はじまりの日



 リヴァイは世間でも名の知られた名門大学に通う二年生だ。目つきが悪いので怖がられたりもするが、自分では一般的な大学生だと思っている。昔から頭は良い方であったし、運動能力も優れていたが、探せばもっと出来るものはいるし、生意気そうに見えると少々悪目立ちすることもあったが、一般から大きく逸脱しているとは言えないと思う。なので、何故、こんな事態に陥っているのかが理解出来なかった。

「リヴァイさん、あなたが好きです」

 そう真面目な顔で告げる相手は自分と同い年か一つくらい下に見えた。真剣な表情からいってその言葉に嘘偽りはないと思われる。同年代の相手からの告白――それは通常なら嬉しいものなのかもしれない。そう、それが異性からの愛の告白ならば。

(……こいつ、どう見ても男だよな)

 講義が終わり、大学から出ようとしたところをこの若者に見つかり、話したいことがあると言われ、喧嘩でも売られるのかと思ったらこの告白である。罰ゲームでもやらされているのかと疑いたくなるが、相手の態度からはそんなものは窺えない。

「俺もお前も男なんだが」
「はい、判っています」
「……俺には男と付き合う趣味はないんだが」

 同性愛者に対する偏見は特に持っていないが、自分が同性と付き合えるかといったら否だ。相手は確かに柔らかそうな黒髪に大きな金色の瞳のわりと整っている顔立ちではあったが、胸はまっ平らで背も自分より高い、間違えようのない男である。同性と付き合うなど考えたこともない――いや、例え相手が女子であっても誰かと付き合うのは面倒だとリヴァイは考えている。

「オレも男と付き合う趣味はありません」
「なら、何で俺に告白する?」
「あなたが好きだからです。同性だからとか関係なく、あなたが好きなんです」

 どうやら、相手は根っからの同性愛者ではないらしい。なら、尚更可愛い女の子にでも告白しておけ、とリヴァイは思う。性格は会ったばかりだから判らないが、容姿は悪くないのだから付き合いたいという女性は探せばいるだろう。

「エレン・イェーガーといったか? 悪いが、俺はお前とは付き合えない。男と恋人になれと言われても無理だ」
「判ってます。だから、付き合ってくれとは言いません。ただ――一日だけ、俺に時間をくれませんか?」
「一日?」
「はい。一日だけ、オレとデートしてください。お願いします」

 そう必死に頭を下げる相手は健気に見えるかもしれない。だが、リヴァイはそれを切って捨てた。

「無理だ」

 ふられた相手に一日だけデートしてくれなんて話は胡散臭いとリヴァイは思っている。もう忘れるから一度だけキスしてとか、一日だけでいいから想い出を、などというのはあてにならない話だ。結局は忘れられないとか諦め切れないとか言い出してくることになるだろう。勿論、本当にそれですっぱりと諦め切れるものもいるかもしれないが、変に情けをかければ話はこじれるものだというのがリヴァイの考えだ。

「話がそれだけなら失礼する。この後、アルバイトが入っているんでな」

 そう言ってすたすたと歩き出したリヴァイの背に、エレンという名らしい相手の声がかかる。

「あの、また来ますから、考えてみてください!」
「…………」

 考え直すことなどない、そう思いながらリヴァイは足を進め――ひょっとして、後をつけられる可能性があるんじゃないかと思い当たった。そもそも、少年の顔に見覚えがない。もしかしたら、この大学に通っているのかもしれないが、会話した記憶はなかった。まあ、同じ学校でも学部が違えば接点がないし、更に学年も違えば話す機会などサークルが一緒とかでもない限りないだろう。
 だが、こうして告白をしてくるのだから相手はリヴァイを知っているということだ。一方的につのらせた想いというのは変にこじらせたら厄介だと聞くし、アルバイト先にまでついてこられたり、待ち伏せされたりしたら面倒なことになる。元恋人や元結婚相手がストーカーになるなんて話はよくあると聞くし――別に彼と恋人関係にあった訳ではないが――ここは釘を刺しておいた方がいいだろうか。
 そう思い、振り返ると、たった今、ふった相手は何やら携帯電話をいじっていた。

「……何してるんだ、お前」
「あ、はい、地図アプリで帰り道を確認してます」
「来た通りに帰ればいいだろうが」
「そうですけど、一応の確認に。……駅前とかって店の入れ替わり激しいですよね。まあ、道路はそう変更されないから行けると思いますけど」

