ワールズエンド




 静かな夜だった。月明かりだけが自分の足元を照らしてくれる。ランタンや松明が欲しいところであろうが、夜目が利く自分にはそれは不要であった。それは重ねた訓練の賜物であったが、自分でいうのも何だがどんどん人間離れしてきているな、と少年は思う。少年よりももっと人間離れした能力を持つ幼馴染みがいるが――それでも進歩したと自分では思う。それも当たり前だ。自分はもう何度も――そう、嫌になるほど繰り返してきたのだから。
 足音を立てぬように慎重に気配を絶ち、自分が足を踏み込むことをまだ許されていない建物に侵入した少年はバレたら懲罰ものかな、と小さく呟いて一つの部屋に向かった。この建物の見取り図は頭の中に叩き込んでいるから間違えるはずはないが――彼はいるだろうか。
 部屋の前で逡巡した後、少年は一応ノックしてから部屋の中に入った。果たして――目当ての人物はいた。

「……訓練兵か。何の用だ。まだ、お前らはここ――調査兵団本部には立ち入れないはずだが?」

 そもそも、今は解散式後で緊張から解放されて騒いでいる頃ではないのか、と訊ねられ、少年はただにっこりと笑った。

「はじめまして、と言った方がいいんでしょうか、リヴァイ兵士長。今期卒業の104期生アルミン・アルレルトです。リヴァイ兵士長にお訊ねしたいことがありまして、参りました」
「アルミン・アルレルト……確か、今期卒業生の成績トップだったか?」
「いえ、トップはミカサ・アッカーマンで、僕は2番です。やはり、僕ではミカサは抜けませんでした。ミカサはあなたと同じ逸材ですから」
「で、さっきからこっちは訊いてるんだが、何の用だ? 返答によってはお前を罰しなければならないんだが」
「躾には痛みが一番効く、でしたか? あなたの持論は」

 面倒くさそうに言う男――リヴァイに少年はまた笑って見せた。

「僕の質問はただ一つです。あなたは――何度目ですか?」

 少年の言葉に男は一瞬だけ表情を変えた。それだけでアルミンには充分だった。男は自分と同じ境遇にあると確信出来たから。

「……どうして判った?」
「先程のあなたと同じことを言いますが、僕は質問に答えて頂いていません。あなたは何度目ですか? ちなみに僕は4度目です」
「……俺は5度目だ」

 その回答にアルミンは眼を見開いた。では、この男は自分よりも長くこの境遇にいるということだ。いや、思い出していないだけで、もっと長い場合も他にも同じ境遇のものがいることも考えられるが。

「で、どうして判ったんだ?」
「簡単な話です。あなただけ行動パターンが読めなかったから。他の人はある程度の差があっても前回と同じような行動を繰り返しているし、だいたいどんなことをするか判るんです。でも、あなただけ、毎回違うことをしてみせたりして、何をやるのかの予想が立てにくかった。だから、僕と同じだと思ったんです。世界は―――」

 アルミンはここで言葉を区切って男を見た。

「何回も同じときを繰り返している。そして、周りはそれに気付いていない」



 アルミンが初めて世界が同じことを繰り返しているのに気付いたときは気のせいかと思った。何かが起こる度に、自分は前も同じことをしていた、これは過去に起こったことだと自覚するのに、周りは誰一人としてそれを知らないからだ。次には自分の正気を疑った。自分の頭はどこかおかしくなっていて、前にも起こったことだと、勘違いしているのではないかと。
 だが、2度目に同じことが起こったときにアルミンはそれを認めた。世界は同じことを繰り返している――ループしているのだと。
 この世界全部がループしていて皆がそれに気付いていないのか、それとも、自分だけが時間を戻されてループしているのかアルミンに判断は出来なかった。判っているのは何度ループしても、周りは気付いていないということと、ループしていることを自覚していても完全に前回の記憶があるというわけではない、ということだ。
 そして、戻される時点は必ずシガンシナ区が襲撃される直前だと決まっていた。

