くまで逃げた。逃げて逃げて逃げて――辿り着いたここが彼の眠る地となる。
 エレン、と男は冷たい亡骸を愛しそうに撫ぜた。やがて腐敗が進み、この身体はいずれ土と混ざり、消えいくだろう。自然界は本来はそういうふうに出来ている。
 男は遺体を地中に埋め、土をかけ、その上から花の種を蒔いた。この花が咲くのかは判らないが、花ではなくても、彼が溶けだした地を養分として植物が実るだろう。
 そうして、男は準備していたものを取り出した。鋭く研ぎ澄まされた刃――これを首に当てれば一瞬で終わりになる。少年が自らの処刑を決めた時に男はこうすると決めていた。
 自分を示すものは何も残していない。亡骸が発見されたとしても自分がかの人類最強の兵士長だと思うものはいないだろう――すぐに発見されれば確認出来るかもしれないが、おそらくは追手はここを突き止められない。
 野生の獣に食い散らかされる可能性は高いが、少しでもこの墓の上に残ればいい。染み込んで土と混ざり、彼の少年と同じものになれればそれでいい。誰に花を供えられなくてもいい。蒔いた種が手向けの花代わりだ。
 そうして、男は首筋に当てた刃を勢いよく引いた――。




七度出逢った男




 開けた瞳に飛び込んできたのは見慣れた天井だった。全身に汗をびっしょりとかきながら、自室のベッドの上で身を起こした男は小さく舌打ちした。アラームの設定は後一時間後だったが、寝直す気にはなれなかったし、今から再び横になったとしても眠れないだろう。気持ちの良い朝の目覚めとはかけ離れた状況に、苛立った神経を鎮めるためにはシャワーでも浴びるのがいいかもしれない。

「あの狂人め……」

 風呂場に向かいながら、そう悪態をつく。思い出すと胸糞悪くなるのだが、夢の中で見た男――『狂人』と呼んでいるその人物は、彼――リヴァイ・アッカーマンと同じ人物だった。

 リヴァイは幼い頃から妙にはっきりとした夢を見る男だった。それはまるで、実際にこの身に起きたことのように感じられる不思議な夢で、その余りの生々しさに夢について色々と調べてみたが、結局のところよく判らなかった。
 ひょっとしたらあれは自分の前世なのではないか――と思うようになったのは小学校の高学年くらいだったと記憶している。リヴァイは昔から周りがびっくりする程の大人びた子供で頭も良く――一般的に可愛げのない子供と言われる部類だったと自分でも思う――取り乱すことなくそれを受け入れた。そうして、自分の夢を考察してみた。
 リヴァイの夢にはいくつかのパターンというか、周りの状況や登場する人物から同じルートとは思えないものがあり、複数の人生が存在した。推測するに自分の前世は一度ではないらしい。リヴァイが一番よく覚えているのが、リヴァイが『狂人』と呼ぶ男だ。根拠も何もないが、リヴァイはこれが一番最初の人生だったと考えている。その世界には巨人と呼ばれる人を食い殺す生き物がいて、その脅威から逃れるために人々は高い壁に囲われた世界に閉じこもって暮らしていた。その夢の中で、自分は巨人と戦う兵士であり、周りからは人類最強だと呼ばれていた。――リヴァイはこの男を最も嫌悪していた。というか、前世の自分全員が嫌いであったのだが。
 次によく記憶しているのが『傭兵』と『騎士』と呼ぶ二人だ。本当に何のひねりもなくその職業をしていたから、というので付けた呼び名だ。今現在のリヴァイからすれば中世ヨーロッパのような雰囲気の世界であったが、その地名などに聞き覚えはなかった――それは一番最初の人生のときからなのだが。他にも断片的に誰かを害そうと屋敷に侵入していたり、大海原を航海している夢も見るので、合計で自分の前世は五、六回はあったのではないか、と推察している。
 記憶を詳細に思い出せないのは、脳の能力や膨大な情報量から身を守るためかもしれないが、人生ごとに記憶量の差があるのは『彼』との関わり方にあるのではないかと思っている。リヴァイの人生で必ず出逢うと言っていい少年――『エレン』とより深い間柄になったものの記憶が自分の中に強く残っているのだ。そして、彼こそがリヴァイがかつての自分達を嫌悪する理由だった。



「リヴァイ、原稿進んでる?」

 大学の構内を歩いていたら、そんな声をかけられて、リヴァイはそちらへと振り向いた。

「ハンジか……」

 そこにいたのは同じ学部の同期生で、ハンジ・ゾエという名の女性だ。入学式で彼女を見かけたとき、リヴァイは思わずクソメガネと口の中で呟いてしまった。かの狂人と同じ兵団に所属し、共に戦った仲間本人にしか見えない彼女に関わる気はなかったのだが、スルーしようにも同じ学部でほぼ同じ講義を受けている彼女を無視するのは難しかった。それに、彼女はリヴァイのことを知っていたようで、あちらから声をかけてきたのだ。

「あれ? 何か、機嫌悪い? 原稿は大丈夫?」
「……お前が心配するのはそこか。例え、俺が落としてもお前には関係ないと思うが」
「イヤ、落とされたら編集部が困るからね? 私は担当じゃないけどさ、担当の人が気にしてたんだよね」
「お前こそ、バイトばかりで大丈夫なのか?」
「大丈夫、ちゃんと両立してるよ」

 ハンジは出版社の雑用のアルバイトをしている。文学部に所属する本人の将来希望は編集者で、いつか、自分が編集長の雑誌を作るのが夢だと語っていた。おそらくはアルバイト先でハンジがリヴァイの話をしたか、同じ大学の同期だと聞いた編集者が口にしたのだろう。
 リヴァイは現在は大学の三年生だが、高校生の時から作家として小説を書いている。小説の新人賞に応募して大賞に選ばれたのだが、そこで大賞を受賞したものが数年振りだったのと、まだ高校生という若さが話題となり、出版されたデビュー作は新人の本にしてはかなり売れた。それからも定期的に作品を発表しているが、評判は今のところ良い。この先も文筆業で食べていこうと思っているが、出版業界で生き残るには大変だとは覚悟している。

「まあ、リヴァイが原稿の〆切り厳守してるのは知ってるけど。急病とかは仕方ないしさ。何か雑誌とかで作者急病のため休載しますっていうと、嘘くさく聞こえるけどさ、本当に急病の人には迷惑だよね」
「体調管理も仕事のうちってことなんだろう」
「まあ、それはそうだけどさ」

 で、何かあったの?と再度訊ねてくる彼女は理由はともあれ、本当に心配はしてくれているのだろう。体調が悪い訳ではなく、単純に今朝の夢を引きずっているだけなのだが。あの場面は初めて見るものではないのだが、見るといつも機嫌に反映されてしまう。

「……単に夢見が悪かっただけだ。『狂人』の夢を見たからな」
「ああ、そういや、妙にリアルな夢見るって言ってたっけ。リヴァイが機嫌悪いときって、夢見たっていうのが多いよね。夢診断とかしてみたら?」
「……もう、それはやり尽くしたんだ。結果、参考にならないってことになった」
「うーん、嫌な夢は人に話すと楽になるっていうから、話してみれば? 私も詳しくは聞いてなかったけど、私でいいならいくらでも聞くよ?」
「……お前、それ、ネタに使いたいって思ってるだろう」

