あの、申し訳ありません、リヴァイ副社長のことをよろしくお願いします、と頭を下げられて、ハンジははあ、と溜息を吐いた。もはや、自分の肩書きは研究開発室室長ではなく、リヴァイ担当処理係にでもなっているんじゃないかとハンジは思った。年下の可愛い恋人が出来てから色々と残念なことになっている男が起こす騒動に巻き込まれるのを自分が面白がっている一面があるのは否定しないが、一応、自分の方の仕事のスケジュールも考慮してくれないかな、と思う。まあ、何にせよ面倒ごとはさっさと済ます方が得策である。
 ハンジがリヴァイのデスクに赴くと、そこにはどんよりとした不機嫌オーラを撒き散らす男がいた。

「はーい、リヴァイ、何かもう毎回訊くの面倒になってきたから、ちゃっちゃっと何悩んでるのか吐いちゃって」

 まあ、どうせ男の悩みなど可愛い恋人に関することだけだろう、と思っているハンジにちらりと一瞥をくれて、男は溜息を吐いた。

「……何でこの国の会社の夏休みはお盆なんだろうな」

 吐き出された言葉にハンジはきょとんとした。確かにこの国の企業の多くはお盆に合わせて夏期休暇を設定しているところが殆どだ。接客業や観光業などはお盆休みに関係なく営業するし、工場などの機械を休める訳にはいかないところは従業員の休みをずらして対応したりもするが、世間一般的に社会人の夏休みといえばお盆である。だが、それは何も今始まった話ではなく、ハンジ達が物心ついた頃には既に出来上がっていた慣習だ。今更何を言い出したのだろう。

「それが問題あるの?」
「大ありだ。エレンとの夏休み計画が立たない」

 それを聞いてハンジは首を傾げた。彼の少年はまだ高校生だ。高校といえば期末試験後の試験休みなどを考えると七月は登校が少なくなり、下旬に入った頃から八月末日まで夏期休暇になるのではないだろうか。地域や学校によって若干のずれはあるだろうが、ハンジの記憶している高校の夏休みとはそんなものである。それだけの休みがあれば別に計画を立てるのには支障がないと思われるのだが。

「折角のエレンとの夏休み、旅行に出かけたかったんだが……」
「あ、じゃあ、またあの子に頼むの? というか、私もお盆休みは帰省するから付き合えないよ?」

 リヴァイの恋人の幼馴染みである少年を思い浮かべてハンジがそう言うと、あのクソガキは今回は使えない、と答えた。

「あのクソガキは夏期講習があるから、夏休みはほぼ遊びに行ける日がないらしい。そもそもお義父さんの病院がお盆休みがあるから、その辺りはエレンの外泊が厳しい」
「あー、あの子も二年生だし、大学に行くなら受験対策を始めてもおかしくないもんね。病院の方は外来が休みでも入院患者がいるから、医師が全員休みってことはないだろうけど」

 男の恋人が目指しているのはパティシエなので、高校卒業後は専門学校へ進学する予定になっている。そのため、大学受験対策は必要ないらしいが、少年の幼馴染みは大学に進学するそうなので今年は夏期講習を受けるらしい。勿論、専門学校にも試験はあるのだろうし、その対策もあるのだろうが、彼の恋人は成績はいいので滅多なことでは落ちないだろうと言われている。
 進学校では入学と同時に志望大学を提出してその対策を始めるというから、受験対策は個人の環境や学力レベルによって様々だろう。目の前の男はずば抜けて頭が良かったため、塾などには一切通わず名門大学に一発合格したからその辺の対策はピンと来ないようだ。

「それに、エレンからも夏休みはバイトの日を増やしたいと持ちかけられている。何でもお盆に合わせて、店の方が駅ビルの物産展だかイベントだかに出店するらしく――」
「え!? 何それ! 初めて聞いたんだけど!」

 男の言葉にハンジが食い付いた。何々どういうことと詰め寄られ、男はことの詳細を話した。
 少年がアルバイト勤務しているカフェ・グリーンリーフが駅ビルで開催される『夏のスイーツ展』というものに出店するらしい。エレンは年齢を考慮してそちらの方へは応援に行けないが、普段の営業と同時にそちらへの納品や販売があるため、店が忙しくなるらしく、勤務を増やしたいのだそうだ。それに、夏休みともなれば、従業員の方も旅行に出かけたり、帰省したりと休暇を取りたいものも多いだろう。エレンとしても学校に行かずにフルで使える日が続くこの休みはなるべく多くスイーツに触れたいというのがあるようで。

