「お前なんかに何が判るんだ! 化け物のお前に!」

 そう言われて硬直してしまった少年は何かを言い返そうとして、けれど、それを音にすることが出来なかった。『化け物』と自分を呼ぶ人間が存在することは判っていたのに、目の前で突き付けられた言葉に咄嗟に反応することが出来ない。そんな少年の代わりとでもいうように、珍しく隣にいた幼馴染みの少年が相手に食ってかかっていた。少年――エレンはいいから、と幼馴染みを宥め、ここにもう一人の幼馴染みがいなくて良かったな、とぼんやりとそんなことを思った。










もっと言ってやりたかったのに……」

 少年の隣で悔しげに幼馴染み――アルミンが呟くのを聞いてエレンは苦笑した。自分のことのように怒る少年の気持ちは嬉しいが、今回のことは自分にも非があるとエレンは思う。

「ミカサがいなくて良かったぜ……」
「ミカサがいないから僕がもっと言ってやろうって思ったんじゃないか! もっと効果的で抉るような言葉を言ってやれば良かった……」

 エレンが溜息とともに零した言葉を聞き洩らさずにアルミンは物騒なことを呟いている。自分の幼馴染み達はどうも自分に過保護に構うきらいがあるとエレンは思う。特に家族として過ごした少女は自分のことになると過剰に反応するから、今回のことは知られないようにしなくてはならない。

「アルミン、ミカサには言うなよ?」
「ミカサなら適切な報復をしてくれると思うけど?」
「だから、それが嫌なんだって。――それにあんな反応されるのは別に初めてじゃねぇだろ」
「――それは、だって……」

 アルミンはここで言葉を区切って唇を噛んだ。

「だって、同期じゃないか。同じ訓練を受けてきた仲間なのに……」
「……………」


 ことの始まりは誰が言い出したことだったか、少年ははっきりと覚えていない。ただ、偶然にも104期のメンバー達の自由時間が重なり、折角だからどこかに行こうか、という話になったのだ。そこで、巨人との戦闘で負傷していた同期達の傷が大分良くなったらしいから様子を見に行かないかという提案が出されたのだ。兵舎や自宅で療養する兵士もいるが、兵団には負傷者を一か所に集めて治療する施設がある。トロスト区の襲撃ではかなりの負傷者が出たし、まとめて治療に当たった方が効率がいいという判断がされ、負傷した兵士達はそこで療養しているはずだ。
 一口に同期といっても顔見知り程度のものや、殆ど口を利いたことのないもの、班行動などで一緒になり比較的仲が良かったもの、と色々いる。エレンが比較的親しくしていたものは概ねは無事であったから、今回見舞う相手は他のメンバーと付き合いのあったものになる。顔を知っている程度の自分が行くのもどうかとは思ったのだが、久し振りに同期達と出かけて話すのはいい息抜きになるし、見舞客が増えたからといって特に問題はないよ、と言われて少年は同行することに決めたのだ。
 施設が近くにあったことと、監視対象ではあるが、エレンの単独行動ではなく同じ調査兵団の兵士が複数人一緒であること、それが考慮されてエレンが一緒に行くことの許可は下りた。幼馴染みの少女はこのとき兵団の方で抜けられない用事があり、一緒に行けないのをひどく残念がっていたのだけれど。
 辿り着いた施設で話を聞くと、比較的軽傷だったものはリハビリを始めていてもうすぐ訓練に戻れるというし、反対に骨折がまだ治らず足や腕を吊ったものもいた。そして、そこで――巨人に食いちぎられ、片腕を失った同期に出会ったのだ。腕ではなく脚を失った兵士もいて、エレン達は彼らにかける言葉がなかった。勿論、義手や義足もあるしリハビリをして努力すれば普通の生活を送れるようになれるだろう。だが――兵士としてこれから先やっていくのは非常に難しいと言えた。
 誰かが気を執り成すように、大変だったな、と声をかけ、他の者たちも具合はどうだとか他の仲間はどうしてるかなどと話題を相手に振り、エレンも大変だろうがリハビリすれば――と言いかけたとき、突然その同期の少年は激昂したのだ。

「お前に何が判る! お前、化け物なんだろ! 切ったってまた手足が生えてくるんだってな! そんなお前に何が判る!」

 自分の片腕はもう二度と戻らないのに、と怒鳴る相手のそれは完全な八つ当たりではあった。彼が腕を失ったのはエレンの責任ではないし、彼に化け物と罵られるいわれはない。だが、腕を失い、兵士としての将来も絶望的な状況の人間の前に自分が軽々しく姿を出すべきではなかった、とエレンは思った。
 誰だって自分が失くしたものを簡単に取り戻せるという相手を目にしたら腹立たしく感じるだろう。だから、あのときにアルミンを宥め止めたのだ。