「何故、そこに戻されるのかは判りませんが、悔しかったです。襲撃されるのは判っているのに、知らせることも出来ないし、また、言ってみたところで頭のおかしなガキだと言われておしまいですから」

 100年も続いた壁の中の平和に慣れた人類は、それが壊されるなんて思ってもいないのだ。アルミンが何を言ったところでそれが変わるはずもない――脅威を目の当たりにして初めて自分達の平和が鳥籠の中のものであったことに気付くのだ。
 他にもどうしようもないこともあった。ループが生まれたときからのやり直しであったなら、幼馴染みの少女の両親を救うことも出来たはずなのに、戻されるのはそれが起こってしまった後で、彼女がもう一人の幼馴染みの少年に依存し執着するのは決められてしまっているように止められない。
 少年の母親の死も止めようとしても変えられなかった。襲撃の際に倒壊した家屋の下敷きになり、逃げられなかった話は幼馴染みから聞いて知っていたから、彼女をその日自宅から出かけるように誘導してみたのだが、その先で飛ばされた破片にぶつかって亡くなったり、他の巨人に襲われたりして必ず死亡してしまう。

「何度かやり直してみて判ったのは、絶対に変えられないことがあることです。エレンの母親の死とそれによってエレンが巨人を憎み、調査兵団入りをすること。エレンが巨人化すること。これは何度やり直しても止められない」

 エレンの家の地下室にあるという秘密も、やり直しの時点が襲撃の直前であるがためにどうにも出来ず、その後のエレンとグリシャの接触も突き止めることは出来なかった。エレンの巨人化を止めようと最初のきっかけを作った自分が強くなってみても、エレンは自分を助けなければ他の誰かを庇ってそれが巨人化のきっかけとなってしまう。
 そして、最後にもう一つ。

「エレンは必ずあなたに惹かれ、あなたを好きになる。あなたになら、殺されてもいいと思うくらいには。――実際にあなたが、エレンを殺したこともあったでしょう」

 男は静かに頷き、アルミンは眼を細めた。

「――リヴァイ兵士長、誓ってください」

 アルミンは腰に下げていた刃を取り出し、男の目前につき付けた。だが、男はまるで動じない。

「何があっても今度はエレンを選んでください。――その代わり、僕に出来ることは何でもします」
「――お前に何が出来る」
「僕には知識があります。4度目の今回は今までの知識が全部残っている。彼らの行動パターンが変わらないのであれば、今回は出し抜くことが出来るはずです。今度こそ敵を全て倒してエレンを生かしてみせる」

 二人は静かに見つめ合っていた。やがて、男はぽつりと呟くように言った。

「俺はお前と違って全部の記憶があるわけじゃねぇ。気付くタイミングもまちまちだ。ただ、切っ掛けはいつも同じだ」
「……………」
「エレンを――あいつを見つけたときに思い出す。思い出せるのはあいつと過ごした日々だけだ。その他のことは何も思い出せねぇ」

 覚えているのは少年がどんなふうに笑うのか、泣くのか、怒るのか、喜ぶのか――自分を好きになってくれるのか、それだけ。――そして、どんなふうに彼が死んでいくのかも。

「……毎回、あいつは俺の眼の前で死ぬ。俺はそれを止められない。何度やり直しても、俺が何をしようと、あいつを遠ざけようとしても変わらなかった。――俺の目的は毎回同じだ。あいつを死なせたくねぇ、それだけだ」
「……なら、目的は同じですね」

 アルミンは剣を下ろした。いや、剣を向けたところでこの人類最強の男に敵うわけがないとは判っていたけれど。

「僕と手を組んでください、リヴァイ兵士長」

 その代わり、差し出せと言われれば何でも捧げよう。自分の知識も身体もその命でさえも。
 男はゆっくりと頷いたので、アルミンは懐から紙を取り出した。

「これは何だ?」
「僕が覚えている限りのこれから起こる出来事です。出来れば、エルヴィン団長も交えて話したいところなんですが……」
「そっちは俺が何とかする。……一番近いのはトロスト区の襲撃か」
「これは避けられないと思います。エレンは毎回ここで巨人化するから。諜報員の存在はこの一件で発覚するから、起きないことには話を進められませんし……」