「俺としては、エレンの希望はなるべく叶えてやりたいが、折角の休みは満喫したい。だが、旅行に連れて行く名分は考え付かないし――」
「スイーツ際! 行きたい! 凄いよ、グリーンリーフが出店するなんてまずないのに……限定品出すよね? 絶対に出すよね! 他にも有名なスイーツ店も出店するだろうし、行くしかないよね! 実家にはいつでも帰れるけど、スイーツ展はないんだから! それか帰る日をずらすか……初日に出来たら行きたいし……」
「……お前、本当にブレないな」

 ブツブツと呟くハンジに男は呆れと感心が混じった声を出し、こうなったらやっぱり別荘でも買ってお義父さんをご招待するか、と続けた。

「イヤ、それ、前にも言ったよね? 絶対にやめとけって言ったよね?」
「だが、他に旅行に行くとなると――」
「今回は諦めたら? どうせお盆なんてどこ行っても混んでるんだしさ。時期少しずらして遊びに出かけたら? 一泊くらいなら誤魔化せるでしょ?」

 一泊で帰るとなると近場になってしまうが、諸々の事情を考えれば仕方ないだろう。
 男が渋々頷いたのを見て、ハンジはどこに行くのが無難なのか考えてみた。計画がまとまらない限り男の不機嫌オーラは治まらないと思ったからだ。

「温泉はこの前行ったしね……夏なんだから、海水浴にでも行けば?」
「ダメだ! エレンの裸を人に見せてたまるか!」
「イヤ、水着と裸を一緒にしちゃダメだからね。海がダメならプールもアウトだよね。じゃあ、山というか、高原にでも行く?」
「高原なら別荘をやはり、買った方が……」
「イヤ、だからそれはダメだって! あーでも、高原で爽やかにテニスとかスポーツしてるリヴァイが想像出来ない。むしろ、してたら気持ち悪い」
「余計なお世話だ」
「後は遊園地とか? あ、でも、別に夏休みじゃなくても行ける所だし、夏休みってテーマパークは滅茶苦茶混雑するよね。アトラクションの二時間待ちとかどうすんだよって感じだし」
「エレンとなら何時間いても退屈しないぞ」
「ああ、うん、判ってるから。……何か、今、メリーゴーランドで楽しそうに回ってるリヴァイ想像しちゃったよ! 余りの寒さに鳥肌立ったよ!」
「勝手に人の想像で気持ち悪がるな!」

 ――そうして、二人で話し合い、計画を何とか決めたときにはハンジはぐったりしてしまったが、お礼に夏季限定お取り寄せスイーツを送ってもらえることとなり、鼻歌を歌いそうな程機嫌を上昇させて、男にお前、本当にブレないな、と呟かれることとなった。





オレンジショコラ




 つい、この前新商品を考えたばかりだというのに、カフェ・グリーンリーフでは出店の際に出す限定商品の話でいっぱいになっていた。夏場には夏向きの製菓というものがあり、それにはパティシエ一同が毎回頭を悩ませている。飲食業全般にいえることだが、その季節の天候によって売り上げは大きく左右される。夏場はケーキなどの生菓子よりはアイスやかき氷などの氷菓が好まれるものだ。そして、猛暑となれば更に人は氷菓ではなく飲料を求める。台風や雨天が続けば人は外出を避けるからそもそも客が来なくなる。客商売とは中々難しいものなのだ。

「それにしても珍しいよね。こういったものを店がやるなんて」
「ああ、ハンネスさんは基本的にこういうのやらねぇからな」

 クリスタの言葉にエレンがそう返す。基本、ハンネスはマスコミ取材や目立つことをしない。客が自分のブログなどに写真を撮って上げることは黙認しているが、雑誌などの写真撮影や掲載は総て断っている。マスコミ嫌いなどではなく、店で提供できるスイーツの量の限界を考えてのことだ。下手に騒がれて客が押しかければ限りのある商品が行き渡らなくなるかもしれない。新規の客を獲得することも大事だが、常連客も大事にしたいし、店の許容量を超える客を相手にしていたらサービス面も低下するかもしれない。そういった意味でのマスコミ取材お断りなのだが、ハンネスをよく知らないマスコミ関係者は頑固で融通がきかない、とかお高くとまっているなどと勝手なことを言うのでエレンは腹立たしく思っている。

