距離






 調査兵団にその身を置くことになったエレンにはいくつかの義務が課せられた。リヴァイがエレンを監視し、その管理下に置かれること。単独での行動は許されず、リヴァイ、もしくは彼の認めたものが共につくこと。それらは代表的な事項ではあるが、他にも定期的な検査――身体測定ともいうべきか、それをハンジの元で行うのが習慣になりつつあった。

「うーん、特に変化したところはないみたいだね。気分が悪いとか、このところ体調を崩したりとか、そういうことはない?」
「いえ、特に不調を感じたことはありません」

 まるで、医者としているような問答である。身体検査が主な項目であるのなら、わざわざハンジの手を煩わせなくても医療班に任せた方がいいと思ったのだが、ハンジは頑としてこの役を譲らなかった。同じ調査兵団の一員であっても、彼らに百パーセントの信用は出来ないとハンジは言うのだ。――確かに、エレンは調査兵団の一員として受け入れられたが、中には大っぴらな態度に出すことはないとはいえ、エレンを快く思っていないものもいるのだ。確かにあの巨人化したエレンの姿を目の当たりにしたならば恐れを抱くものも出るだろう――それはエレンにも理解出来るので、この決定にエレンは口を挟むことはなかった。あいつは単に実験データが少しでも欲しいだけだろ、とはリヴァイの言だが、彼もハンジに任せたところをみると、同様に考えているようであった。

「ごめんね、エレン。他にデータが全くなくて、少しでも手がかりが欲しいんだよ」
「いえ、当然だと思います。オレに協力が出来るならお手伝いします」

 巨人に関してのデータは少ない。何しろ、彼らは死んだら蒸発して消えてしまうし、身体の一部を切り取り採取してみてもそれは同様だ。巨人化したエレンの身体もそうであったし、データを取るとしたら生きた巨人を捕らえるしかない。
 だが、それはかなりの危険を伴うし、エレンの巨人化は未知数でリスクが高い。更に人間としてのエレンのデータは――。

(特に人との相違はない、だもんな……ま、当たり前だけど)

 エレンがリヴァイに蹴り飛ばされて折った歯や、採取した毛髪などを調べてみても特に異常は見つからなかった。何か特別に変わったことがあったのなら自分で気付いたはずだし、もっと事態は変わっていただろう。

「せめて、巨人の身体がなくならなければもっと楽だったのに……」

 思わず漏らしたエレンの言葉にハンジの瞳がキラリと光った気がした。

「そう、そうなんだよ、エレン! 巨人の身体は何故死ぬと消えてしまうのか、それは彼らの身体を構成するものとどんな因果関係があるのか。全くもって巨人は謎に包まれている。本当に興味は尽きないよ!」

 興奮したのか、今まで座っていた椅子から立ち上がってエレンの肩をガシッと掴むハンジの顔はひどく生き生きとして輝いている。
 しまった、余計なスイッチを入れてしまったと思ってみてももう遅い。こうなったら、エレンがどんなに逃げ出したくとも、緊急事態が起こらない限りこの語りは止まらないだろう。スイッチを入れないように下手な言動は避けていたのだが、これはもう諦めるしかないのだろうか。
 エレンが思わず遠い目をした時、助け船を出すかのようにドアをノックする音が響いた。

「分隊長、失礼します」

 入ってきた男性に、エレンは内心で首を傾げた。顔は知っていると思う――だが、名前が出てこない。確か、よくハンジの傍に控えているのを見たことがある気がすることはするのだが。

「モブリット、どうしたんだい?」

 ハンジから名前が出て、エレンはそういえばそんな名前だったと、得心がいった。同じ調査兵団の仲間なのに知らないのか、と言われるかもしれないが、分隊長クラスの上官や、直属の上司、同じ班員、同期など――覚えているのはせいぜいそれくらいだ。何しろ兵団は人数が多いし、部隊が違うと交流も余りない。更に特に生存確率の低い調査兵団は団員の入れ替わりも早いので全員の顔と名前など把握仕切れないのも当然といえた。