(……『普通』にしてくれる人がいたから忘れていた)

 記憶のない巨人化から目覚めた自分に向けられたたくさんの恐怖に満ちた眼。審議所で自分を囲んでいた人々。そう、それら全部が自分に言っていたのに。
 ――お前は『化け物』だと。

「……エレンが嫌ならミカサには黙っておくけど、同じことがまたあったら、今度は相手に然るべき報いを受けさせるからね」
「……お前、ミカサみたいになってんぞ」

 まだ怒り続ける幼馴染みに、少年は大丈夫だ、自分をちゃんと見ていてくれる人はいるのだから、と自身に言い聞かせながら笑いかけると、兵団本部に戻るために足を速めたのだった。






「ねえ、エレン、体調悪い?」
「いえ、特には。何かありましたか?」

 定期検査が終わった後、ハンジにそんなことを問いかけられて、何かおかしな徴候でもあったのだろうか、とエレンが訊ねると、彼女は首を横に振った。

「特に異常があるわけじゃないんだけど。余り、顔色が良くないし、疲れてるんじゃない? 睡眠はちゃんと取れてる?」
「あ、はい、特に問題はないと思います」

 答えつつエレンは内心で冷や汗をかいていた。眠れていない、というわけではないが寝つきが悪いのは確かだ。だが、それよりも―――。

(……怪我の治りが遅くなってる)

 エレンが初めて巨人化した際、その前に切断されていたはずの手足は元に戻っていた。審議所で躾されたときに折れた歯もすぐに生えたし、怪我をしても翌日には跡形もなく治っていた。だが、一昨日訓練中に打ちつけて出来た痣がまだ消えていない。明らかに回復が遅くなっている。
 巨人化実験の失敗のときに作った手の傷もすぐには治らなかったが、あの後意図せず一部を巨人化させた後に見たら綺麗に治っていた。その後も回復能力は順調に発揮されていたようだったのだが、ここにきて急にしなくなってしまったのだ。

(何か問題があるんだろうか……ハンジさんに相談した方がいいのかな)

 だが――ただでさえ、巨人化の制御の不安定な自分がそんなことを言ったら呆れられないだろうか。特に自分の上官に当たる彼は――どう思うのだろうか。

(お前はそんなことも出来ないのかって言われるかな……)

 巨人の力の完璧な制御は自分に課せられた最優先事項であり、それが不可能となれば危険とみなされ処分されかねない。自分の意志で自由に巨人化し、巨人化しても自身を見失わず制御する。自我を失い暴走すれば自分だけではなく、周りにも危険が及ぶのだから――力の制御は必須だ。
 だが、現状では力の制御が出来ているとは言い難い。
 そんなことを考え、エレンが自省していると、よし!というハンジの声が聞こえた。

「エレン、休暇をとろうか。まあ、休暇っていうかそんなに休めないから一日だけになると思うけど。息抜きにどっかに出かけてくるといいよ!」
「え? でも……」
「あ、でも、エレンには監視がいるから、一人じゃダメなんだよね。リヴァイは忙しいだろうから……そうだね、リヴァイ班の誰かつけようか。うん、それがいいよ。同期の子達もつけてあげたいけど、新兵には訓練が必要だし、遠出するなら新兵よりも先輩達の方が許可も下りやすいし」
「あの、ハンジさん?」

 遠征が控えているこんな時期に呑気に休暇などと言っている場合ではないと思うのだが。そもそも自分は休暇を取りたいなどとは一言も言っていないし、こんなときに自分に付き合わされる監視役も迷惑なだけだろう。
 だが、ハンジの中でエレンが休むというのは決定事項のようで、反論を挟む隙など与えられなかった。

「これ、上官命令だから! エレンは休んで気晴らしにどっかで遊んできなさい。い・い・ね?」
「………はい」

 ――こうしてエレンは強制的に休暇を取らされることになったのだった。





「チッ、何でこの俺が新兵のお守りなんざしなきゃならねぇんだ」
「いいじゃない、オルオ。私達だってこうして骨休め出来たんだし。それより、いい加減、リヴァイ兵長の真似するの止めてくれない? イヤ、全然全くかけらも似ていないけど……」

 エレンの監視役として同行することになったのは、ペトラとオルオだった。兵団本部の近くにある街まで行って観光――とはいっても、観光名所などないのだが――して戻ってくる予定になっている。休暇は一日だけなので日帰り出来る場所というと近くの街くらいしかなかったのだ。
 迷惑かけてしまってすみません、と謝罪するエレンにペトラは明るく笑った。

「オルオは空気だと思えばいいからね、エレン。私も街まで出るの久し振りだから嬉しいし、遠征前に息抜きが出来て良かったよ」
「フッ、お前らはまだまだだな。兵士たるものいかなるときでも己を律し油断をせずに――」
「エレン、空気はほっといて行こう」
「あ、はい、ペトラさん」
「戦友に向ける冗談にしては笑えな……って、本当に置いて行くな、お前ら!」



 街には特に観光名所などはなかったが、流通に便利な場所にあるため意外にその規模は大きく、市場や店などが並んだ一角もあり、そこをひやかしながらペトラ達と話すのは楽しかった。折角だから何か買っていく?とペトラに訊ねられたが、エレンは物欲が殆どないため何も思い浮かばない。

(欲しいものないっていうか……そもそも、そんなに金持ってないし。あ、でも休暇くれたハンジさんにはお土産買った方がいいのか?)

