ああ、また靄が見えると少女は思った。見える、というより、気配を感じると言った方が正しい。相手から黒く澱んだものを感じ取って、少女は身を丸くした。そこに何度も何度も何度も蹴りが入る。その眼が気に入らないんだよ、人を馬鹿にした眼をして、親を馬鹿にするなんて何て腐った子なんだと、喚いている声が耳に反響する。
 別に馬鹿にしたことなどはない――ただ、何を口にしても生意気だと言われるので何も話さなくなったら、今度はその態度が気に入らないと罵倒されるようになっただけだ。泣けばまだ可愛げがあるのに、と吐き捨てていたが、泣けば泣いたでまた泣き声がうるさいと殴られるのだろう。だから、少女は泣かなくなった。
 少女は家の外をよく知らない。学校も休みがちで、外では何も話すなと命令されている。給食は唯一のまともな食事なので――親は給食費を滞納していたらしいが――少女は毎日学校に行きたがったが、こうやって蹴られたりした後はどうしても動けなくなったりしたり、目につくところに痣が出来た場合は外に出してもらえなかった。こうして家の中で何が起きているのかは隠蔽されていたが、何かおかしいと思うものは多少はいたのだろう。学級の担任という肩書きのついた教師が少女に話を聞きにきたが、何も話すなと言われているため、話せなかった。教師は言葉では優しいことを口にしていたが、少女はそれが偽りであると知っていた――だって、気配は嘘をつかない。纏わりついていた灰色のそれは少女が面倒臭い子供だと雄弁に語っていた。
 そんなある日、少女は自分の親と呼ばれる者達が夜中に声を潜めて話している場面を目撃してしまった。内容はよく判らなかったが、『売る』とか『厄介払い』とかそんな単語が飛んでいたと思う。それを眼にした時、少女はすぐさまそこから逃げ出すことを決意した。彼らの気配は今までで感じた中で一番、どす黒い――真っ黒だったのだ。
 だが、逃げる場所を少女は知らなかった。行く場所はなかった。ただやみくもに歩いて歩いて歩き続けた。足元でかさかさと音がして少女はそれを見た。真っ赤な落ち葉――上を見上げれば木の葉が真っ赤に染まっている。ああ、血の色みたいだ、と思いながら少女はひたすらに歩き続けた。

 歩き続けて疲れた少女は建物と建物の間の細い通路のような場所に入り込んでそこに腰を下ろした。一度下ろせば立ち上がれない。水は途中の公園などで口にしていたが、何日も食べていないので、空腹でもう動けなかった。

「見つけた」

 不意に近くで声が聞こえて、少女がのろのろと顔を上げると、そこには一人の少年がいた。年の頃は自分と同じか一つ二つ下かもしれない。

「何かいるって思って見たらやっぱりだった」

 そう言う彼の眼は綺麗な金色だった。少女は初めてこんなに綺麗なものを見たと思った――瞳だけではない、彼の纏う気配がとても綺麗だったのだ。少年は自分が着ていた秋物のコートを脱いで、少女にかけた。寒そうだから、と言葉を添えて。

「もう、大丈夫だから。こんな寒いとこにいないで、オレと行こう」

 伸ばされた手が温かくて、かけてもらったコートを握り締めながら、少女は大声で泣いた。


 そこからは児童相談所とか、保護とか、児童虐待とか大人達の間では色々な言葉が飛び交っていて、少女には判らなかったけれど、どういう手配をしてくれたのか、少年の家にしばらくの間預けられることになった。
 少年の両親も少年程ではないけれど、とても綺麗な気配の人達でとても温かかった。少年の母はあの子は昔から探し物が得意なの、何でも見つけられるのよ、と笑って、今回が一番の大手柄ね、と少女の頭を撫ぜた。
 お腹いっぱい食べても怒られない温かい食事、清潔な衣服、のんびりと浸かれるお風呂、ぐっすり眠れる寝床――どれも初めての体験だった。日中、学校に行っている少年は帰宅したら少女と遊んでくれた。外で駆け回るのも、家の中で遊ぶのも少女にはとても楽しかった。少年は兄弟が欲しかったから、少女が来て楽しいと笑う。
 兄弟ということは女の自分はダメなのだろうか、と言うと、少年は姉妹でも一緒だ、とまた笑った。

 ――そんな、平穏な日々はたったの数日間で終わった。何でも少女の親戚というものが現れて、彼女を引き取りたいのだと申し出たという。書類もしっかりしていて、身元もきちんとしているし、問題はないとされ、少女はその親戚に引き取られることとなった。少年の両親も里親として名乗り出てくれていたようだが、どうも血縁関係の方が優先されたようだった。
 別れ際、少年は赤いマフラーを少女にプレゼントしてくれた。これからの季節寒くなりそうだから、と。
 親から逃げたときに血の色だと思った落ち葉の赤が今はとてもあたたかい色に見えた。

「もしも、そっちで辛いことがあったら、オレんちに来いよ」

 少年はそう言って自分の家の住所と電話番号を書いた紙を渡してきたが、少女はこれを使うことはないと思った。何の関係もない自分にここまでしてくれた彼らにこれ以上迷惑はかけられない。彼らとは二度と会うことはないだろう。だが―――。

「もしも、ずっと先に――私が大人になったときは見に来てもいい? 私だとは判らないだろうけど」

 その言葉に少年は絶対に判る、と笑った。

「また見つけるよ。だって、オレ、探し物得意だからな! 何年経っても、ミカサだって絶対に見つけてやるよ」

 その言葉に泣きそうになって、我慢した少女は元気でな、という少年に手を振った。


「ああ、良かった。いなくなったというから心配したよ」

 職員に引き合わされた人物を見て、少女は身体を震わせた。――何て、黒い気配だろう。濁って澱んだ水流に放り込まれたようなそんな感覚を受けた。

「もうずっと小さい頃に会ったきりだから覚えてなくても仕方ないかしらね」
「でも、私達夫婦は連絡が取れなくなって君達家族のことを心配していたんだよ」

 そう言い合う相手に少女は言葉を返せない。直感でこの人達は危険で言っていることは全部嘘だと見抜いたからだ。にこやかに笑みを浮かべるその姿に温厚で穏やかな夫妻だと、職員は信頼している様子を見せていたけれど――それは全部作り上げた仮面だ。おそらくは並大抵の人間では見抜けない程、完璧な。
 彼らについていけばきっと今まで以上の地獄を見るに違いない。ちらり、と脳裏に少年の言った言葉が蘇る。
 何か辛いことがあったら――。

「判ってはいると思うが、私達はお前を買った」

 相手が職員の気を引いてる隙にもう一人が小声で少女に話しかけてきた。

「瞬時で見抜くとは想像以上の逸材だ。逃げたらどうなるか判るだろう? 例えば――そうだな、お前が世話になった者とか」

 少女はその言葉に動揺した。育った環境から表情を変えることの少ない少女のその反応に相手が嗤うのが判った。ああ、もうどこにも逃げられないのだと少女は悟った。
 後はもう真っ暗な闇の底に落ちていくだけ。
 ――絶対にミカサだって見つけてやるよ。
 その言葉だけが小さな光となって、ただ少女の中に残った。




解約




 チッという舌打ちが聞こえて、少年はそれをした男に視線を投げかけた。どうやら、男は手にした紙――どこからか郵便が男宛に届いていたようだ――を見て無意識に舌打ちしたらしい。気になったエレンは食事後の片付けをしていたキッチンから男が座っているソファーへと向かった。いいと言ったのに男はキャンプ場に行った後、今いるキッチン付きの豪華な部屋へと移動したのだ。それからは毎日ではないが、エレンに料理を作ってくれとねだるようになった。高級料理ばかり食べている男の舌には自分の作るものなど合わないだろうに――と言ったら、何故かそういうもんじゃねぇよと頭を撫ぜられた。
 エレンとしては、好きな時に自国の庶民の味を作れるようになったのは嬉しいが、その代償は大きかったと思う。だが、何を言おうともう移動してしまったのだから今更どうにもならない。自動食器洗い機って便利だな、と思いながら男の隣へ腰かける。

「何か、嫌な知らせでもあったのか?」
「ああ、残念だがその通りだ」

 男の眉間に刻まれた皺を見るに相当不機嫌なのだろう。エレンがそっと手を伸ばしてその皺をもみほぐすようにすると、男はようやっと少しだけその不機嫌を緩めたようだ。

「――呼び出しを受けた。面倒だが、行かなきゃならねぇ。嫌な予感しかしない」
「呼び出し? 何かの仕事の関係?」

 男の仕事関係はエレンにはよく判らない。ただ、普通の会社員のように毎日出社するようなことはなく、在宅で出来ることらしい。投資だの、運用だの、指示だの、今は直接会ってやることがないから楽だな、と男は言っていたが――とにかく、大金持ちなのだけは確かなようだ。

「違う。それだったら楽だったが――言うなら、お前関係だ」
「オレ?」
「そう、お前を連れて行かなきゃならねぇ。絶対にあいつは碌でもねぇことを考えているに決まっている」
「えーと、あいつって誰だよ? ここから移動すんのは構わねぇけど……」

 少年にそう言われ、男はどこから説明するか、と呟いて、ふうと息を吐いた。

「前に吸血鬼は情報を共有していると言ったな?」
「ああ、聞いた」
「なら、それはどうやっていると思う?」

 問われて、エレンは考え込んだ。一族は各地に散らばっていて、正体がバレぬように一定期間が経つと移動するから、お互いが出逢うことは滅多にない。出逢ったときに近況を語り合うことはあるだろうが、その話が伝言ゲームのように他に伝わっていくとは考えにくい。伝わっていくうちに情報が歪められたり、また新しい情報に変わったりするだろうし、それ以前に他の一族に出逢うことがまずないのだから。一族全員に正しく情報を伝えるとなると――。

「誰かが――複数人か、組織か何かで情報を集めて管理する仕組みが出来ているってことか? それ専門に動いているというか、吸血鬼の組合っていったらおかしいかもしれねぇけど、サポート機関みたいな組織が作られている?」

 少年が言うと、男は正解、と手を叩いた。

「吸血鬼は正体がばれないようにあちこちを転々として好き勝手に生きているが、定期的にそこに連絡は入れている。何かあればそこから情報を引き出せる。俺は俺で独自のコネクションを持ってはいるが、あいつの組織力には敵わない。今は自由の翼財団とかそんな名前になっていたかな」
「財団って……会社でもやってるのか?」
「その通りだ」

 男の言葉にエレンは固まった。世間から正体を隠している吸血鬼が会社設立などするのだろうか。

「いくつかの企業を抱えている。社員は当然人間だ。まあ、吸血鬼のやっている企業だとは知らないやつが大半だが、あいつの部下には人間も多くいるからな」
「……何か、こんぐらがってんだけど。人間にばれたらヤバいんじゃねぇのか?」
「時代の流れというやつだな。それに、昔から一部の人間は吸血鬼の味方――というか、お互い利用し合うことはあった」

