はじめの一歩




 この日、自分の上官であり、監視役でもあるリヴァイからの呼び出しを受けて、エレンは緊張した面持ちで男の執務室へと向かっていた。何か自分は失敗でもしたのだろうか――考えてみるも、それらしい失態をしでかした記憶はない。リヴァイから言い渡されていた本日の清掃も完璧にこなして男から合格点をもらっていたし、その後の日課である訓練でも目立って悪いところはなかったはずだ。
 ハンジあたりが自分を使って何か新しい実験でもしてみたい、と言い出したのだろうか。そんなことを考えつつ、辿り着いた部屋の扉を叩き、言葉をかけて自分の上官から入室の許可を得ると、エレンはその室内へ足を踏み入れた。

「あの、ご用件は何でしょうか?」

 自分を待ち構えていたリヴァイに少年が恐る恐る訊ねると、彼はああ、と頷きキッパリとした口調で告げた。

「エレン・イェーガー、お前に惚れたから俺と交際しろ」
「は?」

 何を言われたか判らず眼を瞬かせる少年に、男は小さく舌打ちして判らねぇのかと不機嫌そうに続けた。

「仕方ない、より判り易く言ってやろう。自分と結婚を前提としたお付き合いをしてください、だ」
「え……ええええええええええっ!?」

 より判り易く、と補足された言葉に少年は更に混乱した。結婚というのは普通男女がするものではなかったのではないか――交際して欲しいというのはそういう意味なのか。そもそも、何で自分にそんなことを言うのか判らない。男が男に告白するなど、何かの冗談か罰ゲームだというのがしっくりくるが、リヴァイの性格を考えるとそれはあり得ないと思われた。人類最強の兵士長に誰がそんな罰ゲームを科すというのだろうか――ハンジあたりなら面白半分にやりそうではあるが、男がそれを承諾するとはとてもではないが思えない。では、本気で自分とそういった意味でのお付き合いをして欲しいと彼は望んでいるのだろうか。
 目まぐるしく頭の中を色んな考えが回るが、自分が考えたところで男の真意が判るはずもない。ここはきちんと男に問い質してみるのが一番だろう。実は罰ゲームだったのだ、という万が一の可能性にかけて、エレンは男に恐る恐る質問を投げかけた。

「あの、それはどういう意味でしょう。その、そういう意味でオレを見ているとか、そういうことだったり……」
「勿論、そういう意味だ。惚れたと言っただろう」
「えーと、それは男として惚れたとか、部下として信頼しているとか、そういうことでは……」
「ない。俺が言っているのはセックスをしたい好きだ」
「…………」

 言っちゃったよ、人がわざわざぼかして質問したのにこの人ハッキリ言っちゃったよ、とエレンが心の中で叫んでいると、相手は更に言葉を付け足した。

「ちなみに俺が掘る側で、お前が掘られる側だ。きちんと慣らしてから突っ込んでやるから、安心してケツを差し出せ」

 いや、安心出来ませんから!と叫び出したい欲求にかられたがエレンはそれを何とか堪えた。それにまだ自分は返事をしていないというのに、男は自分が交際を承諾するという前提で話を進めていないだろうか。

(兵長のことは尊敬してるし、好きかって訊かれたらそれは好きだけど……)

 だが、それはあくまでも尊敬出来る上官として、人類最強の兵士長に向ける憧憬であって、恋愛感情ではないはずだ。少年は母を亡くしたあの日から今まで巨人を駆逐する以外のことを考えてこなかったから、誰にもそんな感情を抱いたことはなく、無論、誰かと付き合ったことなどもないが、自分が男に向けているこの感情はそういうものとは違うはずだ。

「あの、兵長、その、自分は――」
「言っておくが、男同士だから、上官と部下の関係だから、というのはなしだ。付き合ってもいないのに、無理だと初めから決めつけるのはあり得ない。何事も無理だと決めつけてかかるのはダメだというのはお前の考えと一緒だろう?」

 それは確かにそうだった。巨人と戦うのなんて無理だ、勝てっこないと決めてかかって壁の中に閉じこもる人々に少年は幼い頃から怒りと失望を感じていたし、巨人の恐怖を目の当たりにした今でもそれは変わっていない。何事も無理だと決めつけて何もしないのは怠慢だと少年は思う。だが――。

(それとこれを一緒にしていいのか?)