 どうやら、少年はこの大学に通っている訳ではないようだ。もしも、通っているならわざわざ地図アプリを使うまでもないだろう。リヴァイはふう、と溜息を吐いた。

「駅に行きたいんだな?」
「はい、そうですけど……」
「俺も行くから案内してやる」

 その言葉に彼はぱあっと顔を明るくした。

「ありがとうございます。やっぱり、リヴァイさんは優しいですね」
「結局は同じところに行くんなら、後からお前がついてくるんだろう。俺はただ後をつけられているみたいなのが気持ち悪いだけだ」

 そう素っ気なく言うリヴァイにエレンはただにこにこと笑っていた。
 そのまま駅に連れて行き、別れたが、彼は後をつけてくる様子は見せなかった。じゃあな、と言って去り際に見た少年は何やらメモに書き込みをしているようだった。何を書いているんだろう、とちらりと思ったがリヴァイは気にせず、アルバイトに向かった。


「リヴァイさん、オレはエレン・イェーガーといいます。あなたが好きです」
「…………」

 何故か再び彼はリヴァイの大学に現れた。自分はきちんとお断りしたはずだが、聞いていなかったのだろうか――と、思ったが、確か彼から別れ際にまた来るから考えてみてくれ、と言われていた。

「俺は断ったはずだが」
「はい。でも、考えてみてくださいって言いましたよね?」
「言われたが、考えるとは言っていない」
「一日だけでいいんです。一日デートをしてもらえたらもう来ませんから」
「だから、無理だ」

 じゃあ、俺は人と会う約束があるから失礼する、と言いながらリヴァイは歩き出し、そういえば待ち合わせは駅前でこれから向かうのだと気付いて振り返った。相手も帰るならまた一緒の道を通ることになる。

「…………」

 そこにはまた地図アプリで道を確認している彼の姿があった。

「……お前、結局、道を覚えられなかったのか?」
「あ、はい。昔から方向音痴なので、確認しておきたくて……」
「……今日も駅前行くから連れて行ってやる」

 リヴァイがそう言うと、エレンはまた嬉しそうに笑った。もしかして、一緒に帰りたくてわざとやっているのか、という考えが脳裏をよぎったが、彼がそんな魂胆でやっているようには見えなかった。それに、わざわざそんな真似をしなくても、結局はどうせ行く場所は同じなのだからついてくることになるのだ。
 溜息を吐きつつリヴァイは駅前までエレンを連れて行き、そこで別れたのだが、去り際に見た彼はまた何かをメモに書き付けていた。

(あいつ、メモ魔なのか?)

 きっちり予定を書いておかないと安心出来ないタイプというのはいるが、彼もそういった性格なのだろうか。それとも、スケジュールではなく日記とかそういった類のものなのだろうか。

(いや、日記なら家で書きそうだしな)

 少しだけ気になったが、書いている内容を訊ねるような関係ではない。下手につついてリヴァイへの愛をしたためてます、などという回答がきても困るので、そこには触れないようにしよう、とリヴァイは決めた。


「リヴァイさん、あなたが好きです」
「…………」

 もう何度目の告白であろうか。めげずに少年はリヴァイの大学に来ては告白をして帰っていっている。いい加減、諦めてくれないだろうか、というのがリヴァイの感想だ。
 最寄り駅に行く道すがら会話をいくつかしたが、彼の人柄が悪いという訳ではない。むしろ、人懐っこそうな笑顔が人を惹きつけるタイプで、同じ大学に通っていたら後輩として可愛がっていたかもしれない――彼はリヴァイの一つ下だと言っていた。
 リヴァイはエレンについて詳しいことは知らない。名前と年齢と家の最寄りの駅名くらいだ。詳しく訊いて相手に興味があるのだと思わせて気を持たせるのも悪いし、エレンの方もリヴァイをどうして知っているのかは話さなかった。同じ大学に通っている訳でもないのに、リヴァイの帰りの時間に合わせたように現れるのも不思議だった。ただ、好きな理由については一目惚れでした、とだけ言っていた。

(こうなったら、もう、一日付き合ってやるか)

 本当に諦めてくれるかは謎だが、一日ぐらいなら付き合うのもいいかとリヴァイは思った――ほだされてきてるようでダメだと思うが、こう毎回好きだと言い続けられていると冷たくあしらうのも気が咎めてくる。