 吸血鬼だと正体を知れば大半の人間は恐れ、殺そうとしてきたが、それでも態度を変えないものはいた。その吸血鬼の性格を知り、親愛や友愛の感情を抱くもの。その能力や才覚を知り、それを利用したいもの。崇拝に近い感情を持ち――悪魔信仰のように――その足元で忠誠を誓うもの。吸血鬼がその美貌や性技で相手を虜にして僕にすることもあったし、全く味方がいなかったという訳ではない。

「まあ、昔から正体を知れば殺そうとしてくるものが殆どなんだが、今は複雑で面倒になった。ただ殺すつもりで来る単純なものではなく、捕獲目的のものも多い」
「捕獲?」
「研究したいそうだ。不老不死というのは人間にとって余程魅力があるらしい。自分から一族になりたいというものもいるし、新興宗教の教祖にしたいとかいうおかしな連中もいるし、吸血鬼は昔から商才などの才覚があるものが多いから共同経営というかアドバイザーにしたいとか、多様化している」
「…………」
「まあ、能力者でもない限り吸血鬼を見つけ出すのは難しいがな。今は能力者は減っているから、どの組織もそれを確保するのに必死になっている。人が増えた分、社会は複雑になったが、身を紛れやすくもなった。金さえあれば身分証さえ手に入るんだからな」
「取りあえず、色々あるのは把握した。――で、吸血鬼組織からの呼び出しっていうのはそんなにまずいことなのか?」
「イヤ――頻繁にではないが、たまにあることだ。それに、誰かを二次吸血鬼にしたらあいつ――エルヴィンには引き合わせることになっている。いずれはお前をあいつには会わせなきゃいけなかったんだが……」

 どうやら、組織のトップはエルヴィンという名らしい。男がそんなに嫌そうにするとはとんでもない人物なのだろうか。

(イヤ、人望がなかったら、そもそも組織のトップにはなれねぇよな?)

 男の口振りからして、相手はかなりの昔から組織を統制していたようだし、二次吸血鬼を引き合わせるしきたりがあるというなら、自分がそれを断る理由もないと思われる。

「そんなにヤバい奴なのか、そのエルヴィンってひと……って、吸血鬼だけど」
「ある意味ではヤバい。敵にはしたくないタイプと呼ばれる男だな」
「え? あんたより強いのか?」

 少年の言葉にまさか、と男は鼻で笑った。

「能力でいったら俺の方が断然強い。だが、あいつはまず戦いになるようなヘマをしない。用意周到に追い詰めるタイプだ。一言でいうなら腹黒だ」
「…………」
「だから、この呼び出しもお前の紹介にかこつけて厄介な仕事でも押し付ける気でいるに決まっている。最近、対吸血鬼組織の活動が活発になっているという報告を受けているから、何か絶対にある」
「でも、正当な呼び出しだろ? 行くしかないんじゃねぇのか?」
「……行くしかねぇから嫌なんだろうが」

 本当に嫌そうな顔をする男に、エレンはふと思った疑問をぶつけてみた。

「そういや、吸血鬼の強さでいうならあんたの方が上なら、あんたがトップになるはずだったんじゃねぇの?」
「俺がそんな面倒なことを引き受けるとでも?」
「………うん、そうだよな、それはないよな」
「それに、人心掌握とか、能力を見抜いて振り分けるのがあいつは抜群に上手い。上に立つならあいつが適しているだろう。能力の強さは関係ない」
「あんた、自分でかなり強いって言ってたけど、あんたより強いやつっているのか?」

 左手の薬指の刻印はまだ消えていない。それはこの男の強さを示すものでもあるのだと、同じように二次吸血鬼になった女性から聞いた。
 男はさあな、とそれに答えた。

「取りあえず、能力だけをいうなら今までに会った吸血鬼で俺より強いと思ったものはいない。ただ、一族全員に会った訳じゃないから何とも言えんな」
「…………」

 男と出逢って数百年――そして、彼は更に数百年生きていたと言っていた。いくら余り出逢うことのない一族とはいっても、それだけの期間自分より強い相手に会わなかったというなら、かなりというより相当というか、むしろ最強レベルではないのだろうか。では、その最強レベルに一族にされた自分はどうなのだろう。

「じゃあ、オレってどうなんだ?」
「それは完全体になってみないと判らん。ただ、お前は元々能力持ちだったから弱くはならないだろう」

 人間のままでいたなら狩る側にスカウトされていたかもな、と男は言う。
 吸血鬼と対決する組織――複数様々なタイプがあるらしいそれにスカウトされる自分を想像して、エレンは首を横に振った。

「絶対に遭遇したくないな……」
「それは吸血鬼なら誰でも同じ意見だ」

 何はともあれ、エレンは吸血鬼の組織に出向くことに決定したのだった。



「はじめまして、私はエルヴィン・スミスという。リヴァイから話は聞いているかな?」
「はい、オレはエレン・イェーガーと申します。よろしくお願い致します」
「ははは、そんなに緊張しなくたっていいよ。私達はもう同族なのだし、これはまあ通過儀礼のようなものだから」

 朗らかに笑う男――エルヴィンは爽やかでリヴァイが言っていたような腹黒さは特に感じられない。上に立つものならばまあ、当然、何かしら汚いこともやったことがあるのだろうが、それを感じさせない。年齢はリヴァイよりは少し上に見えるが、見た目では吸血鬼の本当の年齢は判らない。自分の外見年齢はいったいどれくらいで止まるのだろうか、とエレンはそんなことを頭の片隅で思った。
 しばらくの間、歓談し――同席していたリヴァイは不機嫌そうであったが――緊張も解れてきた頃、エルヴィンは実は君に頼みたいことがあるんだよ、とエレンに告げた。途端、その言葉にリヴァイの眉間に皺が寄る。

「オイ、エルヴィン、こいつはまだ完全体じゃねぇ。何をさせる気だ」
「怖いな、リヴァイ、何もそう難しいことではないよ。取りあえず、話を聞いてくれないかな、エレン」
「はい」
「君はエルトアニア王国という国を知っているかい?」

 エレンは首を横に振った――聞いたことがあるような気もするが、どんな国か知らない。王国、というのだから民主主義が広まった現在でも未だに王政なのだろうが、王政ではなくとも独裁的な国家はあるし、それを批判する気はない。

「小さな国だが、美しい街並みと自然があり、観光産業で成り立っている。後は良質な鉱物も採れるからアクセサリー業も盛んで、美しい宝飾品を作る。その美しさを気に入った富裕層が訪れたりして国は潤っていると言える。それに不況でも金を出す人は出すからね」

 そう言って、エルヴィンはリヴァイに視線をやって、男は更に眉間に皺を寄せた。

「で、その小国の王だが、吸血鬼の協力者だ」
「は?」

 ぽかんとした顔のエレンにエルヴィンは本当だよ、と告げた。

「王様が協力者なんですか?」
「そう、王だけではなく、王族はほぼ皆こちら側の協力者といっていい。観光産業を広めるのに協力したのは私達だし、向こうの有名な宝飾デザイナーは人間だが、私達の組織の一員だ。――で、そんな王族を狙っている組織があるとの情報が入った」
「狙っているって……国王は人間なんでしょう?」
「人間だが、組織によっては吸血鬼に味方するものは、堕落し悪魔に魂を売った者として攻撃の対象にするんだよ。どうも、王族全員を皆殺しにしようと動いているらしい。そこで、君に協力して欲しい」
「何で、そこでエレンなんだ。他にも人員はいるだろう」
「勿論、それには理由があるよ。王宮は完全に警備が徹底されているし、不審物も全部チェックされている。問題は学校の方だ」
「学校?」
「第三王子が高校生なんだ。王立の高校に通われていてね、そちらの警備はしているが、高校生に見える能力者や吸血鬼はいないので、中々難しい。それで、君に潜入してもらって不審なものがないか調べてもらいたいんだ。それに、あちらは君の出身国贔屓な国だから君なら喜ばれると思うよ」
「――こいつである必要はないだろう。外見なら誤魔化せるものもいるはずだ」
「君を基準に考えてもらっては困るよ、リヴァイ」
「――やります」

 二人の間にきっぱりとした少年の声が響いて、エルヴィンは僅かに驚いた顔をして、リヴァイは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「オレが一族に何か出来るならしたいし、それに、多分、あなたは嘘を言っていない」

 エレンは金色の瞳を細めた。

「多分、隠しているというか、言っていないことはあると思います。でも、その王族が狙われていることも、高校に潜入して調べたいことも本当。そして、どうしてかは判らないけど、オレである必要がある。――ですよね?」

 エルヴィンは両の眼を瞠って、それからくつくつと笑った。

「ああ、浄眼か。君に嘘をつくのは難しいね。確かに言っていないことはあるよ、私は腹黒だから――リヴァイからそう言われただろう? 君に頼んだのにも理由があるが、言う気はない。それでも行くかい?」
「はい」
「ありがとう――これは本心だよ。リヴァイ、サポートを頼む……というか、言われなくとも君がついていくのは判っているがね」

 リヴァイは舌打ちし、諾、と答え、エルヴィンは面白そうな顔をしていて、その二人を見てエレンは困ったように眉を下げたのだった。



 エルトアニア王国行きの航空チケットを手に、男は深い溜息を吐いて頭をぐしゃり、と掻いた。

「ああ、ちくしょう、何で俺がこんな国に行かなきゃなんねぇんだよ! どこで踏み外した、俺の人生!」
「お前、まだぐだぐだ言ってんのか?」

 ぶつぶつと呟く男の隣でそう若者が呆れた声を出した。手にしたペットボトルを開けて、中のジュースをごくごくと飲み干す。若者は少年と青年の丁度中間くらい――大学生くらいの年齢に見えた。飲み干したボトルを捨てると、ひょいっと、男が座っている空港ロビーのソファーの隣に腰かける。

