言の葉




 その言葉を聞いた時にリヴァイは自分の耳を疑った。その人物がそのような言葉を発するとは思いも寄らなかったからだ。

「だから、僕とエレンは幼馴染というだけなんで。すごく親しいというわけじゃないので、個人的なことには何もお答え出来ませんよ?」
「だけど、いつも一緒にいるだろう、お前ら」
「まあ、付き合いだけは無駄に長いですから、気を遣わなくて済む、それだけです。現在は所属班も違いますし、話すこともないですから。気楽だったから一緒にいただけで、離れたらそれでもう終わりです」

 おそらくは同じ所属班の先輩なのだろう男性兵士に話す少年――確か、アルミン・アルレルトという名前だったと記憶している。今は自分の部下で監視対象であるエレン・イェーガーの幼馴染みであり、彼が巨人化するきっかけを作った人物でもあったはずだ。人類の希望と言われている少年は自分の馴染みを大事にしているようであったし、かなり親しそうに見えた。それは、二人の馴染みたちも同様だと思っていたのだが、実は本心は違ったのだろうか。

(イヤ、そんなはずはねぇ)

 報告書によればこの少年は砲弾を前にエレンの重要性を必死に説いたはずだ。何とも思っていない相手ならさっさと見捨てていたであろうし、己の命を懸けるようなそんな真似は出来まい。なら、どうしてこんな返答をするのだろうか。相手の質問をかわすためだとしても、他に言い様はもっとあるはずだ。
 すぐ傍にいるリヴァイに相手は気付かずに会話を続けていたが、班員の男は少年からは何も情報を聞き出さないと悟ったのだろう、肩を竦めて離れて行き、当の少年はそれを見送ってふうと溜息を吐いた。

「オイ、お前」

 リヴァイがゆっくりと近づいて声をかけると、少年は驚いたのかびくっと肩を震わせ振り返った。

「リヴァイ兵長!?」

 リヴァイの存在を認めた少年は、慌てて上官を前に敬礼をしてみせたが、男は片手でそれを制した。

「お前、今の話……もっと他に言い方があったんじゃねぇのか。あいつの耳に入っても知らねぇぞ」

 人の口には戸は立てられない。この少年から聞いた話を相手が周りに話し、それが回り回ってエレンの耳に届く可能性は決して低くはない。調査兵団内でもエレンの存在は注目されているから、彼の情報が出回るのは早いはずだ。おそらくは親友だと思っている相手がそんな風に自分のことを言っていると知れば、少なからず衝撃を受けるのではないだろうか。
 リヴァイの言葉に少年は困ったような笑みを口元に浮かべた。

「ああ、それは構わないんです。というより、エレンの耳に入ることは想定して話したので」
「ああ?」

 少年の言葉にリヴァイは眉を寄せた。この少年は自分の言葉によって相手が傷つかないとでも思っているのだろうか――エレン・イェーガーという少年は確かに裡に深い狂気のような獣を飼っているとは思うが、それでもまだ十五になったばかりの少年なのだ。負けず嫌いで頑固で何者にも屈しない精神を持っているのと同時に、化け物だと人から遠ざけられることに傷つくくらいの感性も持ち合わせている。少年の言葉を耳にしたら相応に傷つくだろう。

(イヤ、こいつの作戦立案能力は高いというし、前もってエレンに訊かれたらこう対処すると話してあるのかもな)

 そんなことをリヴァイが考えていると、少年は改まった態度で男に呼びかけてきた。

「そういう風におっしゃるってことは兵長はエレンのことを心配しているってことですよね?」
「あいつに何かあったら今回の作戦自体が成り立たねぇからな。あいつが動揺するようなことは出来るだけ排除したい」
「――リヴァイ兵長はエレンのことをどう思っていますか?」

 問われて、リヴァイは考え込んだ。初めは面白そうなガキだ、というのが率直な感想だった。獣みたいなギラギラした目をした、巨人化出来る能力を持った稀有な存在――その底知れない狂気と怒りに満ちた瞳と強い意志に興味を持った。それから自分の部下として監視下においているうちに、少年の他の部分も色々と見えるようになった。懐くと意外に無防備というか、無警戒になることや、目上の者や技術を持った人間は素直に賞賛し、尊敬すること。負けず嫌いな一面もあり、真面目で任務には手は抜かない。自分の非を認める度量もあるし、謝罪し反省して同じことは繰り返さないように心掛ける。そして、心許したものには無邪気で年相応の笑顔を見せる――。
 屈託のないその笑顔に人類の希望と呼ばれるこの少年がまだ十五になったばかりなのだと気付かされた。迷いも悩みも痛みもする普通の少年なんだと。彼は不安に押しつぶされないように歯を食いしばって前を向こうとしている。