「取り急ぎ確認していただきたい案件があります。分隊長の指示が必要です」
「ええー私じゃなければダメなのかい? 今、猛烈に滾る話をエレンに……」

 渋るハンジにモブリットはきっぱりと続けた。

「早く行って頂けないなら、この前こちらに回ってきた巨人に関する報告書を握りつぶしますよ?」

 ――その言葉を聞いたハンジの行動は立体起動をつけたミカサ並に早かったと、後にエレンは語った。
 ハンジは指示を出すべく猛ダッシュで部屋を出ていってしまい、残されたエレンは呆気に取られるしかない。

「では、エレン」
「はいいっ!」
「良かったら、お茶にしようか。まだ時間があるし」

 裏返った声で返事をしたエレンにモブリットはにっこりと笑った。





(何で、こんなことになってるんだろう…)

 出された紅茶を一口飲み込むと、エレンは相手を見上げた。正直に言って彼の印象は薄い。ハンジの部下で彼女の行動を諌めるのに苦労している、という印象しかない。相手だって自分が巨人化する謎の少年、くらいにしか思ってないだろう。

「あの…どうして、自分を?」

 おずおずと口に出したエレンに、モブリットはああ、と声を上げた。

「君に興味があったから」
「…自分に?」
「分隊長と他一名が君にご執心だから、確かめておきたくなって」
「は?」
「後はそうだな……何か訊きたそうな感じに見えたから」

 訊きたいこと――そう言われて、エレンはハンジの部下の彼なら知っているのではないかという、以前から気になっていたことについて訊ねてみることにした。

「あの――リヴァイ兵長とハンジ分隊長って仲がいいというか、随分気安いというか…昔からあんな感じなんですか? 親しいって感じの……」
「リヴァイ兵長と分隊長? ああ、心配しなくても肉体関係ならないから大丈夫だよ」

 モブリットの言葉にエレンは盛大に紅茶を噴き出した。すかさず、モブリットは布巾で飛び散った紅茶を拭う。

「あれ? そういう意味じゃなかった?」
「いや、オレ、そんな…っ、そんなことはっ」
「そうか、まだか」

 一人で納得しているモブリットにエレンはまだって何なんだ、まだって何なんだと頭の中で繰り返しているが、モブリットはそれを判っていても答える気はないようだ。

「じゃあ、何を聞きたかったんだい?」

 モブリットの言葉にエレンは言葉を探しあぐねているようだったが、自分の中の感情を整理するようにぽつりぽつりと話し出した。

「あの、リヴァイ兵長とハンジ分隊長は勿論ですが、エルヴィン団長やミケ分隊長や――昔から調査兵団に在籍されている人達は結束力が強いというか、見ているとすごく信頼し合っているって気がするので」

 いったいあの団結力はどうやって構築されたのか。彼らの信頼関係はどのようにして成り立ったのか――いったいいつからどのようにして。彼らの固い絆を見ているとそれを聞いてみたくなったのだ。

「―――それを聞いてどうするんだ?」

 返ってきたのは予想外に冷たさが含まれた声だった。

「彼らの信頼関係は長い間ともに戦い続け、情報を交換し、交流を続けることによって築き上げられたものだ。それを、まだ知りあって数週間の何の実績もない新兵の君がその輪に入りたいというのかい? 何も示さずに信頼だけしてくれというのはおこがましいとは思わないか?」

 モブリットの口から出た厳しい言葉にエレンは慌てて首を横に振った。

「いえ、そういうんじゃないんです。羨ましくないと言ったら嘘になりますけど、あの人たちの絆に入りこめるなんて思ってはいません」

 ただ、自分は―――。

「近付きたいんです、あの人に。……オレは実力はまだまだの新兵だけど、それでも気持ちの上では対等になりたい」

 庇護されたいわけではない、大切にされるのは嬉しいけれど、それとこれとは別の問題で。
 そう、自分はきっと――あの人の横に並んで闘いに挑む、共闘出来るようなそんな存在になりたいのだ。