「そうだな、どうもアニとか若いパティシエにそういうのも経験させてやりたいってのが本心みたいだぞ」

 二人の会話を聞いていたらしいユミルがそんな言葉をかけた。若いうちは色んなことを経験しろ、というのがハンネスの考えであるので、それは有り得るな、とエレンは思った。

「それよりも、エレンは夏休みに旅行とか行かないの? 結構、シフト入ってるでしょ?」
「あー、友達と遊んだりはあるかもだけど、旅行はないな。親父も休みはゆっくりさせてやりたいし。それに冬は休んじゃったから、こういうときくらい手伝いたいし」

 チョコレート業界の売り上げの大半をバレンタインがもたらすように、ケーキ販売の大勝負がクリスマスだ。クリスマスにケーキが売れなければケーキ店はおしまいと言っていいくらいに力を入れなければいけないイベントだ。――そのイベントにエレンは去年の冬参加しなかった。初めて出来た恋人にどうしても一緒に過ごしたいと言われ、自分もまた一緒に過ごしたいと思ったからだ。元々、シフトに入っていなかったとかそういうものは問題ではない。ハンネスは全く気にしていないであろうが、エレンとしては気になっていた。

「お前、今、高二だろ? 今年の夏に遊んでおかないと、来年は遊べないんじゃねぇか?」
「来年か。オレは専門学校に行く予定だから、そんなに切羽詰まってねぇと思うけど――友達がそれどころじゃないだろうから結局は遊べないのは同じか……」

 幼馴染みの親友は今年の夏は夏期講習に行くことになっている。そこの授業が合えば、そのまま進学塾に通うことにするらしい。進学を希望しているものは春から準備を始めていたりするし、更に三年になればぐっと遊びに行ったりすることは減るだろう。エレンも親友も理数系が得意なのでクラスが一緒だったが、ひょっとすると来年は大学進学希望の親友とはクラスが離れるかもしれない。
 まあ、クラスが離れたとしても親友とは変わらずにやっていけると思うが。
 今、問題にするなら親友ではなく―――。

(リヴァイさんの機嫌をどうするかなんだけど)

 夏休みの予定が合わず、すねているらしい――機嫌が悪いというよりはこちらの方がしっくりくる――恋人にどうしたら機嫌を直してもらえるかエレンは頭を悩ませた。



「花火大会?」

 男の住むマンションで二人で寛いでいたところ、恋人に花火大会に行かないか、と提案されエレンは自分達の住む地域でやっている花火を思い浮かべた。夏祭りとセットになっているもので、それ程大きな規模のものではないが、日程は確か八月の頭だっただろうか、と思っていると、男はそれじゃないぞ、と少年の考えを読んだように言葉を続けた。

「もう少し、規模が大きい奴だ。全国ネットでは放映はされないだろうがな」

 男が挙げたのはエレン達の住む地域からは少し離れたところで開催される花火大会で、全国局ではなくても地方局で中継されるくらいには有名なものだった。花火大会はこの時期、たくさんの地域で開催されるだろうが、おそらくはかなりの混雑になるであろう。
 日程はお盆とは少しずれていて、エレンのアルバイトも休みだったため、問題はない。

「オレは大丈夫ですけど、リヴァイさんは大丈夫なんですか?」
「休みをずらしたから大丈夫だ。安心しろ、観覧席はもうすでにとってある」

 花火大会に場所取りはつきものだが、料金を払えば事前に確保していたスペースに座れるものもある。大会によって値段や仕様は違うが、男が予約したものはテーブルと椅子の揃った観覧席で、ひょっとするとコンサートのチケット代よりも高いかもしれない。

「本当はこの花火が見える場所のレストランを予約するかで迷ったんだが、夏祭りは人混みでこっそり手を繋ぎながら夜店を回って、花火を見るのがお約束だと思ったのでそちらを選択してみた」

