リヴァイの朝は早い。兵士だった時も規則正しい生活をしていたが、退役した今の方がもっときちんとした生活をしているかもしれない。まずは隣に寝ている同居人を起こさないようにベッドから静かに降りると、洗顔し、身支度を整え、朝食の用意を始める。兵士長という階級にいた頃は料理など全くしていなかったが、元々何でも器用にこなす男はすぐに料理の腕を上げた。
テーブルの上に手早く仕上げた料理を並べると、男はまだ寝ている同居人を起こしに行く。
「ほら、エレン、起きろ、メシが出来たぞ」
肩を揺すると、ぴくりと瞼が動いた。ゆっくりとそれが押し上げられて大きな金色の瞳が姿を現す。ぱちぱちと瞬きしてから眼を擦る様子が小さな子供のようで可愛らしいが――実際に今の彼の状態は小さな子供と変わらないのだ。男が身体を起こした彼が着替えるのを手伝ってやりながら髪を撫ぜてやると、少年は心地好さそうに目を細めた。
「ほら、顔洗ってこい」
こくり、と頷くとエレンはぱたぱたと歩いて顔を洗いに行く。最初は洗う度に服を濡らしていたエレンだが、繰り返すうちに濡らさずに洗うことを覚えた。今では一人で出来るのでリヴァイがついていってやらなくても大丈夫になった。
ぱたぱたと音を立てて戻ってきた少年が誉めて誉めて、という顔をするので、よく出来ました、というようにまた髪を撫ぜてやる。少年は男に撫ぜてもらうのが好きなようで、こうしてやると心地好さそうにするからつい男の方も甘やかしてしまう。
「ほら、メシ食うぞ」
椅子に座らせて食事をさせる。最初のうちは少年は一人で食事も出来なかったので、男が手ずから与えていたのだが、スプーンやフォークの使い方を根気よく教え続けてようやく一人で食べられるようになったのだ。だが、少年は一人では絶対に食事を摂らないから、男は先に食べさせたり自分が先に食べることはない。
「旨いか?」
口の端についた食べかすを取ってやると、少年はその指を口に咥えた。舌先で指を舐められる感触に湧き起る衝動を堪え、平静を装う。指先を少年の口から抜き、何事もなかったように食事を続けた。
食事はどうやら美味しかったようで、少年は満足そうに笑っている。言葉を発しない彼はその分表情が豊かで、男は簡単に彼の機嫌を量ることが出来た。
朝食を終えたら、近くの畑の手入れをすることにする。日差しがきつくならないうちに済ますつもりだが、日避けの帽子を自分と少年に被せるのは忘れない。少年は簡単な作業しか手伝えないが、男の傍を離れたがらないので手伝えなくても連れていくことにしている。まるで、親鳥の後を付いて回る雛鳥のようだな、とその姿を見る度に男は思う。実際に少年にとって自分はそういうものなのだろう。
畑作業をする自分なんて、かつての自分を知るものが見たら仰天するかもしれないが、食料はなるべく自分で作ることにしている。何かを入手するということは、人と接触するということだ。その機会は出来るだけ減らしておきたい。
ここは人里から遠く離れているし、人目に付きにくいように工夫して作ったが、誰かにこの場所を知られないようにリヴァイは細心の注意を払っていた。
畑仕事も終わり、家に戻るかとエレンの手を引き家に戻ろうとしたリヴァイは微かな音を聞いて身構えた。あれは馬の嘶きだ――なら、それを操る誰かがこの家に近付いているということだ。
少年を背後に隠し、リヴァイが相手に対峙しようとしたとき、のんびりとした声がかけられた。
「……そんなに殺気満々で出迎えられると怖いんだけどなぁ。彼だって怯えると思うよ?」
「何だ、クソメガネ、お前か」
姿を現したかつての同僚にリヴァイは臨戦態勢を解いたが、警戒は解かない。彼女――ハンジに害意はなくても、どこに何が潜んでいるのか判らないからだ。
「心配しなくても、後をつけられるようなへまはやらかしてないよ。取りあえず、家に入れてくれないかな?」
ここじゃゆっくり話も出来ないし、とハンジが続けると、リヴァイは無言でハンジを家の中に招き入れた。
「ほら、熱いから気をつけるんだぞ」
男が少年に紅茶の入ったカップを渡すと、少年はこくこくと頷いてふーふーと息を吹きかける。私には、というハンジに仕方ねぇ、お前はついでだと言ってカップを渡すと彼女は肩を竦めた。