 エレンが悩みながらハンジやエルド達に何か買った方がいいのか相談すると、ペトラもそうね、と考え込んだ。

「ハンジ分隊長の喜ぶものっていったら……」
「……巨人ですよね」
「…………」
「…………」

 何をどう考えても他に喜びそうなものを思いつかない。しばらく二人で無言のまま悩んでいたが、ペトラが果物とかにすれば、と提案した。

「ここの市場は野菜や果物とかが安いの。お菓子類やお酒は高いし、果物なら皆で食べられるでしょ?」

 ハンジの好きな果物が何かは判らないが、何種類か買っていけば中には食べられるものもあるだろう。そう言われ、果物に決めると、支払いの段になってペトラとオルオも代金を出してくれた。エレンは恐縮したが、休暇をもらえたのは三人一緒なのだし、自分達もお礼をしたかったから、共同の土産ということで割り勘にしましょうと言われ、それに甘えることにした。その果物は当然のようにオルオが持たされていたが、持つわよね?という無言のペトラの笑顔の圧力に負けてオルオは何も言わずに受け取っていた。先輩達の力関係を見た気がしたエレンだったが、不意に目に入ったものが気になってペトラに告げてから目的の店に入った。
 目に入ったのは綺麗なハンカチ。女性用だけではなく紳士用のもあるらしく、エレンはその中から一つ選んで買うと店員に頼んで包んでもらった。シンプルだが手触りが良く、よく見ると端に一つだけ飾り刺繍の施された上品なものだ。

(喜んでもらえるかは判らないけど)

 自分の上官は潔癖で有名でハンカチを必ず持ち歩いていると聞いた。彼の好きなものを少年は知らないし、知っていたとしても懐に余裕のないエレンに余り高いものは買えない。これならそれ程値の張るものではないし、実用的なので使ってもらえるかもしれない――そう考えたのだ。
 商品を受け取り、店を出てペトラ達と合流しようとしたときに、少年は後ろから声をかけられた。

「エレン・イェーガー」

 振り返ってみると、そこにはどこかで見た顔があった。それが、この前自分を『化け物』呼ばわりした、片腕を失った同期の少年だとエレンが気付くより早くそれは振り下ろされた。

「この化け物がぁ!」
「―――うあああぁあああ!」

 最初に感じたのは痛みよりも熱さ。焼けた杭でも押し当てられたような衝撃が左腕に走り、無意識のうちにエレンの口からは叫び声が出ていた。
 衝撃に倒れ込んだエレンの目に映ったのは切り落とされた自分の左腕を拾おうとする同期の姿。だが、取り上げようとする前に腕は蒸気を上げて崩れ消えていく。ああ、とエレンは思う――これでは本当に巨人と一緒だ。騒ぎを聞き付けた周りの通行人がその様子を見て悲鳴を上げている。あの子供は『化け物』なのかと誰かが口走る声が耳に届いた。
 そうだ、周りの反応はいつだって同じ。彼らにとって自分は巨人と同じ『化け物』なのだ。

「何でだ!? 消えてしまう。これじゃあ、意味ないじゃないか? 直接いけばいいのか? 直に食いちぎれば――」
「エレン!?」
「てめぇ、何してやがる!」

 エレンの叫び声を聞いた先輩二人がその場に駆け付け、オルオがすかさず襲撃者を取り押さえ、ペトラがエレンの許に駆け寄った。

「オイ、クソガキ、どういうつもりだ? 返答によっちゃただじゃおかねぇぞ。いや、もう俺に捕まった時点でお前は終わりだがな……」
「オルオ!」

 そのときに、焦ったようなペトラの声が上がった。

「尋問は後でいい。それより、早くエレンを手当て出来るところに運ばなきゃ! 急いで」
「は? 何言ってやがる、ペトラ。そいつは――」

 どこを切られようが、手足を切断されようが再生する、そういった話だったはずだ。自分達だって、あの巨人化実験の失敗の後、噛み傷だらけだったエレンの手が何事もなかったかのように綺麗になっていたのを目撃している。自分達の手にはまだくっきり歯型が残っていて消えていないのに――あのときに少しは根性があると認めてやってもいい、と思ったのだが。