「――判った。お前の一日デートに付き合ってやる」
「え?」

 本当にそう言ってもらえるとは思っていなかったのか、エレンはぽかんと口を開けた。

「何だ? 行きたくないのか?」
「行きたいです! デートしたいです! ありがとうございます!」

 そう言って笑う彼の顔が――本当に嬉しそうで、幸せそうで、リヴァイはその顔を見て不意に思ってしまった。
 笑う彼が可愛い、と。

(イヤ、待て。可愛いってなんだ。こいつは男だ)

 リヴァイは自分の思ったことに動揺したがそれを押し隠し、どこに行きたい、とエレンに訊ねた。

「えーと、遊園地とか、水族館とか……」
「男二人で行くには寒い場所だな」

 リヴァイの言葉にエレンが不安そうな顔になる――折角デートしてもらえると思ったのに、場所を聞いて断られるかと考えたのだろう。

「あの、それがダメなら、他のところでも――」
「イヤ、行きたい場所を訊いたのは俺だし、お前の行きたいところで構わない。そうだな、遊園地にするか」

 そう言ってリヴァイが挙げたテーマパークにエレンは顔を輝かせて頷いた。リヴァイの都合のいい日にちと時間に合わせ――エレンがいつでもいいと言ったからだ――、待ち合わせ場所を決める。何かあったときのために連絡先を訊ねたのだが、エレンは教えると連絡が入るのを期待してしまうから、とそれを断ってきた。確かにエレンの言う通りに一日だけで終わるのなら連絡先を交換するのは変に未練が残るかもしれない。
 だが、別に連絡先くらい交換しても――とそのことを不満に思う自分に戸惑いながらも、リヴァイは約束の日を待つことにした。


 その電話は突然にかかってきた。リヴァイは大学に通うために実家から離れて一人暮らしをしているのだが、母親から連絡が入ったのだ。たまには帰ってこいとか小言でもいわれるのだろうか、と出るのは気が重かったが、無視したらしたでまたかかってくるに決まっている。渋々出ると母親が涙声で告げた――祖父が倒れて危ないらしいのだと。医師から親族の方に集まってくださいと言われた、と続ける母親にリヴァイは固まった。とにかく、出来るだけ早くこっちに来てと言われてリヴァイは同意するしかなかった。
 そして、電話を切ってからハッとする――本日はエレンとの約束の日だった。彼には悪いが、今日の約束は果たせそうにない。だが。

(あいつの連絡先知らねぇ)

 事情を話そうにも連絡出来ないし、待ち合わせの場所まで行って、エレンを待って事情を話すのだと時間がかかりすぎる。彼のところに行ったことで、間に合わなくなるような事態になれば――後悔が残るだろう。誰かに行って事情を話してもらうことも考えたが、エレンの顔を自分の友人達は知らないし、画像データなどもないので送って確認してもらうことも出来ない。どんな格好でくるのかも判らないし、言えるのは名前と年齢と大体の容姿だけだ。まさか、待ち合わせ場所で手当たり次第にそれらしい人間に声をかけてくれなどとは頼めない。それに、エレンの方だって自分の友人を知らないのだ――自分のことを訊きまわる不審な人物だと思われるかもしれない。どうするか――そう悩んでいる時間も今は惜しい。
 ――結局、リヴァイはその日、エレンとの約束をすっぽかすことになったのだった。


「リヴァイ、どうしたの? 何か、どんよりしてるけど」

 校内のベンチに座って溜息を吐いていたら、同じ学部の同期生にそう声をかけられた。

「何だ、お前か」
「冷たいなぁ。落ち込んでいるように見えたから励ましてあげようと思って、声かけたのに」

 そう言って唇を尖らせる女性の名はハンジという。同じ学部で講義が重なることも多く、更には同じ高校の同級生だったということもあって、リヴァイには珍しい異性の友人だ。いや、リヴァイの中では彼女は異性という扱いになっていないのだが。

「単純に自己嫌悪だから、心配するようなことじゃない」
「え? リヴァイでも自己嫌悪とか反省とかするんだ!」
「お前な……」

 お前の中で自分はどういう認識なんだとリヴァイは文句を言いたくなったが、欝々と考え込んでいるよりは誰かに少し吐き出してみた方がいいかもしれないと思い、リヴァイは落ち込んでいた理由を彼女に話した――エレンとの約束を一方的にすっぽかしてしまったことを。無論、彼から告白されたことは伏せておいたが。