「……エレンは相変わらずなんだね」
家の外では決して呼ばない名前を彼女は口に出した。外では誰が聞いているか判らないから――この家に誰も近付かないのだとしても――用心するに越したことはない。
「もう、あれから三年も経つのにね。戻る気配はないのかい?」
リヴァイが頷くとハンジは哀しそうな顔をして、悪かったね、と呟いた。
「結局、何も出来なかったな、私は。エレンはあんなに人類のために尽くして戦ってくれたのにね」
「…………」
三年前に総ての出来事に決着がついた。巨人は総て駆逐され、人類は真の自由を手に入れたのだ。だが、その一番の功労者である少年は最後の戦いの後に倒れ、昏睡状態が続き、やっと目覚めたときにはもうそこにかつての少年はいなかった。
目覚めた少年は一切の記憶を失っていたのだ。生活に必要な知識も何もかも一緒に失くした彼はまるで生れ立ての赤ん坊のようだった。
元々、少年はかなりの無理をしていたのだと思う。酷使された身体は悲鳴を上げていたのに、彼はそれを隠し続けて戦った。その代償がこれだというのなら、それは余りにも残酷な現実だった。
赤ん坊と変わらなくなった少年の世話はリヴァイが引き受けることにした。足の怪我が悪化したことを理由としてさっさと退役し、エレンを連れて壁の外に出てひっそりと隠れ家を建てて移り住んだ。少年は対外的には最後の戦いで命を落としたということにしてある。実際に彼は死んでもおかしくない状態であったし、生きていることが判れば彼を危険視するものが現れるのが判り切っていたからだ。死んだことにすれば世界を救った功労者、生きていれば、最後の巨人として恐れる――人というものは本当に勝手に出来ていると思う。
「……これでも、大分良くなった。一人でメシも食えるようになったし、大抵のことは教えれば判る」
「……リヴァイはそれでいいのかい?」
ハンジと――かつての仲間と会うのはこれが初めてというわけではない。三年間の歳月の中で何度か会っている。人里離れた場所に隠れ住むリヴァイには入手出来ない情報や物資などを手に入れるために、接触が必要だったからだ。
そのときに何度か訊かれた――この状態のエレンとともに在るのは辛くはないのか、と。そう、ごく僅かなものではあるが、かつての二人の関係を知るものはいた。この同僚や、自分の上司や、彼の幼馴染みが――自分達が恋人同士と呼ぶような関係であったことを。
リヴァイはそれに無言で返し、ハンジは答えをはなから期待していなかったのか、苦笑して話題を変えた。
「今日は色々と差し入れを持って来たんだ。今は農地も拡大して食糧生産量も上がって生活も大分豊かになってきたんだよ。肉や卵なんかも手に入り易くなってきたし」
それでも、嗜好品や手に入りにくいとされていた高級品等はまだそう一般には出回ってはいないだろうが、ハンジは肉の燻製やチーズ、子供が喜びそうなお菓子などを取り出して見せた。
「後、これが一番の目玉! ……地図だよ」
取り出したものを端に寄せて地図を広げてハンジはほら、と指で指し示す。
「この三年で大分調査が進んだんだ。何せ、巨人はいないんだから、調べ放題だからね。ここはいまは開拓されて農地に、こっちは放牧地になってる。新しい村も出来てるし、人類の活動領域は確実に広がっているよ」
「かなり、詳細だな。……確かか?」
「当たり前だよ、私が持ってきた地図なんだから。兵団の上層部にしかまだ出回ってない希少なものなんだからね、リヴァイ」
それは極秘と言うか、持ち出し禁止なのではないのだろうか。ハンジはリヴァイの視線でその疑問を感じたのか、ようはバレなければいいんだよ、と明るく笑った。
「それから、最後に一つ。……かつての人類最強の兵士長を担ぎあげようという動きがある」
「……またか」
リヴァイはうんざりしたように眉を寄せた。政府の中の膿は大分一掃されたが、私腹を肥やしたいものはどこにでもいるし、古くからいる頭の固い面倒な連中はいくらか残っている。調査兵団の活躍により、巨人を駆逐出来たのは周知の事実であるし、兵団の上層部の発言力は今では強いのだが、だからこそ、そこに在籍していたかつての人類最強の英雄を担ぎ上げて勢力を伸ばそうと考えるものも出てくるし、逆にその動きを邪魔に思うものも出るのは必然だった。そんな面倒事に巻き込まれるのは御免だったし、何より少年の傍にいてやりたかったからリヴァイはさっさと退役の手続きをして姿を晦ませたのだが、未だに追おうとしているものがいると聞いてうんざりする。