 リヴァイの言葉にあはは、バレた?とハンジは笑った。

「イヤ、リヴァイの夢ネタなら、面白いんじゃないかと思って。将来、編集者になったときに担当作家にふるのもいいし、そうでなくとも、話のネタになるかなーと」
「……俺が先にネタにするとは思わねぇのか?」
「イヤ、その不機嫌さからいって書かないと踏んだ」

 あっさりと言うハンジにそういや、夢の内容や前世だと思っていることに関しては誰にも言ったことがなかったな、と改めて思った。まあ、自分の前世の記憶を夢で見るんです、などと言っても妄想癖があると思われて終わりだろうと思っただけだが。ハンジなら面白がることはあっても気持ち悪がることもないだろう、と思い、リヴァイは初めて自分の夢についてを詳しく人に話すことに決めたのだった。


「――と、いう訳なんだが。判ってはいると思うが、妄想癖はないぞ」

 思った通り、ハンジは気持ち悪がったりはしなかった。リヴァイの夢の説明を聞き終わった彼女は、前世ね、と呟いてから、それって一般でいう前世とはちょっと違うんじゃないかな、と告げた。

「どっちかというと、縦軸ではなく、横軸に移動してる感じがするな」
「お前もそう思うか?」
「あ、リヴァイもそう思った? 同じ世界軸じゃなくて、平行世界移行な気がする」
「そうだとして、異世界転生ネタなんてありふれてるから使えないぞ」
「まあ、何回も繰り返してるのが普通じゃないけどね。個別に話を考えたら面白いかも」

 自分の前世がこの世界ではなく別世界なのではと思ったことには理由がある。まず、夢に出てきている地名や起きた出来事の記述が調べてもどこにも見当たらないことだ。巨人がいる世界なんて、この世界の文献のどこにも残っていない。リヴァイの死後、何らかの原因があって滅んだのだとしても、どこかに記録が残っていなければおかしい。
 更に文化レベルの問題がある。一番最初だと思っている人生には、ガスの利用や印刷技術や缶詰などの加工技術が存在した。新聞社もあったようだし、正確には判らないが十八、九世紀くらいの技術はあったのではないかと推察している。そこから死に、生まれ変わるのを五、六回は繰り返しているのに、どの人生においてもそこから技術が全く進化していないのだ。昔は今よりも寿命が短いし、技術が停滞していた時期もあるが、死んだ直後にすぐに転生しているとも思えないから、同じ世界軸ならトータルすれば数百年はかかっているはずである。その間、ずっと文明が発達していないとは信じがたい。
 過去に遡って転生する、という能力があるなら技術が発達していないこともあるかもしれないが、自分にそんな能力があるとは思えないし、文献がないことの説明がつかない。

「謎はどうして転生しているかだよね。まあ、ありがちなのはその世界の神様的なものに召喚されたとかだけど、別にそんな訳じゃないみたいだし。後は何か過去に物凄い悪事をして、罰として非業の死を何度も繰り返すようにされてるとか」
「あの狂人の罰を俺が受けるのは理不尽だから、その想像はやめろ」

 嫌そうに眉を顰めたリヴァイの言葉にハンジは首を傾げた。

「何か、リヴァイ、その夢の自分のことすごく嫌いだよね? 聞いてみた感じだと、今のリヴァイと性格や考え方とかよく似てる気がするけど」
「――似ていると言われるのは不本意だが、否定はしない。前世の俺の基本性格や話し方、仕種、容姿、どれもほぼ変わっていないからな。全員俺は嫌いだが、『狂人』が一番嫌いだ」
「自分に似てる人間が嫌いって、同族嫌悪みたいなもの? まあ、でも、リヴァイが夢見た後に機嫌悪くなるのはどうしてなのかは判った。嫌いなやつの夢は見たくないよね」
「正確に言うと、少し違う――。俺が『狂人』が嫌いな理由はたった一つだ。他の全員も同じような理由だが」
「へ?」
「あの男が『あいつ』を殺したからだ」

 漆黒の髪に大きな金色の瞳。狂おしい程に愛していた、たった一人の少年。

「――誰にも渡したくない程、どろどろに溶けて混ざり合ってしまいたい程愛していたというのなら、掻っ攫って逃げれば良かったんだ。あの男は世界を守るためにあいつを犠牲にして、結局はあいつが一番守りたかったであろう自分をも殺した。――選択を間違えたんだ」

 世界を守るために少年が選んだ道――選ばざるをえなかった道。そうするしかなかったであろうことは判っているし、自ら手を下したのも、他の誰にも殺させたくなかったからであろう。最強と言う名を冠していなくても、必ず自分の手で行ったに違いない。そして、少年がいない世界にあの男は全く未練がなかった。独占欲と執着の先にあったのが、墓の上での自刃だ。きっと、最後にあの男は笑っただろう――だから、リヴァイはあの男を『狂人』と呼ぶ。
 他の男達も結局は少年と出逢っていながら、目の前で死なせてきた。手を伸ばせば届く距離にいながら、守ることが出来なかった。手に入れることが出来たはずなのに総て取りこぼした。
 それは全部少年の意志を尊重した結果で、仕方がなかったことなのかもしれない。どれが最善の選択だったのかなんて判らない――その言葉は確かだが、他の選択がなかったのだろうかと思ってしまう。

(……違うな。イヤ、違わないが、俺が嫌っているのはもう一つ――単なる『嫉妬』だ)

 彼らは出逢ったのだ――彼の少年と。前世での彼らには今までの記憶があったようには思えないのに――一番最初は別だが――彼に一目で惹かれ、彼を愛した。そうして、彼から愛し返された。『狂人』も『傭兵』も『騎士』も彼から愛されていた。なのに――自分は彼と出逢ってさえいないのだ。例え、この先出逢うことがあったとしても、彼が自分を愛してくれるかどうかは判らない。

(俺はもう囚われてるのに)

 馬鹿げた話だと思う。夢でしか逢ったことのない相手に焦がれている。だが、きっと『エレン』に逢ったら愛さずにはいられないだろう。

「同族嫌悪と自己嫌悪が混ざった感じ? まあ、前世の自分なんて他人みたいなものだと私は考えるけど、リアルすぎる前世の夢なんて見たことはないからなぁ。つまり、リヴァイは前世の自分がその『あいつ』を殺したことが許せなくて――で、もしかして、今生も逢いたいって思ってるの?」
「まあ、簡略するとそうなるな」
「ああ、なら、もっと有名になれば?」

