※見られないというコメントを頂いたので作った分割版です。内容は後編と全く変わりませんのでご了承ください。


「エレン、お弁当はリヴァイ先生と一緒に食べなくていいの?」

 いつもの昼休みの時間、人気のない場所を選んで一緒に弁当を食べていたアルミンがそんなことを言ったので、エレンは何だよ、オレと一緒だと嫌なのかよ?と拗ねて見せた――無論、冗談であるが。

「そうじゃなくてさ、感想とか訊きたいのかなーって思って」
「後で訊くからいい。昼休みはお前とこうして話すのが楽しいし」

 エレンの言葉に幼馴染みの少年はうん、僕も楽しいよ、と笑って返した。物理教師といるのも楽しいと思えるようになってきたエレンではあったが、こうして親友とゆっくり過ごすのは自分にとってはとても大切な時間だ。男と過ごすようになってからは親友といる時間が減ったように思えるし、昼休みくらいはゆっくりとこの幼馴染みと話したい。

「それにしても、エレンとリヴァイ先生がそんなに親しくなるなんて思わなかったな」
「……親しそうに見えるか?」
「うん。エレンだって、リヴァイ先生のこと楽しそうに話すじゃないか。リヴァイ先生もエレンにはよく構っているように見えるし」
「雑用言いつけられてるだけだぞ?」
「リヴァイ先生の雑用したい子って結構いるよ? でも、先生はエレンにばかり頼むし、親しいとそうなるのかなーって思ってたんだけど」
「…………」

 果たして、自分達の関係は親しいと呼ぶべきものなのだろうか――どう言ったらいいのかエレンにも上手く説明は出来ない。だが、傍目から見れば親しいというように映るのであろう。何せ、毎日男に手作りの弁当を渡して、都合がつけば夕食も共にしているのだから。
 水族館の礼として渡した弁当だったが、どうせ作る手間は同じだからという理由でエレンはその後もリヴァイの分の弁当を作っていくことにしたのだ。以前よりももっと栄養面や彩りに気をつけるようになった弁当作りは意外に楽しい。今までは父親に振る舞うことしかなかった手料理を美味しいと言って食べてもらうのは思っていたよりも気分が良かった。
 そして、エレンがリヴァイに弁当を渡すようになってから数日が経った頃、目敏い幼馴染みに弁当が二つあることに気付かれて、エレンはリヴァイとの関係をアルミンに説明せざるを得なくなった。勿論、幼馴染みに心配をかけるような余計な話――繁華街を夜にうろついていたことは伏せてあるが、自分の素を気付かれて、それから息抜きの場を提供してもらっていると話した。弁当はその礼なのだと。

「それに、親しくなければ弁当なんて渡さないだろ。手作り弁当を手渡すなんて、何か恋人同士みたいだね。そういえば、この前クラスの女子が憧れてる先輩に手作り弁当渡してるの見たよ」

 やっぱり男は胃袋を掴めっていうのは本当なのかな、と続けてアルミンが視線を向けると、少年は何故か固まっていた。

「エレン?」
「………違う」
「は?」
「イヤ、違うし。べ、別に胃袋掴もうとか思ってねぇし、そもそもお礼だし、そんだけだから!」
「え? 何の話?」
「だから、オレのは気を引こうとかそういうんじゃなくて、ただのお礼だから! 恋人じゃねぇし!」
「うん、判ってるけど……」
「…………」
「…………」

 アルミンが幼馴染みの反応に戸惑い見つめていると、少年は赤い顔を俯かせた。この反応はひょっとして――いや、今の自分の発言で気付いたということなのだろうか。

「えーと、キャラ変更とか? 今度はツンデレを目指して『べ、別にあんたのために作ったんじゃないんだからね!』と言いたいとか」
「……違うに決まってんだろ! オレは別にツンデレじゃねぇ!」
「うん。先生のためにちゃんと作ってるんだよね」
「…………」

 エレンは反論出来ず、誤魔化すように弁当をつついた――それが答えなのだろう。アルミンは同性同士の恋愛に対しては偏見はないし、お互い好きならそれでいいと考えるタイプだが――これは非常に前途多難な気がする。何といっても相手は教師だ。生徒が先生に憧れるというのは世間ではよくある話だが、実際に交際にまで発展したらそれは世間的にはまずい話となるわけで。更に同性同士ならハードルはもっと高いだろう。