「つーか、もう空港まで来てんだから今更だろ? 逃げらんねぇんだからうじうじすんなよ」
「うるせぇよ、この坊主頭チビ!」
「何だよ、この馬面悪人顔男!」

 お互いに罵倒した後、はあ、と男はまた息を深く吐いた。

「……そうだよな、今更言っても意味ねぇんだよ、判ってるんだよ、ちくしょう」

 男の名をジャン・キルシュタインという。男の人生の始まりは決して悪いものではなかったと思う――というより途中までは順風満帆な道を歩んでいたのだ。中流家庭に生まれたジャンはそこそこ頭が良かったし、運動神経も良かった。世間にわりと知られた大学へ進み無事卒業し、運良く有名な一流企業へ就職をすることも出来た。仕事の成績だって良い方であったし、恋人もいて充実した生活を送っていた。――が、上司が仕事で大きなミスをしたことでその人生が狂い出した。何がどうしたのか、上司が仕出かした仕事のミスがジャンの責任になっていたのである――当然、ジャンは抗議した。自分のせいではないと主張したが、それは通らなかった。そして、ジャンを庇い味方してくれるものは会社には誰もいなかったのだ。仕事とプライベートは分けるべきだと思っていたジャンは社内に親しい人間を作らなかった。自分としては上手く立ち回っているつもりであったが、どうも付き合いの悪いいけ好かない奴という評判が同期の間で広まっていたらしい。こういう立場になるとは想定せず、味方を作っておかなかった手痛いミスだった。
 そうして、ジャンに辞令が下りた――本社からは遠い支社の聞いたこともない部署への異動で、事実上の左遷であった。ジャンは恋人に一緒に来てほしいと頼んだが、あっさりと別れを告げられた。恋人――いや、今では元が付くが――は有名企業の会社員という肩書きに左遷された先のない男と上書きされたジャンには興味がなくなったらしい。将来性がない人と付き合うのは時間の無駄だから嫌なの、が彼女の別れの言葉だった。
 ジャンは打ちひしがれた。自分が何をしたんだと叫びたかったし、実際に叫んだ。だが、ここで終わっていたならジャンの人生はまだ修正がきいたかもしれない。この後の出来事が今のジャンの状況を作ったのである。
 ジャンはその日、バーに立ち寄った。憂さ晴らしというか、ヤケ酒を呷るためである。呑まなきゃやってられないというのが、正直な心境だった。数時間一人で呑み続けたジャンは店主に閉店の時間を告げられ、千鳥足になりながらも自宅への道を進んだ。

(今のアパート引き払って、転出届出して、色々面倒な手続きして……ああ、俺が何したっていうんだ)

 心中で自分の上司と会社を罵倒しながら進んでいると、ふと妙な気配を感じた。何かがおかしい――そう感じたのだ。
 ジャンは昔から勘のいいというか、妙な気配を察知する子供だった。何か危ない気がするから行かない方がいい、と思った場所で事故が発生して難を逃れていたり、何かヤバそうだな、と思った相手を避けたら、その相手が事件を起こしたり、とその勘の良さで様々な困難を回避出来ていた。今回の上司のミスは避けられなかったが、会社の人事まではジャンにはどうにも出来ない。
 今までのジャンならそれを避けていただろう。だが、ミスを押し付けられて左遷され、恋人には振られて、ヤケになっていたのと、呑んでいたのが悪かった。酔っぱらった頭が好奇心を抑えきれず、ジャンはそちらへと足を向けたのだ。
 そこで目にしたことにジャンはぽかんと口を開けた。何が起こっているのか脳が処理しきれなかったのである。

(何だ、これ)

 一人の男性を取り囲むようにしている大勢の人間達、手には銃器らしきものがある。他には色々な道具や、薬品のようなもの。何かを指示するリーダー格らしい男――おそらくは捕獲開始、と言ったのだろう。
 男達が一斉に銃を撃つが、相手は驚くべきことに全部それを避けた。壁にぶつかって落ちたそれは殺傷するためのものではなく、麻酔銃のようなものらしかった。ネットのようなものが出る道具も出していたが、それも相手は避けていた。防犯用のものとは違って、何かキラキラしているように見えたが、素材はよく判らない。
 暗がりの中、照明器具を持ち出して男を照らし出しているようだが、相手は帽子を深くかぶっているため、顔はよく判らなかった。だが、その口元がうっすらと笑みを作ったのは判った。ジャンはそれを見てぞくりとした――何故だか、それが人ではない生き物のように思えたのだ。
 男はまるでショータイムは終わりだ、とでもいうように優雅な礼をし、微かにその唇が動いた。さようなら、とおそらくはそう言ったのだと思える――彼は軽く壁を蹴り上げるようにして飛ぶと、闇の向こうへと消えていった。

「…………」

 何だったのか、今のは夢でも見ていたのか――と混乱するジャンの気配に男達の一人が気付いた。それは周りにすぐに伝達され、一斉に視線がジャンを向く。
 ジャンはここに来て今自分が非常にまずい状態であることを察した。事情は全く判らないが、自分の本能が警鐘を鳴らしている。

「ほう、君、ここに入れたのかね?」

 こんな路地裏誰にでも入れるじゃないか――とジャンは思ったが、どうにも相手にはジャンがここに来たことが重要であるらしかった。

「あの、俺、帰り道に通りかかっただけで、ここに用もないんで――」

 帰ろうとしたジャンの両腕をがしっと男達が掴んだ。

「捕獲は出来なかったが、面白い人材を発見したな。能力者は減ってきているから貴重だ。鍛えれば使えるだろう」

 ジャンには意味の判らない言葉を満足げに告げられ、そこからジャンに吸血鬼の研究組織の一員、という肩書きがつけられ、大きく人生が狂ったのだった。


「何だよ、吸血鬼の研究組織って。吸血鬼なんかいる訳ねぇのに、脅されて会社やめさせられた俺はどうすりゃいいんだよ。吸血鬼捕獲任務なんて出来る訳ねぇだろうが。大体能力者とか何だよ、俺はそんなんじゃねぇっつうの」

 ジャンの言葉に若者は溜息を吐いた。

「お前、見たんだろ、捕獲現場。だったら、相手が人間じゃねぇってのは判ったはずだ。で、入れたんなら能力が一応はあるってことだ」
「何でだよ」
「吸血鬼の捕獲は周りに見られない、騒がれないが原則だから、結界張るんだよ。まあ、結界っていっても弾き飛ばすようなもんじゃなくて、目くらましっていうか、中で何が起こってるか興味を持たれないようにするってもんだから絶対に入れないことはねぇけど、普通は気付かないんだよ。なのに、何か起こってるって思って侵入したんだから、能力ありってこと。だから、組織の人間もメンバーにしたんだろ」
「すんなよ、そんな簡単に! 職業名乗れねぇじゃないか! 吸血鬼捕獲してますなんて言えるか!」
「イヤ、そんなこと言ったら組織に消されるぞ。後、一応、自然科学研究所とか何とか表向きの名前がついてるからそれ言えよ。給料も出るんだし、文句ばっか言うな。お前が素人だから俺がつけられたんだからな、それ自覚しろ」
「こっちは気楽な学生とは違うんだよ!」

 ジャンの言葉に若者はムッとした顔をした。

「こっちだってな、留年の危機があるんだよ! 学校あるのに呼び出された身になれよ! あんただって大学に通ってたんならその厳しさが判るだろうが!」

 確かに大学の休みの期間ではない現在、長期休むのは痛いはずだ。大学は遊んで卒業出来る程甘いものではない。

「お前は何で、この任務についたんだ? 俺のサポートというか、指導がいるのは判るんだが、大学生っていうなら組織のメンバーじゃねぇんだろ?」
「……家庭の事情だ」

 若者の名をコニー・スプリンガーという。彼は能力者、と呼ばれる存在である。大学に通う十九歳だという彼がこの組織に加担しているのには理由がある。

「俺の家が代々能力者の家系なんだよ。昔から能力使って仕事してたんだけど、最近は使える奴の数が減ってきててさ、今回は手の空いてる奴がいなくて、俺が駆り出された訳」
「……そんな話本当にあるのかよ」
「あるんだよ。大昔はもっと力強くて呪殺とかいうの? そういうのも出来たみてぇだけど、今じゃそんな強い奴はいねぇよ。大体さぁ、吸血鬼の捕獲なんて無理なんだって。しかも、今回吸血鬼が現れるかもしれないって情報だけなんだぜ? 居場所探れって無理あるっつーの! 本当に来る保証もねぇのに、学校休まされて聞いたこともねぇ国に行かされる俺の気持ちをお前だって考えろ!」
「イヤ、それ、断りゃ良かっただろ?」
「社会人だったんなら判るだろ? 得意先の会社に人手足りませんから仕事出来ませんって断ったら次なくなるっつーの。一応、これで食ってるんだから多少の無理な要望に応えんのは仕方ねぇんだよ」
「イヤ、お前まだ学生なんだからその辺はどうにかならなかったのか?」
「だから、人いなかったんだよ。家の商売手伝うのは普通にあるだろ。俺の家は特殊だけどさ」
「まあ、そうだな……」
「…………」

 二人してはあ、と溜息を吐く。

「吸血鬼がいるって確証とか、目撃証言とか全然ないんだよな?」
「ない。まあ、空振りに終わるってのはよくある話だ。目撃情報があってそこへ急行しても、もういなくなってたのなんてざららしい」
「――それじゃあ、もう、適当にやりゃいいんじゃねぇ?」
「は?」
「勿論、仕事は一応するけど、こっちは無理矢理やらされてんだ。もう、観光に行くつもりでやる。見つかる保証ねぇんだし、つーか、本当に吸血鬼がいたら捕まえるのなんて無理だし。適当にやって、後は遊ぶ。もうそれしかねぇ!」
「……開き直ったか」

 ジャンの言葉にコニーは溜息を吐いて、それから、よしっと立ち上がった。

「まあ、吸血鬼が来るかもよー程度の情報で何しろって話だよな。どんな奴が来るとか、場所とか全然判らねぇのに、国内全部探して回れっていうのかって話だし。せめて作戦立ててからこっちに振れって言いたいよな」
「まあ、本気で作戦立てられて吸血鬼が来たらそれはそれで嫌だとは思うがな」

 ジャンも立ち上がり、そろそろ時間だな、と呟く。

「取りあえず合言葉は」
「適当にやる、だ!」

 意見のまとまった二人は歩き出し――それから途中でジャンが足を止めた。

「どうしたんだ?」
「イヤ、今すれ違った女がすげぇ綺麗だったと思って」
「はぁ?」
「二十歳――はいってないか? 大学生……丁度お前くらいの年頃で、赤いマフラーしてたな。黒髪の」
「お前、その観察力、任務で発揮しろよな」
「合言葉は適当だって今言ったばかりだろ!」

 はいはい、判ってますよ、とコニーは返し、二人は嫌そうに再び歩き出した。


「アルミン、大丈夫? 飲み物を買ってきた」

 赤いマフラーをした黒髪の女性がそう言って、ソファーに座る少年に飲み物を手渡した。

「うん、ごめん。何だか緊張しちゃって。もう大丈夫だと思う」
「任務のときは緊張するから仕方がない。アルミンはこれが初めてなんだし」

 そう言って、少年の隣に腰かける彼女からは緊張している様子は感じられない。僕はまだまだだな、と少年は苦笑いを浮かべた。

「ねぇ、ミカサ……国王の話は本当かな」

 これから二人が行く先はエルトアニア王国という小国だ。そこの国の国王――そして、王族達は吸血鬼に味方しているという情報を二人が所属している組織が掴んだのだ。それを確かめるために二人はそこに行く。