 ハンジの言葉にリヴァイは怪訝そうな顔をした。

「その人とだけは毎回出逢ってるんでしょ? 転生の法則は判らないけど、毎回一緒なら今回も一緒の可能性が高いと思う。なら、もっと作家業を頑張って有名になれば、出逢えるかもよ?」
「出逢えるって……普通に考えて、あなたと自分は前世で逢ってます、なんて名乗り出てくる奴はいないと思うぞ。言ったところで頭がおかしい奴だと思われて終わりだろうと考えるからな」
「私だってさすがにそんな話はしてこないとは思うけど、もしも、自分に前世の記憶があって、その前世の知り合いにそっくりな有名人がいたら、もしかしたらって思って見に来たりするんじゃないのかなと思って。作家ならサイン会とか講演会とか、もし、映画化とかになったら試写会とかファンを装って見に来る可能性はゼロではないでしょ?」
「ゼロではねぇが――それは前世を思い出してる前提だろう。俺が覚えているのだって今回だけだから、あいつは――」

 言いかけて考え込む。果たして、少年には前世の記憶があったのだろうか。自分の覚えている範囲内では彼が前世の話をしたことはおそらく一度もなかったはずだ。

(イヤ、待てよ――)

 確か、『傭兵』の自分が初めて出逢ったとき、彼には逃げられている。『騎士』のときも逃げ出したいような気配がなかっただろうか。ひょっとして、彼は記憶を持っていて、自分と関わりたくなくて、逃げようとしたのではないか。
 だが、その後、自分は彼に告白されている。関わりたくなくて逃げ出した相手を好きになるだろうか。

(というか、その仮定からいくと、俺と逢ったらあいつは逃げるってことなのか?)

 ならば、有名になったら逆に避けられるのではないだろうか。総てが想像でしかないので本当に出逢ったらどういう態度に彼が出るかは判らないが。

「――判った。有名になってやる」

 考える素振りをした後、そう断言した男にハンジは自分が言い出したことではあるのに驚いた顔をした。

「え? 本気?」
「本気だ。お前がそう言うのは、単純に俺が有名になったら将来お前の就職先で執筆させよう、という考えなんだろうが」
「あ、バレた? まあ、それだけじゃなくて、リヴァイには才能あるから、もっと書いてもらいたいってのが本音かな」

 それに、リヴァイだって書くの好きだからやってるんでしょ、と彼女は続けた。

「嫌いなら作家にならないからな。狙って出せるなら苦労はないが、ベストセラー作家になれるように努力はする」

 実際に遭遇したときに少年がどのような態度に出るか不明だが、財力はあった方がいいだろうとリヴァイは考えた。探すにしたって自分一人の力ではたかが知れている。人を雇って探させるなら金が必要だし、食べていくのがやっと、というような状況では困るだろう。

(今の段階ではどうにもならねぇな。……というか、あいつはもう産まれてるのか? 二十以上年下だと世間的に厳しいな)

 というよりもこの国では同性という時点で既に厳しいのだが、更に年の差というハンデがつくと犯罪者扱いされかねない。

「まあ、取りあえずの目標は目の前の〆切りと、その後の卒業だけどね」
「お前は無事に卒業と出版社に就職出来るように祈るのが先だな」

 イヤ、絶対にするから、と唇を尖らせるハンジに、男はこの先に少年と出逢う未来があることを願った。



 その後、リヴァイは無事に大学を卒業し、ヒット作を生み出した。出版された作品のいくつかが映画化や映像化され、リヴァイ・アッカーマンという名を知るものは多いだろう――リヴァイはあえて本名を使い続けた。
 だが、一向にエレンとの出逢いは訪れなかった。取材のために出かけた先やサイン会などで出逢わないか、と思ったが、彼の少年は姿を現さなかった。

(人を雇って探させるにも、どの辺りにいるかも判らねぇんだからな)

 おそらくは名前はそのままで、外見も変わっていないであろうが、今現在の年齢は判らない――それで探させるのは厳しいだろうか。もしも、他国に産まれていたら、更に探すのは厳しくなるな、とそんなことを考えながら歩いていたときだった。
 死角にでもなっていたのか、丁度本屋から出てきたらしい人物がぶつかってきたのだ。ばさり、と相手が落としたカバンを反射的に拾い上げた男は、その姿を見て固まった。
 漆黒の髪に大きな金色の瞳。年齢は二十歳になるかならないかくらい――おそらくは大学生だろうか。リヴァイがずっと探し続けていた姿がそこにはあった。

「あ、すみませ―――」

 顔を自分に向けてきた相手は言葉を不自然に途切れさせ、同じようにその場で固まった。ずっと探していたのに、いざその姿を目の前にすると言葉が出てこずに、ようやっとリヴァイが唇を動かした時、相手は自分が落としたカバンにも構わずに猛スピードでそこから駆け出した。リヴァイは思わず呆気にとられたが、すぐに正気を取り戻し、彼の後を追った。

(逃がすか、逃がすか、逃がしてたまるか!)

 自分がどれ程この日を待っていたと思っているのだ。何があっても逃がす気はない。
 追いかけて追いかけて――やっと彼に手が届く、と思ったときに悲鳴と危ないという警告の声が響いた。
 周囲の示す上方を瞬時に確認すると、鉄柱が落ちていくのが判った――その真下にいる彼を目がけて。どうやら彼と追いかけっこを繰り広げているうちに、工事現場の横を通りかかったらしい。おそらくは吊っていたロープが切れたか、外れたかしたのだろう。
 このままでは彼が下敷きになってしまう――そう思うより早く身体が動いていた。脳内に蘇るのは赤く染まっていく彼の姿だ。いつもいつも、目の前で自分は彼を失ってしまう。もう、繰り返すのは御免だ。
 渾身の力で彼を突き飛ばす。それと同時に自分も落ちてくる鉄柱をかわすために飛び退き、地面に転がる。完全にはかわしきれず、鉄柱にぶつかった利き腕がメキッという嫌な音を立てたが、下敷きにはならずにすんだ。

「―――リヴァイ兵長!」

 さすがに動けずにいたリヴァイにそんな声が聞こえてきた。ああ、やはり、彼はエレンだったのだと思った。自分が見間違うことはないと確信していたが、やっと出逢えたことに胸が震える。だが、同時に悔しいような複雑な思いも浮かぶ。自分は『リヴァイ・アッカーマン』であって、『リヴァイ兵長』ではない。確かにあの狂人はかつての自分であり、同じ魂を持つものかもしれないが、今の自分とは違う存在だ。

「リヴァイ兵長! しっかり、しっかりしてください! 死なないで……!」

 大きな声で彼に呼びかけられ、男は眉を鬱陶し気に寄せ、その瞳を開いた。

「……うるせぇ! さっきからわめいてんじゃねぇ!」

 呼ばれたいのはその名称ではない。自分の名であって違うそれではない。身体の痛みよりもそれがずきずきと響いて、男の眉間の皺が深くなる。
 少年はしきりに自分の怪我のことを心配していたが、利き腕が一本折れたことなどどうでもいい。彼を逃がさずに自分を見てもらうためにこれから行動しなければならない。

「今度は逃げんじゃねぇぞ、クソガキ」

 低く凄みのある声でそう言うと、エレンはその迫力に押されるように頷いた。


 病院で検査を受けたところ、エレンの怪我は軽い打ち身と擦過傷程度で何の問題もなかったので、リヴァイはほっと胸を撫で下ろした。自分は打撲に擦過傷に片腕を骨折――ギプス生活を余儀なくされることとなったが、鉄柱の落下事故に巻き込まれて腕の骨折だけですんだのだから運が良かったといえるのかもしれない。
 大部屋は嫌だったので、個室を望んだのだが、上手く空きがあったらしい。自分で言うのも何だが、有名な作家ということでその辺が配慮されたのかもしれない。