「えーと、取りあえず、相談にはのるよ?」
「だから、違うって言ってんだろ! そんなんじゃねぇし!」
「…………」

 それ、やっぱりツンデレキャラっぽいよとは言わずに、取りあえずこの親友が悩んだときは話相手にはなろうと思うアルミンだった。




ナイトウォーカー




「エレン、最近、何かあったのか?」

 いつもの通りに物理準備室でエレンが雑用を手伝っていると、男がそう訊ねてきたので、エレンは首を横に振った。

「ナンデモアリマセンヨ?」
「だから、何で片言なんだ」

 やれやれ、と肩を竦める男にエレンは落ち着かない気持ちを押し隠して雑用を続けた。

(アルミンが変なこと言うから……)

 あれから妙に意識してしまって、エレンはリヴァイに自然な態度を取れなくなっていた。男といるとそわそわとした落ち着かない気分になるのに、一緒にいるのは楽しくて、安心出来るのも本当のことで。
 きっかけはあんな始まりではあったが、男が提供してくれた居場所はとても心地好かった。それに対して礼がしたくて、男に喜んで欲しくて――そこには余計な想いなど存在していなかったはずなのに。

(ひょっとして、そうなのか? もしかしたりするのか?)

 それはやっぱり認めたくはない感情で。このところエレンはぐるぐると悩んでいた。

「お前、やっぱりおかしいな。熱でもあるんじゃないのか?」

 次の瞬間、こつん、という擬音が聞こえたような気がした。――お約束と言われるような、額と額を合わせて熱を計るという行動に出た男にエレンはその場でフリーズした。

「……そんなに熱くはないみてぇだが、顔が赤い。保健室に行っておくか?」
「………う」
「エレン?」
「うぎゃあああああああああああああ!」

 突如、奇声を上げて素早く身を離し、壁に張り付いた少年に男は眉を寄せた。

「オイ…びっくりしたじゃねぇか……」

 びっくりしたのはこちらの方だとエレンは言いたかった。胸を押さえるとまだ心臓がばくばくしている。

(近かった! 今のはすげぇ近かった!)

 もっと近い距離――というか、ディープキスまでした仲ではあるが、あのときは今のようにうるさい程に鼓動が早鐘を打つなんてことはなかった。突然の行動に頭がついていけなかったというのもあるだろうが、意識一つでこんなにも違うものなのだろうか。

「エレン」
「ナンデショウカ?」
「だから、何で片言なんだ。今日はもういいから、帰れ」

 苦笑を浮かべる男の言葉にホッとするのと残念だという気持ちが混ざって複雑な気分になる。一緒にいたいのにいたくないような――自分はどうしたというのだろう。

「体調が良くないなら早めに休んでおけ。それと、俺は今日は人と会う約束があって帰りが夜遅くなるから、お前は自宅に真っ直ぐ帰れよ」
「……判りました」

 少し頭を冷やした方がいいだろう、と自分でも思ったエレンは男の言葉に頷いて物理準備室の扉に手をかけた。

「エレン」

 少年が部屋を後にする前に男が声をかけてきたので、何かまだ雑用でも残っていたのかと振り向いた先にあったのは、男の優しげな眼差しで。

「今日の弁当の肉団子はすごく旨かった。イヤ、どれも旨いんだが――いつも、旨い弁当を作ってもらって感謝している」

 そう言われてエレンは体温が上昇するのを感じた。いつも人を小間使いみたいにこき使うくせに――そんなふうにやわらかな声で感謝の言葉を述べられたら、総てが吹き飛んでしまう。こういうところが本当に男はずるいと思う。普段厳しかったり冷たい人に誉められたり優しくされると、より嬉しく感じると言われるが、その効果と同じなのだろう。男は意識して飴と鞭を使い分けている節があるが、こんな風に自然に差し出されたりするときがあるから性質が悪い。

「……気に入ったのなら、また作ってきますね」
「ああ、気をつけて帰れよ」
「はい。失礼します」

 そう軽く頭を下げて、エレンは今度こそその場を後にした。



 自宅に帰ったエレンは制服から私服に着替え、また家の外に出た。夜の繁華街をうろつくつもりはないので、優等生らしい格好のままだ。

(本屋と後は買い出しして帰ろうかな)

 エレンは自炊しているが、レシピは主にネットから得たものを参考にして自分流にアレンジしている。基本的なことは調理実習などで覚えたが、学校の授業だけで料理上手にはなれない。料理と言うものは数をこなさないと上達はしないものだと思う。家には何冊か料理本があったが、エレンがもっと幼い頃に参考にしていた初心者向けのものなので、新しい本を探してみようかと思ったのだ。レシピサイトはとても便利だが、食のプロが書いているものを見るのも良い参考になるかもしれない。

(弁当の本とかいいかもな。……先生の好きそうなおかずが載ってるかもしれないし)