「私達は任務を遂行するだけ。それだけ考えていればいい」
「そうだね……吸血鬼も、それに味方する人間も総て倒さなければならない、それだけ考えていればいい」

 彼女――ミカサはアルミンを静かに眺めた。彼と初めて逢ったのは一年くらい前になるだろうか。本当なら今は高校生として普通に暮らしていただろう、彼の両親が亡くならなければ。アルミンの両親は吸血鬼に殺されたのだと組織の者は言っていた――だが、ミカサはそれを疑っている。アルミンは能力者の素質を持っていた。上手く制御が出来ずに訓練に時間がかかり、今回が初めての任務になるが、頭もよく、中々現れない人材だ。組織からしてみればかなり欲しい人材だったに違いない。自分の親は金欲しさに自分を売ったが、その後の話を聞いていない。知りたいとは思わないし、碌な人生は送っていないのだろう、と想像は出来るが、彼らが売った娘にたかりに一切きていないというのが引っかかっていた。売り飛ばしたことなど忘れたように、産んでやったんだからと無心に来るぐらいはする人達だとミカサは分析している。
 組織に連れてこられた子供の境遇は似たり寄ったりだ――親に売られたか、親を吸血鬼に殺されたかそんなものばかり。果たして、能力者の子供の親ばかりが不幸な目に遭うのだろうか。組織は吸血鬼は自分達を探し出せて戦える能力者を恐れ狙って抹殺しているのだと教えているが、吸血鬼というのは能力者が束になってかかっていっても倒せるような存在ではない。中には弱いものもいるが、彼らを殺すというのは非常に困難だ。そんな彼らが人間を恐れるだろうか。

「アルミンは、彼らの犯行だと本当に思っているの?」

 ミカサの問いに少年は静かに目を伏せた。

「――ミカサの言いたいことは判るよ。僕も組織に関わってきて、色々なものが見えてきたから全部を信じられるとは言い難い。でも、彼らを殲滅するのは正しいと僕は思う」

 見たことがあるんだ、と少年は続けた。

「彼らに殺された人間の遺体を――枯らすようにして殺すって聞いていた通りにそれは無残なものだったよ。そんなことが出来る力を、そんなことが出来るものを放置していてはいけない。彼らは滅びるべきだ。人類のために」

 そう、と一言だけ返した彼女に、少年はミカサは?と訊ねた。

「ミカサはどうしてここにいるの?」
「私は――そうするしかなかったからしただけ」

 淡々とそれだけ答え、ミカサは口を閉じた。沈黙が二人の間に横たわり、しばらくした後、ミカサは立ち上がった。

「そろそろ、時間だ。行こう」

 ミカサに促され、アルミンも立ち上がった。

「――ミカサは結構優しいよね」

 少年の言葉にミカサは怪訝そうな顔をした。

「僕に組織の任務をさせたくないみたいだし、さっきも緊張している僕を心配してくれた」
「――私は普通に生きられるならその方がいいと思っているだけ」

 自分はもう後戻りは出来ないけれど、とミカサは胸の中で呟いた。

「優しいよ――何だか、友達を思い出した」
「友達?」
「うん、幼馴染みっていうか、海外に出る前はずっと一緒だったんだ。負けず嫌いで頑固なところがあったけど、本当はお人好しで優しいって僕は知ってた。元気でいてくれてるといいけど」

 もう二度と逢えないだろうけど、と寂しそうな笑みを浮かべる少年にミカサはやはり、そうと一言だけ返してゲートへと向かった。



 ああ、判っていたさ、人生は甘くないって、とジャンは胸の中で呟いた。甘い人生だったらこの小国までやって来るは目に陥ってないし、今でも一流企業に勤めていただろう。

(けど、もうちょっとまともな職場でもよかったんじゃねぇのかよ、神様とやら)

 ジャンが掴まった秘密組織の研究施設はここにもあったらしい。そして、その所長だというのが、目の前に立つ男である。キッツ・ヴェールマンと名乗った中年男性他、研究員は全員男だった。上司が魅惑的な美女――何て話は幻想だとは判ってはいるが、せめて女性の研究員の一人くらいいてもいいのではないだろうか。

「お前達にやってもらうのは吸血鬼の探索、捕獲だ。人手や道具が必要なら出すが、まず、吸血鬼を見つけ出せ」
「あの、質問なんですけど、吸血鬼をここで見たとかいう情報やどういった吸血鬼が来ているとかは全く判らないんですよね?」
「ああ、判っていない」
「真正か二次かも、どの場所に現れるかかどうかも判らないんですよね?」
「そうだ」

 所長の言葉にコニーは溜息を吐く。容姿も能力も判らず、現れた痕跡もなく、また現れるかの保証もない吸血鬼を探せとはとんでもない無茶振りである。

「あの、そんなんで、何で吸血鬼が来るって思ったんですか?」

 ジャンの言葉に別の組織が動いたからだ、と所長は告げた。

「慈善事業団体の体裁を作ってはいるが、その実は対吸血鬼殲滅組織だ。今は確かウォール・マリアの園とかいう名前だったはずだ」

 その所長の言葉にげっ、あそこかよ、と嫌そうにコニーが呟いた。

「どうも、この国の王族は吸血鬼と親交があるらしい。その辺を考えて出現先を予想して見つけろ。――以上だ」

 そう言って、自分のデスクに戻った所長に二人は顔を見合わせて溜息を吐いた。


「あのおっさんが言ってたけど、マリアなんたらって組織と俺達の違いって何なんだ?」

 ジャンの言葉にコニーは心底嫌そうな顔で眉を顰めた。

「あそこはな、えぐいんだよ。俺達の家は商売してるけど、あそことは絶対に手を組まない。俺んちの家業は後ろ暗いこと全くやってねぇとは言わねぇけど、あそこまでえげつなくねぇ」
「だから、どうえげつねぇんだよ?」
「今、俺達が雇われてる組織は吸血鬼の研究が目的だ。何か金持ちってのは不老不死に執着しててその辺がスポンサーになってる訳。で、人に不老不死の研究成果を持ってかれたくないから基本こっそり、というか人に知れないように目立つのは避けてやってる。目的は研究だから吸血鬼は殺さずに捕獲する。まあ、殺されるのと実験されるのとどっちがえぐいかは置いておく」
「……どっちもごめんだな」
「そりゃ、そうだけどよ。で、そのマリアなんたらは吸血鬼は悪魔、絶対に殺す!が前提な訳。悪魔信仰の逆というか、悪魔は絶対に滅ぶべきであるって信じてる人間の集団な。何が何でも殺すって姿勢がもうヤベぇんだけど、もっとヤバいのがその対象が吸血鬼だけじゃねぇってことなんだよ」
「吸血鬼だけじゃねぇって……」
「吸血鬼に味方する人間もその対象。悪魔に魂売ったものも同罪。例えば、吸血鬼を匿っている民家があったとする。俺達はその民家から吸血鬼を誘い出して捕獲、な感じの手段を取るけど、あいつらはその民家ごと焼き払う――匿った人間も同罪だから絶対に殺さなければならねぇからだ。焼き払わないまでも、匿った家の人間は全員殺される。それが、まだ幼い子供であってもだ」
「…………」
「あそこは積極的に能力者を集めて育てている。今は何か、凄腕の暗殺者がいるって聞いてる。詳しい素性は判らねぇけど、俺くらいの若い女だっていう話だ。もし、そいつが来てるんなら全力で逃げるぞ。絶対勝てねぇからな」

 コニーの話を聞いて、ジャンはなあ、と話しかけた。

「吸血鬼ってそこまでして倒す必要あるのか?」

 ジャンは吸血鬼の資料を読んだので、彼らがどんな存在かは知っている。人から生命エネルギーを喰って生き続ける不老不死の化け物だ。それは判っている。だが。

「この組織で未だに死人出てねぇんだよな。そりゃ、怪我人はいるし、被害は出てるけど、全部こっちから襲った結果だ。吸血鬼ってひょっとしたらこっちから手を出さなきゃ襲って来たりしねぇんじゃねぇのか?」
「人の生命エネルギーを喰ってる時点で被害は出てるだろ。死んでるやつだっているはずだ」
「そりゃそうだろうけど……何か、そのマリアなんたらの方がよっぽど酷いことしてるって思えたからよ」
「あそこは狂信者の集まりみてぇなもんだから、比べるのが間違ってる」

 ふう、と深い溜息を吐いてジャンはそこにしゃがみ込んだ。

「何かますますやる気なくなってきた。対吸血鬼組織って変質者か狂信者か化け物って認識でいいのか? 更に本物の化け物捕まえろって、出来る訳ねぇだろうが。嫌だ、こんな任務」
「お前は初めからやる気ねぇだろ」
「お前だって殆どねぇだろ」
「それは否定しねぇ」
「そこはしとけよ」

 やれやれ、とジャンは呟いて行くぞ、とコニーに声をかけた。

「どこ行くんだよ?」
「吸血鬼はどこにいるのか判ってねぇんだよな。目撃情報もない。なら、しらみつぶしに当たればいい。――ってことでこの国の観光スポットってどこだ?」

 コニーはぽかんとした後、ジャンの意図に気付いて面白そうに笑った。

「俺も知らねぇからガイドでも買って見ようぜ」
「おう、吸血鬼だって観光ぐらいするよな」
「するする! 絶対に観光地巡りくらいはするな!」

 ジャンは組織に用意された車に乗り込み、キーを回した。

「コニー、合言葉は?」
「適当にやるだ! ジャン」

 そう言い合って二人は観光地巡りに出かけたのだった。



 渡された服を見てエレンはぽかんとした顔になった。

「ええと、何これ?」
「制服だが?」
「それは見れば判る。これ、どう見ても学生服だよな? 何でこんなものがあるんだよ?」

 エルヴィンの手配してくれたチケットでエルトアニア王国に着いた二人はいつも通りに豪華なホテルに滞在することになったのだが、いざ任務の段になって、何故か学生服を手渡されたのだ。ブレザータイプのものでデザインは悪くないと思うが、もう学校に通っていないエレンには縁のないものだといえる。

「そんなものは着るからに決まっているだろうが」
「…………」
「お前、今、変な想像しただろう。――この制服が、これから行く王立学校の学生服なんだ」

 男の言葉にエレンは固まった後、ええーっと驚きの声を上げてしまった。

「え、だって、普通海外の学校って制服ねぇだろ?」
「勉強不足だな、海外でも制服を採用している学校はわりとあるぞ。デザインは様々だがな。ここの学校のものはお前の国の学校の制服を参考にして作ったみてぇだから、馴染みがあるだろう?」

 言われてみれば、海外の学校の映像で制服姿のものを見た覚えがある。自国のように殆どの学校が制服を着用しているということはないだろうが、確かにそんな学校があってもおかしくはない。