「リヴァイさん、こんにちは」

 そう言って入ってきた少年は届けられた見舞いの品々を見て驚いているようだ。あれ以来、少年は自分のことを『リヴァイ兵長』とは呼ばずに『リヴァイさん』と呼んでいる。おそらくは最初も無意識にそう口にしてしまったのだろう。なので、リヴァイもそのことには触れずにいる。きっと彼は自分に前世の記憶があることには気付いていないはずだ。

「それにしても、凄いお見舞いの数ですね? お知り合い多い職場なんですか?」
「あ? お前、知らないのか?」
「何をですか?」
「俺の名前はリヴァイ・アッカーマンだ」

 そう告げるも、彼はピンときていないようだ。どうやら彼は読書には興味がないようで、リヴァイはいくつか映画化された作品を挙げてみせ、そこでようやくリヴァイが作家なのだと理解した。昔、有名になると避けられるんじゃないかと考えたことがあったが、それ以前の問題だったらしい。

「リヴァイ、顔見に来たよー!」

 そこへ、丁度ハンジが顔を見せた。彼女は希望通りに出版社に入社し、今では人気女性誌の編集長になり、テレビや雑誌などにも顔出しをしている。彼女の雑誌が話題に上がり、人気を博しているのは彼女の手腕もあるが、彼女の婚約者の男性の力も大きい。むしろ、彼の方が女性読者の求めるものを敏感に察知していると思う。
 ハンジは、バリバリ働く女編集長っていうのが、世間にうけるんなら使わなきゃ勿体ないだろ、と笑っていた。

「ハンジさん……」

 おそらくは思わずその名を呟いてしまったのだろう少年に、ハンジは怪訝そうな顔をした。

「あ、ごめん、ついリヴァイに目が向いちゃってたよ。えーと、君、どっかで私と会ったっけ?」
「テレビか雑誌で見たんじゃねぇのか? お前、最近、テレビや雑誌に結構顔出ししてるだろ? 人気女性誌の編集長の素顔とか何とか」

 さらりと助け舟を出してやり、ハンジに少年には判らないように目配せすると、彼女は何か悟ったのか、目で頷いて話を合わせた。それから後は自分の怪我の話になり、リヴァイは少年に自分の家に住み込みで身の回りの世話をさせることを約束させた。ハンジが説得に出てくれたのは男には有り難い話だった。彼女はプレゼン能力が高く、人をその気にさせたり、説得するのが上手い。聞き上手、話し上手というものだ――学生時代からそうだったが、編集者として多くの人間と関わるうちにそれはより磨かれていった。

「リヴァイ、あの子がそうなんだね?」

 エレンが去った後、病室でハンジが確認するようにそう訊ねてきた。

「ああ、ずっと探していて、やっと逢えた。逃がしはしない」
「やっぱり、そうか。私、『あいつ』って、てっきり女の子なんだと思ってたよ」
「お前はそういう偏見は持たない人間だと思うが?」

 まあね、とハンジは笑った。職業柄、同性愛者との交流もあるし、人の趣味嗜好について否定する気はハンジには全くない。勿論、犯罪を犯すというのならばまた話は別だが。

「ただ、ちょっと彼が気の毒かなーと思っただけ。リヴァイは昔の自分の執着深さについて言及してたけど、あなただってかなりの執着心持ちだよ?」
「俺はあいつらよりは物騒じゃねぇ。執着心があるのは否定しないが」

 それは彼だから――エレンだから、としか言い様がない。彼でなければこんなに望むことはなかっただろう。

「で、どうするの?」
「取りあえずは今の俺を見てもらう――少なくとも、完治まで三ヶ月は時間がある。その間に好きになってもらえればいい」

 全力で口説き落としにかかる、と男は笑った。

「あ、礼を言っておく。丸め込んでくれて助かった」
「丸め込むって人聞き悪いなぁ。私は彼との出逢いでリヴァイの私生活が充実すればいいと思っただけだよ。上手くいってもいかなくてもいい経験になるでしょ?」

 それでもって、いい作品を書いてもらえれば万々歳だからね、と笑うハンジにリヴァイは溜息を吐いた。

「結局のところはそれか。……その熱意はある意味称賛するぞ」
「私としてはいい編集者だと思うけどなぁ。あ、後、一緒に住むからといって、犯罪には走らないでね?」

 無理矢理はダメだよ、という彼女の頭を、リヴァイは無事な方の手で取りあえず、殴っておいた。



 退院したリヴァイがまずしたことは部屋の清掃と、彼の住む部屋を整えることだった。リヴァイが一人で住むにしては広い間取りに住んでいるのは、将来、エレンを探し出して一緒に住むつもりであったからだ。なので、エレンの寝室となるべき部屋はわざと空けてあった。少年の同居が決まったと同時にハンジにも協力させて部屋を整えさせた。今はただの同居だが、これを同棲に持って行くのが目標だ。
 約束通りに私物を運び込んだ少年は自分の部屋に驚いていた。リヴァイは少年を言いくるめて、この先も一緒に住みたいと思わせるために全力をかけることを決意した。部屋の案内をし、ものの置き場所を教え、少年のスケジュールを把握する。大学生である彼には学業を優先してもらって構わない旨を伝える。身の回りの世話をしてもらうのは有り難いし、必要ではあったが、一番はそれを口実に彼をここに住まわせることが目的であったから、彼にも快適に過ごしてもらわなければならない。この同居が不自由だと思われたらそれで終わりだ。勿論、自分がしてもらいたいことは主張するつもりではあるが。
 そうして、少しずつ彼が自分の場所に馴染んでくるのを、男は喜んでいた。

「リヴァイさん、朝ご飯出来ましたよー」

 柔らかな声で起こされて、リヴァイは重い瞼をこじ開けた。自分の寝起きは余り良くない方だと自覚しているので、不機嫌そうに思われないといいが、とすっきりしない頭で思う。少年の声で起こされるようになってからはこれでも寝起きは良くなった方なのだ。
 洗顔を済ませ、食卓に着くと、そこには美味しそうな朝食が並べられていた。どうやら本日のメニューは洋食であるらしい。少年は家事は一通り出来るし、大学に進学して一人暮らしをしていたのもあって、料理の腕前は中々のもので、例え、消し炭のようなものを出されても完食するつもりであったが、その心配は要らなかった。まあ、前世では料理当番もあったし、これまでの人生で触れる機会も多かったのだろう。