 男の言っていることは正しいが、何か物凄く間違っているような気がするのは気のせいだろうか。

「取りあえず、付き合ってみないと判らねぇ。そうだな?」

 何か腑に落ちなかったが、少年が頷くと、男はよし、と笑った。

「安心しろ。いきなり突っ込んだりはしない。まずは――文通からだ」
「…………」

 男の言葉に少年は固まった。何故、文通なのだ、と思いっきり突っ込みたい。遠く離れたところに住んでいる相手ならともかく、同じ兵舎で寝起きして、毎日顔を合わせている人間に何故わざわざ手紙を送らなければならないのだろう。

「あの、何で文通なんですか?」
「交際の初めは普通は文通だろう」
「いやいや、それ、普通じゃないと思いますよ。だいたい、毎日顔を合わせているんですから、話したいことはその場で話せばいいじゃないですか。費用とか、配達物の係の人にだって手間をかけることになりますし……」

 必死に止める少年に男は仕方ねぇな、と頷いたので少年はホッと胸を撫で下ろした。だが、ここで安心してはいけなかったのだ。

「文通がダメな場合のことも考えておいた。――これだ!」

 そう言って、男が執務机の引き出しの中から取り出したのは一冊の手帳だった。

「あの、これは?」
「交換日記に決まっている」
「…………」
「これなら、手渡せばいいから、係の人間の手も煩わせねぇ。異論はないな?」
「………はい」

 凄味をきかせて言う男に逆らうことが出来ず、表紙に『リヴァイ&エレンの愛のメモリー』と書かれたその手帳を少年は受け取ることになったのだった。




(交換日記と言われても……)

 いったい、何を書けばいいというのか。自分は男の監視対象であるから許可なく傍から離れることなど出来ないし、毎日顔を合わせているのだからわざわざ日記を交換しなくても、その場で今日あったことを報告すればいいだけではないのだろうか。

(何を書けっていうのか……うーん、お互いを知るのが目的なら趣味とか好きなものを書けばいいのか?)
「エレン、何を考え込んでいるの?」

 エレンが必死で日記に何を書くべきか頭を悩ませていると、丁度休憩時間に入ったのか、通りがかったアルミンが声をかけてきた。

「なあ、アルミン、オレの趣味って何だと思う?」
「え? いきなり何? というか、趣味って人に訊くもんじゃないだろ?」
「そうだよな……ちなみにお前の趣味は?」
「僕は……本を読むことかな? 開拓地ではそんな余裕なくて、訓練兵になってからは訓練が大変で本を読む暇がなかったから、もう全然読んでないけど。今は今で忙しくてそんな時間ないし。考えてみれば、ここ数年訓練しかしてないよね、僕ら」
「そうだよな、訓練しかしてねぇよな」

 三年間で一人前の兵士になるべく、知識と技術を叩きこまれる訓練兵時代の訓練はとても厳しいものだった。危険も伴い、多くの脱落者や負傷者を出す訓練はきつくて大変で吐きそうになったことが何度もあった――実際に吐くものもいたし、楽しいと呼べるようなものでは決してなかった。だが、エレンは訓練が嫌いではなかった。これで巨人を駆逐する力が少しずつでも自分に身に付いているのだ、と思えば力も湧いてくる。技術が向上し、教官に誉められれば嬉しかったし、日々の努力は怠らなかった。調査兵団に入団し、兵士になった今でも訓練は欠かせない義務であり、巨人との戦いで生き残るために必要なものだった。

「ということは、趣味は訓練か……」
「イヤ、それはどうかと。まあ、訓練が趣味って言うか、身体を鍛えるのが好きって人はいるけどさ」
「後は好き嫌いか。なあ、オレの好き嫌いってなんだろう?」
「イヤ、だから、何で僕に訊くの? だいたい、好き嫌いって言えるような食糧事情で育ってないだろ、僕ら」

 シガンシナ区が襲撃され、ウォール・マリアが陥落する前ならまだ多少の余裕はあったかもしれないが、人類の活動領域が大幅に狭まった現在はあの無謀な奪還作戦で口減らしをしたとはいえ、物資は不足しがちだ。餓死したくなければ出されたものを黙って食べるのが当たり前のことで、好き嫌いなど言ってられる状況ではなかった。裕福な特権階級で育っていればまた違ったのかもしれないが。
 勿論、好き嫌いには他の意味もあるだろうが、先程質問された趣味と内容がかぶるので食べ物のことかと推察してアルミンは述べたのだが、エレンは納得したように一人で頷いていた。

「そうだよな、好き嫌いはなし、と」
「あのさ、エレン、さっきから何の話をしてるの?」
「やっぱり、お前は頼りになるな。助かった、アルミン」
「イヤ、だから、エレン、僕の話聞いてる?」