「そっか、潜入するためにこれを着るってことなのか。あ、でも、リヴァイはどうするんだ? 用務員とかは……海外にはいないか?」
「ああ、俺もこれを着る」

 リヴァイの言葉にエレンはフリーズした。


 いや、いくら何でも無理があるだろう、とエレンは思った。昔、テレビドラマか何かを観ていたとき、主演女優が過去の回想シーンでセーラー服を着ていて、思わずないないと突っ込んでしまったことがある。確かに実年齢よりも大人っぽく見える高校生は世の中にいる。高校生と大学生の見分けはつけにくいし、二十歳前後の年齢判断は微妙だ。だが、個人の容貌にもよるが、高校生に変装するのにギリギリ不自然ではないのは二十代前半までではないだろうか。男の外見年齢では完全アウトだとエレンは思う。そう思っていた――のだが。

「何、ぼけっとしている」
「えーと、リヴァイ、だよな」
「当たり前だろうが」
「えーと、夢?」
「ちゃんと現実だ。安心しろ」

 目の前にいるのは自分と同じ年齢くらいの少年だ。ただし、見覚えのある顔をしている――おそらくはリヴァイが自分と同じ年頃だったらこんな感じだろうと思える顔立ちだった。

「特殊メイクとか?」
「違う。そうだな……お前の眼なら見抜けるだろう。よく力を込めて俺を見てみろ」

 そう言われてエレンはじっとリヴァイを凝視すると、その姿が二重写しのようにぶれて見えた。いつものリヴァイと自分と同じ年代のリヴァイが重なって見える。
 ずっと見ていたら眼が疲れてきて、パチパチとさせていると、リヴァイはその手で瞼を閉じさせた。

「ずっと使っていると疲れるから集中を解け。お前はまだ力を使うことに慣れていない」
「リヴァイが若く見えているのも力なのか?」
「そうだ。目くらましの一種みたいなものだ。身体を若返らせている訳じゃなくて、若い姿の映像を重ねている、といった方が近いか。プロジェクションマッピングのようなものだと思えばいい。かといって、触れたら映像が崩れるということはないが。言っただろう、外見なら誤魔化せるものがいると。こういう風に変えてしまえば、気付かれない。ただ、術の維持と使用を悟られないように力を使うので、長時間続けると消費が激しくはなるが」

 まあ、俺なら一週間はこの姿でいても余裕だがな、と笑ってリヴァイは手を離した。

「何か、若いあんたって……変な感じ」
「そうか?」
「あんたにそっくりな弟がいたらこんな感じなのかなって気になる」
「吸血鬼にはそもそも親兄弟がいないからその感覚は判らないが……自分にそっくりな弟がいたら気持ち悪いだけだと思うが?」
「そうかな?」

 思えば、エレンはいつもひとりっ子で生まれたため、兄弟というものがどんな感じなのか判らない。同級生が兄弟について文句を言っているのを聞いてもピンとこなくて、逆に文句を言えるような兄弟がいるのが羨ましいと思ったくらいだ。

「兄弟ごっこでもやってみるか? お兄ちゃん、と呼んでもいいぞ」
「イヤ、何かそれは気持ち悪いからやめておく」
「なら、俺がお兄ちゃんと呼んでやろうか」
「イヤ、それも気持ち悪いからやめてくれ」
「なら、先輩と後輩というのをやってみるか」
「………何か、あんた、この格好楽しんでないか?」
「それくらいの楽しみがないとやってられないだろう」

 むすっとした顔で言う男の顔がいつもと違っていて――何だかどうにも変な感じがしてエレンはいいから学校に行くぞ、とリヴァイを促して目的地に向かった。


 さすがに王族が通う高校とあってそこは広く綺麗なところだった。例によってリムジンで学校に向かうことになったのだが、金持ち学校らしく、生徒の大半は車で通っているから特に問題はないと言われてしまった。建ててからまだ数年という話だが、高校というよりはエレンは通ったことはないが、大学のキャンパスがイメージとしては近いかもしれない。高名な建築士がデザインしたという校舎は外観が良いだけではなく、手入れが行き届いていて清潔感にあふれている。中庭、というより自然公園と言った方がいいような開放感のあるスペースもあるし、全部見て回るには時間がかかるかもしれない。
 校内をきょろきょろと見回すエレンにリヴァイはどうした?と声をかけた。

「ああ――いる訳はないって思うんだけど、友達がいないかなーって見てたんだ」
「友達?」
「ああ、アルミンっていうんだけど。幼馴染みなんだ」

 男はアルミン、と口の中で呟いて、リストにはなかったな、と誰に告げる風でもなく言った。

「リスト?」
「ああ、お前を迎えに行ったときに調べた交友関係者にアルミンという名はなかったな。お前の通っていた高校にも親戚にも近所にもいなかったはずだが……」
「……そこまでしてるあんたが怖ぇよ。そりゃ、そうだよ。アルミンは小学校のときに転校してきて仲良くなったんだけど、高校は海外に行ったからな。元々親父さんが転勤族で、オレの住んでたところに六年いたのが珍しいって言ってた」

 小学校四年生のときにエレンと同じクラスに編入してきた少年――アルミン・アルレルトとはすぐに打ち解けて仲良くなった。穏やかで賢い少年だった彼とは中学も一緒になり、そのまま交友関係は続いていた。
 だが、中三の秋――紅葉が綺麗に色付いた頃、彼はエレンに父親の仕事の都合で海外に行くことになったのだと告げた。元々、彼の父親の仕事は転勤が多くてエレンと出逢うまでに三回は引っ越していると言っていた。その父親が海外任務を打診されていて、家族で話し合った結果、アルミンは高校は海外の学校に通うことにしたのだと。だが、大学は日本に戻って進むつもりだから、そうしたらまた気軽に会えると。
 彼との別れはとても寂しかったが、家庭の事情ならば仕方がない。エレンは彼の連絡先を聞いて定期的に近況を伝え合うことを約束した。

「アルミンは海外の高校に進学して、楽しそうにしてた。あいつは語学も得意だったし、特にいじめなんかもなくてホッとしたって。そうやって、しばらくは連絡し合ってたんだけど、ある日、ぷっつりと連絡が取れなくなったんだ」

 電話もつながらなくなっていたし、送った手紙は宛先不明で返って来てしまった。訪ねていこうにも、相手は海外で、手紙の件からいってもうそこに住んでいない可能性が高い。それに高校生のエレンが一人で出かけていくには海外はハードルが高すぎた。忙しい両親に休みを取れとは言えないし、海外に行くには金もかかる。

「周りの友達はさ、引っ越して連絡してきてないだけじゃねぇかって言ってたんだよな。小学校が一緒でも別の中学に行けばつるまなくなる。中学が一緒だった奴でも高校が違えば疎遠になる。そういうのって普通にあるから、連絡なくなったって不思議じゃないってさ。――そう言われたけど、アルミンはそういうことするって思えなかったんだよな」

 だが、待てども彼からの連絡はなく、そのうちにエレンの方も両親が亡くなり、それどころではなくなってしまった。

「でも、結局はオレも海外に出ちゃったし、周りとの連絡絶っちまったから、それで良かったのかもしれない」

 吸血鬼として男と共に生きる道を選んだエレンは、総てと決別せざるをえなかった。数年ならまだいい。だが、自分の加齢はそのうちに止まるだろう――ずっと姿が変わらなければいずれは怪しまれる。吸血鬼と知っても自分と交流を続けてくれるものはおそらくは殆どいないだろう――ハンネスあたりなら大丈夫かもしれないが、自分と関わることで迷惑をかけたくなかった。ただでさえ、両親のことで世話になったのだから。
 すっと伸びてきた手がくしゃり、とエレンの頭を撫ぜた。慰撫するようなその指先にエレンは眼を細めた。

「――大丈夫。ふたりなら、他に何も要らないよ」
「お前が俺のものだってことを忘れなければそれでいい」

 そうして、二人は校内を歩いて回った。



「なあ、別に怪しい気配とか、それらしい能力者っぽい人とかいなかったし、仕掛けとかもなかったよな?」

 二人がいるのは何かの講義に使うらしい空き教室だった。見慣れた高校の個別の机ではなく、長机の大学に見られるような形状のものが並んでいて、エレンは行儀悪くその机に腰かけて足をブラブラさせた。リヴァイにはこの教室は『閉じた』から何を話しても大丈夫だと言われているので、人が入ってくることを心配しなくてもいい。
 エレンはまだ吸血鬼としての能力を完全に操れる訳ではないから、断言は出来ないが、何も不審な点は感じられなかったと思う。

「ああ、今のところ能力者が入り込んだ気配も何かが仕掛けられている気配もねぇ。金持ち学校だから、武装集団への警備対策もしてあるし、そちらも問題はない。――気になるのはエルヴィンの方だ」
「でも、嘘は言ってなかったと思う」
「ああ、それならお前は見抜く。ここの王族が吸血鬼と繋がっているのも、王族を狙って組織が動いているのも本当だろう。問題は何故、お前を使ったか、ということだ。潜入して調べるだけなら俺だけでもいいし、王族と繋がりがあるなら他のものを潜り込ませることも出来たはずだ。なのに、お前に頼んだというなら何かがあるはずだ」

 お前が考えているより、あいつは黒いぞ、と男は続けた。

「ああ、まあ、完全体じゃないオレを使うなら何かあるんだろうと思うんだけど――オレも何かしたかったから」

 オレはただ守られるだけの存在ではいたくないんだよ、とエレンは続けた。

「リヴァイもそれが判ったから、許してくれたんだろ?」
「――お前が望むことはなるべく叶えてやりたいからな。それを見越してるあいつが更に腹立たしいが」

 リヴァイは机に腰かけているエレンに近付き、こつんと額をぶつけた後、唇を重ねた。

「……んっ……」

 相変わらず男からの口付けはうっとりする程、気持ちよい。柔らかな粘膜を嬲られて、絡み合う舌と舌に夢中になって、男から与えられる快楽を貪る。だが、どさり、と机の上に倒されて、エレンは慌てた。

「リ、リヴァイ!?」

 するりと伸びた手が、エレンのタイを解いていく。シャツの下から潜り込んできた手が肌をなぞり、少年はその手を咄嗟に掴んだ。

「ここ、学校! 今、任務中! 侵入者、来る、大変!」

 焦りのためか、妙な片言のように短く区切って叫ぶ少年に男は笑った。

「大丈夫。ここには誰も入ってこないし、能力者が侵入すれば判る。それにあちこちに罠も仕掛けておいたから、力を使えば相手は戦闘不能になる」

 見下ろす男は確かに自分の伴侶だ――それなのに、いつもとは違う顔で、でも、同じように笑われて、エレンは混乱した。

「きょ、教室でこういったことをするのは良くないと思います!」
「また、言葉遣いが変だぞ――ああ」

 男はエレンの耳元に唇を寄せて、べろりと舐め上げた。

「この顔のせいか?」

 そのまま耳朶を甘噛みされてエレンの身体が震えた。耳を食む男の息遣いが伝わってきて、それにもエレンの身体は反応してしまう。

「違う男に犯されてるみたいな気になるか? ――なら、もっとそういう気分にさせてやろうか」

 そう言うと、男は解いたエレンのタイで素早く両手を縛ると、頭上で押さえつけた。そのまま片手で少年の下肢に手を伸ばすと、足の間のものが昂ぶっているのが判った。

「何だ、お前、こういう無理矢理っぽいの好きなのか? もうこんなになってるぞ」
「違うっ! あんたが触るから……っ」
「俺が触るから何だ?」
「判ってる、くせに……っ」