「今日は洋食にしましたけど、良かったですか?」

 何故、洋食にしたのか想像がついたが、そこは譲れないところだったので、男は殊更甘い声で少年に話しかけた。

「ああ、お前の作るものなら何でも旨いからな」
「…………」

 少年が頬を染めるのを見て、これなら大丈夫だろうと思う。少年は自分の作り出す甘い雰囲気に弱い。更に自分の押しにも弱い。少々、強引に進めても流されてくれる――無論、引くべきところは引くが、大分こちらを意識してくれているようで良かったと思う。
 呼びかけて恒例の行為を促すと、エレンはやがて諦めたのか、朝食をリヴァイの口元まで運んだ。片手しか使えないリヴァイに食事を食べさせる、というのがエレンに了承させた約束事だ。
 食事というのは、どこか性行為に似ている――そう言い出したのが誰が最初だったのか、覚えていないが、目で楽しみ、舌で味わい、最後には食らう。一緒に食事をするのは関係を進めていく上で大事なことだ。本当なら自分もエレンに食べさせてやりたいが、そうなると、自分で食べるように要求されると思うので我慢しておく。片手で食べにくいのは本当のことであったし、怪我が完治し彼と恋人と呼べるような仲になったらすればいいだけの話だ。
 ふと見ると、エレンの口元に食べかすがついているのが目に入った。リヴァイは躊躇いなく手を伸ばし、その柔らかな頬を撫ぜてからそれを摘まみ取って、自分の口まで運んだ。
 平然としている自分とは違って、彼はぱくぱくと口を開閉している。鯉みたいで可愛いな、と告げたら怒られるであろうか。

「……こういうときは口頭で説明してくださいよ」
「口で言うより早いだろう」
「イヤ、常識的に考えて、それって小さい子供にすることじゃないですか?」

 そういう彼にリヴァイの言う大人扱い――舌で舐め取ることを提案すると、慌てて子供扱いでいいと宣言する。彼は判っているのだろうか――それは、次に同じことがあっても了承するという約束になることに。今後は気を付けるだろうから、その機会が訪れることは中々ないだろうが。
 大学に向かう彼に見送りのキスをしようかと提案されたら真っ赤な顔で断られた。意識はされている。だが、まだこちらの手には落ちてくれない。

(ちょっと、環境を変えてみるか)

 そう思ったリヴァイは仕事をしながらどうするか考えを巡らせた。


「ただいま、帰りましたー」
「おかえり、エレン」

 大学の講義が終わったエレンを出迎えたが、何か様子がおかしいような気がした。どこがどうという訳ではないのだが、気持ちが落ちているというか。後でさり気なく訊き出してみるか、と思っているとくいっと服を引かれた。
 振り返ると、どこか心細そうな、迷子になった子供のような稚い顔をした少年がいた。保護欲をくすぐられるのと同時に、誘うような危うい色香を感じて、男は努めて平静を装った。

「――大学で何かあったか?」

 優しい声をかけて、折れていない方の手で少年を撫ぜる。慰撫するように優しく、それでいて官能を呼び起こすように丁寧に触れる。自分が接触することに慣れさせ、こちらを意識させ、触れられたいと思うようにしなければならない。どこか少年の官能に触れたのか、びくっと身体を震わせ、声を押し殺したのが判った。今はこれ以上触れるのは逆効果になると判断した男は触れ方を変え、少年の頬を引っ張って遊んでみせる。
 子供扱いに唇を尖らせる少年は可愛らしい――大人扱いしたら困るであろうに、子供扱いされるのは気に食わないらしい。そうして、油断したところに男はエレンにまた爆弾を投下する。

「風呂に入るから準備してくれ」

 自分が風呂に入るということは、少年が介助するということだ。実際問題、骨折した場合、一番大変なのは風呂に入ることだと思う。食事はどうとでもなるし、自分は利用していないが、今は家事代行サービスもクリーニングもあるから、大抵の家事は金さえ払えば何とかなる。だが、入浴の介助となるとそう簡単に頼めるものではない。しかし、一人でギプスが濡れないようにビニールを被せて口を縛り、更に身体を洗う作業を総て折れていない片手で行うのは不便すぎるだろう。
 そのことが判っているからか、エレンはリヴァイの入浴を手伝うことはすんなりと了承した。物凄く恥ずかしがっている様子ではあったが。裸を見られて洗われている自分が恥ずかしがらずに、着衣したまま洗っているエレンが恥ずかしがるというのもおかしな話だ。意識されるのはいいが、慣れてもらわないと将来的に困るんだが、と思いながらリヴァイは話を振った。

「ああ、エレン、お前運転免許証は取得しているか?」
「一応、将来に必要になるだろうから、取りましたけど。取るなら若いうちの方がいいっていいますし」

 どこか不満がありそうな顔になったのは、免許取得に彼が苦労した思い出があるのかもしれない。大学二年生の彼が免許を取得したとなると、早くても大学一年生になってからだろう。その頃は一人暮らししながら大学に通い、アルバイトもしていただろうから大変だったのかもしれない。

「なら、良かった。お前、金曜は確か授業、午後はなかったよな? 週末で空いている日はいつだ?」

 そう言った途端、こちらの思惑を解したのか、エレンはイヤ、無理です、と断りの言葉を口にした。

「まだ、何も言ってないだろうが」
「この流れからいって、週末出かけたいから運転してくれ、っていうつもりだと予想しました! 免許は持っていても、運転する機会が滅多にないんですから、無理です! 高級外車とか怖い!」
「言っておくが、俺の自家用車は普通の国産車だ。それにただ出かけるんじゃない。取材旅行だ」

 男が考え付いたのが、旅行に出かけることだ。環境を変える――日常とは違う非日常を一緒に経験すれば態度に変化が訪れるかもしれない。人というものは旅先では開放的な気分になるものだ。ひと夏の恋、というものがあるのも日常を忘れて一種のハイ状態になるからだろう。
 旅行先で手を出そう、などとは考えていない。ただ、旅先で彼の警戒を緩めて距離を近付けることと、共通の想い出を作ることが成功すればいい。しかし、エレンは首を横に振り続けるので、リヴァイは選ばざるをえないように仕向けることにした。

「なら、他に選択肢を出そう。――お前、前は俺がやりにくいっていっても洗ってくれなかったな?」

 前というか、要するに局部の話だが、そこは自分で洗ってください、とエレンは譲らなかった。まあ、確かに同じ男のものを洗うなんて真似は嫌かもしれないが――態度からはそれだけではないのは見て取れた。

「俺の全身をくまなく洗ってお前の身体も洗わせるのと、取材旅行に同行するか、どちらか選べ」

 ――そうして、男はエレンに取材という名目の旅行に出かけることを了承させたのだった。


 旅行先に海辺を選んだのは特に作為的なものはなかった。海辺の街というロケーションは、いつか使えるかもな、と思ったのと、単純に旨いものを少年に食べさせてやりたかったからだ。ホテルもいいところを選んだし、食事も豪華で味も良かったし、少年も楽しんでいるように見えた。ホテルの部屋をシングル二つではなくツインにしたのはわざとだが、からかってやると赤面した可愛い彼の様子も見られた。いずれは手を出すつもりだが、今はまだその時期ではない。リヴァイは純粋にこの旅行を楽しんでいた。
 ただ、海に近付いて、浜辺に下りた時、少年の様子は違ったように見えた。

「まだ海開きはしてないですから、人は少ないですね」
「そうだな。夏休みだったらもう少し人がいたかもしれないが。まあ、そもそもこの辺は海水浴をする場所じゃねぇが」
「え? 立ち入り禁止だったりしますか?」
「イヤ、そうじゃないが、遊泳は禁止だったはずだ。まあ、どっち道、今の水温じゃ泳げねぇな」

