study



「明日叶、この問い、違っている」

 とん、と指で示された問題を明日叶は見つめるが、どこが間違っているか皆目見当がつかず、むう、と眉を寄せた。

「……どこが違うのか判らないんだけど」
「代入する公式が違っている。……そうだな、この問いを解いてみろ。こちらの方が判り易い。これが解ければ、この問いも自然と判るはずだ」

 言われてそちらの方を解いてみると、成程、そちらの方が簡単で判り易い。解いてから先程解けなかった問いに当てはめた式を用いて解いていくと、先程判らなかったのが不思議なくらいするすると解けていく。導き出した解答を見せると、相手は正解、とやわらかく微笑んで明日叶に告げた。

(う……っ)
「明日叶?」

 固まった明日叶に怪訝そうな声をかける相手に、明日叶はハッと我に返った。

「あ、よく判った。ありがとう、慧」

 相手――慧は少し不思議そうな顔をしたが、納得したのか短くそうか、と告げただけで深く追求してこなかった。
 それにホッとしつつ、明日叶は不意打ちは卑怯だ、とそう胸の中で呟いた。慧は――恋人は、ジャディードでのホークとの一件が決着をつけてからというもの、今のような柔らかい表情を浮かべるようになった。総てのものを拒絶していた固い殻がようやく剥がれ落ちて、慧本来の優しさがにじみ出るようになってきたと明日叶は思う。あの一件以来、グリフメンバー達との距離も縮まって、以前よりミッションも滑らかに進むようになったと亮一が嬉しそうに明日叶のおかげだと笑っていたのを思い出す。何故、自分のおかげなのかはよく判らないのだが。

(あ、でも、さっきの慧はちょっと機嫌悪かったな)

 明日叶は少し前にあった出来事を思い出す――元々、この勉強会…次の試験に向けての対策は慧とやる予定ではなかったのだ。
 ジャディードに向かう前はひたすら訓練に時間を割き、その後も慌ただしい日々を送っていた明日叶は次の試験で合格点を取れる自信がはっきり言ってなかった。自分ひとりで机に向かっても捗らないし、困っていた明日叶に勉強を教えてやろうか、と声をかけてきたのは――学年トップのディオだった。そして、切羽詰まっていた明日叶はその申し出に乗ったのである。が――。

(いきなり、勉強なら俺が教えてやる、だもんな…)

 話を聞きつけた慧に半ばさらわれるようにして部屋に連れてこられて始まった勉強会だが、後でディオに謝っておかねばなるまい。親切で言ってくれたものを仇で返すような真似をしてしまった。

(慧とディオ、和解したと思ったんだけど…)

 ジャディードのミッション以降、以前ほど対立はしなくなっものの、二人は時折こうして険悪な雰囲気になる。ときには乱闘に突入したりするので、見ている明日叶はひやひやしている。仲良くしろ、とまではいかないが、もう少し歩み寄ったり出来ないものだろうか。
 ふう、と息を吐いた明日叶に、目敏く気付いた慧がどうした、と声をかけてくる。

「どうした? 疲れたか?」
「あ、いや――俺より、慧は大丈夫か? トレーニングで疲れているんじゃ…」

 慧は今でも厳しいトレーニングを行っているが、以前のように何もかも捨てて打ち込むような、そんな苛烈さはない。無理のないメニューを組んでいるし、時間も調節して明日叶といる時間やバイトに入れる時間も作っているようだ。だが、それでも毎日トレーニングを続けていれば疲れることもあるはずだ――だからこそ、一緒に勉強をしようかなどという提案を明日叶はしなかったわけなのだが。