 これで書くことは決まった、ならば早めに済ませてしまおうとエレンは日記を書くためにその場を走り去り、後に残されたアルミンはわけが判らず、疑問符を飛ばしたのだった。




『エレン・イェーガー、趣味は訓練して巨人を討伐するための力を身に付けること。好き嫌いは特になし。何でも食べられます。将来の夢は巨人を一匹残らず駆逐して、外の世界を探検することです』

 そんなことを書いて渡した日記がまた自分に返されたので、エレンは一人部屋に戻って恐る恐るページをめくってみた。

『リヴァイ。趣味は躾。好きなものはエレン。嫌いなものはうるせぇ豚野郎ども。将来はエレンと結婚する。ちなみに嫁はお前だ。ここは譲れねぇから覚えておけ』

「…………」

 どこから突っ込んでいいのか判らない。むしろ、総てに突っ込みたい。趣味が躾とか将来が夢ではなく断定的であるとか、いや、そんなことよりももっと根本的な――。
 ――好きなものはエレン。

「……本気なのかよ、あの人」

 その場に転げ回りたいような恥ずかしさと何か照れくさいというか、くすぐったいような不思議な気持ちに駆られてエレンは一人日記を抱えて顔を赤らめていた。


 その後も日記の交換は続き――その内容は自分の一日の報告業務と変わらないものであったが、何となくこれも楽しいかとエレンが思い始めた頃、男が唐突に言った。

「これで、お互いのことは大分判って来ただろう。もう一歩進んだお付き合いに移行するぞ」

 そう言うリヴァイが指し示したのは男の寝室で、エレンはさーっと顔色を青くさせた。

「イヤ、ちょっと待ってくださいよ! 日記の次がそれって早すぎるでしょう!」
「お互いを知ったら、後は身体の相性を確かめるのが手順だろうが」
「いやいやいや、早すぎますって! そういうのははじめが大事なんですよ! まずは手をつないだり、一緒に出かけたりして、気持ちを確かめあってからでないといけませんから!」

 貞操の危機にエレンは必死にそう叫んで、即寝台に自分を引っ張り込みそうな男を阻止する。いくら尊敬する上官といえども、ここで自分の尻を差し出す覚悟は出来てはいない。半ばやけくそ気味に何も考えずに叫んだ言葉であったが、男はそれで納得したようだ。

「そうだな。それも悪くない」

 そう言うと、男はエレンの手を引いて歩き出した。あの、どちらへ?とエレンが訊ねると、恋人同士はデートをするもんだとお前が言ったんだろうが、と返されてしまった。

「取りあえず、近くの街にでも行くか。ついでに買い出ししてくれば文句も出ないだろ」
「…………」

 いつの間にか試しに付き合うとかいうものではなく、恋人認定されていることに突っ込みたかったが、何やら楽しげに手をつなぐ男の手が温かくて振りほどけないことの方がエレンには問題だった。


 自分と手をつなぐ男を見ても誰も突っ込んでこなかった――いや、訊ねてきた勇者が一人だけいたが、うるせぇ、これからデートだ、邪魔すんな、クソメガネと男に沈められていた。久し振りに施設の外に出かけられて、エレンはそこは嬉しかったが、出来れば違う形で外出したかったと思った。

「あの、兵長は何で、オレのことが……その、好きなんですか?」

 告白されたときからずっと抱いていた疑問を、エレンはここで口にしてみた。惚れた、の一言で押し通されて始まってしまった交際だが、エレンにはリヴァイが自分を好きだと言う理由が判らない。彼には綺麗で優しい女性の部下がいるし、男性と比べると少ないとはいえ、兵団には他にも女性兵士がいるのだ。わざわざ男を選ばなくても、彼なら好意を寄せてくる女性は多くいるだろう。人類最強の男が意外にもてるのを少年は知っていた。

「惚れることに理由がいるのか?」

 あっさりとそんな風に言われ、エレンは言葉に詰まった。人が人を好きになるのに理由なんて要らない、とはよく言われる台詞だが――納得がいかないのは確かなことで。

「そうだな……初めはその眼が気になった」
「眼がですか?」
「そう、地下室で見たお前の瞳が。真っ直ぐで、底知れぬ怒りと狂気と希望と絶望の混ざり合った、それでいて強い意志のこめられたそれに興味を持った。一番最初はそれだな」
「…………」
「それから、お前と一緒にいていくうちに性格が読めてきた。真っ直ぐで素直かと思えば頑固で負けず嫌いだし、反抗的かと思えば懐くと従順で擦り寄ってくるし。その落差が面白かった。仲間想いでお人好しかと思えば、喧嘩っ早いし、見ていて飽きなかったな。――それから、眼が離せなくなった」