 明るい声でそう言うが、どこか消えてしまいそうな雰囲気を少年は纏っていた。ああ――と思う。そういえば、少年にとって海というものは最初の世界においては特別なものだった。今生においてもまだ彼の想いはそこで止まっているのだろうか。
 引き戻したい、と思ったのかもしれない。そこはお前のいる世界ではない――今、ここに、自分の傍にいるのだと。現実にいる自分を見てくれ、と。

「ずっと――」
「リヴァイさん?」
「ずっと、お前を探していた。出逢えたなら離さないと決めていた。俺の傍にいて欲しい」
「―――っ」

 少年に向き直って告げた言葉はリヴァイの本心だった。偽らざる本音で心からの願いだ。
 だが、少年はリヴァイの言葉を聞いて硬直した。見る間に青ざめていき、震え出しそうになる身体を必死に堪え、それでも無意識に身体が逃げ出そうとしているのが判った。
 ああ――失敗したのだ、とリヴァイは悟った。

「――というのが、主人公の台詞なんだが、お前はどう思う?」
「は?」

 悪戯っぽく見えるような笑みを浮かべて、今のを冗談にする。胸がギシギシと痛んだが、ここで彼に逃げられるよりはマシだ。どうして――彼は逃げようとするのだろう。傍にいることも、触れることも嫌がらないのに、踏み込もうとすると逃げ出そうとする。

「……ちょっと、くさくないですか? ありきたりだと思います」
「くさいくらいの方が判りやすいだろう?」

 総てを冗談として流して、何事もなかったように歩き出す。

(どうしたら、お前を捕まえられる?)

 その方法がリヴァイには判らなかった。


 旅行の後は何事もなく日常に戻った。リヴァイは変わらずエレンに甘やかに接した。一緒に買い物に行ったり、不意を衝いて頭や頬を撫ぜたりどこかしら身体に触れ、まるで同居というより同棲している恋人にするような態度を取り続けた。エレンはそれを嫌がらず、受け止めた。リヴァイは鈍くはないから、彼がこちらを意識しているのが判るし、好意を寄せられているのも感じる。ひょっとすると――強引に身体を開いても彼は受け入れるかもしれない。

(だが、それじゃあ、『傭兵』のときと同じだ)

 身体だけでは意味はない。心と身体の両方がリヴァイは欲しいのだから。

「そういう訳で膝枕しろ」

 リビングのソファーに座った少年にそう宣言すると、いったい何の話だというようにエレンは首を傾げた。どことなく幼さを感じさせる仕種を見ると、可愛いな、と男はいつも思う。他の男がやってもそうは思わないだろうが、彼だけは特別なのだ。

「……何がどうして膝枕になったんですか?」
「耳掃除がしにくいからだ」

 片手では反対側の耳掃除がしにくいのは確かだ。だが、別に膝枕をする必要はないのでは――という少年の主張は正しいかもしれない。実際に耳鼻科の診察で横になることはないのだから、座ったままでも掃除が出来る方法はあるのだろう。だが、男は横になって見た方が見やすいだろう、と主張した。

「イヤ、横に座って見た方が影が落ちなくて見やすいんじゃないですかね?」
「ペンライトで見ればいいだろう」
「そこまでしなくても……って、あるんですか、ペンライト」
「防災袋に確か入っていた」
「イヤ、持ち出さなくても……判りました、やります。腕、絶対に動かさないでくださいね」

 少年は恐る恐るといった感じで男に触れて耳掃除を進める。真剣な顔を横目で見ながら、ああ、と思う。

(お前は何に怯えてるんだ)

 少年は何かを怖がっている――そんな気がした。何が怖いというのだろう。今までの人生では確かに世界は不安定で、いつ死ぬか判らないようなものが多かった。実際に彼は若くして何度も死んでいる。
 だが、今生のこの国は平和だ。勿論、数十年前には戦争があったし、今でも他国では争いがあるし、この国だってずっと平和が続くとは限らない。争いがなくても事故や災害が訪れるかもしれない。
 けれど、彼の怯えは――そういったものではないような気がした。そもそも、彼はそういうものには立ち向かう性格だった。理不尽な力には抗うだろう。その彼が怖がるとしたら、何に対してなのだろう。
 そっと折れていない方の手を伸ばして、優しく頬を撫ぜる。肌荒れとは無縁そうな肌が滑らかで指先に心地好い。

「……何も怖いことはなかっただろう?」
「―――っ」

 そう言った途端、彼が泣きそうな顔になる。泣かせたい訳ではないのに――ただ、苦しいことがあったら吐き出して欲しいだけだ。彼が何を望んで、何を考えているのか知りたかった。
 泣いてはいなかったが、目の下のあたりを撫ぜ、ついていた睫毛を取ってやってから身を起こす。追い詰めたくはないので、からかうような言葉も投げかけておく。

「骨折の方だが、順調にくっついているらしい。そろそろギプスが外れるかもしれないな」
「そうですか、良かったですね」

 必死に笑顔を取り繕ったような少年に胸を痛めながら、男は日頃から鍛えていたおかげだな、と笑う。

「伊達に腹筋割れているわけじゃねぇぞ?」
「腹筋と骨って関係なくありませんか?」

 筋力が落ちているだろうからリハビリが必要だろうが、このままでは全快を待たずに、少年は自分から離れていくかもしれない。そんな予感を覚えながら、ギプスが外れて腕が細くなっていたら、比べて見せてやるよ、と言うと少年は頷いた。


 それは、本当にたまたまだったに過ぎない。これからどうするか考えあぐねて、考え疲れて、ソファーに横になったときに、ふっと意識が落ちたのだ。眠ろうと思っていないのにいつの間にか眠ってしまっていた――リヴァイには余りない現象だが、誰でも経験したことがあるだろう。
 心地好い微睡につかっていた意識がふっと浮上していく。ドアが開く音とかけられた声――彼が帰ってきたのだと頭のどこかが認識する。

「リヴァイさん?」

 窺うような声がして、彼が近付いてくるのを察した。このときのリヴァイは半覚醒状態で、寝た振りをして少年をからかってやろう、とか、驚かしてやろう、とかそういった意図は微塵もなかった。少年がすぐ近くにいるこの優しい時間を少しだけ味わっていたいと思った身体が動かなかっただけだ。
 そっと何かが触れてきた。それは自分の髪を撫ぜ、頬を滑り、形を確かめるように鼻や口へと伸ばされていく。その一つ一つが愛しいと思っているのが伝わってくるような動きで、男の意識が一気に覚醒した。
 そっと宝物を扱うように優しく、少年が自分の手を取った。優しく撫ぜてから、自らの手を擦り寄らせて来る――それは日頃自分が彼に触れているのを真似するような行為で、自分のてのひらから彼の愛情が注がれてくるように感じた。
 愛しい、と想う。この存在が愛おしいと想う。傍にいて欲しくて、手に入れたくて、心が叫び出す。
 眼を開いて、少年の手を掴む。ソファーの上で身体を起こすと、少年はまるで固まったように動かなかった。おそらくは寝ていると思ったのだろうし、だからこそした行為だったのだろう。