「血が止まらないの!」

 遮るようにペトラが叫んだ。

「今、止血したけど、失血が多すぎる! 早くちゃんと手当てしないと危険なの!」
「だって、そいつは再生――」

 言いかけてオルオは途中で言葉を止めた。エレンの左腕の先はなかった。ペトラが自分のマントを割いて縛り止血していたが、それまでに流した血で地面は赤く染まっていた。そう、自分達はエレンが怪我を負ってもすぐ再生するという意識があったから、手当てするのが遅れた。まさか再生しないなんて考えてもみなかったのだ。

「何で再生してねぇんだ……」
「判らないわよ! 判ってるのは、このままだとエレンが危ないってことだけ! 判った!?」

 エレン、しっかりして、今ちゃんと手当て出来るところに運ぶから、とペトラは必死にエレンに呼びかける。
 エレンは薄れていく意識の中、その声を遠くに聞きながら、右手に持ったままだった小さな包みを見やった。――自分の血で染まってしまったそれ。

(これじゃあ、兵長はもらってくれないな……それ以前にこんなに汚れたの渡せない)

 ぼんやりとそんなことを思う。再生しない腕も失血のために起きているショック症状も頭にはなかった。

(違うな……きっと、汚れてなくても兵長はオレからのものなんか要らない)

 きっと、何をあげても喜んでなんかもらえない。
 こんな『化け物』から何をもらっても嬉しくなんかない。
 そう思ったときに少年の意識は途絶えた。






「――で、何がどうなってこうなったのか、ちゃんと説明しろ」

 目の前に現れた男は身体中から不機嫌、というオーラを漂わせていた。並の人間なら――いや、並以上でも震え上がってしまいそうな程男は不機嫌だったし、怒ってもいるようだと、対峙したハンジは思った。
 エレンの身に起こった報告を受けたときの男――リヴァイの様子ときたら、エレンの腕を切り落とした少年を今すぐ串刺しにしに行くんじゃないかとハンジは思ったくらいだ。
 視線をベッドに走らせると、エレンは男が部屋に入って来たのにも気付かずにまだ眠っているようだ。先程まで危険な状態だったのだからそれも無理はないが。

「人魚の肉、ユニコーンの角、仙人の丸薬……知ってるかい? リヴァイ」

 それがどうした、と言わんばかりに男は眉を寄せたが、ハンジは構わずに後を続けた。

「全部空想というか伝説上のものだけどね、不老不死が得られるって言われてるものだよ。――エレンを襲った同期はそれが欲しかったみたいだね」

 バカげた話だと思う。いくらエレンが再生能力を持つからといって、その血肉を取り込んだところで自分が失ったものを取り戻せるわけがないのに。実際には、エレンの腕は蒸発してしまったから取り込むことは出来なかったわけだが。

「巨人の肉を食ったところで巨人にはなれないように、そんなことをしても無駄なのにね。まあ、巨人の身体はすぐに蒸発しちゃうから食べられはしないんだけど」

 消える前に無理に食べたとしても大火傷しそうだしね、と続けるハンジにリヴァイはそんなのはどうでもいいだろ、と告げた。

「問題はそのクソガキにそう吹き込んだ連中がいるってことだろうが」
「まあね。エレンを危険分子としている連中――奴らは首を切り落として欲しかったんだろうけどね。その辺は団長が調べて対処するそうだから問題はないよ」

 エレンを危険分子として処分してしまいたいと思っているものが少なからずいるのは判っている。彼らはエレンの身柄が調査兵団の預かりとなったことで引き下がったように思ったのだが――その中に実力行使に出るものがいたということだ。差し向ける相手を同期の少年にしたのは、それが近付き易いと思ったからか。どう少年に吹きこんだのか、彼はエレンの血肉を取り込めば自分も再生能力を持てると思い込んだらしい。失った腕に拘ったのか、相手はエレンの腕を狙った。それがエレンの命を救うことになったのだけれど。

「……あいつが再生しないのは何故だ」

 エレンのベッドに近寄り、その腕を撫ぜてからリヴァイはハンジに訊ねたが、彼女は判らない、といったふうに首を振った。

「少し前から徴候はあったんだけどね。――エレンの身体を検査したときに小さな傷とか痣を見つけたんだ。訓練中に出来たと思われる、見落としそうな小さなものだったんだけど――だからこそおかしいって思ったんだ」

 切り落とした手足がまた生える程の再生能力を持つ少年がそんな小さな傷を癒せないことがあるのか、とハンジは訝しみ、少年の再生能力が落ちてきていることを悟った。

「巨人化の仕組みはまだ全然解明されていないから断言は出来ないけど、変身に目的意識が必要だったように、再生能力もいろんな要因で機能しないことがあるんじゃないかって。今回のことはおそらくエレンの内面の問題というか、メンタルなところが関係していると思うんだけど」