「一応、訊くけれど――兵団に戻る気はないのかい? リヴァイ」
「ない」
リヴァイはきっぱりと答えた。巨人との戦いのなくなった今では自分が特に役立つことはないし、もはや過去の遺物だろう。兵団の中にはリヴァイの復帰を願うものも、総てを放り出したように退役してしまった男を責めるものもいるのは知っている――彼らが自分を惜しんでくれているのは確かで、それは有り難いことかもしれないが、リヴァイは今更兵団に戻るつもりはなかった。
彼の手を引いて壁の外に出たときに自分は何もかも捨てる覚悟をしたのだから。
「きっぱり、はっきりか。うん、判ってはいたけどね」
そう言ってハンジは肩を竦め、立ち上がった。
「紅茶、ご馳走様。リヴァイなら大丈夫だと思うけど、気をつけてね」
「俺がそんなへまをするか」
相変わらず無駄に自信満々だなーと笑って、ハンジは家の戸に手をかける直前で振り返った。
「リヴァイ、これだけは覚えておいて。……私達はリヴァイにもエレンにも幸せになって欲しいんだよ。そのためならいくらでも力を貸すから」
そう言って、彼女は静かに家を出ていった。
「…………」
黙ってハンジが出ていった戸を見つめる男の裾をくいっと少年が引いた。見ると、不安そうに金色の瞳が揺れている。話している内容など少年にはまるっきり判らなかっただろうが、その雰囲気で何か不穏なものを感じ取ったのかもしれない。
「大丈夫だ、何も心配は要らない」
そう言って髪を撫ぜてやると、少年は心地好さそうに目を細めた。
そう、だって自分は決めたのだから。
あの日、少年が目覚めたとき、彼は一切の記憶も常識も失い、生れ立ての赤ん坊のようになってしまった。誰の手も拒み、怯え、泣き、寄ろうともしなかったのに――男の姿を見て笑ったのだ。誰の手も受けとろうとしなかったのに、男には自分から手を伸ばしたのだ。生れ立ての赤ん坊がそれでも母親だけは認識するように、少年はリヴァイにだけ反応した。それはかつての関係とは違ったものであったけれど、それでもいいと男は思った。
あのときに、男は何が何でもこの少年を守ると決めたのだから。周りがそれを止めなかったのは男の決意と、何もかも失くしてもなお男にだけは反応した少年に二人の絆の強さを感じ取ったのだろう。あの、少年の幼馴染み達でさえ、男を止めなかったのだから。
この少年のために何が出来るのか――それを考えながら、男は少年を安心させるためにその身体を抱き締めてやった。
少年はいつも男と一緒のベッドで眠る。家が小さいというのもあるが、少年が男と離れるのを嫌がったのが大きい。抱き締めて眠ってやると少年は安心したように寝息を立てた。――最初の頃は辛かった。少年の体温や匂いを感じると、どうしても身体をつないでいた頃のことを思い出してしまうからだ。少年を抱き締めて口付けて、その中に入って揺さぶって、快楽と熱を共有していた夜――普段、恥ずかしがって余り言葉にしない少年が熱に浮かされたように好きです、好きです、兵長と言うのが聞きたくて、強引に求めたこともあった。
一度、我慢しきれなくて、強引にその身体を開こうとしたことがあった。だが、怯えて泣きじゃくる少年に結局は最後まですることが出来なくて宥めるようにその身体を抱き締めて眠った。それからは少年に性的な行為を求めることはしていない。
「…………」
この日も、男は少年を抱き締めて眠ったのだが、ふと、何かの予感を覚えて、眼を覚ました。家の周りを探ってみるが人の気配はない。物音もしないし、一応、家の周りには罠も仕掛けてあるが、それに引っかかった様子もない。だが、男は自分の勘を軽く考えてはいなかった。素早く武器を身に付けると、物音も立てずに家の外に出る。
退役してからもずっと、身体は鍛えていた。おそらく、今も兵士であった頃と変わらずに動けるだろう。
闇に身を紛わせ、木々の間を縫うように音も立てずに進めていくと、こちらに向かってくる男達を発見した。人数は四人――武器を携帯しているのが見て取れた。
(どの勢力だ?)