「エレン、話がある」

 少年を真剣に見つめながら、そう切り出す。彼は答えなかったが、そのまま続けた。

「エレン・イェーガー。俺はお前に惚れている。俺と付き合ってくれ」
「…………」

 少年は途方に暮れたような、迷子になった子供のような眼で男を見つめ、それから、静かに涙を零した。

「エレン」

 そっと手を伸ばして、その頬を伝う涙を拭う。これが喜びの涙ではないことは誰の目にも明らかだ。声一つ立てず、何の表情も浮かべず、ただただ涙を流す。――前世での少年はよく泣く方であったが、こんな泣き方をするのを見たことはなかった。

「泣くな。そんな風に泣くな」

 喚いてもいい、罵ってもいい、感情をぶつけられるのならまだマシだ。泣いていることにさえ気付かないような、そんな哀しい泣き方をさせたかった訳じゃない。

「エレン」

 とん、と胸を押された。自分の手が彼から離れ、少年はそのまま素早く立ち上がって駆け出した。

「エレン!」

 そのまま玄関から飛び出していく少年をリヴァイは追えなかった。あんな、この世の終わりのような絶望した顔で出ていく少年にかける言葉が見つからなかった。

(どうして、お前は逃げるんだ? 何がそんなに怖いんだ?)

 彼からは確かに愛情を感じた。なのに、手を伸ばすと彼は逃げる。捕まえようとしても拒絶される。
 嫌われているのなら、判る。なのに、あんな風に全身から好きだと伝えてくるくせに、傍にいると幸せそうな顔をするくせに、こちらの想いは受け取ってくれない。
 ならば、彼を諦めるのか――といったら、否だ。
 リヴァイは大きく息を吐いてから、気を引き締めると、電話を取りこちらの事情を知る唯一の人物へとかけた。

『はいはいーい、リヴァイ、何?』
「ハンジ、お前に頼みたいことがある」

 思ったよりも早く電話に出たハンジに、リヴァイはそう切り出した。

『は? リヴァイが私に頼みごとって……嫌な予感しかしないんだけど』
「エレンが飛び出していった。そっちで捕まえて欲しい」

 リヴァイの言葉にハンジは無言になり、それから低い声で無理矢理手を出したっていうなら殴りに行くよと、宣言した。

「何もしていない。告白したら泣かれて、出て行かれた」
『はぁ? ふられたの、リヴァイ』
「ふられてはいねぇ。それにあいつは俺を愛している」

 リヴァイの言葉に電話の向こうで大きくハンジが溜息を吐いたのが判った。

『その自意識過剰はどこからきてる訳?』
「事実だ。何で俺から逃げるのか判らねぇが、捕まえる」

 少年に告げた出逢えたなら離さないと決めていた、という言葉は嘘ではない。逃げようが隠れようが絶対に捕まえてみせる。そのためには彼女の協力が必要だ。

「だが、俺が姿を見せたらまた逃げると思う。お前が上手く丸め込んで、こっちに来るように仕向けてくれ」
『丸め込むって……まあ、説得はしてみるけど。あの子、引き受けた仕事投げ出すようなタイプじゃなさそうだから、その辺つつけば何とかなるかもだけど……』

 男との同居を再び承諾させることは出来ないかもしれないが、話し合うように誘導することは出来るかもしれない、と彼女は述べた。どの道、少年の荷物はここにあるのだから、一度は取りにここに戻らなけらばならない。一人暮らしの部屋の方はまだ解約してないから、そちらにも荷物はあるが、教材はここに置いてある。取りに戻らないのなら買い換えなければならないということで、安くない代金を再び支払うのは痛いだろう。

「あの様子だと明日は大学には行かないかもしれない。だが、月曜日は必ず向かうだろう」

 少年の性格的に講義を休み続けるということはないだろうし、捕まえるなら下校時間を狙うのが確実だ。一人暮らしのアパートの方は、男が来るのを想定して戻っていない可能性が高い。おそらくは友人の家にでも泊めてもらっているのだろう。

『判った。月曜の講義の時間割というか、下校時間判る? 間に合うように行くから。ただ、すれ違いになる可能性はあるからね。居残りされても判らないし、さすがに校内は動き回れないしさ』
「頼んだ。時間の方は――」

 リヴァイが告げた時間を確認するハンジに、悪いな、と告げる。彼女も忙しい中、スケジュールを調整するのは大変だろう。

『まあ、関わっちゃったからには最後まで付き合うよ。結果がどうなるにせよ、応援はしてあげるからさ』
「絶対に逃がさねぇから安心しろ」

 そうして、電話を切った男は少年を捕まえる日を待った。
 ――が、月曜日にハンジからかかってきた電話は思いも寄らないもので。

『ごめん、リヴァイ、逃げられた』
「は? お前でも逃げたのか?」
『違う、違う。ちゃんと捕まえたし、話も聞いてたんだよ。なのに、急に血相変えて店から飛び出していった』
「何だ、それは?」
『だから、判らないんだって。でも、多分、リヴァイのところに行ったんだと思う。あの子の前世の話を聞いた後、急に顔色を変えたんだ。何か思い当たることがあって、リヴァイに確かめに行ったんだと思う』
「判った。なら、待ってみよう。今日も戻らなかったら、明日は俺が大学に行ってみる」
『一応、念のためにあの子のアパートにも行ってみる。いないとは思うけど、いたら連絡するね』

 ハンジの言葉に頼むと返して電話を切り、それからしばらくリビングで待っていると、玄関の開く音が聞こえた。そのまま足音がこちらへと向かってくる。

「リヴァイさん……」

 近付いてきた気配に顔を上げると、そこには愛しい少年の姿があった。
 たったの数日しか経っていないというのに、何年も離れていたように感じる。少年はこの数日で少し痩せたような印象を受けた――ちゃんと眠れていただろうか。食事は出来ていただろうか。人の家に泊めてもらって、不自由はなかっただろうか。そんな考えが頭に次々と浮かぶ。

「すみません、そんなつもりじゃなかったのに……っ! 巻き込むつもりじゃなかった! だって、そんな力、持ってなかった! あのとき、『エレン・イェーガー』にはもう何の力も残ってなかった! だから、何にも望まないつもりだった。あれが一番最善の選択だと思ったからそうしたのに……っ!」

 顔を歪めて、ぽろぽろと涙を零しながら、エレンはそう話し出した。こちらに記憶があることは話していないから、おそらくはエレンは通じていないと思いながらも話しているのだろう。
 そうして、彼はかつてのエレン・イェーガーが望んでいたことを話し出した。あの『狂人』が問うて、でも、決して語ってくれなかった彼の願い。