 あくまでも、勘だけどね、とハンジは続けた。

「だから、気晴らしになれば、って思って休暇取らせたんだけど、こんなことになっちゃうなんてね。……却って悪いことエレンにはしちゃったな」
「……別にてめぇのせいじゃねぇだろ」

 エレン達と一緒に街に出かけていた部下二人も自分達の責任だと言っていた。だが、彼らのせいでもないし、そういう連中がエレンを狙うかもしれないという警戒を怠っていた自分達にだって責任があるだろう。
 だが、今はそんなことを議論している場合ではない。

「こいつの内面の問題ってことは――こいつが再生したくないって思っているってことか?」
「そうではないと思うけど――内面に何か問題があって、再生したくても出来ていない状態ってとこかな? 他にも再生出来ない状態になる可能性はあるかもしれないけど」
「………判った。こいつは俺が預かる」

 リヴァイの言葉にハンジはきょとんとした顔をした。

「預かるって……そもそもエレンはリヴァイの預かりじゃないか」
「そうじゃなくて、こいつを連れていきたいところがある。どうせ、この状態じゃしばらく訓練には参加出来ねぇんだろ。こいつが起きたら出かけることにする」
「いや、何言ってくれちゃってんの、リヴァイ。そんな時間が今のリヴァイのどこにあるっていうんだよ。それに、エレンは再生能力が上手く機能していないって言ったじゃないか。無理に動かして傷口開いたりしたらどうするわけ?」
「何とかなるだろ」
「いや、何とかならないから。無理だからね、無理無理無理!」
「不可能は可能にするから意味があるんだろうが」
「何、その言ってやった感いっぱいの顔は! だから、無理だって!」


 ――だが、結局総てを押し切った男はエレンを攫うようにして、翌々日に出発したのだった。





「あの、兵長、どこに行くんでしょうか?」

 恐る恐る少年が問いかけると、リヴァイは行けば判る、とだけ返した。
 あの後、目覚めた少年は自分の傍についていた男に驚き、すぐさま謝罪した。だが、男はそれはいったい何に対する謝罪だと不機嫌そうに言い、それにびくりと身を竦めた少年に、リヴァイは怒ってるわけじゃない、と息を吐いた。
 男から簡単な事件のあらましを聞いた少年はやはり迷惑をかけたと謝罪しようと思ったのだが、自分が謝罪するならエルヴィンとハンジとペトラ達を呼んでここで土下座させるぞ、と言われ、そんな恐ろしいことをさせられるはずもなく、エレンは押し黙るしかなかった。
 その後、動けるかと訊かれたので大丈夫です、と答えたら殆ど攫われるという表現に近い状態で男は自分を兵団本部から連れ出したのだ。まだ左腕は再生しておらず、馬を上手く操れない自分を抱えて馬に乗り、行く先も告げずに男は馬を走らせて、現在に至る。
 新兵の自分とは違って調査兵団の上層部の人間であるリヴァイは、色々とやることがあるはずだが、いいのだろうか。一度、男にそう訊ねてみたら、エルヴィンの許可は取ってあるから問題ないと返されてしまった。許可を取ったというわけではなく、一方的に言い放ってきただけではないか、という疑惑が湧くが、確かめる術はない。
 馬を走らせて数時間は経っただろうか、日も落ちかけてきた頃、リヴァイは一つの民家の前で馬を止めると、エレンを下ろして馬をその民家の横に設置してある小屋に繋いだ。

「あの、ここが目的地なんですか?」
「いや、違う。ここには宿を借りに立ち寄っただけだ。……まあ、今のお前にはいい相手かもしれないが」
「え?」

 リヴァイはエレンの疑問の声に答えず、スタスタと進むと扉を叩いた。

「オイ、ラウロ、開けろ。俺だ」

 ほどなくして扉が開き、中から姿を現したのは初老の男性だった。背丈はエレンより少し高いかといったところだが、かなり鍛えられた身体というのが見て取れ、身のこなし方も普通の民のそれではない。

「またお前は連絡もなしに。来るなら来るって言っておけ」
「連絡している時間がなかった。宿を借りるぞ」

 どうやらリヴァイとは知り合いのようだ――まあ、いくら何でも見ず知らずの人間の家に突然やって来て泊らせろなんてことは男でも言うまい。

(兵士……? いや、元、兵士ってとこか?)