 レストランの方が良かったら、そちらへの変更も可能だぞ、と言われたが、エレンは首を横に振った。花火大会を眺めながら優雅にレストランで食事というコースの方が高くなりそうだと思ったからだ。

「あの、リヴァイさん、もしかしたら、当日は浴衣を着るんでしょうか?」
「着てくれないのか?」

 当然着てくれるものだと思っていたらしい男は本当にベタなことは押さえておきたいようだ。

「いえ、着るのはいいんですけど、オレ、浴衣持ってないです。小さい頃のなら残っているかもですけど……後は着崩れが心配かなーと」
「それは問題ない。俺が全部用意する」

 最寄りのホテルの部屋も押さえておいたから帰りの混雑も気にしなくていいぞ、と男は笑う――どうやら花火大会後にホテルでお泊りコースは既に決定事項のようだ。確かに帰りの交通機関は花火の見物客で混雑しているのが予想されるので、近場で泊まって翌日に帰宅すれば楽かもしれないが。

(まあ、高級レストランでディナーでそのままお泊りコースよりはマシかな……)

 クリスマスで提示された案よりはお金はかかっていないだろう。男は自分を甘やかしたがる傾向にあるから、過剰なものは止めたいエレンである。勿論、恋人と一緒にいられるのは嬉しいのだけれど。
 それに、こうして色々出来るのも自由な時間がある今のうちだけだとも思う。花火大会を観覧席で観られるのは初めてなので、それは楽しみだし、男の気遣いは嬉しい――きっと、夏休みの想い出を作ろうと、色々と考えてくれたのだろう。

「楽しみですね、花火大会」

 そうエレンが言うと、男は嬉しそうに笑った。



「はいはーい、出張ハンジちゃんですよ!」
「えーと、何でここにいるんですか、ハンジさん」

 花火大会当日――家から浴衣を着て移動するのは大変だろうから、先にホテルにチェックインしてから着替えて行こうと男に提案されエレンは頷いた。正月に和服を着たこともあったが、さすがに電車で移動となると大変となる。浴衣一式を持って行くとなると荷物になるが――と思っていたのだが、そちらはもうホテルに発送済みらしい。
 元々、一泊なので、大した荷物も持たずにホテルに到着すると、どういう訳かそれを待ち構えたようにラウンジに見知った顔があった。

「勿論、着付けのために決まってるでしょ」
「浴衣なら、一人でも大丈夫だと思うんですけど……」

 以前、ハンジには和服を着た時に着付けしてもらったことがあったが、浴衣なら自分で一人でも着られるだろう。女性の浴衣なら着付けは難しいものだろうが、男性の浴衣はやり方を覚えてしまえばそれ程難しいものではないと思う。角帯ではなく兵児帯なら慣れれば中学生でも一人で着られるのではないだろうか。

「うん、今はワンタッチ角帯とか紐結びの帯とかもあるし、浴衣は簡単になったよねー。まあ、私も大丈夫かなーとは思ったんだけど、長時間出歩くならきっちりやった方がいいって言うからさ。それに折角、選ぶのにも付き合ってあげたんだから見届けようかと思って」
「え?」

 どうやら、エレンの着る浴衣一式は男に頼まれてハンジが一緒に選んだらしい。エレンは現物をまだ見せてもらっていないのだが、絶対に似合うから、と太鼓判を押された。ハンジは色々と注文が多くてさー、まあ、値段気にしなくていい分楽だったけど、と続けた。

「ああ、浴衣は高いっていっても浴衣だから、そんなにしないから心配しなくてもいいよ。着物は良いものを探せば恐ろしい値段になるけどね」

 そう言って、ハンジは座っていたソファーから立ち上がった。

「それじゃあ、部屋に行こうか。リヴァイのことだからいい部屋とったんだろうなー。あ、浴衣の畳み方は判る?」
「多分、何となくですけど……」
「うん、じゃあ、それも一応教えとくね。折角だから、来年も着なよ……って、リヴァイなら来年は来年で新しいの買いそうだなー」

 お前、一々うるさいぞ、とリヴァイが歩き出したハンジに文句を言うが、彼女はあっさりとスルーしている。結局はエレンが間を取り持ち、軽口を叩き合いながら三人は部屋へと向かった。


