はじめに惹かれたのは優しい笑顔だったと思う。こちらの緊張をほぐすように向けられたそれにホッとしたのを覚えている。それから、落ち着いた声。頭を撫でてくれるあたたかい大きな手―――。
 恋人の――二階堂亮一という人の好きなところをあげていったらキリがないと明日叶は思う。


「……ん……」

 カーテンの隙間から射し込む柔らかい日差しと、鳥達のさえずりに誘われて、明日叶はゆっくりと瞼を押し上げた。とろり、ととろけてしまいそうになる眼をこすりながら、視線を横に向けると愛しい人の顔が至近距離にあった。
 うわ、と一瞬にして高鳴る鼓動を落ち着かせて、隣でまだ寝ている恋人の姿を眺める。どうやら、例によってまた本を読みながら眠ってしまったらしく、眼鏡を着用したままだ。かけたままで痛くないのかなぁ、と明日叶は思うのだが、亮一は寝相がいいらしく、寝たときの仰向け状態から余り動くことがないので支障はないそうだ。朝、眼鏡がずれているということもない。
 それでもかけたままでは窮屈そうだし、眼鏡が傷む原因にもなると思うのだが、どうにもこの癖は直らないそうで。そのために桐生がかけているノンフレームの眼鏡やお洒落な形のものは選べないらしい。でも、それが亮一らしいとも思えるのだが。

「りょ………」

 起こそう、と上げかけた声を明日叶は押し止めた。視界に入ってきた時計はいつもより少し早い時間を差している。亮一はきっと遅くまで本を読んでいたのだろうから、ギリギリまで寝かせてあげたい、とそう考えたからだ。
 それでは、亮一が起きるまで自分はどうするか――二度寝するには時間がないし、もう眠気も吹き飛んでしまった。ならば―――。

(亮一さんを眺めてよう)

 よく考えてみれば、見つめ合うことはあっても、こうしてまじまじと恋人の顔を眺めることは余りないかもしれない。好きな人の傍にいられるのは幸せで、こうして観察するように眺めることはないから。

(亮一さんって結構睫毛長い……)

 亮一は自分の顔を地味だと言っていて、『地味な方が潜入捜査では逆にいいんだ。目立つのが命取りになるからね。派手なのはディオ達に任せるよ』と苦笑していたが、そんなことはないと明日叶は思う。確かにチームグリフのメンバーは整った華やかな容姿のものが多いけれど、明日叶は亮一の顔が一番好きだ。母親似とよく言われてきた自分は亮一のような男らしい容姿に憧れがあるのかもしれないが、亮一のやわらかい笑顔は心を落ち着かせてくれる。

(眼鏡、やっぱり、痛そうに見える……)

 しばらく亮一の顔を眺めていた明日叶だったが、もぞもぞと身を動かした。今更かもしれないが、眼鏡を外してあげようと思ったのだ。亮一を起こさないように細心の注意を払って、つるに手をかけ、両手でそっと持ち上げる。慎重に時間をかけて引き抜いてほっと息を吐くと、ふと、手にした眼鏡に眼を向けた。角ばったフレームの亮一愛用の眼鏡。

「…………」

 子供の頃、眼鏡をかけている人の景色は違って見えるんじゃないかと思っていた。レンズ越しに眺める世界はきっと普通に見るときとは違っているのだと。―――人と違うものが見えていたのは、自分の方だったけれど。
 他愛もない、子供の夢想だが、亮一を見ているとふと子供の頃に思ったそんなことを思い出す。盤上のゲームマスターと呼ばれ、状況に応じて数々の作戦を打ち立てる彼の眼には世界はどのように映るのだろうかと。
 出来るならば、その視線の先にある世界は自分と同じものであって欲しい。ともに歩んでいきたいたった一人の人だから。
 明日叶は手にした眼鏡をそっと自分にかけてみた。勿論、そんなことをしても亮一の見ているものが見えるわけではないのだけれど。
 で――――。

(うわぁ、結構きつい……)

 当然ながら視力、両目ともに1.2ある明日叶に亮一の眼鏡はきつすぎた。強い度が入ったレンズに頭がくらくらする。取りあえず、外そう、そう思ったとき―――。

「明日叶、何可愛いことしてるんだい?」

 不意に声をかけられて、明日叶は手にした眼鏡をうっかり落としそうになった。驚きにドキドキと早鐘を打つ胸の鼓動を宥めながら視線を向ければ、楽しそうに笑う恋人の顔。その様子からして、今起きた、というわけではなさそうだ。

「亮一さん、いつから起きてたんですか?」
「明日叶がもぞもぞと動き始めたときくらいかな? 眼鏡を外してたから……」

 亮一は言葉を切って明日叶を見た。

「おはようのキス、してくれると思ったのに」

 期待したのに、と言う亮一は残念がってる様子はなく、明日叶の可愛い行動が見られたからそれはそれで良かった、と微笑んだ。
 その亮一に明日叶は瞬時に真っ赤になった。自分の幼稚な行動を見られていたからではなく、おはようのキスが恥ずかしかったわけでもなく――恥ずかしいことは恥ずかしいが、おはようのキスは日常的にしていることだ――至近距離で眼鏡なしの亮一の笑顔を見てしまったからだ。
 亮一が眼鏡を外す――それを間近で眼にする、ということの意味は。
 つまりは、そういう行為がついて回るということで。
 初めて亮一と身体をつなげたとき、眼鏡をかけたままで見られるのが恥ずかしい、と明日叶が外してくれるようにお願いしてから、亮一は行為に及ぶときは必ず眼鏡を外してくれるようになった。全く見えないというわけではないので、気休めかもしれないが、明日叶には重要なのだ。
 そして、亮一が他に眼鏡を外すのは入浴時か就寝時――かけっぱなしで寝てしまうことの多い亮一が明日叶といるときに眼鏡を外すのはそういうときだけで。
 だから、自然にそちらへ発想がいってしまうのは仕方がないことだと思う。しかも、普段とは違う、二人でいるときにしか見せないような甘い笑顔だったのだから。

「明日叶?」
「りょ、亮一さん、早く眼鏡かけてください!」
「え? どうしたんだい、急に?」
「いいから! でないと、おはようのキスはなしです!」
「……それは困るなぁ」

 事情が全く判らないながらも明日叶の必死さは伝わったのか、亮一は笑いながら眼鏡を受け取ってかけた。軽く位置を調整して現れた顔は普段の亮一の顔。

「うん、よく見える。……明日叶」

 おはようのキス、と促されて明日叶はそっと口付けを落とした。満足そうに笑う亮一が明日叶を引き寄せて抱き締める。

「おはよう、明日叶」
「おはようございます、亮一さん」

 くしゃり、と大きな手が頭を撫ぜる。その感触が心地よくて明日叶は自然に眼を細めた。

「明日叶のキスなら、眠っていてもすぐに起きられそうだ。これから、早く起きた方がキスで起こすっていうのはどうだい?」
「それはダメです」

 そう提案する亮一に、明日叶は真っ赤になりながら即却下した。

「……絶対、俺の心臓がもちません」

 絶対早死にします、という明日叶にじゃあ、それは我慢するからおはようのキスはして欲しいな、と亮一は笑いながら、おはようのキスを可愛い恋人に落したのだった。



END



(10/10/21up)



 砂吐きそうになった方、正解です。以前、他ジャンルの小説に同じタイトルをつけたんですが、結城の発想力のなさが窺えます。実は慧バージョンもあるのですが、気が向いたら書くかも…(笑)。

Copyright(C)2010 makoto yu-ki All rights reserved.

a template by flower&clover