 今日は父親に仕事帰りに知人と会って食事をしてくるから遅くなると言われていた。男もいないようだし、久し振りに外食して帰るのもいいかもしれない。それか何か買って帰ろうかと思案する。このところ一人で夕食を摂ることがなかったので、どうにも一人分の食事を作る気が起きなかった。
 どうせ行くなら大きな書店に行こうと、エレンは普段は余り行かない場所にまで足を延ばした。しばらく振りに訪れた場所は新しい店などが出来ていたり、店舗の入れ替わりがあって、エレンは物珍しげにあちこちを覗いて歩いた。

(そろそろ、帰るかな……)

 書店で良さそうな本を購入したし、余り遅くまでいるつもりのなかったエレンは帰ろうとして足を止めた。見覚えのある後ろ姿を発見したからだ。

(……父さん?)

 身内の姿を間違える程エレンの視力は悪くない――かけている眼鏡はあくまでも度の入っていない伊達なのだ。そういえば、父親はこの辺に行き付けのレストランがあって、誰かと食事をするときにはそこをよく利用していた。エレンも連れて行ってもらったことがあるが、そこに話していた知人を連れていくつもりなのだろう。

(挨拶は――しない方がいいかな。どんな知り合いか聞いてないし、邪魔しちゃ悪いだろうし)

 そう考えながら父親の横に視線を走らせて、エレンは驚きでその両の眼を瞠った。父親の隣にいたのは――。

(………先生!?)

 どうして、リヴァイが自分の父親といるのだろうか。いや、生徒の父兄と会うというのは教師ならあることだと思うが、それなら学校に呼び出して会うだろうし、こんなところで面談もないだろう。それに父親は知人に会うと言っていたのだ。学校の教師に会うならそんなふうには言わないと思う。
 リヴァイはエレンが男の自宅に行くようになってから、一応父親には話をしておくと言っていたが――エレンが夜の繁華街を出歩いていたことは伏せてもらっている――それが縁になったのだろうか。
 いけないと思いつつも、エレンは二人に気付かれないように距離をつめ、二人の会話に耳を澄ませた。

「それにしても君が教師になるとは思わなかった」
「よく、言われます」

 男は父兄だからか、父が年上だからか、丁寧な言葉で話していた。

「ご無沙汰していて申し訳ありません。そのうちカルラさんの墓前に報告したいと思います」
「ああ、そうしてくれると嬉しい。家内は君を気に入っていたから」
「ええ。よくご馳走して頂きましたから」
「エレンは迷惑をかけていないかな?」
「いえ、そんなことはありませんよ。それに迷惑をかける生徒の方がやりがいを感じるものです」
「なら、いいんだが――息子のことを気にかけてくれて感謝している。私はエレンには中々ついていてやれないから」
「ええ、判っています」

 その後も会話は続いていたようだが、エレンはその会話の内容に呆然としてしまってそれ以上彼らについていって話を聞くことが出来なかった。


 どうやって家に帰りついたのか判らない。ふらふらと夢遊病者のような足取りで自室に辿り着いたエレンは頭の中で男と父親の会話を反芻していた。

(先生と父さんは昔からの知り合いだった……?)

 会話の内容からして母親が生きていた頃からの知己らしい。エレンは全く知らなかったが、リヴァイは何か父親に世話になったことがあったのだろう。医師をしているグリシャには何かとそんな話が多く、先生のおかげで命が助かりました、などというお礼状がよく届いていたから男もそのくちなのかもしれない。あるいは、男自身ではなく身内が助けられて恩義を感じているとか。
 ふと、眼をやると乱暴に投げ出された鞄から買って来たレシピ本が覗いていた。エレンは反射的にそれを手に取ってゴミ箱に投げ捨てていた。

(バカみたいだな、オレは――)

 何のことはない。あの物理教師がエレンに構っていたのは父親の知人だったから――世話になったことのある父親に頼まれたからに過ぎなかったのだ。考えてみれば当たり前のことだ。普通、教師が一人の生徒のことにこんなに時間を割いて自宅にまで連れていくわけがない。ただ単に父親に受けた恩を返したかったのだろう。別にエレンではなくても、父親の息子なら誰でも構わなかったのだ。

「バカだな、本当に……」

 口にしてみたら本当に自分が滑稽に思えてエレンは笑った。男が提供してくれた居場所が心地好くて、何気ない気遣いに絆されて慣らされて――勘違いするところだった。

「好きだなんて勘違いしなくて良かった」

 何度も別にオレは好きじゃないと言いながら、エレンはぼろぼろと涙を零した。



 ――翌日からエレンは弁当を一人分しか作らなくなった。自分の分だけを作り、男に渡すことはなくなった。何度か男に雑用を頼まれたが、エレンはきっぱりと笑顔で用事があるのでお手伝いは出来ません、と総て断っていた。