「心配は要らない。休息は充分にとっている」
「でも、慧、授業中に寝てるだろ。疲れてるんじゃないのか?」

 ジャディードから帰ってからというもの、慧は授業に出席するときは必ず明日叶の隣に座る。だからよく判るのだが、慧は授業中は必ずと言っていいほど寝ているのだ。

「あれは目を閉じているだけで、本当に寝ているわけじゃない」

 そう言って、慧はそれに、と続けた。

「お前が隣にいるのに寝てしまうのは勿体ない」

 そう言ってふわりと微笑んだ慧に、明日叶はううっと内心で唸った。本日二度目の不意打ちに言葉が出なくなる。

「明日叶?」
「……不意打ちは卑怯だぞ」
「?」
「ああ、でも――慧のそういう表情、好きだ」

 二人きりになったときに見せる、柔らかくて優しい表情。おそらくは明日叶以外には向けないだろう、甘くとけるようなそれら。明日叶だけが慧の色々な顔を知っているのだ。それは、ひどく甘美で明日叶の心をとろけさせる。

「トクベツって言われてるみたいな気がする」

 そう、明日叶がはにかむように笑った直後――ぐるりと視界が回った。え、と驚く暇もなく目の前には慧の顔が現れた。

「……慧?」
「……っ、お前はどうしてそう…」
「え……慧?」
「余り、俺を煽るな」

 柔らかいものが口に押し当てられ、そこで、ようやく慧に押し倒されたのだということを理解する。だが、状況は理解出来てもどうしてこうなったのかが理解出来ない。

「さっきもそうだ。クラウディオ・ロッティと二人きりで勉強するなどと言うし。無防備にもほどがある、明日叶」

 ディオはチームの仲間で、ただ苦手な数学を教えてもらいたかっただけで、やましいことなどあろうはずがない――とは、今の慧に言えるはずもない。優しく顔中に降り注ぐキスが言葉を紡ぐ隙を与えない。

「そんな顔を他の男に見せるな」

 見ていいのは自分だけだと独占欲をむき出しにする男の手は、それでもこの上もなく優しい。降りてくる唇も柔らかく愛しげで――だから、結局、身体の力を抜いてしまうのだ。愛しいと思う気持ちは明日叶だって同じなのだから。そうして、二人、こみ上げてくる熱に身を任せた―――。




「明日叶ちーん、おっはようー!」

 翌朝、レストランでヒロに声をかけられた明日叶は、おはよう、と力ない挨拶を返した。

「あっれー? 明日叶ちん、元気なくない? 顔色悪いよ」
「あ、いや……ちょっと寝不足なだけだから。何でもないよ」
「そーゆう油断が禁物なんだよ。無理しちゃ駄目だよ。ね、興ちゃんもそう思うでしょ」
「うむ。無理は良くない、あすか」

 ヒロと興に畳みかけるように言われ、明日叶はううっと詰まる。まさか、ここで寝不足の理由――昨日、何をしたのかを説明するわけにはいかない。

「にゃんこの言う通りですよう、明日叶」

 不意に背後から声をかけられ、明日叶は飛び上がるほど驚いた。慌てて振り返ると、笑みを浮かべた眞鳥が立っていた。

「何事もほどほどですよう。若いからって無茶は禁物ですからねえ。明日叶からもちゃんと言わなきゃ駄目ですよ?」

 ふふふと意味ありげな笑みを浮かべる眞鳥に明日叶は内心でだらだらと冷や汗をかいていた。どうやら、眞鳥には何もかもお見通しらしい。いったいどうしてばれたのか――羞恥にその場でうずくまりたい気分の明日叶に流し眼を一つやって、眞鳥はまた後で、とその場を離れて行った。

「明日叶ちん、ごはんは食べられそう? 食べられるならしっかり食べた方がいいよ。ボクのパンケーキ分けてあげる」
「うむ。納豆、食べる。あすか、元気出る」
「ええー、納豆とパンケーキじゃ合わないよう、興ちゃん」
「だいじょうぶ。納豆は何にでも合う」

 興とヒロが何やら言い合っているが、明日叶の耳には半分も届いていない。――そうして、すっかり試験対策のことが頭から抜け落ちていることに気がつくのはしばらく経ってからのこと。
 明日叶が無事合格点を取れるかどうかは神のみぞ知る―――。




END




(10/9/17up)



 初STEAL!はやっぱり慧×明日叶で。ありがちなネタなうえにキャラの言葉遣いもあやしい…。要精進です、はい。



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