 涙目で睨み付けられて、ああ、舐めたいな、と男は思ったが、それをやると少年は本気で嫌がるので思うだけにしておく。今は別の楽しみに没頭することにしようと、男が布越しに擦っていくと、少年のものが更に熱くなっていく。布を押し上げるそれにリヴァイは自分の腰を擦りつけた。腰を上下させ、布越しにお互いのものがぶつかり、擦れ合っていく。お互いの腰を擦り合わせるだけの疑似セックスのような行為に少年は羞恥と、抑えきれない興奮で顔を朱に染めた。

「あっ、やだ、リヴァイ……っ」
「判っている。服の中には出させないって約束したからな」

 器用に下着ごと下衣を脱がされて、少年はそうじゃない、というように首を振ったが、外気にさらされたそれは見事に勃ち上がっていた。指先でなぞり、弾いてやれば嬉しいとでもいうようにそれは透明な蜜を零す。

「そういや、どっちが先輩か後輩かを決めていなかったな。どっちがいい?」

 少年のものを掴んで擦り上げながら、男が少年にそう訊ねたが、そんな回答が出来るはずもない。

「そうだな、リヴァイ先輩って呼んでみろ。そうしたらイカせてやる」

 リヴァイは押さえつけていた片手を放し、少年の根元を掴んで射精できないようにせき止めてから、それを口に含んだ。空いた手で少年の蕾を揉むようにしてから、伝ってきた少年の先走りと自分の唾液を塗り広げて中へと侵入させる。男のために変えられたエレンの体内は相変わらず熱く指を締め付けてきて、男の口元が知らずに笑みの形を作る。これは自分が変えた身体だ――自分だけにこうして少年は足を開いて受け入れるのだと思うと、痺れるようなぞくぞくとした感覚に陥る。
 こりこりと少年の中の気持ちのいいところを何度も擦るように指を動かしてやると、少年は甘い鳴き声を上げた。

「んんっ……やだ、も……っ」

 少年はタイで縛られた両手をリヴァイの頭に伸ばすが、上手く動かすことが出来ずにもがいている。舌で敏感な先端を押しつぶすようにしてやると、いやいやと首を振った。

「も、や……出したい……っ」
「ほら、エレン、イキたいなら言うことがあるだろう?」

 指を増やしてバラバラに動かしてやる。どろどろに溶けた中は指を締め付け、指だけでは足りないというように少年の腰が動く。もっと固くて熱くて大きいもので奥を突いて欲しい――そうねだるような動きだ。実際に少年はもう指だけでは満足出来ないのだと男は知っている。

「ほら、エレン、言ってみろ」
「あ、リ、リヴァイせんぱい…イキたい……も、イカせて…っ」

 よく出来ました、というようにリヴァイが締め付けていた手を緩めてやると、エレンは甘い声を上げながらびゅくびゅくと白濁液を零した。ようやっと解放されて蕩けたような顔で荒く呼吸する少年の顔を愛し気に眺めながら、男は今度は自分の欲望を放つために少年の腰を抱え直した。

 パンパンという肉を穿つ音が教室に響いていた。

「あっ、ああ……っ」

 机に上体を倒すように伏せて、臀部を広げるように掴まれながら、少年は男に後ろから貫かれていた。
 男が腰を打ち付ける度にガタガタと机が音を立てる。縛られた両手では机に掴まることも出来ず、虚しく指が引っ掻くように動いた。
 リヴァイの動きに合わせて男の熱い肉棒が自分のいいところ当たるように、少年が無意識に腰をくねらせる。ただの排泄穴でしかなかったそこで男を締め付け、男のもので体内を蹂躙される悦びを知った身体はより深い快楽を得るために淫らに蠢く。性に対してまるで生娘のように恥ずかしがって、行為後はリヴァイに対して不満を爆発させるくせに、快楽にとろけてしまえば、まるで淫魔のように淫猥な姿で男を誘う。それも無意識にやっているのだから、男からすれば、少年の方が性質が悪いと思う。そんな身体にしたのは自分だから、誰にも文句を言うことは出来ないが――むしろ、そのギャップが男を昂ぶらせることになっているので、不満どころか満足している。
 男が抜き挿しをする度にじゅぶじゅぶと結合部分からリヴァイが少年の体内に吐き出したものが零れ、太股を伝って落ちていく。少年は口では嫌だというが、その実、中に出した方が身体は悦び総てを搾り尽くすように後ろで男の肉棒を締め上げ、より甘い声で鳴くので中に出すのはやめてやれない。リヴァイの出したもので白く汚された下肢に、靴下も脱がせてやるべきだったかな、と頭の片隅で思ったが、後で履き替えさせればいいだろう、と結論付ける。上衣をはだけさせられ、下だけを脱がされ、貫かれてよがる少年の姿はひどく淫猥で男の眼も愉しませる。一糸纏わぬ姿はそれはそれでいいが、全部脱がせないというのもそそられるので男は好きだった。いや、少年はどんな姿でも男を興奮させることが出来るのだが――こんな風に肉欲を呼び起こされるのは少年に対してだけだ。それをおそらくはこの少年はよく理解していないのだろうけれど。

「教室でこんなことしたなんてバレたらどうなるんだろうな? 明日には噂になってるかもな、誰かがいやらしいことをしてたって」
「……あっ、……や、もう……」
「お前がここの学生だったら、この教室に入る度に、俺としたことを思い出してくれたのに残念だな」

 男の腰の動きが激しくなる。少年の中は熱くどろどろにとろけていて、その気持ちよさにいつまでも浸っていたい気分になるが、しつこく苛めると本気で泣かれるので吐き出すための動きに変える。もうやだ、終わらせて、とすぎた快楽によがりながら泣くじゃくる姿も最高に可愛いのだが、余りやると行為自体を嫌がるようになるかもしれない。始めてしまえば快楽に流されて甘い声を上げてくれるだろうが、行為自体に嫌悪感を持たれては困る。この先もずっとこの身体は自分のものなのだから――自分のそれがこの少年のものであるように。
 限界まで奥を突いて、甘く悲鳴を上げる少年の中に男が総てを吐きだすと、少年もまた出しすぎて薄くなった液体をパタパタと床に零した。



 鈍い振動音がして、男は懐に入れていた携帯を取り出した。届いたファイルを開き、目を通すとすうっとその眼が細まる。

「やっぱり、何か考えてやがるな、あの腹黒」

 リヴァイにはリヴァイで動かせる駒がいる。世の中には金さえ入れば何でもするものはいるし、リヴァイは自分独自の情報網を持っている。ここに来る前に色々と指示を出して調べさせておいた。

(直接、出向いて報告を聞くか)

 エルヴィンとの組織とは持ちつ持たれつの関係だ。向こうはリヴァイを敵に回す気はないだろうし、リヴァイにもない。利用しているのはお互い様だし文句を言うつもりはない――だが、エレンを関わらせるというのなら話は別だ。

「ん……リヴァイ…?」

 散々貪られて疲れて寝てしまったエレンが気付いたのか、目を擦る。一応、綺麗に後始末はしてやったが、事後独特の気配がまだ纏わりついている。

「少し出かけてくる。ここには結界を張っておくから、俺が迎えに来るまではここにいろ。外には出るなよ」
「……んー……」

 判っているのかいないのか、こくりと頷く少年の頭を撫ぜて、男は外へと出ていった。



「ここが第三王子の通う学校?」
「そう」

 綺麗な建物はさすがに金持ちの子息が通うものだと感じられた。場違いな気がしてアルミンは溜息を吐く。

「別に堂々としていればいい。制服は本物だし、組織の作ったIDはそう簡単にはバレない」
「うん、大丈夫。ミカサよりは高校生らしく振舞えるよ。実際に高校生だったんだし」

 ミカサはアルミンよりも一つか二つ程年上だと聞いている。高校生でも通る年齢だが、雰囲気が大人っぽいためかどうしても高校生というよりは大学生に見える。

「……似合わないのは仕方がない」
「え? 違うよ、そういう意味で言ったんじゃなくて――」
「慌てなくてもアルミンがそういう意味で言ったんじゃないのは判っている。――ただ、私には『普通』は似合わない」

 淡々と続けるミカサにアルミンは返す言葉がない。ミカサはどこか自分と世界を切り離したような言い方をする――たった一人で真っ暗な深淵にいるようなそんな孤独な空気を常に纏っている。それでいてミカサは彼女の言う『普通』を感じさせるらしいアルミンには何かと気をかけてくれていると思う。色々と助けられているアルミンはその恩に報いるためにも、彼女の孤独をどうにかしたいとは思っているのだけれど、踏み込ませない壁を感じてどうすることも出来ていなかった。

「ミカサ、そのマフラーは外した方がいいんじゃない? 制服には合わないから――あ、マフラーが似合っていない訳じゃなくて、制服から浮くかなって意味だからね」

 話題を変えようと口にした言葉が貶しているように取られてしまうんじゃないかと思い、アルミンは再び慌てた。
 すると、その言葉に僅かに彼女の瞳が揺れたように見えた。そっと撫ぜるように彼女がいつもしている赤いマフラーへ指先が動く。

「これは外せない――お守りのようなものだから」
「お守り?」
「引き戻してくれる。沈む前にいつも引っ張ってくれる。だから、私は呑まれずにすんだ」

 ミカサの言葉の意味が判らず当惑していると、彼女はそれよりも任務だとアルミンに告げた。

「第三王子に近付いて、吸血鬼と接触してるかどうか調べるんだよね?」
「そう。出来れば相手の組織の内情を吐いてもらいたいけど、高校生の彼は詳しいことは知らないと思う。なので、吸血鬼と接触していることが判明し、情報を持っていないなら後は処分する」

 処分、の言葉にアルミンの肩が震えたが、少年はぎゅっと唇を噛み締め、そうだね、処分しなきゃと自分に言い聞かせるように呟いた。

「吸血鬼も吸血鬼の味方もこの世に存在していてはならない。取りあえず、まず探索をしてみた方がいいかな?」
「気配は感じないけど、試してみるのはいいかもしれない。アルミン、出来る?」
「うん、気配の探索は得意な方だから。吸血鬼の痕跡が残っていれば追えるかも――」