 エレンが男性を眺めていると、視線に気付いたのか、相手もエレンを眺めた。

「ああ、今日はこの子のものを作りにきたのかい?」
「違う。宿を借りるだけだ。オイ、エレン、こいつはラウロ。今日はここに泊る」

 そう言って男がズカズカと中に踏み込んだので、エレンも遠慮がちに中に入ることにした。
 民家は思ったよりも広く、勝手知ったる他人の家、といった感じでリヴァイは掃除用具を手に取ると、客用らしい部屋へと足を向けた。

「掃除してくる。お前はそこの親父と話でもしていろ」

 え、と思う暇もなく置いて行かれてしまい、どうしようかと視線を泳がせ挙動不審になる少年に、相手を押しつけられた男性がまあ席に座ってくれと促したので、エレンは大人しくそれに従った。

「リヴァイが人を連れてくるなんてことは珍しい……というか初めてだな。紹介状はよく書いて持たせてくるんだが」

 リヴァイが呼んだ通りにラウロと名乗った男は珍しそうに少年をしげしげと眺めた。少年は男の言う紹介状というのが気になった。紹介状などと聞くと仕事の仲介とか医者や修行を頼むといったものが思い浮かぶが、リヴァイがそんなことをやっているとは思えない。この男はいったい何をしているというのだろうか。

「あの、紹介状って……」
「ああ、これでも俺は職人なんでな――主に義足や義手を作っている。リヴァイはたまに巨人との戦闘で手足をなくしたものに作ってやってくれと手紙を持たせてくるから、ボウズもそのくちなのかと思ったんだ」

 思いも寄らなかった言葉に目を丸くした少年に男は明るく笑ってみせた。

「職人には見えなかったか。まあ、俺は元は兵士だからな。工房見てみるか? 暇つぶしにはなるぞ」

 思わず頷いてしまったエレンは男に連れられて、男が義足や義手を作っているという工房に足を踏み入れた。


(うわぁ……)

 男の言ったことは本当だったらしく――いや、男の言葉を疑っていたわけではないが――その部屋には様々な工具と、材料、注文品なのか作りかけの義足や義手がいくつか並べてあった。

「こう見えても俺の作った品は評判がいいんだぞ。特に義足は自分の足で証明しているからな」

 ぽん、と右足を軽く叩いて示した男にエレンは驚いて両の眼を瞠った。男は確か自分は元兵士だと言っていたが――では、巨人との戦闘で足を失って、技師に転向したということなのか。

「特に兵士の動きに必要なものは自分で判っているから、兵士向けには丁度いい。経験に則ってアドバイスしてやれるし」
「――ちょっと、待ってください」
「うん?」
「あの、それって、義足にした後も兵士を続けたってことですか?」
「そうだが? まあ、復帰に一年もかかったが、それは仕方ねぇだろ。慣れるまでが大変だったからな」

 義足を使えるようになるのに一般的にどれくらいの時間がかかるのかエレンにはその知識がないが、それが物凄く大変だとは容易に想像がつく。本当に血の滲むような努力をして彼は戦線に復帰したのだろう。

「まあ、俺はまだ膝の関節が残っていたから良かったんだ。あるとないとじゃ全然違う。――成長期も終わった親父だったしな。身体が成長する時分だと辛いことになるからな」
「あの、ラウロさんは……どうして兵士に復帰しようって思ったんですか?」

 足を失くす程の大怪我をした兵士はそのまま退役することが殆どだ。立体起動を動かすのに義足では中々上手くいかないし、何より巨人への恐怖に心が折れて戦えなくなってしまう。それを責めることは出来ないし、仕方のないことだとエレンは思う。誰しも巨人は――『化け物』には恐怖を抱くものなのだから。

「怖くなかったんですか?」
「そりゃ、怖いに決まってるだろう」

 男はあっさりと少年に告げた。

「お前、巨人に足食いちぎられたんだから、怖いと思うのは当然だろう。仲間も何人も目の前で食われるのを見た。いくら、心臓を捧げるって誓って兵士となったからといったって、恐怖が完全に消えるわけがない」
「なら、どうして?」
「そうだな――こんな中途半端に終わらせてたまるかって思ったからかな」

 そう言って男はエレンを見つめた。

「ボウズが何で兵士になったのかは知らねぇが、調査兵団なんて変人の集まりだ。よっぽどの決意と信念がなきゃやっていけねぇよ。俺はそれを曲げたくなかった。それだけだ。自分に負けるのが一番悔しいだろ?」
「…………」
「まあ、それでも年には勝てなかったがな。若い奴の足引っ張る前に退役して、職人になった。ここで、戦闘で失くしたものを取り戻してやるのが、今の俺の巨人との戦い方かな」

 そう言って笑う男にエレンは何も返せなかった。強い、人だ。ただそれだけを思う。――自分が彼の立場だったとしてこんなふうに強くあれるだろうか。

「オイ、エレン」

 そのとき、工房への扉が開いてリヴァイが中に入って来た。

「掃除が終わった。本当なら他の部屋もやりたかったが、どうせこの親父はすぐに汚すからな」
「俺は普通だ。お前が潔癖すぎるんだよ」
「今日は早く寝るぞ。朝早いからな。準備しておけ」
「……無視か。そうか、無視か」