「リヴァイ兵長にはもう十分君は特別な存在だと思うけど」

 幾分かやわらかくなった声音で告げるモブリットはエレンにとっては爆弾発言に当たる言葉を投下した。

「少なくとも、君以外の膝枕で寝てたなんて聞いたことがないから」

 ブハーッとエレンの口から更に盛大に紅茶が噴射された。またしても、すかさずモブリットが拭き取っていく。
 リヴァイに膝枕したなどとはデマだ――とそう言えれば良かったが、生憎と全くの真実であった。この前リヴァイと街に買い出しに行った際にどういうわけかそんな状況に陥ったのだが、嘘の下手な自分には――いや、上手かったとしてもここまで動揺を顕にしてしまった以上誤魔化せないだろう。

「な、何で、それ、知って…え、え、え…」
「ああ、リヴァイ班の人達に聞いたんだけど、知らなかったのか?」

 知らないどころの話ではない。いったいどうして知っているのか。リヴァイがわざわざそんなことを吹聴するとは思えないし、知らないうちに彼らに見られていたのだろうか。

「知っているのはごく一部の人だけだから安心していいよ」

 慰めるようにモブリットは言うが、ごく一部だろうが何だろうが、知られていることに違いはない。エレンは今この場でじたばたと暴れ出したい気分だった。ここはぜひともことの真偽を問い質したいところだが、ばっちり見てましたなどと言われたらどうしたらいいのだろう。
 新たな悩みに直面するエレンが落ち着くのを待って、モブリットは悪かったかな、と苦笑を浮かべた。

「それにごめん、ちょっとキツイこと言ったな」

 まあ、ちょっとした試しみたいなことをしたかったから、気にするなとモブリットは笑う。エレンはいえ、と首を横に振った。彼の言ったことは全くの正論だと思ったからだ。

「羨ましいって気持ちは判るしな」
「……モブリットさんも羨ましいんですか?」

 彼はハンジにすごく信頼されているように見えたし、自分とは違いキャリアも長いように感じた。長い間生き延びたということは優秀な兵士としての証だ。その彼でも、何か疎外感のようなものを感じると言うのだろうか。

「ああ、特に君のところの兵長には」
「リヴァイ兵長ですか? まあ、それは判る気はしますが……」

 何しろ、彼は人類最強だ。潔癖な面や粗暴な一面を差し引いてもお釣りがくるくらいには有能で、慕われている。彼を目標にするのは悪いことではないが、圧倒的な実力を前に自信を喪失する恐れもある。
 モブリットは、ああ、君が考えてる方面ではないよ、とエレンの考えを否定した。どの方面かは教えてはくれなかったけど。

「でも、まあ、いい話も聞けたし有意義だったよ、ありがとう、エレン」

 モブリットに言われて、はあ、としか言いようがない。今の会話の何が有意義だったんだろう。
 そろそろ時間だから、と立ち上がるモブリットにつられるようにエレンも立ち上がる。

「エレン」
「はい?」
「近付きたいなら自分から行動するべきだと思うよ。待ってるだけでは何も生まれない」
「―――――」

 その方が自分にとってもいいようだし、と手を振る。信頼が欲しいのならしてもらえるように努力をする。対等でありたいなら、そのように自分を磨くだけだ。
 少しだけすっきりしたエレンが前向きに行こうと決意を新たにし。
 いいネタを仕入れたと笑うモブリットはリヴァイに適度な牽制をするべく思案を巡らせるのだった。





 ≪完≫




2013.8.12up




 紅茶を噴くエレンが書きたかった一品。モブリットさんの性格は捏造(汗)。モブハンでリヴァイに恋愛感情がないことは理解しているが、心中は複雑。なので、エレンの存在は歓迎。何となく子守歌の続きっぽいですが、シリーズ化する予定はないです。






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