 男は今までの少年との日々を思い返しているように楽しげに笑った。おそらくはこんな顔はごく親しいもの――自惚れでなければ、自分しか知らないのかもしれない。

「理屈が必要か? お前は――」

 そう声をかけながら、リヴァイはエレンを見てその眼を見開いた。少年の顔が真っ赤になっていたからである。エレンは慌てて顔を隠して見ないでください、と小さな声で訴えた。

「何でだ? 俺はお前の顔をいつでも見ていたいが」
「―――そういう、恥ずかしいことを言わないでください」
「別に恥ずかしいことではないと思うが? 惚れた相手ならずっと見ていたいのは道理だろう」

 声に笑いが含まれていて、ああ、この人は絶対に判っていてやっているな、わざとだな、と少年は思った。真っ直ぐに言われた言葉が嬉しいとか、普段は見せてこない顔を自分の前では見せるとか、反則だと少年は思う。

(絶対にないと思ってたのに……!)

 どうやら男にほだされてしまったらしい自分にエレンはその場で頭を抱えたくなったのだった。




 この状況をいったいどうしようか、とエレンはさっきからぐるぐると頭の中で考えていた。

「あの、これは何なんでしょう、兵長」
「見ての通りに膝枕だが」

 男の執務室のソファーの上に座ったエレンの膝に、リヴァイが頭を乗せて横になっている現在の状況は、男に説明されなくても膝枕だということは判っている。問題はその状況に至ったのが何故なのか、ということで。
 呼び出されて、ソファーの端に座らせられたかと思ったら、すぐに男が頭を乗せてきて横になったので、エレンは身動きが出来ずに固まるしかなかった。見事な早業だと少年はいっそ感心すらしてしまった程だ。さすがは人類最強の看板は伊達ではない。
 ――と、現実逃避をするしかないくらい、この状況が少年には恥ずかしかった。

「お前がすぐに寝るのは嫌だっていうから、譲歩して俺が他にやりたいことをすることにした」
「やりたいことって……オレの膝枕が、ですか?」
「膝枕で耳掃除が恋人同士の定番だろうが」
「…………」

 いや、それはどうかと少年は思うのだが――確かに恋人同士ならそんなこともやるのかもしれないが、それがセオリーなのだろうか。恋人がいたことのない少年はその手の話題に疎かったので、世間一般の恋人同士が何をしているのかを知らない。いや、この人類最強の兵士長を一般に当てはめることの方が間違っているのかもしれないが。

「あの、オレ、人の耳掃除なんてしたことがないので、上手く出来るか自信がないのですが」
「構わん」

 人の耳の掃除なんてうっかり中を傷付けそうで怖いのだが、男は別に構わないと言う。というか、潔癖症はどこいったんだ、嫌じゃないのかという突っ込みは当然出来ず、少年は渡された耳かきで男の耳掃除を始めた。
 無防備にさらされた耳をエレンは何とか掃除し終わったが、男は少年の膝から降りようとはしない。どうやらまだ膝枕を堪能したいようだ。

「あの、兵長、その……ちょっとだけなら……」

 言うのが恥ずかしかったが、このところ思っていたことを少年は囁くような小さな声で男に告げることにした。

「ちょっとだけなら、先に進んでもいいですよ……?」

 言った途端、がばり、と男は起き上がって少年の肩をがっしりと両手で掴んだ。

「本当だな?」

 このまま寝台まで運ばれてしまいそうな勢いに、少年はいやいやいや寝るのはまだ早いですから!まだダメですから!と叫ぶしかなかった。

「なら、どこまでならいいんだ?」
「え……それは、その……キ、キスくらいなら……」

 真っ赤になって俯く少年に男は不服そうな顔をしたが、それでも前進したのは確かなことで。

「まあ、いいか。はじめが肝心なんだろう? お前は」

 少しずつ、一歩ずつ、進めばいいか、と男は笑って少年に口付けを落とした。


 その後、全くの初心者の少年に舌を絡めた激しい口付けをして泣かれてしまい、男が大慌てで機嫌を取る姿が見られたのだった。





≪完≫



2013.11.15up




 かしま様からのリク。リヴァエレでほのぼのか甘めのお話、ということで幸せな二人希望だったのですが、ギャグ色が強い王道BLくさい話になりました……(汗)。一応、最後はイチャつかせたのでお許しくださいませ〜。
 リクエストをくださったかしま様、ありがとうございました!



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