「でも、おじいさんが倒れたんだから、行けなくなったのは不可抗力でしょ。リヴァイ、確か大学も二日くらい休んだよね?」

 倒れた祖父は処置が早かったのが幸いしたらしく、一時期は危なかったのだが、その後回復した。まだ入院中で今後はリハビリなどもあるが、後遺症なども残らないだろうと言われていて、家族一同胸を撫で下ろした。一時は親族中で騒いでしまったが――特に母親の方が参ってしまって、それもあってリヴァイは二日ほど休むことになったのだ。

「それはそうなんだが、相手に行けないと連絡出来なかったし、その後も会ってねぇから謝れてもいないんだ」

 話を聞いてハンジはきょとんとした顔になった。

「え? 連絡先を知らない相手と会うことになったの? ネットでの知り合いでオフ会とか?」
「イヤ、そうじゃねぇ。実際に会ったことはあるんだが、連絡先は知らねぇんだ」
「え? 何それ? どういう知り合い?」
「どういうって……エレン・イェーガーって名前と同年代の男ってくらいしか知らない相手だな」
「エレン・イェーガー?」

 名前を聞いてハンジは何か考え込むような顔になって、ブツブツと彼の名を呟き始めた。

「どうしたんだ?」
「イヤ、その名前、どっかで聞いたことがある気がするんだよね。どこでだったのか、思い出そうとしても思い出せなくてさ」
「お前の知り合いなのか?」
「直接の知り合いなら覚えてるよ。私、人の名前と顔覚えるの特技なんだから。思い浮かばないってことは多分、知り合いの知り合いとかで、ちゃんと会ったことがない人なんだと思う」

 そう言って彼女はあーっと頭を掻きむしると、ちょっと調べてみると宣言した。

「思い出せそうで思い出せない状態ってイラつくんだよね。誰の知り合いなのか判ったらすっきりすると思うから。じっくりと考えて心当たり有りそうな人に当たってみるよ。判ったらリヴァイにも教えるから」

 そう一方的に言って彼女は去っていき、一人残されたリヴァイはいや、別に頼んでねぇんだが、と呟いたのだった。


「リヴァイさん、あなたが好きです」
「…………」

 大学から出ると、久し振りに彼の姿があった。何事もなかったようにまた告白する彼の姿にリヴァイは当惑した。

「……この前はすまなかった。ちゃんと約束したのに、事情があって行かれなかった。お前に悪いことをした」

 とにかく、この前の約束を破ったことを謝ろうと思っていたリヴァイがそう頭を下げると、エレンは気にしていないというように首を横に振った。

「気にしてないので、大丈夫です」
「だが――」
「それより、一日デートです。行ってくれるんですよね?」

 エレンは本当にリヴァイが約束をすっぽかしたことなど微塵も気にしていない様子で、リヴァイは何か違和感を感じた。だが、それが何なのか、どうして感じるのかが判らない。

「ああ、今度は絶対に行くと約束する。だが、何かあった時のために連絡先を――」
「それはダメです、リヴァイさん」

 リヴァイの提案をエレンはきっぱりと断った。

「連絡先は交換しないのがお互いのためです。大丈夫です、何かあって行けなくなった場合はまた約束しに来ますから」

 きっぱりとした拒絶にリヴァイは胸がもやもやするのを感じた――まるで、自分が彼の連絡先を知りたがっているみたいに思えて、内心で頭を振る。告白してきたのは彼であって、自分はそれを断った――自分は同性愛者ではないし、彼と交際する気はない。この話も彼に諦めてもらうためのものでしかない。そう、自分は約束したのだから。
 何か重苦しいというか、苦いものが広がっていく気がしたが、リヴァイはそれを無視して、再びエレンとの一日デートの日程を決めたのだった。