 アルミンは大きく深呼吸して、探索を始めるために力を広げた――が、突如、物凄い力で突き飛ばされた。
 その場に尻もちをつき、何がどうなったのか判らず呆然としていると、ミカサが自分のいた場所にしゃがみ込んでいた。

「ミカサ? どうしたの――」
「アルミン、近付かないで! 力を使ってもダメ!」

 そうして、気付く――彼女の周りに見えない壁が出現し、閉じ込めていることに。ドーム状に囲うように張られたそれはおそらくはアルミンの力では破壊出来ない。

「力を使うと対象を閉じ込める仕掛け。多分、この学校中に罠がはられている。また力を使えば閉じ込められる。だから、使ってはダメ。――これだけ強固なものを作れるなんて、相手は多分相当強い」
「ミカサ、どうしたらこれは壊せる?」
「内側から私が何とか、破壊してみる。アルミンは生徒の中に紛れて脱出して。任務遂行は今日は無理」
「そんな――ここで見つけられなかったら、もう潜入は難しくなるよ」
「他の手を考えるしかない。罠をはったのなら――かかった獲物を見に戻るはず。これだけの力のある相手では分が悪い。それに相手が一人とは限らない」
「でも―――」
「アルミン、あなたが今ここにいても私を助けられない」

 はっきりと言われ、アルミンはぎゅっと手を握り締めた。

「ならば、逃げて情報を伝えてもらった方がいい。いい? 校舎の中に入って、下校する生徒に紛れるの。見つからないように気を付けて」

 アルミンは頷いて校舎へと向かった。



 ハッキリと意識を取り戻したエレンは頭を抱えていた。いくら目撃される心配がないといっても学校で行為に至るとは何てことをしてしまったのだろう。流された自分も自分だが、こんなところでした男も男だ。

(何か、オレ、そういうのにどんどん弱くなってないか? ちゃんとしたルール作った方がいいのか?)

 しかし、詳細なルールを作ってそういったことをするのもどうなのだろう。一々、やっていいことと悪いことを書き出して話し合うのもそれは恥ずかしい気がする。
 唸るエレンは次の瞬間、はっとした。今、何かが――おそらくは校舎の外であろうが、何らかの力が作動した。

(確か、罠を仕掛けたって言ってたよな? ということは侵入者が引っかかったってことか?)

 王族を皆殺しにしようとしているという物騒な連中だろうか。もしも、複数で来ていて、王子を殺しに行ってるなんてことがあれば――。

(見に行くべきか? でも、ここにいろって、確かぼんやり聞いたような……リヴァイだって引っかかったのが判れば戻ってくるかもしれねぇし……)

 だが、その間に王子が殺害されることがあったらどうしよう。男は警備はちゃんとしていると言っていたが――。
 悩み抜いたが、エレンはぱしっと、頬を叩くと教室を出ることにした。自分も吸血鬼の一族になったのだし、そう簡単にやられはしない。おそらく、男のことだからエレンだけは力を使っても罠に引っかからない仕掛けになっているはずだ。少なくとも、相手の力と人数で危ないと判断した場合、逃げ出すことくらいは自分でも出来るはずだ。
 教室を出て、廊下を歩く。廊下を歩いている生徒がいないところを見ると、授業中なのだろうか。

(そういや、オレ、王子がどこにいるのか知らねぇや。下手に接触して痕跡残したら却って危ないかもって言われたし……)

 そんなことを考えながら歩いていると、不意に背後から近付いてくる気配を感じた。振り返った先にいた人物を見て、エレンは思わず声を上げてしまった。

「アルミン!?」
「エレン!?」

 連絡を取れなくなっていた幼馴染み――彼はここに転校していたのだろうか。彼の父がまた転勤になってこの国に来たのだろうか。どうして連絡が取れなくなったのだろうか。それに今、自分はこの学校の制服を着ている。それを彼にどう説明したらいいのだろうか。
 確かに偶然にでも会えたらいいな、とは思っていたが、実際に対面すると色んな考えがぐるぐると頭を回り、何も話し出せない。そんなエレンを見て――正確にはある一点を見て――アルミンの顔が強張っていった。

「エレン、その左手の薬指……何?」

 問われて、エレンは固まった。アルミンに男の刻印が見えている――ということは、彼には何らかの能力があるという証拠だ。そして、このタイミングでそれが示す可能性はたった一つしかない。
 同じようにエレンの顔も強張っていき、アルミンは暗い目をして懐に手を入れた。

「それ、刻印だよね? エレンは吸血鬼になったの? 人を喰い殺して生きる化け物になることを選んだの?」
「アルミン、オレは――」
「――削ぎ落として、今すぐ」

 ひゅん、と音がしてエレンの頬に赤い線が走った――懐から取り出したナイフを握ったアルミンが更にエレンに迫る。

「刻印が見えるってことはまだ完全体じゃないってことだ。――なら、削ぎ落とせば完全な吸血鬼化は食い止められるかもしれない。解約だよ、エレン、そうしよう」
「アルミン……」

 そんな話は聞いたことがない。吸血鬼には再生能力があると聞いたし、削ぎ落としてもまた元通りになる可能性が高いと思う。そして、何より、エレンにその気がなかった。
 首を横に振るエレンの左腕に赤い線が走った。すっぱりと切れた腕から赤い雫が流れた。

「どうして? エレンは化け物がいいの? 人を喰い殺してまで不老不死でいたいの?」

 エレンは首を横に振る。不老不死になど何の魅力も感じていない――吸血鬼は人が想像するような生き物ではない。孤独な生き物だ。永遠の孤独に押しつぶされそうになりながら、それでも簡単に死ぬことは出来ず生き続けている――そういう生き物だとエレンはちゃんと知っている。
 ひとりは寂しい。ひとりは哀しい。ひとりは怖い。ひとりは嫌だ。
 エレンはただ――孤独な愛しい男とふたりで生きたかっただけだ。

「何で――どうして、エレンは吸血鬼なんかになったんだ。父さんと母さんを殺した吸血鬼なんかに!」

 今度は胸に線が走った。違う――これはエレンの知る幼馴染みではない。幼馴染みはこんなことをするような――出来るような人間ではなかった。彼が能力者だというのも聞いていない。だが、それでも。

(こいつはアルミンだ)

 追い詰められたエレンは近くにあった階段を駆け上がった。今度は足に衝撃が走る。おそらく、アルミンは何らかの訓練を受けている。アルミンは小柄で、それ程体力がある方でもなかったから、体育は苦手だった。マラソン大会のときに途中で倒れたらどうしようと言う幼馴染みに、アルミンが倒れたら背負ってゴールしてやるよ、とエレンが返したら、それは頼もしいなぁとくすくすと笑っていた。結局は根性のある彼は完走していたのだけれど。
 体育では追いつけないけど、勉強では抜かされないからね、と宣言する彼とじゃれ合ったのはそんなに遠い昔の話ではないのに、まるで夢だったかのように思える。
 駆け抜ける度に傷が増える。吸血鬼の一族になっても痛みは感じる――痛覚は失われないのだ。化け物だというのなら痛みも感じなくなればいいのに。この胸の痛みを失くしてしまえればいいのに。
 バンッと、勢いよく目の前の扉を開けた――屋上だ。これ以上、上には逃げられない。
 息が切れる。走ったためか出血が早まり、意識を保つのが辛い。吸血鬼は再生能力があるというのに、自分のそれは機能していなかった。

「これが、最後だよ、エレン――それを削ぎ落として」
「それは出来ない、アルミン。だって、これは証なんだ。一緒に生きていくって決めたオレの」

 誰よりも愛しい男。彼と共に生きると決めた、愛し、愛された絆の証。

「そう。なら――吸血鬼として死んで」

 アルミンがナイフを振り下ろした時、キンッという音が聞こえ、エレンに振り下ろされるはずだったそれは弾き飛ばされていた。

「アルミン、何をしているの?」

 アルミンよりも大振りなナイフを手にした女性――ミカサが、アルミン見つめていた。

「ミカサ、どうしてここに……」
「罠を破壊した後、校舎に入ったら血の跡があったから追ってきた。アルミン、この状況は何? こんな騒ぎを起こしたら二度とここには潜入出来ないし、王子の警護も厳重になるかもしれない。警戒が強まれば任務を遂行するのが――」
「彼は吸血鬼だ! 刻印がある! 倒すべき存在だ!」

 言われて、相手に視線を走らせたミカサの両目が大きく見開かれる。驚愕を隠そうともしないミカサにアルミンは驚いた。

「どうして、どうして、あなたが――」

 ミカサはそう呻くよう言って、今にも倒れそうな少年に駆け寄った。その身体を支えて傷の多さに眉を顰める。
 出血に意識が朦朧とし始めた少年の眼が彼女に移り、その唇が動いた。

「……ミカサ?」
「――――っ!?」
「ミカサ、だろ? どうして、ここに……」

 少年の言葉に呆然としていたミカサは、意識の朦朧としていた身体のどこにそんな力があったのだろうという強さで突き飛ばされた。倒れそうなになった身体を立て直そうとする眼に映ったのは、少年の身体にナイフが突き刺される瞬間。ああ――だから、彼は自分を突き飛ばしたのだ、とミカサは悟った。

「アルミン!」

 突き刺したナイフを引き抜き、もう一度振りかざす、小柄な身体にミカサは体当たりした。派手な音がして、二人でその場に転がる。
 ミカサは何とか起き上がり、少年を見た――彼は腹部を手で押さえていて、その指の間からはボタボタと血が零れ、足元には血だまりが出来始めていた。

「エレン!」

 少年はその声が聞こえていないのか、ふらふらになりながらも転落防止用の柵を乗り越え、地上へと飛び降りた。ミカサは柵に駆け寄って地上を眺めたが、彼の姿はもう見つけられなかった。おそらくは死んではいないはずだ――駆け寄って傷を見たときに確かに彼の左手の薬指には刻印があったのだから。

「ミカサ、どうして?」
「あなたこそどうして? アルミン」

 ミカサは振り返り、手にナイフを持ち、こちらへ殺気を放っている相手を見つめた。

「あなたには傷がない。彼は刻印を持ちながら、能力を一度も使わなかった。あなたに何度も攻撃を受けながらも一度も反撃しなかった。――多分、それくらいにはあなたは彼にとって大事な人なんでしょう。それなのにどうして彼を刺せたの?」
「彼はもう僕の知っているエレン・イェーガーじゃない! 吸血鬼なんだ!」
「…………」
「吸血鬼なんだ、吸血鬼なんだよ、ミカサ……だから、僕は彼を倒さなければならない」

 つつーっとアルミンの頬に透明な雫が伝った。次から次へとそれは頬を伝って零れ落ちていく。

「両親が事故で死んだとき、僕もすぐそばにいた。僕だけが助かった。その事故は吸血鬼が起こしたって聞いた――僕を殺すつもりで事故を起こしたって。なのに、僕だけが助かった」