「うん、エレン、似合うよ! 私の見立てに狂いはなかったね、うん」
「そうですか? お世辞でも嬉しいです。ありがとうございます」

 そうはにかみながら言う少年は可愛らしいし、お世辞ではなく青地に白の細かい柄の入った浴衣はすっきりとした印象でエレンにはよく似合っていた。これは絶対に男に食われるな、とハンジは思ったが、命は惜しいので思うだけにしておく。

「下駄は履きやすいものを選んだけど、転ばないように気を付けて。巾着も合わせたし。後はリヴァイか」
「え?」
「もう、着たぞ」

 そう言って別室から現れたのは――ホテルの部屋は二部屋続きになっていた――薄茶に上り龍の柄の入った浴衣を着たリヴァイだった。エレンは思わずぽかんと口を開けた。

「うん、大丈夫! ギリギリその道の人には見えないから! まあ、混雑してるだろうから、きっと職質はされないと思うよ!」
「お前、第一声がそれか……。エレン、凄くよく似合って――って、エレン?」

 ぽかんとこちら眺めるだけの少年に怪訝そうに男が声をかけると、彼は真っ赤になって俯いた。

「あの、その……すごく、よく似合ってます」

 その筋の人間に見られがちな男は和装に身を包むと、任侠映画に出てきそうに見えるというので、人前では和装は着ない――まあ、スーツはスーツでインテリ系のそっちの人というか、闇金業者かと思うよね、とばっさり身内には切られていたが。なので、エレンは今回も男は浴衣を着ないだろうと思っていたのだ。なのに、不意打ちで現れた男の浴衣姿が良く似合っていて、つい見惚れてしまい、咄嗟に反応が出来なかった。
 その様子に、いつでもどこでも可愛いが、照れて赤くなる少年はそのまま抱きつぶしたくなるくらい可愛らしい、と男は思った。

「……今、すぐに脱がせたいんだが、いいか?」
「うん、それはやめようね。折角着せたんだから堪能してからにしとけよ、っていうか、私がまだいるのに二人でピンクオーラ出すのはやめようね。何? 空気? 私空気なの?」

 やれやれ、と肩を竦めたハンジはそれでも二人の着付けの最終チェックをして合格、と満足そうに宣言した。

「それじゃあ、リヴァイ、約束したものよろしくね! 後、エレン!」
「あ、はい、何でしょう?」
「皆さんに頑張ってって言ってね! 私も限定品は必ずゲットするから! 一生分のスイーツを食べ切る覚悟でスイーツ展に行くからね!」

 そうガッツポーズをしながら去っていくハンジを見送って、エレンはぽつりと呟いた。

「何というか、ハンジさんって本当にブレませんね……」
「ああ、いっそ清々しいくらいだな」

 スイーツ大好きな彼女に対して全く同じ感想を抱きながら、二人は花火大会へと向かったのだった。


 到着した会場は思った通りに混雑していた。男は宣言通りに恋人と手を繋いで、エレンは恥ずかしかったが誰も気にしてねぇよ、との男の声に頷いた。混雑を理由に手を繋げるのが恥ずかしくも嬉しかったからだ。花火の見物客はカップルや家族連れ、友達らしい女の子のグループと様々であったが、男性客での浴衣姿はそれ程多くはなかった。どうせ着るなら甚平の方が動きやすくて良かったかもしれないが、恋人の浴衣姿を見られたのは素直に嬉しかった。

「何か食べるか?」

 花火大会までまだ時間があるので夜店でも見るか、の言葉に頷いたエレンに男はそう訊ねた。

「そうですね、何にしようかな……リヴァイさんは何か食べます?」
「……こういうところのものは食べる気が余りしないんだが」

 おそらくは味ではなく、衛生面でのことだろう。確かに夜店の明かりには虫が引き寄せられるし、器具の洗浄もまめに行われているとは思えない。

「でも、営業の許可が出ているということはきちんと衛生面もクリアしているということですよ。夏場は食物が傷みやすいから火を通してあるものの方が安心出来るかもしれないですね」

 下準備はして来てあるはずだし、要冷蔵のものはきちんとしているはずですよ、とエレンは述べる。

「ああ、判った。あ、エレン、お前はチョコバナナとフランクフルトは買うなよ。買ってもいいが、人前で食べるな」
「え? イヤ、夜店ってこのままこの場所で食べるから美味しいと思うんですけど」