「あいつは俺の部下で――同じ調査兵団の大事な仲間だ」

 この感情がどんな色を持っているのかまだ自分でも上手く把握出来ていないリヴァイがそう言うと、アルミンは小さくそうですか、と呟いた。

「それでは、お願いがあります、リヴァイ兵長。――エレンを好きにならないでください。もしも、好きになったとしても、決して本人に好きだと言わないでください」

 少年の言葉にリヴァイは怪訝そうに眉を寄せた。少年が何を意図してそんなことを言うのかさっぱり判らなかった。

「オイ、それはどういう意味だ?」
「言葉通りです。親愛でも友愛でも恋愛でも何でも構いませんが、好意を抱いているとは伝えないでください。部下として仲間としての信頼関係以上の好意を寄せないでください」
「……意味が判らねぇ」

 ひょっとして、この少年はエレンにそういった感情を抱いていて、近付くものを牽制しているのだろうか。そういう感情を抱いているようには見えなかったが――兵団には女性兵士の方が少ないので男性同士でそういう関係を結ぶことがままあるのは事実だ。二人がそういう関係には見えないのは確かだが、陰で付き合っているとかそういうことなのだろうか。
 そんな疑問が表に出ていたのだろうか、少年は僕とエレンはそういう関係ではありませんので、ときっぱりと告げた。

「僕とエレンはただの幼馴染みです」
「ただの幼馴染みなら、そこまで口にする権利はないと思うが?」
「――そうですね。でも、言っておきたかったんです。リヴァイ兵長、エレンとはただの上官と部下でいてください」

 お願いします、と一度軽く頭を下げて、少年は去って行った。

「…………」

 今のは何だったんだろう、とリヴァイが少年の去って行った方向を眺めていると、反対の方からこちらに駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。

「兵長、掃除終わりました! 後、ペトラさんが探してます!」

 パタパタとこちらに駆け寄ってくるのは最近に自分の部下になった少年で、先程話題にしていた人物だ。
 こちらにいらしたんですね、結構探しちゃいました、と笑う少年に尻尾があったなら全力で振っているだろう。どうやら、少年は人類最強の兵士長に元から憧れを抱いていたらしく、審議所で躾と称して痛めつけたのにも拘わらず自分にひどく懐いた。ちょっとしたことを誉めてやれば顔を上気させて喜ぶし、訓練で手本を見せればキラキラと輝いた顔でこちらを見つめてくる。年相応の少年らしいその顔は微笑ましくて可愛いと素直に思えるものだった。

「判った。すぐ行く」

 ふっと手が上がったのは無意識だった。強いて言うならその子供のような顔がこの殺伐とした世界の中で生きてきた自分の心に僅かに残っていた、どこか柔らかい部分に触れたのかもしれない。
 自分より高い位置にある頭――それがちょっと癪に障るが――に手を置いて撫ぜる。髪に通した指先には思っていたよりも柔らかい感触が訪れた。

「オイ、どうした?」

 一頻り撫ぜてやって満足したリヴァイは歩き出したが、少年の方がついてこない。振り返って少年の顔を見たリヴァイは驚いて眼を瞠った。

「エレン?」
「……兵長はオレのこと気持ち悪いって言いましたよね?」

 突如、以前に自分が口にした言葉を持ち出され、当惑しながらも事実だったのでリヴァイは頷いた。

「オレが気持ち悪いんですよね? 勝手に手足が生えてくるから。オレは監視対象で、暴走したときは兵長が抹殺するんですよね?」
「……ああ」
「なら、良かったです」
「は?」
「そのままずっとオレを気持ち悪いって思っていてください」

 じゃあ、オレは持ち場に戻りますので、失礼します、と言い置いてエレンは走り去って行った。
 残されたリヴァイは当惑した顔でそれを見送った。

(どうしたっていうんだ……)

 頭を撫ぜた後に見たエレンは――泣きそうな顔をしていた。まるで捨てられて途方に暮れて震えている子犬みたいに頼りない存在に見えた。

(気持ち悪いって思っていろって……普通は逆なんじゃないのか?)

 切られた手足が生えてくる光景は想像すれば気持ち悪い――確かにそう思ったから口にしたが、エレン自体を気持ち悪い存在だと思っているわけではない。むしろ、自分の下に就いてからの彼は可愛らしいと思えるくらいだ。
 なのに、嫌ってくれとも思える発言をしたのは何故だろう。仲間に敵だとみなされるのに衝撃を隠しきれなかった彼が、それを望むのは矛盾しているように思える。

(仲間としての信頼は欲しいが、必要以上の好意は要らないってことか?)