「リヴァイさん!」

 待ち合わせの場所に行くと、エレンは花が咲いたように輝く笑顔を男に見せた。嬉しくてたまらない――そんなものが全身から伝わってくるような笑顔だ。

「……随分と嬉しそうだな」
「はい! 嬉しいですから!」
「そんなに嬉しいか?」
「はい! だって、今日一日だけはリヴァイさんを独り占め出来ます」
「…………」

 リヴァイはからかうつもりが自爆したのを悟った。照れて赤くなった頬を少年に悟られないように鎮めようとするのに心底労力がいった。

「リヴァイさん、あれ、あれ乗りましょう!」

 遊園地についたエレンははしゃぎまわっていた――無邪気な子供のようなその様子はお世辞ではなく可愛らしいものだった。アトラクションに乗って歓声を上げ、マスコットキャラクターの登場に顔を輝かせる。あれも、これもと売店のものを食べたがり、全部リヴァイと半分ずつにすることにする。

「リヴァイさん、写真! 一緒に写真撮りましょう!」

 そう言って少年が向けてきたのはデジタルカメラだった。それであちこちを撮っているが、ちょっと前のものであるように見えた。

「今はデジカメじゃなくて携帯で自撮りとかじゃないのか?」

 そういえば、おそらく少年が地図アプリを見ていた携帯電話も少し古いタイプのものであったと思う。携帯端末はすぐに新しいモデルが出て最新のものは少々値が張るからそう簡単に変更はしにくいかもしれないが。

「これなら使ってるので操作がしやすいんです。――新しいのは慣れるのに時間がかかるものだから」
「まあ、物持ちがいいのは悪いことじゃねぇしな」

 そう言って一緒に写ってやると少年は嬉しそうにする。まるで、この一日を噛み締めるように過ごす少年にリヴァイの胸に何とも言えない気持ちが広がる。少年の告白を断ったのは自分だ。同性と付き合う気なんてない――それは本心だ。だが。

(これきりになるっていうのが嫌って思うのは俺のエゴか)

 自分といて楽しそうにする少年をまた別のところに連れて行いってやりたいと思ってしまう。きっと、どこに連れていっても彼は喜んでくれるだろう。そして、また幸せそうに笑ってくれるのに違いない。
 頭に過ぎった恋人ではなく友達なら――という考えを振り払う。自分を恋愛対象として好きだという相手に友達としてなら付き合ってもいい、というのは烏滸がましいし、残酷だ。

「エレ――」

 トイレに行ったリヴァイは待たせていたエレンに声をかけようとして、その声を止めた。彼は何やらまたメモに書き付けをしていたからだ。何度も見かけた光景だが、いったい何を書いているのだろう。

(気になるが、見せてくれとは言えないしな)

 例え親しい仲でもスケジュール帳や日記を見せてくれとは言えないだろう。勝手に恋人の携帯電話をいじって喧嘩になるというのはよく聞く話だし、ましてや、彼の告白を断った身で見せてくれとはいうのは厚かましいにも程がある。
 そのうちにエレンがメモをしまったので、リヴァイは彼の元に駆け寄った。


 楽しい時間は過ぎていき、別れの時間が迫ってくる。いったい、どう声をかければいいのかリヴァイが躊躇っていると、それを読んだようにエレンが笑顔を向けた。

「今日は一日付き合ってくださってありがとうございました。すごく、幸せでした」
「エレン……」
「リヴァイさん、オレはあなたが好きです。きっと、ずっと好きです。一生、あなたのことが好きです」

 エレンの告白にリヴァイは息を呑んだ。だが、彼は何もかも判っているというふうに笑う。

「でも、これで最後です。もう、二度と会いに行きませんから安心してください」

 そうではないのだ、とリヴァイは言いたかった。二度と来るななどとは思っていない――だが、告白された当初はそう思っていたのは事実で、だからこそ何も言うことは出来ない。

「リヴァイさん、ありがとう。そして――さようなら」

 そうリヴァイに告げて、エレンは去っていった。



 リヴァイは校内でどんよりとしたオーラを漂わせていた。そんなリヴァイを恐れてか誰も彼に近付いてこない。
 ――宣言した通りにエレンはリヴァイの元に姿を現さなくなった。ずっと聞かされていた愛の告白はあの日からぶっつりと途絶えた。そうすることを選択したのは自分だし、総ては自分の責任だ。

(自業自得だっていうのは判ってるんだ)

 判ってはいる、判っているのだ。だが、もう一度彼に逢いたかった。もう一度自分に好きだと告げる彼の声が聞きたかった。目の前で幸せそうに笑う彼の顔が見たかった。
 今更だ。今更気付いたところでもう遅いのだ。自分は彼のことを何も知らない――連絡手段がない上に、知っていたとしてもふられた相手からの連絡など嫌がられるだろう。だが、それでも――。