リヴァイが用心深くここに隠れ住んでいるのは探すものがいるからだ。その勢力は主に三つ。
一つはエレンの死を怪しみ、彼が生きているのではないかと疑って探しているもの。ここにはエレンだけではなく、巨人がまだ生き残っているのではないかと疑って探しているものも含まれる。猜疑心の強いものはどこにでもいるし、また、邪魔なものを巨人だと言って始末しようと考えるバカどももいる。実際に魔女裁判ならぬ巨人裁判にかけられたものがいるというから、呆れた話だ。
もう一つはハンジが忠告してきたように、リヴァイを担ぎ上げて勢力を伸ばしたいもの。人類最強の英雄として知られるリヴァイは市民からは絶大な人気があるので、かなりの支持が得られるだろう。勿論、それは彼らの傀儡としてだろうが。
最後の一つは逆にリヴァイを邪魔に思うもの。兵団にいた頃から自分を嫌っていたものも何人かは残っているだろうし、リヴァイが自分達の傀儡として操りづらいと思っているものは、万が一他のところに行かれるよりは先に始末してしまった方がいいと思っているだろう。
ハンジが兵団に戻らないかと訊いてきたのもそのためだ。兵団という組織に入っていればしがらみもあるが、手が出しにくくなる。
「オイ、本当にこの先でいいのか? こんなところに人が住んでる感じがしないが」
「情報には間違いはないはずだが」
「人類最強の兵士長だったんだろ? もっといいとこに住んでるんじゃねぇのか?」
「何でも足を痛めて使えなくなったから、辞めさせられたとか聞いてる。だから、こんなとこにいるんじゃないのか?」
「そんなんなら、四人いなくても殺れるんじゃねぇか」
取り分が減るじゃないか、という男に、念には念をなんだろ、と他の男が続けた。
(……成程、俺を殺したい方か)
身のこなし方からいって、正規の兵士ではない。少々腕の立つゴロツキをリヴァイ暗殺のために金で雇った、というところだろうか。――ならば、遠慮は要らないだろう。そもそもリヴァイに殺されてやる気はないのだから、引き受けた時点で男達の未来は潰えたのだ。
―――闇に一陣の風が舞った。
総ての始末を終えたリヴァイが家に戻ると、少年はまだ眠っていた。その寝顔を見ているだけで心が凪いでいくのが判る。
「…………」
リヴァイは少年の顔を見ながらこれからどうするべきか考える。始末する前に男の一人から聞き出した情報によると、ここは依頼者ではなく男達で突き止めたらしい。なら、まだ依頼者にはここの情報はいっていないだろうが、失敗したと判れば別のものを寄越す可能性が高い。
ハンジに連絡を取って、依頼者を押さえるのは難しいと思われる。男達からは一応依頼者の名を聞き出したが、そこから真の依頼者には辿り着けないようになっているに違いない。
(ここは捨てるか)
新たな刺客がやって来るにしても数日はかかるだろうし、こんなときのためにいつでも出発出来るように準備はしてある。痕跡を消すことは男には慣れたものであるし、エレンが起きたらここをすぐにでも発てるように準備をしておこう。
(後はどこに行くかだが……)
そのとき、ふと、ハンジが持ってきた地図が目に入った。
それを見ていると懐かしい声が耳に甦ってくる。
――いつか、オレは壁の外を自由に探検したいんです。塩水で出来ているっていう海、炎の水、氷の大地、砂の雪原、そういうものがあるって聞きました。
(海、か……)
それを目指してみるのもいいかもしれない。ハンジがここでこれをくれたのも何かの縁だろう。
「海を見に行くぞ、エレン」
かつて、少年が憧れていたもの。今となっては判らないだろうけれど。
ベッドの脇に腰掛けて少年の頭を撫ぜながらそれでも笑ってくれればいい、と男は思った。
海までの道程は決して楽とは言えなかったが、馬も食料もあったので順調に進むことが出来た。苦労もあったが、そんなものも海を眼にした途端に吹っ飛んでしまう。
(これが、海か)
どこまでも広がる水は果てが見えない。川や湖などとはまるで規模が違いすぎる。砂の原――砂浜と言うのだと聞いた――に降り立ち、打ち寄せてくる水の塊を眺めていると、突然、エレンが海に向かって駆け出した。
「エレン!?」
少年はジャブジャブと音を立てながら、海の中に入っていく。まるでそこにあるものを確かめるように手で掬い口にした少年を慌てて男は止めた。
「何やってるんだ! 塩水を飲むなんて、バカか、お前は!」
げほげほ、と噎せた後、少年は、ぼろぼろと涙を見せたので、苦しかったのか、と男は背中を撫ぜてやった。
それに、少年は首を振り、掠れた声で呟いた。