 そう考えたリヴァイに先程会った少年の幼馴染みの言葉が蘇ってくる。
 ――エレンを好きにならないでください。好きになっても言わないでください。

「……これと関係があるのか?」

 誰に聞かせるでもなく呟いたリヴァイの言葉は風に乗って消えて行った。



 その言葉を告げた時、少年はまるでこの世の終わりにあったかのような悲壮な顔をした。
 本当は言うつもりはなかった。言ってしまったのは自分の我が侭でしかない。最初はどのような色がつくのか判らなかったこの少年に対する感情が「愛しい」というものだと気付いた時に、この気持ちは決して言わずに秘めておこうと思ったのだ。
 だが、今回の女型の巨人との対戦では多くの血が流れすぎた。調査兵団は多くのものを失った。勿論、そうするだけの意義のあることであったし、世界の真実を掴む手掛かりも得られた。ただ――一歩間違えれば目の前の少年も自分も命を失う可能性があったのは確かだ。生き延びるための術は心得ているし、そう簡単に彼岸へ旅立つ気はないが、それでもこの残酷な世界ではいつ命を落とすか判らないのだ。
 いつどうなるかも判らないそんな世界で、自ら危険のある方へと身を置く自分が想いを告げるのは身勝手だと思う。だが、自分が目の前の少年に「自分が悔いのない方を選べ」と言った通りに、自分は悔いの残らない方を選んでしまった。自分の中に初めて芽生えたこの感情を告げずに枯らしてしまうのが嫌だと思ったから。
 受け入れられないだろう、とは思っていた。少年からの好意はずっと感じていたが、それが自分と同じとは思えなかったし、甘い関係に浸りたいと考えたわけではない。ただ、言わずにいられなかっただけの話だ。だが。
 こんな風にこの世の終わりみたいな顔はさせたくはなかった。

「……す。ダメです。兵長はオレを嫌いでなきゃダメなんです!」
「エレン」
「兵長、言ったじゃないですか。オレのこと気持ち悪いって。だから、そのままそう思ってオレのこと嫌いでいてください」
「エレン、俺は――」
「兵長、お願いですから――」

 告げる声が震えていて、か細くて――リヴァイは言葉を飲み込んだ。

「オレを好きにならないでください。嫌いでいてください」
「――――」

 一礼して去っていく少年をリヴァイは追えなかった。自分が彼の中で一番柔らかくて脆い部分に触れてしまったのは確かだと感じられた。けれど―――。

(あいつは俺を嫌いだとは言わなかった)

 普通、同性に愛を告げられたなら、嫌悪の感情を表すか、自分にはそういった性嗜好はないと言って断るものではないのだろうか。なのに、エレンはそのどちらでもなくただ自分を嫌いでいてくれという。

(嫌いでいてくれも何も嫌ったことなんてねぇんだがな)

 恋愛に割く時間が惜しいとか、今は誰とも付き合う気はないとか、断りようはいくらでもあったはずなのに――エレンの様子は明らかにおかしかった。上官に告白されたから、という動揺だけではないように思える。

「…………」

 リヴァイはしばらく思索していたが、おそらくは何らかの情報を持っているだろう相手に会いに行くため、その場を後にした。




 与えられた休憩時間に少し外の風にあたりたくなったエレンは木陰で座ってぼんやりと空を眺めていた。
 だから、次にそれを避けられたのは本当に奇跡としか言えなかった。

「――――っ!」

 風を切る音に慌てて転がってそれを避け、反動を付けて瞬時に起き上がる。全く気配をさせずに近付いてきた相手が拳を振り下ろす瞬間に何とか気付くことが出来た。銃や矢などの飛び道具を用いられていたらさすがに命はなかったが――となると、相手はすぐに殺害するのではなくどこかへ連れ去るのが目的かもしれない。いったい、何者なのか――気配を微塵もさせずに近寄ってきた相手を見定めようと視線を向けて、エレンはその両の瞳を見開いた。

「――兵長!?」

 現れた自分の上官に戸惑う少年に考える隙を与えずに、相手は再び攻撃を仕掛けてくる。対人格闘においては好成績の少年は無意識にその攻撃を避けた。

「いい動きだが――まだまだだ」
「――――っ」

 あっという間に地に転がされ、マウントを取られる。訳が判らず相手を見つめるだけの少年に男は笑った。

「オイ、エレン、俺は強い」
「……知ってます。兵長は人類最強なんですから」
「その通りだ。だから、俺はお前より先には死なねぇ」
「――――っ!」

 目を瞠る少年を男は静かに見下ろした。

 ――一番最初はお母さん、次はお父さんですね。グリシャさんは行方が判らないからそうだとは言えないですけど。

 この少年の幼馴染みが語った言葉が蘇ってくる。

 ――次は開拓地で僕達に良くしてくれた人です。雰囲気がすごくグリシャさんに似ていて……。

 開拓地では物資も不足していて、生活は相手も困窮していたであろうに、とても良くしてくれたのだという。特にエレンを息子のように可愛がってくれていたのだと。彼は幼い息子を病気で亡くしていて、その息子がエレンによく似ていたのだと語っていたという。――その男性はその後の無謀な奪還作戦で兵士として召集され、帰らぬ人となった。