「エレン、何かあったの?」
「ん? 何がだよ、アルミン」
「何って――リヴァイ先生と何かあったのかと思って」
「何もないぞ?」
「だって、お弁当……」
「ああ、面倒になったんだ。自分の分だけの方が気楽でいいし」
「…………」

 いつもの通りの昼休み。二人で弁当を食べるこの時間――だけど、以前とは違うとアルミンは思った。エレンの仮面が強化されていると、このところ感じていた。
 エレンの言う優等生のキャラ作りはいわば鎧なのだと思う。誰にも踏み込ませないために、弱みを見せないために作りあげた鉄壁の要塞だ。それをどういうわけかあの物理教師はすり抜けてエレンに近付いたのだ。詳しい事情は聞かされてないし、あの教師がエレンをどう思っているのかも知らないが、エレンにとっては素を見せられる人間と言うのは少なからず特別なものだったのだと思う。どうやら恋情めいたものが芽生えているように感じた矢先であったし、それが急に距離を取るなんて何かあったとしか思えない。

(告白してふられたとか……でも、そんな感じには見えないし)

 エレンはこうと決めたことは貫くタイプだし、話さないと決めたことはいくら訊いても話さないだろう。彼が話したくなるまで待つしかないな、とアルミンは心中で溜息を吐いた。

「エレン、何か話したいことがあったら、遠慮なく話してくれよ。――余り頼りにならないかもしれないけど、友達だろう?」

 アルミンの言葉にエレンは眼を瞬かせて、それから小さく笑った。

「ああ、ありがとうな、アルミン」

 だが、エレンは話すことはせず、アルミンもそれ以上は追及せずに、和やかな話題に切り換えて残りの昼休みを過ごしたのだった。




 ただ、元に戻っただけだ、とエレンは思った。男が物理教師として赴任する前の生活に戻っただけ、それだけなのだ。学校では優等生のキャラを演じ、息抜きに素を知っている幼馴染みと会話して日々を過ごしていく。高校を卒業するまで繰り返すのだろうと思っていた生活をまた繰り返すだけだ。
 そう、だから、これも同じ―――。

「……行くか」

 キャップを深く被り、エレンはそう口に出していた。髪を明るい色に変え、伊達眼鏡を外し、優等生のエレン君なら絶対に着ないだろう衣服を身に纏い、夜の街に繰り出していく。
 ここしばらくの間足を踏み入れていなかった界隈に出向いたものの気分は晴れない。いつもならこれですっきりするのに――と、エレンは溜息を吐いた。

「…………」

 本当は判っている。気分が晴れないのはこの街で遊泳するよりももっと居心地の良い場所を見つけてしまったからだ。一度味わってしまった贅沢が身体から抜けなくなるように、心地好かった居場所を自分は求めている。ふらふらとした足取りでエレンが無意識に向かったのは男と出会った場所で。辿り着いてからそんな自分に苦笑いを浮かべた。
 バカだな、と自嘲してから、エレンはもう誤魔化すのはやめよう、と思った。
 横暴で自分勝手でセクハラばかりして人をからかうけれど、さり気なく人を気遣って優しさを覗かせるあの物理教師のことが多分――いいや、きっと自分は好きだったのだ。だから、自分に向けられたあの優しさが父親に世話を受けた代償として頼まれたからしただけに過ぎないと知って傷付いたのだ。だが、それはエレンの勝手であって別に男が悪いわけではない。男がくれたものはどんな理由があったとしてもエレンには心地好いものだったのだから。心惹かれた人間が自分のことを好きでも何でもなかった、ただそれだけだ。それで拗ねて今まで受けたことをなかったことにするなんて、自分は自分で思っていたよりも子供だったらしい。
 だが、それでも、男の傍にはもういられないと思う。きっともう苦しいだけだから。

(合鍵は返そう。それで、もうここには来ないし、先生のところにも行かない)

 今後のストレス対策には何か別のものを考えればいい。アルミンと遊びに出かけてもいいし、幼馴染みの親友はきっと相談に乗ってくれるだろうから。
 ――そんなことを考えていたからかもしれない。背後から近付いてきた人の気配に気付くのが遅れたのは。
 ぐいっと、腕を掴まれて引き寄せられ、驚いて振り返った先には知らない男の顔があった。