「ずっと一緒にいたかった! 一緒に生きていたかった! 一緒に幸せになりたかった! ごめんなさい、リヴァイ兵長……ごめんなさい……っ!」

 喜びと同時に様々な感情が押し寄せる。渦巻くそれはきっと『嫉妬』や『憎悪』に似ているかもしれない。

「違う、エレン。俺は『リヴァイ兵長』じゃない。『リヴァイ・アッカーマン』だ。人類最強の兵士長はもういない。ここにいるのはただの作家のリヴァイだ」

 男の言葉にエレンは眼を瞠った。おそらく、彼は自分に記憶があることは想定していなかったのだろう。確かに、今までの人生で自分は一度も記憶を持って産まれてこなかったのだから。今生のみ記憶がある理由は判らないが、これが『条件が揃った』ということなのかもしれない。

「リヴァイさん……記憶、あるんですか?」

 エレンの言葉に男は頷いた。涙を拭ってやりながら、想う。エレンが自分を巻き込んだというのなら、それが嬉しい。自分をそこまで愛してくれたのが嬉しい。そこまでの執着に喜びを感じる自分は確かにあの『狂人』と同じ魂を有している。

「ずっと、お前を探していた。出逢えたなら離さないと決めていた。俺の傍にいて欲しい」

 以前に告げた台詞をもう一度、繰り返す。ずっと、ずっと、逢いたかった――そして、『自分』を好きになって欲しかった。彼らにエレンがいて、自分にいないのが悔しかった。彼を死なせたくせに愛されている彼らが憎たらしかった。自分の根本が彼らと同じだと心の底で理解していたからこそ、リヴァイは彼らを嫌悪した。
 だが、自分は彼らと同じものにはならない――それはずっと前から決めていたことだ。
 だから、リヴァイは口にする。どんなに彼が逃げても、怖がっても、選択を迫る――『今』の自分を選べ、と。

「オレは――オレは決めたんです。今生では決して言わないって、なのに、どうして――」
「――なら、ここで死んでくれ」

 リヴァイの言葉にエレンは固まった。男はエレンをしっかりと見つめながら続ける。

「今、ここで死んで、生まれ変わってくれ。そういう気持ちで俺の手を取れ。お前の中で自分を殺して、俺とこれからを生きろ」
「――オレはいつもあなたの目の前で死んできた。今回も死ぬかもしれない」
「俺が死なせねぇ」
「オレはあなたを不幸にすることが怖い。あなたを残して逝くのが怖い。あなたを傷付けるのが怖い」

 そう言ってから、エレンは違う、と首を横に振った。

「違う、いい訳だ。オレが怖いのはあなたを不幸にして自分が傷付くことだ。自分のことしか考えてない……っ!」
「俺だって怖い、エレン」

 だが、それでも、と男は続ける。

「俺を選べ、エレン。お前に先に逝かれるのは怖い。お前を残して逝くのも怖い。それは俺も同じだ。一緒に死ぬなんて、心中か事故でもなければ有り得ねぇ。どの道どっちかが先に死ぬんだ。なら、その恐怖より、俺を選べ」

 他の誰よりも何よりも自分を選べ、と男はエレンを誘惑する。

「俺はもうお前を選んだ。だから、お前も俺を選べ。そうしたら、俺は全部お前のものだ。だから、お前も全部俺に寄越せ」

 エレンは呻くような声を上げ、怯える手を男に伸ばした。男はその手を折れていない方の手で取り、指を絡めた。
 あなたが好きです、とそう微かな声で告げた少年の唇を男は奪い、満足そうにもう逃がさないからな、と囁いた。



 エレンの通う大学の近くの駐車場に車を止めて、ハンジは着いたよ、とそう男に声をかけた。

「悪かったな、ハンジ。病院まではエレンが運転するから帰っていいぞ」
「何、そのさっさと帰れ感! まあ、邪魔する気はないからいいけどさ。上手くいったようで、何より」

 少年はあの後、男のマンションに戻ってきた。ハンジに頼んで、男の完治後も一緒に住むことを両親に説得してもらう予定だ。両親としても出費が抑えられるし、自分もハンジも社会的信用があるし、彼女なら上手く丸め込んでくれるだろう。勿論、少年の了承は得ている。

「今日、ギプス取れるんだよね。一緒に行くの?」
「ああ、腕の細さがどうなっているか見せると約束してたからな。それに今日は金曜だからな。ちゃんと曜日は合わせておかないと支障が出るだろう」
「……何の支障かは言わなくていいからね」
「動かしていないから、少々不安はあるが、まあ、何とかなるだろう。あいつに動いてもらうのも楽しそうだし、土日使って存分に――」
「言わなくていいって言ったでしょっ! 何か、あの子に対して今後罪悪感抱きそうだからやめてよ!」

 ふう、と深い溜息を吐く彼女に、不意に真面目な声で男は続けた。

「――ハンジ、俺が『前世』と『今』の自分を切り離して考えていたのは、そうしなければやっていけなかったからだ」

 彼らとは同じ魂かもしれないが、同一のものではない。そうでなければならない。だって、あれが自分なのだと――同じものだと認めたら、彼を殺したのは自分だということになる。ずっとむざむざ彼を死なせ続け、どろどろになって溶け合ってしまいたいと望み、誰かに殺させるくらいなら自分の手で殺したいと考える、狂気を抱えた人間だということになる。

「だが、確かにあれらは『俺』だ。あれらはきっと俺の中にも眠っている」

 自分はこれからも彼らが嫌いだろう。『狂人』と呼び続けるだろう。それは変わらない。

「だから、お前は俺を見張れ。俺の中の『狂人』が目覚めたら俺から『あいつ』を守れ」
「……守れって、か弱い女に何言ってるの?」
「お前がか弱い訳ねぇだろう。……お前が知っている。その事実があればそれでいい」
「ストッパーかぁ。ま、いいよ。最後まで付き合うって約束しちゃったしね」

 そう肩を竦めるハンジにリヴァイは頷いて車から降りて少年の大学へと向かった。

「リヴァイさん!」

 男の姿を見ると、まるで尻尾を振る犬のように駆け寄ってくる。この愛しいものは自分のものだ。
 きっと何度出逢っても愛するだろう。手に入れたいと願うだろう。逃がさないようにするだろう。
 だが、少年は『今』の自分を選んでくれたのだから。彼と一緒に幸せに生きるのは自分だ。
 リヴァイは微笑んで、自分もエレンの方へと歩み出した―――。




《完》



2016.11.20.up




 七度死んだ男の後編のリヴァイ視点です。実はヤンデレ苦手なんですが、このリヴァイは潜在的にヤンデレ気質があります(本人、自覚あり)。前世の自分を嫌いな理由は作中に書いた通りですが、エレンと違って一気に過去の記憶が蘇ったため、継続感というか、当人という意識が薄いです。このリヴァイがヤンデレになることはありませんが、自分の中にそういうものがあるというのは判っているので、ハンジさんをストッパーにしています。事情を話した時点ではそこまで考えてのことではなかったのですが。ちなみに暗殺者時代にエレンを殺したことは覚えていません。思い出したとしても、彼が一番嫌いなのは初代リヴァイです。リヴァイにとって『愛しているからこそこの手で殺す』というのは『狂人』の行為でしかないからです。
 本編がエレンのみの視点しかないので、自分的にリヴァイ視点で説明したいことはこちらで入れてみました。後編と同じ話なので楽しんで頂けたか判りませんが、少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。



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