 ――その次が、やはり開拓地で良くしてくれた女性。次が訓練所で自分も調査兵団を目指してるって言った仲間。

 自分もひもじいだろうに少ない食べ物をよく分けてくれた女性は開拓地の厳しい冬で風邪をこじらせ肺炎となりこの世を去った。訓練所で出逢い、エレンと意気投合し、ともに調査兵団を目指そうと笑った少年は訓練中の事故で命を落とした。エレンに積極的に話しかけ、明らかに好意を寄せていた同じ訓練所にいた少女もまた訓練中に亡くなった。
 こんな世の中だ。人はちょっとしたことで命を落とす。ほんの少しの偶然が重なっただけで、エレンに好意を向けた人々が次々に死んでいったのも、珍しいこととはいえない。リヴァイが地下街で暮らしていた頃には昨日楽しそうにしゃべっていた人間が翌日には死体で転がっているなんてことは当たり前だった。

 ――誰だったかな、顔も覚えてないけど。エレンのことを実は死神なんじゃないかって言ったのは。

 エレンを、エレンの考えを否定し嫌悪しているものだったのは確かで、当然、幼馴染みの少女に報復されていたけれど。
 エレンは何も言わなかった。ただ――僅かに周囲と壁を作るようになった。決して自分を好きにならないように、仲間としての信頼と結束は必要としてもそれ以上踏み込むことを拒んだ。

 ――ずるいですよね、自分は大事にするくせに、大事にされることは嫌がるんです。

 だから、自分はエレンをただの幼馴染みとしか言えないし、もう一人の幼馴染みも家族だからとしか言えない。その免罪符がなければエレンのすぐ近くまでは行くことが出来なかった。そして、その免罪符は好きだという言葉で壊れてしまう。

 ――好きはエレンには決して言ってはいけない言葉なんです。

 エレンは決してあなたからは聞きたくない言葉だろうから、言って欲しくなかったと少年は告げた。それが何の問題解決になっていないと判っていてもなお、そうして欲しくなかったのだと。彼がリヴァイに心を許している様子が見て取れたから、と。
 リヴァイは少年から話を聞き終わると、エレンの元へと向かった―――。


「エレン、あいつらはお前を仲間として信頼していた。好意を向けていた。――だが、それで死んだ訳じゃねぇ」
「――――」

 エレンを仲間として認めた自分の部下達。彼らが作戦後も生きていたのならきっと良い先輩として――仲間として少年をあたたかく見守ってやれていたことだろう。だが、彼らはエレンに好意を向けたから死んだ訳ではない。エレンは彼らの死に責任を感じ、選択を間違えたと言っていたが、人はどうあってもいつか死ぬものだ。あそこでエレンが女型と戦っていても彼らは死んだかもしれないし、責任云々を言えばリヴァイが彼らを自分の班員したから死んだのだと言える。そんなことを挙げていけば際限がない。

「お前を好きになった奴だって、お前を好きになったから死んだ訳じゃねぇ。人の感情なんか関係なく人は死ぬ。それだけだ」
「けど、オレは―――」
「けどもだってもじゃねぇ。――人の死を自分のせいだって言うのは、自分のせいじゃねぇって言うのと同じくらい烏滸がましいことだ。少なくともあいつらは自分の信じるもののために死んでいったんだ。勝手にお前の責任にされちゃあいつらだって迷惑だ」
「――――」
「エレン、一つ約束してやる」

 そう言って男はエレンの頬を撫ぜた。

「俺はお前よりも先には絶対死なねぇ。お前ごときが俺を殺れると思うな」

 ただ眼を見開くだけの少年の頬に指を滑らせながら、男は笑んだ。まるで睦言のように言の葉を続ける。

「それでも、もしも、俺が命を落とすようなことがあったら――そのときはお前も連れていってやるよ」

 まあ、行先は地獄だろうがな、と笑う男を見上げながら、少年は細い声を出した。

「……オレが行くのもきっと地獄だと思います」
「そうか」
「……兵長はオレを好きですか?」
「ああ」
「……死ぬときは必ずオレを連れていってくれますか?」
「ああ」

 その言葉を聞いて少年はどこか安心したように微笑んで、一筋、涙を流した。

「オレも兵長が好きです……」

 男が欲しかったたった一つの言の葉を紡ぐ、震える少年の唇に自分のそれを重ねて、男は髪を撫ぜてやった。




2014.11.30up





 思いついたから書いておこう作品。エレンはここまで弱くないかなーと思うのですが(汗)。最初は拍手に載せる予定だったのですが、思っていたより文字数多くなったので小説にUP。




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