「リヴァイ、判ったよ!」
「何だ、お前か」

 どんよりしたオーラを蒔き散らかす男に怯みもせず、彼の同期生が近付いてきた。彼女――ハンジは思い出したんだよ、と言葉を続けた。

「後輩だったんだよ。ようやっと思い出して確認したから間違いはないよ」
「何の話だ?」
「ほら、前に言っていたエレン・イェーガーって子のこと。思い出せなかったのが判ってスッキリした」

 思わぬ言葉にリヴァイはがしっとハンジの腕を掴んでいた。

「後輩って……あいつはこの大学に通ってねぇだろ」
「ちょっと痛いってリヴァイ! 大学じゃないよ、高校! 一個下にエレン・イェーガーって子がいたの」

 ハンジに言われて手を放したリヴァイは高校の後輩だったのか、と小さく呟いた。

「私も直接話したことはないんだけど、高校のときの部活の後輩の女の子が話してたから聞き覚えがあったんだ。彼のことが気になるって感じの話だったんだけど、彼は告白を全部好きな人がいるからって断ってたみたいだね」
「好きな人……」
「で、彼はうちの大学を受験したみたいなんだけど――あ、正確には大学の後輩でもあるよ。籍はあるみたいだから。でも、彼は一日も大学に通ってはいないみたい」
「何でだ?」
「詳しい事情は私も知らない。ただ、一個下にうちの高校の後輩の子がいるんだ。その子なら何か知ってるかも……」
「誰だ? 教えてくれ」

 ハンジからその学生の名を聞き出したリヴァイはエレンと同級生だったという少年――アルミン・アルレルトというらしい――の元へ向かった。


「アルミン・アルレルト、少し訊きたいことがある」
「何の話でしょう?」
「エレン・イェーガーについてだ」

 リヴァイの言葉に少年は瞳を瞬かせて、それから複雑そうに笑った。

「ここではなんですから移動しましょう」

 人の多い校内では話づらい、とアルミンは人気のない場所までリヴァイを連れて移動した。

「――まず、最初にお詫びしておきます。あなたの情報をエレンに流したのは僕です。大学の講義が終わる時間とかどこから帰るのとか試験期間とか判ってないとすれ違いますからね」

 学年が違うから探るの結構苦労しました、と苦笑する少年は総てを知っているのだな、とリヴァイは悟った。

「あいつに会いたい」
「どうしてですか? 先輩はエレンをふったんでしょう? 約束も一度すっぽかした――知ってますか? エレンはあなたを十時間も待っていた。僕が探しに行かなかったらもっとずっと待っていたかもしれない。まだ、本格的な冬ではないけど、十時間も外で待っていたらどうなると思います? エレンは風邪を引いて寝込んだんですよ」

 知らなかった事実を告げられて返す言葉がリヴァイにはない。いくら連絡手段がなかったとはいえ、こちらに全面的に非がある。

「その件についてはいい訳はしない。俺が全部悪い。すまなかったと今でも思っている――謝罪したからといって許されるものじゃねぇが……」

 リヴァイの言葉にアルミンはふう、と息を吐いた。

「先輩の事情は後で知りました。身内の危篤と知り合いの約束なら、身内の危篤を取るのが当然です。連絡先を知らないのなら伝えようもないですし。……でも、彼の友人としてあなたに一言言いたかっただけです」

 それで、どうして先輩はエレンに会いたいんですか、とアルミンは再び問うた。

「あいつが好きだからだ」

 真っ直ぐな言葉に今度はアルミンが言葉を失くす。リヴァイが冗談を言っているのではないことはその眼を見ればすぐに判った。

「最初は何言ってるんだ、こいつ、くらいにしか思っていなかった。だが、あいつと話して、あいつの笑顔を見て、一緒に過ごしているうちに、いつの間にか好きになっていた。こんな短時間でと思われるかもしれないが、俺は本気だ。今更だろうが、もう一度告白をやり直したい。イヤ、俺から告白したい」
「……今更ですよ……」

 アルミンが掠れた声を出した。

「本当に今更なんです、リヴァイ先輩。もっと早く――あなたが高校を卒業する前にエレンを知っていたら。せめて、エレンが卒業する前に告白していたら――もう、どうしようもないのに」