 優しい人達だった。照れくさくて中々口に出来なかったけれど、尊敬していた。大事な愛する自分の家族――なのに、車の事故に巻き込まれ、車体につぶされた。アルミンはつぶれた車から助け出されたが、両親はそのまま取り残され、呆然とするアルミンの目の前で車は炎上した。アルミンはただ自分の両親の身体が車ごと焼かれていくのを見ているしか出来なかった。――それは、全部自分を殺すために吸血鬼が仕組んだことだという。

「僕だけが生き残った意味を僕はずっと考えていた。死ぬはずだった僕が生かされたのなら――それは吸血鬼を殲滅するためだ。エレンが吸血鬼になる道を選ぶっていうのなら、僕は彼を倒さなければならない」

 アルミンは頭いいな、と屈託なく笑う彼の顔。ふざけあって、将来の夢を話して、一緒に過ごした負けず嫌いでお人好しで優しい幼馴染み。大好きで大切だった友達。

「きっと、彼を殺せたら、僕はどんな吸血鬼でも殺せる」

 アルミンの言葉を聞いてミカサはそう、と目を伏せた。

「――私の親という人は私を殴る人だった」

 突然のミカサの告白にアルミンは戸惑った顔をした。

「態度が気に入らないといっては蹴って、食事も与えるのは勿体ないと言って、ゴミと一緒の扱いをする人達だった。そして、最後には組織に私を売った。厄介払いが出来るって喜んでいたと聞いた」
「…………」
「私はいつ死んでもおかしくなかった。でも、生き残った。それに意味があったのなら、このときのため。『光』に――再び逢うため。きっと、そのために生き続けてきた」

 きっと忘れていると思った。たったの数日、過ごしただけの赤の他人の少女のことなど。
 ――ミカサだって絶対に見つけてやるよ。
 綺麗な金色。あの日見た一番綺麗だと思った光。
 ――ミカサ、だろ?
 変わっていなかった綺麗な金色。あの日のままの綺麗な光。

「アルミン、あなたが自分の両親の死を悼む気持ちを私は理解してあげられない。それがとても辛いことだとは想像は出来ても、それは想像にしかすぎないから。――でも、あなたが彼を殺すというのなら、私は彼を何としても人間に戻す。私はもう戻れないけど、彼を闇に染めたりはしない」

 落とした武器を拾い上げ、ミカサは前を見据えると、何かの気配を追うようにそこを走り去っていった。
 呆然とそれを見送ったアルミンも唇を噛み締め、のろのろとした歩みでそこを立ち去った。



「次はどこ行くか? やっぱり、メシが旨いとこがいいよな」

 ガイドブックを捲りながら呟くコニーにオイ、ちゃんと道案内しろよ、と運転席のジャンが文句を言う。

「大体、何でこの車、カーナビがついてねぇんだよ! 車にナビねぇなんてふざけてるだろ!」
「ああ、他の車にはついてたぞ。お前、他の研究員から嫌われてんじゃねぇ?」
「ちくしょう! むかつく! あいつら、絶対に俺のこと馬鹿にしてる!」
「安心しろ、お前だけじゃねぇぞ。通ってる大学言ったら鼻で笑われたからな、俺。言っとくけど、馬鹿大学じゃないからな。あいつら、自分達の出身国で一番入るの難しい大学卒業してるから、それ以外はゴミ扱いなんだぜ」
「ああ、やっぱり碌なもんじゃねぇな。逃げてぇ」
「だから、今更――」

 言いかけたコニーの言葉が止まった。前方によろよろと歩く人影を見つけたからだ。

「ジャン!」
「チッ!」

 キキーッというブレーキ音が辺りに響き、車はその人物の直前で止まった。

「ジャン、お前、犯罪者になるなら自分一人だけのときにしろよ!」
「車道歩いてるあいつが悪いだろ! マジでビビったじゃねぇか!」

 酔っ払いか、と視線をやると、その人物はばたりとボンネット上に倒れ込み、そのまま滑り落ちるように地面に倒れた。

「何だ? 酔っぱらって寝たのか――」

 車から出てその人物を見た二人はぎょっとした。倒れているのはまだ少年のようだったが、その身体が血まみれだったからだ。

「何だ!? 通り魔でも出てんのか? 取りあえず、通報――しても大丈夫なのか、俺ら? イヤ、でも、死なす訳にはいかねぇし病院に連れて――」
「その必要はない、ジャン」

 見てみろよ、とコニーが示したのは少年の左手の薬指で、ぐるりと指輪のように何かが刻まれていた。

「何だ? 刺青でも入れてるのか?」
「違う。刻印だ。こいつ――二次吸血鬼だ」

 言われてまじまじと見てしまったが、少年はごく普通の少年に見えた。いや、血まみれという状態は普通ではないが。

「だって、人間と変わんねぇじゃないかよ、そいつ。血だって赤いし、出てるし……って、吸血鬼って再生能力あるんだろ。今にも死にそうに見えるぞ」
「俺にも判らねぇよ。ただ、二次吸血鬼は個体差によって再生能力が弱い奴もいるし、刻印が見えるんだから完全体じゃねぇ。だから再生能力が機能してないのかも……」
「大丈夫なのかよ、そいつ。止血とかした方がいいんじゃ……」
「普通は必要ねぇんだけどな。意識ねぇみたいだし、喰われねぇとは思うけど、用心はしとけ」

 そう言って、コニーが慎重に構えながら止血のため少年の身を動かした時、二人とも息を呑んだ。少年の閉じられた瞼から透明な雫が流れて眦を伝っていくのが見えたからだ。少年の意識はない。意識はないその瞳から涙が流れては落ちる。

「……何で、そいつ、泣いてんだよ」
「……知らねぇよ」
「何でそんな人間みたいなんだよ」
「二次吸血鬼は元は人間なんだからおかしくはねぇよ。……刻印消えてねぇなら多分、数ヶ月前までは普通の人間だったはずだし」

 言いながら、コニーは手早く止血を始める。おそらくはかなりの量の血液を失ったように見えるが、大丈夫だろうか。少年の顔を覗き込んだ時、微かに唇が動いたような気がした。
 唇の動きはごめん――そう二人には見えた。

「……哀しい夢とか、見てんのかもな」

 コニーがぽつりと呟いた時、バラバラと近付いてくる複数の足音が聞こえた。

「でかしたな、二人とも」
「所長……」

 何で居場所が判ったんだ、という顔のジャンにこっそりとコニーがあいつ、きっと俺達に監視つけてやがったんだな、と耳打ちした。監視というならば、おそらくはコニーではなく、自分に対してだろう、とジャンは思った。コニーは組織に加担してはいるが、金で一時的に雇われているだけでこの任務が終了すれば去っていく。彼の家系は能力を利用して稼いでいると言ったから、信用を失くさないために途中で投げ出したりはしないだろう。だが、ジャンは別だ。好き好んで組織に入った訳ではない――なら、逃げる可能性があるかもしれない。要するに自分はこれっぽっちもこの組織に信用されていなかったという訳だ。信用されていたとしても少しも嬉しくはないが。
 逃げたいとは口にしていた自分だが、本当に逃げていたら組織は自分を抹殺していたかもしれない。ジャンはギリッと強く唇を噛んだ。

「素晴らしいな、すぐに拘束しろ。戻ってすぐに実験を始める」
「再生能力を試しますか? 拘束具と力の封印は必要でしょうが、余り強いと本来の能力が見られないかも……」
「そうだな、取りあえずはサンプル採取からいこう。毛髪や、歯、爪を採取して――皮膚も剥がそう。痛覚反応も見たいしどのくらいで失神するかも知りたいな」
「……いんだよ……」

 ぼそり、とジャンが呟いたのを聞き留めて、男が怪訝そうな視線を向けた。

「何か言ったか、キルシュタイン。ああ、特別手当の話なら後に――」
「胸糞悪いんだよ、お前ら!」

 そう叫ぶと、ジャンはコニーにそいつを車に乗せろ、と言って、運転席に向かった。
 頷いたコニーは少年を引っ張り上げて後部座席に押し込む。

「貴様ら、何を――」
「撥ねられたくなかったらどけぇ!」

 車を急発進させたジャンは呆然とする研究員達を置き去りにし、猛スピードで道路を走り抜けていった。


「……お前、衝動で行動して後で後悔するタイプだな」
「うるせぇよ」

 やれやれ、と肩を竦めるコニーにジャンはそうふてくされた声を上げた。

「……一応、探索避けと目くらましはかけたけど、このままじゃすまねぇぞ。マリアんとこも動いてるらしいし、一番怖いのはこいつの相手が取り戻しに来ることだな。すげぇ、強いぞ、多分」
「判るのか、そんなの」
「俺も刻印見える吸血鬼と遭遇したのなんて初めてだからなぁ。でも、残り香っていうか、気配っていうか、そんだけですげぇ力感じるから、俺達瞬殺レベルかもな。大体、刻印隠してねぇ時点で守り切れる自信があるってことだしな」
「そんなにヤバそうなのか?」
「ヤベぇ、ヤベぇ。ま、まずは雇われ先から逃げること考えなきゃいけねぇけどな」
「……悪かったな」
「イヤ、つい、やっちまったのは俺も同じだし、気にすんなよ」
「――あいつら、すげぇ楽しそうでむかついたんだよ。まあ、元からすげぇむかつくやつらだって思ってたけどよ」

 ジャンの言葉にコニーもまあな、と頷いた。

「皮膚剥がして反応見るとか、拷問かよ。こいつはさ、人間に見えるけど人間じゃねぇんだろうし、人喰い殺してんのかもしれねぇし、吸血鬼で化け物かもしれねぇんだけどさ――気絶してんのに泣いて謝るガキをさ、あんなやつらに渡したくねぇって思ったんだよ」
「ジャン、お前さ――意外にいい奴だよな。愚痴うるせぇし、馬面だし、悪人顔で運もねぇけど!」
「お前、それ、ほぼ悪口じゃねぇか! この坊主頭チビコニー!」

 後部座席に気を失った吸血鬼の少年を乗せた車の中で二人は悪態をつき合いながら、先の見えない道を進むこととなったのだった――。




2016.10.27up



 どういう訳か続いてしまっている吸血設定の二人の話で、倹約の後設定です。pixivの方で「対吸血鬼組織のメンバーとして出すならどのキャラがいいですか?」アンケートを行ったんですが、コニー&ジャン、アルミン、ミカサと票が割れてしまって差が余りなかったので、こうなったら三ルート混合でいこう!という気になりこんな話になりました。更にまだ続いてます(汗)。作中に出てくる国名とか機関名は適当につけてしまったので、スルーでお願いします。そして、エロが入るのがこの二人のお約束です(爆)。



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