「オイ、お前、あの男はどこにいる!」
「は? あんた誰だよ?」

 エレンの腕を掴んだ男はまだ十代か、二十歳そこそこくらいに見えた。派手な色に染めた髪と着崩したいわゆるストリート系と呼ばれるファッションに身を包んでおり、外見で人を判断してはいけないとは判っているが、見るからに素行の悪そうな若者だった。更にこちらに友好的な態度とは思えず、エレンは眉を顰めた。

「お前、あんときに一緒にいただろうが! あの目つきの悪いおっさんだよ!」

 何のことかとエレンは首を傾げたが――若者の言葉に引っかかるものを感じて記憶を巡らせ、彼がリヴァイと出会ったときにいた男達の一人ではないかと思い当った。当然顔など覚えていなかったから、すぐには思いつかなかったが間違いないだろう。

「あのおっさんのせいでダチが病院送りになったんだぞ! 絶対に落とし前つけてやる!」
「――そんなの、あんたらの自業自得だろ」

 元々は男達がリヴァイから金品を巻き上げようとしたことから始まったのだ。恐喝、強盗、傷害――そんな罪状に問われる行為だ。まあ、リヴァイが過剰防衛したのも事実であるが、後ろ暗いところがなければ自分で探したりせずに警察に訴えるだろう。男達には余罪がありそうだし、警察に出向けばおそらくは捕まるようなことをしているのに違いない。
 エレンは冷たい目で男を見て、腕を振り払った。

「それにあの人とは、あの日、たまたま会っただけの関係だ。名前も連絡先も知らねぇよ」
「嘘つくなよ。なら、何で助けたんだ!」
「困っている人を助けるのは常識だろ」

 知らないと言うのは大嘘であるが、この男にそれを教えてやる義理はない。付き合ってられない、とばかりに身を翻そうとしたエレンの視界の端に鈍く光る何かが過った。振り下ろされたそれを反射的に飛び退いて避けたが、右腕を軽く掠めていき痛みが走る。

(まだいたのか……っ! 油断した)

 振り下ろされたのは鈍い光を放つ鉄パイプだった。直撃は免れたが掠めたせいで右腕にじんとした痺れが残る。――普段のエレンならこんなへまは絶対にしなかった。リヴァイ程の鮮やかな腕はないがそれなりに強いと自負していたし、そこそこの喧嘩の経験もあった。
 なのに、攻撃に反応が遅れたのはこのところ悩んでいて精神的な負荷がかかっており、注意力が散漫になっていたからだ。自身の失態に内心で舌打ちしながらも、エレンは攻撃に備えて体勢を整えた。

(右腕は……まだ使えない。分が悪い)

 ここは一旦退いた方が得策だろう。逃走のための退路を頭の中で描きながら間合いを取るエレンに、物陰からもう一人男が現れた。三対一――どう考えても不利な状況にエレンが嫌な汗をかき始めたとき。

「なあ、そこのクソガキ。多勢に無勢みたいだし、手を貸そうか?」

 どこかで聞いたような台詞がかけられ、男達が一斉に視線をやると、そこには物理教師が紫煙をくゆらしながら立っていた。
 どうしてここに、と驚くエレンとは対照的に目的の人物を見つけた男達はいきり立っている。リヴァイはそんな男達の様子など気にも留めずに煙草をもみ消した。

「これは持論だが――躾に一番効くのは痛みだと思う」

 獲物を見つけた、というような凄絶な笑みを浮かべてリヴァイは男達を見つめた。ごく普通の神経を持つものなら思わず土下座して謝罪してしまいたくなる程の凄味のある笑みだ。
 男達はそんなリヴァイに恐れを抱いたようだが、今更退くことは出来ずに臨戦態勢に入った。リヴァイは全く動じず、自らを奮い立たせるように襲いかかってきた一人に強烈な蹴りを食らわせて、倒れこんだところへその頭を靴の底で思い切り踏みつけた。ぐうっという呻き声が靴の下から上がるが、男は容赦しなかった。

「お前達に今一番必要なのは言葉による『教育』ではなく『教訓』だ」

 その台詞は教師としてどうなんだろう、と少年が突っ込む暇もなく。
 リヴァイはあっさりと男達を沈めて行ったのだった。

「――さて」

 呆然とリヴァイが男達を地に沈めて行くのを見ていたエレンに、身体に付いた血をハンカチで拭きつつ――無論、リヴァイの血ではなく男達の返り血だ――突如現れた物理教師は視線を向けた。


「お前にはお仕置きが必要だな、エレン」

 そう告げる男にエレンはダラダラと冷や汗を流しつつ、どうにかして逃げられないかと考えを巡らせたが、男が少年を逃すはずもなく。
 最初のときと同じように強引に男の自宅マンションに連行されたのだった。




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