 そう宣言したリヴァイに引き摺られるようにしてエレンは工房から出され、言葉通りに食事もそこそこにあてがわれた客室で就寝させられたのだった。




 エレンが男に叩き起こされたのは朝というよりもまだ夜中だった。眠い目を片手で擦るエレンに、男はこれから出かけるという。違う場所に出発するのかと思ったが、そうではなく必要なものだけを持って出かけ、またここに戻ってくるらしい。
 相も変わらずどこに向かうのかは告げず、男はさっさとしろとエレンを急かすと、宿を後にした。

 リヴァイが向かったのは宿を借りた民家の裏手から進んだ先にある山だった。訓練で山登りはさせられたことはあるが、この山は勾配が中々にきついところだった。だが、男はまるで何でもないことのように進んでいく。立体起動装置が使えたらまだ楽だっただろうが、生憎今回は持ってきていない。尤も今の状態のエレンでは上手く扱えるかどうかは疑問だが。
 無言で登るのもどうかと思い、ぽつりぽつり、と二人は会話をした。リヴァイの話によると、ラウロは兵士長にもなった最強の兵士だったらしい。義足のラウロと呼ばれ、義足のまま調査兵団で十年も戦い生き残った半ば伝説のように語られている人物というから驚きだ。現役を退いてからは是非後進の指導を、と教官に望まれたらしいが、彼はあっさりとそれを蹴って職人になったらしい。変人だな、とリヴァイが結論づけるのにエレンは苦笑した。ラウロ自身が断言していたように調査兵団にまともな人間はいないらしい。それくらいではないと生き残れない、ということなのだろうが。

「着いたぞ」

 頂上に着くと、リヴァイは見晴らしの良い場所に陣取り、エレンにも座るように促した。エレンがそれに従うと、もうすぐだと男が囁いた――何のことか、と訊ねる前に少年は息を呑んだ。

「…………!」

 それは絶景としか言い様がなかった。稜線から射し込んでくる光――朝陽だ。姿を現す太陽に山は輝きその姿を次々に変えていく。人は美しいものに出会うと言葉も出てこないのだと、少年は思った。
 どれだけその光景に見入っていただろうか、太陽が完全にその姿を現し、夜が明けたときにぽつり、と隣に座る男が綺麗だろ、と呟いた。
 少年はこくこくと頷いた。ここを登る行程がきつかったせいもあるだろうが、登り切った先で見たこの情景は本当に美しいと素直にそう思えた。

「悪くないだろう。――俺は、何か考えたいとき、悩んだとき、一人になりたいときにここに来る」
「――兵長でも悩んだり迷ったりすることがあるんですか?」

 少年の問いに当たり前だろうが、と男は少年の頭を軽く小突いた。

「そんなの当たり前だろうが。詰まんねぇことで悩んで道に迷って、それでも自分なりの答えを出して進むのが人間だろうが」
「…………」

 エレン、と男は呼びかけて少年の頬に触れた。

「お前が何を考えて悩んでるかなんて俺には判らねぇが……それは人なら誰だって当たり前に起こる問題だ。よく考えて答えを出せ。それはお前自身にしか出せないものだからな」
「兵長……オレは『人間』ですか?」

 少年は震える声で男に訊ねた。

「オレはちゃんと『人間』ですか?」

 誰もが自分を『化け物』と呼び、『普通』ではないと恐れ、『人間』であることを否定する。自分が巨人に変身し、その身体を操り、どんなに酷い怪我を負っても完治させてしまうから。それは『人間』には出来ないから。証を見せろと言われたことがある。人間の敵ではないという証、自分が人間であるという証明。――それに自分は答えることが出来なかった。人が人であるという証――それはどこにあるというのだろう。
 巨人に対する憎しみだけを糧に訓練に励み生きてきた少年に、自分が巨人の仲間だとみなされたことは衝撃だった。巨人は今でも当然のことながら憎いし、一匹残らず駆逐するべきだと思っている――けれど、それに対抗する力を持った巨人になれる自分は『人間』と呼べるのだろうか。確かに自分は巨人に対抗出来る力が欲しかった。けれど、『化け物』と呼ばれる存在になりたかったわけではない。
 バカが、と男は再び少年の頭を小突いた。

「お前はただのクソガキだろうが」

 クソガキ、という聞き様によっては酷い言葉だが、男の声は酷く優しかった。

「バカみたいな失敗して落ち込んで、くだらないことで悩んで、小さなことで喜んで笑って、馴染みと楽しそうにはしゃいで、怒ったり泣いたりいろんなことを考える、ただの人間のクソガキだろ」
「―――――」
「エレン、お前は何者だ?」
「オレは…オレは、エレン・イェーガーです! 『人間』です…っ!」