 夜店で買ってすぐに食べるのと家に持ち帰って食べるのとは味が違うと少年は思う。勿論、時間経過で味が落ちるというのもあるだろうが、やはり、夜店で食べる雰囲気があるのだと思う。恋人、友人、家族――そういった人達とあれこれ見ながら雰囲気も味わうのだ。例えば、高級レストランはその店の雰囲気――寛げる空間もちゃんと計算しているのだと思うし、日常ではなく非日常の雰囲気を醸し出すことで味をまた違ったものにしている。
 だが、男が言っていたものは特に食べたいと思っていたものではないので、エレンはそれを了承して店を見回す。
 だが、つい目が向いてしまうのは林檎飴、クレープ、ベビーカステラ、ミニたい焼きなどの甘味になってしまう。それに気付いて男は笑った。

「やっぱり、そっちが気になるか? でも、お前が作るものとは比べ物にならないぞ?」
「方向性が違うので比べるとかないですけど。あ、林檎飴にします」

 エレンは夜店の屋台も高級レストランも飲食業の心構えは一緒だと思っている。自分が作ったものを食べて美味しいと笑って喜んでもらえたら――それが嬉しいから作るのだ。食べてくれる人のことを思って精一杯の力で喜んでもらえる品を提供する。それはどんな種類の料理人でも変わらないはずだ。
 赤い飴を買って一口齧る。果物に飴をコーティングしただけのものだと言われればそれまでだが、美味しいとエレンは思う。

「旨いか?」

 頷くエレンに男はじゃあ、一口、と言ってエレンが持っていた林檎飴に齧り付いた。
 綺麗な歯列が林檎を齧り取っていく。それをただ眺めていたエレンは我に返って真っ赤になった。
 甘いな、でも、お前はもっと甘い、と笑む男にオレは食べ物じゃないです、と返せばそうだな、旨いってことは俺だけ知っていればいいと再び笑った。

 歩いていると、ふと金魚すくいの店が目に入ってエレンは立ち止まった。

「やりたいのか?」
「いえ、金魚を飼うなら水槽とか用意しなきゃいけませんし、世話をちゃんと出来るか判らないので、いいです。ただ、昔のことを思い出したんで」
「昔のこと?」
「はい。子供の頃、アルミンと夏祭りに行って、どっちが多く金魚をすくえるか競争したんです。オレは三匹くらいでダメになっちゃんたんですけど、アルミンは凄くて、もう、一人で店の金魚すくえそうな勢いがありました」

 何か、コツがあるんですかね?とエレンが首を傾げていると、男は少年の手を引いて歩き出した。

「やるぞ、エレン」
「え? やるんですか? リヴァイさん、金魚飼うんですか?」

 それが男の意向なら構わないが、自分達は本日はホテルに宿泊することになっている。金魚をそのままにしておく訳にはいかないが、かといって水槽を買って入れても持って帰れない。今もらっても困るだけだ。

「イヤ、金魚は要らない。金魚すくいをするだけだ」

 男の言葉に料金を払って金魚すくいをするが、金魚は持って帰らないというつもりだと知る。金魚は飼えないという人もいるだろうし、ゲームとして金魚すくいだけをする人もいるのは判るが――何せ金魚すくい大会があるくらいなのだから――男がやりたいと言い出すとは思わなかった。

「あのガキより多くすくってやるから見ていろよ、エレン」
「イヤ、そんな変な対抗意識を持たないでください!」

 どうにも、自分の幼馴染みとは合わない恋人の対抗意識を燃やしてしまったらしく、エレンは打倒幼馴染みに燃える男に金魚すくいにつき合わさせる羽目になったのだった。



「やりすぎですよ、リヴァイさん」
「そうか?」

 時間が迫ってきたので観覧席へ向かい、席に着いたエレンは深い息を吐いた。金を払って金魚すくいをするが、金魚はいらないという客は店にとっては有り難いだろう。だが、その余りの気迫に驚いたのか男が金魚すくいをやっている間、子供が近付いてこなかったのだ。