 二人の話し合いはしばらく続き、大体の段取りが決まると、少年は男の部屋から出ていこうとした。

「……お前は本当にいいのか?」

 ドアに手をかけた自分に声をかけた男に、少年は笑みを浮かべた。何が、とは男は言わなかったけれど、少年にはそれが何を指すのか判っていた。

「もう一つだけはっきりしてることがあるんです。――エレンは僕を選ばない。だから、いいんです」

 大切な大切な幼馴染み。――彼が幸せになれるなら自分はそれでいい。
 アルミンはそれだけ言って、静かにその場を後にした。





 その日、人類最後の巨人が処刑された。人類は全ての巨人を駆逐することに成功し、本当の自由を手に入れることが出来たのだ。そして、彼らの眼は最後の巨人であるエレン・イェーガーに向けられ、今まで彼を英雄と呼んだものも、彼の処刑に同意した。――人は自分達と違うものを、異分子を恐れ、徹底的に排除しようとする。彼を擁護するものもいたが、それらの意見は総て押し流され、処刑は決行された。


「兵長、疲れてませんか?」

 馬に乗った少年が心配そうに男に声をかけた。いや、と声をかけられた男――リヴァイは心配するな、と笑って見せた。
 今頃は処刑が決行された頃だろうか、と男は思う。勿論、処刑されるのはエレン・イェーガー――目の前の少年ではなく、用意された替え玉だ。そのことをこの少年は知らないが、彼の身代わりとなった男は強盗殺人を繰り返していた、どの道処刑されることが決まっていた者だから心を痛めることはない。
 巨人を全て駆逐した後に矛先がこの少年に向くことは判っていたから、リヴァイ達は用意周到にエレンを逃がす準備を進めていた。元々、少年は壁の外に出たがっていたし、総てが終わったら壁の外に向かうのに躊躇いはなかった。

「それより、エレン」
「はい、兵長」
「その兵長ってのをやめろ。俺はもう兵長じゃねぇ」

 リヴァイは足の怪我を理由に退役していた。巨人の脅威がなくなれば人類最強の兵士など邪魔ものにしかならない。特に権力者にとっては、リヴァイは目障りな存在だろう。思ってるだけならいいが、行動に移すことは充分に考えられた。元より少年と共に壁の外に出ることに決めていたから、リヴァイの行動は早く、仲間の協力もあって案外とスムーズにことを運ぶことが出来た。

「でも、兵長は兵長ですし……」
「リヴァイだ」
「え……」
「リヴァイって呼べ。呼ばなきゃ、この場で躾するぞ」

 そう迫られ、少年はどうしようかと眼を泳がせた後、小さく呟くように言った。

「リ、リヴァイさん……」

 真っ赤になって躊躇いがちに言う少年にまあ、今はすぐには無理か、と男は苦笑する。

「取りあえず、海を目指すか。見たいんだろう?」
「――はい!」

 花が綻ぶように笑う少年につられるようにして、男も笑う。
 ――ループがこれで止まったのか、男には判らない。ただ、また繰り返すことがあっても、もう二度とこの少年を死なすものか、と思う。いつだってこの少年は自分を選ぶのだから。
 不意に、彼は自分を選ばないと言った少年の幼馴染みのことを思い出した。あの少年は壁の中に残り、今頃は事後処理に奔走していることだろう。彼の協力がなければ今のこのときはなかったので、それには感謝している。
 あのときは愚かなことを訊いたな、と男は思う。――何を言われたとしても、自分には少年を渡す気など更々なかったくせして。

「エレン、行くぞ」
「はい。リヴァイさん」

 今後、また同じことが繰り返されたとしても。
 この笑顔を絶対に忘れないようにしようと男は誓う。
 ――それだけできっと、自分は全てを敵に回してでも戦えるから。





≪完≫



2013.10.1up



 ふと思いついたので書いてみたループネタ。誰もが思いつく上にアルミンが気の毒な話に……。実際の兵長は何もかも捨ててエレンを生かすという選択をしないとひっそりと思っているので、逆にこんな話になりました。



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