「しょ…ぱい、です。…うみ、ほんとの、海……」
「エレン、お前―――」
吃驚する、というのはこのことだろう。リヴァイはがっしりとエレンの腕を掴みその顔を見ると、エレンは涙を零しながらそれでも笑っていた。
「あり、がとう、ございます……へ、ちょう……」
そう言う少年を力いっぱい男は抱き締めた。
馬のところへ戻り、少年に水を与えて落ち着かせると、彼はポツリ、ポツリ、と話し出した。三年も使っていなかった声帯がちゃんと機能するか不安だったが、思っていたよりもすぐに滑らかに声を出せるようになった。
少年はこの三年間のことはぼんやりとしか覚えていないらしい。それでも、男が自分の世話をしてくれていたことと、一緒にずっと暮らしていたことは覚えているようで、随分と迷惑をかけてしまったことを男に詫びたが、そんなことは何でもないとリヴァイは首を振った。苦しいと思ったことがないとは言わないが、少年とともに過ごせるのは喜びでもあったのだから。
「兵長、オレ、もう巨人にはなれないと思います」
「もう、なる必要はねぇだろ」
それはそうなんですけど、と少年は困ったように笑う。少年の言いたいことは判る――少年が巨人にもうなれないと主張しても、それを信じる人間が僅かだろうということは予想出来る。少年にも感覚で判るとしか言えないことを信じてもらうのは難しいし、この先も少年の生存を知るものが出れば、彼を処分し兼ねないだろう。
「後、オレは多分、そんなに長くは生きない気がします」
そう言われて、男は心臓が止まるかと思った。
「今すぐにどうこうというわけじゃありません。ただ、普通の人の平均よりは早いと思います。後、何十年かは判りませんけど――」
ここで、ごんっと頭を男に殴られて少年は呻いた。
「ひ、酷いです、兵長」
「酷いのはお前だ。……驚かせやがって」
涙目の少年に男はお前、俺の年判ってるのか、と告げた。
「俺はお前の倍は生きてるんだぞ。俺は長生きする予定だが、普通ならお前より早く死ぬ。お前が寿命が短くなったなら、釣り合い取れていいじゃねぇか」
男の言い分に少年は眼を丸くして、それから笑った。
「兵長は百歳までは生きそうですね」
「そうだな、それくらいは目指す」
「なら、オレもそれにつり合いが取れるように頑張ります」
「ああ、そうしろ」
おそらく少年の言っていることは正しいだろうと思う。少年が自分より早く死ぬことの予想はしていた。でも、それでいいと男は思う。
少年がその世界の終わりにその瞳に映すものが自分ならいい。本当は自分が最期に見るものも少年が良かったけれど、それでは自分を看取ることになる少年が可哀相だから。
「で、これからどうする気だ?」
「え?」
「海の次は何だったか? お前、言っていただろう? 炎の水に氷の大地に砂の雪原だったか?」
男の言葉に少年が、覚えていたんですか、と訊ねると、当たり前だろ、と男が返した。
「なら、順番に行きますか?」
「炎の水は……暑そうだな」
「なら、氷の大地は?」
「寒そうだ」
「……砂の雪原は?」
「砂浜のでかいのってことか。埃まみれになりそうだな」
「……全部文句じゃないですか……」
唇を尖らせる少年に男はにやりと笑うと、そこに唇を落とした。
「お前がいれば別にどこでもいい」
真っ赤になって唇を押さえる少年の頭を撫ぜてやると、彼はそんなのオレだって同じです、と呟いた。
「まあ、今後のことは後で決めるとして、とにかく今日はやるから、覚悟しておけよ」
「へ?」
「三年分はまとめてするからな」
お前、しばらく馬に乗れないかもな、という男に少年は青くなる。ううーっと唸ってからそっと男の服の裾を掴んだ。
「……お手柔らかにお願いします」
「――善処する。が、期待はするなよ?」
拒絶するという手段は取らない少年に男は内心で笑って、その手を引いた。
少年と自分の世界がいつ終わりを迎えるかの予測は当の本人たちでさえつかないけれど。それでも、最後まで一緒にいよう。
あのとき、少年が自分に手を伸ばし、自分がその手を取ったときにそう決めたのだから。
その世界が終わるまでともに、と。
≪完≫
ありがちですが、総てが終わった後ネタです。オチがベタなので迷ったんですが、エレンが元に戻らないと暗すぎるので戻すことに。この後はあちこち回りながら穏やかに過ごすんだろうな、と思います。早く死ぬとか言って意外に長生きするエレンに兵長は怒ったり安心したりするといいです。
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