 呻くようにそう言葉を紡ぐ少年は見ているだけで彼の苦しさがうつってきそうな程だった。彼がこれ程に心を痛めることがエレンにはあるというのか。

「――エレンの許可なく話すのは本当はいけないと判っています。だが、僕には何が最善か判断出来ない。だから、あなたに総てを話します。それを聞いてあなたがエレンに会いに行くのか決めてください」

 そうして、語られたエレン・イェーガーの話に、リヴァイはただ立ち尽くすしかなかった。



 教えられた住所にリヴァイは向かっていた。いきなり訪れるのも驚かせるだろうから、先方には後輩に訪問を伝えてもらっている。きっと、自分がこれから逢いに行く相手は驚くだろうけれど。
 目的の家に到着し、案内された部屋には目当ての少年がいた。突然の男の訪問に驚いた顔をしている。

「アルミン・アルレルトから総てを聞いた」

 それを聞いておおよそのことを察したのだろう。エレンは諦めたように息を吐いた。

「……オレの事情は聞いたんですね?」
「ああ、全部聞いた」
「なら、どうして来たんですか? 来ても、話しても無駄なのは判っているのに、どうして?」
「エレン」
「あなたが来たことも、オレは明日には忘れてしまうのに――」

 掠れた声で話す少年の部屋には一際目につく大きなボードがある。そこにはリヴァイと一緒に撮った写真が貼られ、膨大な数のメモが貼られていた。机の上にもメモ帳が置かれ、カレンダーにも書き込みがある。赤い線で昨日までの日付にバツがつけられているそれは、少年が日付を確認するためのものなのだろう。
 朝、起きて、自分がどういう状況で今が何日なのか確認するための道具だ。少年の頭の中のカレンダーはある日を境に止まってしまったのだから。彼は丁度、高校を卒業する時期くらいに事故に遭い、その後遺症で記憶障害を患うことになった。彼は新しく記憶を蓄積出来ない。前向性健忘症と呼ばれるものだ。

「――先輩と初めて出逢ったのは中学三年のときです。オレ、昔から方向音痴なんです。多分、それはメモに書いてあったから先輩に言ったと思いますけど。オレは試験会場に行くのに迷って困っていたところを先輩に助けられたんです。見ず知らずのオレを会場まで案内してくれた」

 ポツリ、ポツリ、と彼はリヴァイとの出逢いを語り出した。こうして話せるのは、それが彼が事故に遭う以前に起きたことだからだろう。
 彼は新しい道を覚えられない。覚えたとしても忘れるからだ。大学に来るのに毎回地図アプリに頼っていたのは、来た記憶が蓄積されていないからだ。彼が記憶できるのは一日だけ。翌日にはリセットされて、彼にとってはずっと同じ日が繰り返されているようなものだ。古い携帯電話を使い続けるのも、写真を撮るのに使ったことのあるデジタルカメラにしたのも、新しいものを使おうとしても操作方法を一日で忘れるからだ。

「会場に連れていってもらって、オレが受かったら後輩になるな、頑張れよって笑ってもらって――多分、自覚はなかったけど、そのときに一目惚れしたんだと思います。それから高校に合格して、入学式で在校生代表で話すあなたを見て、あの時の人だって、本当にこの学校にいたんだって思って凄く嬉しかった」

 初めは自覚はなかった恋心だったが、リヴァイが告白されたという噂を聞いて胸が締め付けられ――少年は自分の恋心を自覚した。同性を好きになったことのない少年は随分と悩んだが、それを受け入れた。だが、リヴァイに告白するつもりはなかった――気持ち悪いと嫌悪の感情を向けられたら、と考えるととてもじゃないけれど、告白など出来なかった。
 だが、まるで接点が持てないまま、リヴァイが高校を卒業していっても、エレンの恋心は消えてくれなかった。

「だから、オレは先輩の大学を受験することにしたんです。同じ大学に入れたら告白しようって。きっと、告白しないままでいたら後悔する。告白してふられてもそれは仕方ない、先輩には迷惑でもきちんと思いを伝えようって」

 そうして、エレンは必死に勉強した。幼馴染みの親友のアルミンだけはエレンの恋心を知っていて、一緒に大学を目指そうと励ましてくれた。そして、合格発表の日――。

「オレは先輩の大学に合格しました。これで逢いに行ける、きちんと告白するんだって思いました。――そして、その後に事故にあってオレの時間はそこで止まりました」

 事故のことはエレンは覚えていない。気付いたら病院のベッドの上で、何でここにいるの?と親に訊ねたらしい。そうして、翌日も、その翌日も、また次の日もエレンは同じ質問を繰り返し、エレンの記憶障害が発覚したのだ。
 親は回復することを願って大学の入学手続きをしてくれたが、症状の改善は見られなかった。