 ちゃんと判ってんじゃねぇか、クソガキ、と言う男に頭を撫ぜられ、それがエレンの限界だった。あやすように撫ぜられながら、少年はぼろぼろと涙を零した。

 そう、自分は言って欲しかったのだ。自分が『人間』だと。
 仕方ないと言いながら、判ってくれる人がいるからと笑いながら、ずっと傷付いていたのだ――自分が『化け物』だと呼ばれることに。
 そして、それが出来るなら、この男であって欲しいと、きっと自分は願っていたのだった。


 ひとしきり泣き終わったエレンが落ち着いたのを確認すると男はなあ、エレンよ、と少年に声をかけた。

「俺はここへ誰も連れてきたことがねぇ。ここは俺だけの場所だったから、連れて来たいと思ったこともない。でも、お前は連れてきた。その意味が判るか?」

 突然、そんなことを問われて、エレンはきょとんとしてしまう。自身の再生能力を制御出来なくなった自分に考える機会を与えたかったから、というような理由ではないのだろうか。
 エレンがそのような趣旨のことを言うと、男は首を振った。

「勿論、その意味もあるが、俺はお前にここの景色を見せたかった――いや、一緒に見たかった。どうしてか判るか」
「え? 判りませ――」

 言葉は続けられなかった。ちゅっという音を立て、男の唇に少年のそれは塞がれたから。固まる少年に男はにやりと笑った。

「これでも判らねぇか……?」
「わ、判りませ……っ」

 困惑する少年にちゅ、ちゅ、と男は軽い口付けを何度も落として、なら考えろ、と続けた。

「人間は考える生き物だからな。考えたら答えを出して俺に言え。合っているか教えてやる」

 そう言った男にエレンは何も言い返せず、ただ真っ赤になりながら唇を手で押さえて――そこで気付いた。失ったままのはずの左腕はいつの間にか元に戻っていた。





「オイ、エレン、やり直せ」

 掃除の仕方がなっていない、と言われ、はい、と元気よく少年は返事をした。いつも通りの光景がそこにはあった。変わったことと言えばまずは一つ。リヴァイがワインレッドのハンカチを愛用するようになったことだ。――端に一つだけ飾り刺繍のされた上品なそれはあの日、エレンが男にと買い求めたものだ。元々はその色ではなかったのだが、血の染みがどうしても落ちなかったため、男がもういっそのこと染めてしまえとわざわざ染めてまで使っているものだ。
 それと、もう一つ。

「エレン」

 呼び声とともにちゅっと、人のいない隙を見計らって頬に落とされた口付けにエレンは真っ赤になった。あの日、判りませんと答えた少年になら判るまでする、とこんなふうに隙を見て口付けを仕掛けてくるようになった。軽い、挨拶とも呼べるようなものだが、エレンはその度に真っ赤になってしまう。

「それと、エレン、ラウロには連絡を取った。いつでも来いと返事があった」
「本当ですか? ありがとうございます」

 頭を下げる少年に男はお前は前々から思っていたが、本当にバカだな、と苦笑を浮かべた。あの後、戻った二人をラウロは出迎えてくれたが、当然、エレンの左腕が生えていることに驚いていた。簡単に事情を話すと、そりゃ便利だな、と感心された。――それだけだった。
 そして、それだけのことがエレンには嬉しかった。

「……バカなのは自覚しています」

 リヴァイがラウロに連絡を取ったのはエレンが手足を失くした同期達にその意志があるのなら、義足や義手を作ってやって欲しい、と願い出たからだった。――エレンを襲った少年は処分がまだ決定されていないためどうなるのかは判らないが、彼に本気でその意志があるのなら作って欲しいと思う。少年が知れば自分が偽善者だと言われるかもしれないけれど、戦う意志があるなら、エレンはそれを優先してやって欲しいと考えている。

「まあ、そういうところも悪くはないと思ってはいるが――エレン」

 再び口付けが落とされて、男は笑う。

「答えは出たか?」
「わ、わかりません……」

 口付けが嫌ではない時点で答えは出ているようなものだが、まだこの関係を続けたくて、この先に進むのは怖くて、エレンは答えを引き延ばす。エレンが拒絶しない時点で男も判っているだろうに、躊躇うエレンの気持ちを察してか答えを強制してはこない。

「待ってやるが、あんまり待たせると強制的に食うからな?」

 その言葉に固まった少年に男は隙あり、とまた軽く口付けを落としたのだった。





≪完≫



2013.10.4up




 思いついたから書いておこう作品。エレンがオレは人間ですか、とリヴァイに言うところのくだりが書きたくて出来ました。が、ちょっとCLOVERとかぶってるかも(汗)。作中に義手・義足が出てきますが、実際のものとは違いますし、偏見等はありませんのでその点はご了承ください。この後そう時間もかからずにエレンは兵長に食われちゃうと思います(笑)。




←back