「でも、凄くてびっくりしました」

 最初の一回はすぐにダメになってしまったが、その後はやはり幼馴染みと同じように店の金魚を全部すくう勢いで上手にやっていた。正直に言ってしまうと、勢いが凄かったという記憶はあっても正確に何匹すくったというのは覚えていなかったから、比べようにもどちらがより凄いかは判らないのだけれど。

「それに、オレも楽しかったです」

 男に勧められて久し振りにやった金魚すくいは思いの外楽しかった。浴衣ではやりにくかったが、それでも子供の頃にやったときのことをエレンに思いさ出せた。渡されたボールもポイも子供の頃より小さく感じて、妙なところで自身の成長を感じてしまった。
 楽しかったと少年が言ったときの男の表情が自分以上に楽しそうだったので、エレンもまた表情を緩めた。

 ドーンという音と共に大きく鮮やかな華が夜空に咲く。今までに見た花火よりも何倍も迫力があって美しいとエレンは思った。華が散る度に歓声が沸く。多くの作業と準備を重ねて夜空に咲く花火は一際大きく美しく輝いて夜空に散っていく――一瞬の美だからこそこんなにも感動するのかもしれない。

「エレン」

 華の饗宴も終盤に差し掛かった頃、男にそう呼びかけられて、上空から視線を外して少年は男に向き直った。
 ちゅっと、そんな擬音がぴったりするような柔らかさで――唇と唇が触れ合って離れていく。

「大丈夫、誰も花火に夢中で見てない」

 固まる少年に男は悪戯が成功したようにそう言うが、問題はそこじゃないです、とは口から出てこない。

「花火や夜店に周りが夢中で良かった。浴衣姿のお前なんて、人に見せるのが勿体ない」

 ハンジにも見せたくはなかったが、あれは仕方がない――それに、と男は続けた。

「正直言うと、見せびらかせたい気持ちもあるから――人の心は複雑だな」
「それは――オレも同じです」

 浴衣姿の恋人はそれが似合っていて、その姿を独り占めしたい気分と見せびらかしたい気分が同居するというのはよく理解できる感情だ。

「でも、リヴァイさんはどんな姿でもカッコいいですよ?」

 そう言って頬を染める少年に男は虚を衝かれたような顔をしてから、手を伸ばして、テーブルの下で少年と指を絡めた。
 夜空にはフィナーレの華が美しく輝いていた―――。



「リヴァイさん、冷房効き過ぎてませんか?」

 アルバイト先の出店も終わり、夏休みもそろそろ終わりに差し掛かったとある日の休日、エレンは男のマンションでそう声をかけた。節電やエコ意識の高まってきた昨今、冷房の温度設定推奨は確か二十八度だったような気がするが、体感温度は寒いくらいだと訴えている。

「はい、それとこれどうぞ。オレンジショコラです」

 言いながら手にしたオレンジショコラケーキを置く。夏場はチョコ製品は余り売れないと思う。冷やして食べるチョコなどというキャッチコピーで販売されるものもあるが、チョコレートが溶けるのを気にする人は多い。だが、男のリクエストはショコラなので、さっぱりした感じを出そうとオレンジを選んでみたのだが、どうだろうか。きっと、男の感想は美味しいなのだろうけれど。
 男の隣に腰かけた少年が見たのは冷房のリモコンで――設定温度は十九度だった。道理で寒い訳だ。

「何で、こんなに低くしているんですか? もうちょっと上げて――」

 リモコンに伸ばそうとしたエレンの手を掴んでリヴァイは首を横に振った。

「寒かったらずっといちゃいちゃ出来るだろう?」

 そう言って少年の身体を引き寄せて抱き締めてきた恋人に、目を丸くしてからくすくすとエレンは笑った。

「別に寒くなくてもいちゃいちゃは出来ますよ?」

 リヴァイさんとくっつくのは好きですから、と続ける少年に男は優しく唇を落とした。





《完》



2016.11.6up


 季節外れ感満載のショコラ新作ですが、時系列的に考えると次は夏休みだよなーと、思いついたので書いてみた作品です。いつもながらのお約束のベタ展開ですが、このシリーズはそれを貫きます←開き直り。金魚いらないのに金魚すくいしたことは自分の経験です。子供の頃、最中のポイだった気がするのですが、成人してからやったのは紙のでした……店によって違うのかしら〜と本編に関係ない疑問です(汗)。



←back