「それからマメにその日あったことをメモすることにしました。でも、それを後で読み返してみても他人の日記を見てるみたいで実感がないんです。オレの中ではあの日、先輩に告白しようって決心した日から進んでなくて、ずっと止まったままだ」

 どうせなら事故の記憶だけではなく、恋心も消えてくれれば良かったのに、そうはならなかった。朝、起きて自分の事情を知って、告白の決意も全部無駄だったと知ることになる。だが、恋心は納得してくれない。折角、告白の決意をしたというのに、と。そうして、ある日、少年は思いつく。告白したところで絶対にふられる――そして、自分は告白した事実さえ次の日には忘れるのだ。だから、告白して一日だけデートしてもらい、その代りに二度と会わないという約束をしたという、ふられた証拠を作ることにしたのだ。告白してふられたという証拠が残っていれば、告白したいという思いに駆られることはないはずだ。

「先輩は毎回同じ告白を聞かされてうんざりしたでしょうけど、毎回、オレには初めての告白だったんです。いつもドキドキしてた。こんな話をしたとか、こういうことがあった、とかメモを残していてもオレには実感がなかったから。一日だけ付き合ってもらったことも覚えてない。写真を見てきっと幸せだったんだろうなって、そう思うけど、そう思ったことさえ翌日には忘れるんです」
「エレン」

 リヴァイはそっとエレンの頬に手を伸ばした。

「俺はお前が好きだ。お前を好きになった」

 リヴァイの言葉にエレンの両の眼が見開かれ、その後、その顔が歪んだ。

「何で、何で、そんなこと言うんですか!? 同情ですか? なら、やめてください」
「違う。本気でお前が好きになった。お前と会って、話して、お前の笑顔を見ているうちに好きになった。この気持ちに嘘はねぇ」
「どうして……っ!」

 エレンの瞳からぼろぼろと涙が零れた。

「どうして、そんなことを、そんな残酷なことを言うんですか。オレは――明日には先輩に好きだって言われたことを忘れるのに、何にも残らないのに! だから、ですか? 言ってもなかったことに出来るからですか?」
「違う。好きだ、エレン。お前が忘れるなら毎日好きだって言う。何度だって好きだって言う。お前がはじまりの日に戻るっていうなら、何度だってはじめからやり直す」
「……先輩はオレに同情しているだけだ。いつかは嫌になる。なら、はじめから要らない。付き合えないのなんて判ってた。ふられるって判ってたから告白出来た。一日で忘れて、想い出を共有出来ない恋人なんて誰も欲しがらない!」
「俺はお前が欲しい」

 リヴァイの言葉にエレンは泣きながら首を横に振った。そんなエレンを男は抱き締めた。

「……ダメだ」
「ダメじゃない」
「何で――どうして消えてくれないんだ。ちゃんと告白してふられた証拠があれば納得出来るって思ったのに。好きって言われて嬉しいなんて思っちゃダメなのに!」
「エレン」

 リヴァイは涙の流れるエレンの頬に口付けた。

「俺はお前が好きだ。なあ、好きって言え。お前が今日のことを忘れても俺が覚えてる。それだけでいいじゃねぇか。告白のやり直しをさせて欲しい。――好きって言ってくれ、エレン」
「……好きです。ずっと好きでした。これからもずっと一生、先輩が好きです。今日のことを忘れても、全部なかったことになっても、先輩を好きな気持ちは消えない……!」
「ありがとう、俺もお前が好きだ、エレン」


 毎日、毎日、好きだと伝えよう。今日のことを忘れても、明日のことを忘れても、いつまでもはじまりの日が続いても。
 永遠にあなたに愛を誓おう――。





《完》




2016.11.9up




 思いついたから書いてみよう作品。拍手文にする予定でしたが、文字数オーバーだったのでnovelにupしました。誰もが書きそうなありがちネタですみません。前向性健忘症については昔観たドキュメンタリーとネットで見た知識くらいしかないので、色々と違ってましてもご容赦くださいませ〜。



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