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 今にして思えば、比較的自分の家庭は裕福な方だったのだとエレンは思う。勿論、王侯貴族のような特権階級の贅沢な暮しなど想像も出来ない普通の家ではあったが、父は名医と評判で王都の有力者から王侯貴族専属の主治医にならないかと誘いもあったくらいだという。父親の医師としての稼ぎだけで家族三人の――途中からはミカサが加わって四人になったが――生計は賄えていたし、食べ物に不自由することはなかった。ウォール・マリアが陥落する前は今程食糧難が深刻化していなかったとはいえ、ひもじい思いをしたことは一度もなかったのだから、それなりに家計は裕福であったのだろうと推察される。エレンが好き嫌いがないのは母親の躾に因るものだが、物資が不足しがちで好き嫌いなど言っていられない現在ではそう躾けてくれた母親には感謝している。
 そんなイェーガー一家では必ず子供の誕生日にはささやかではあるが普段よりも豪勢な食事をし、余り手に入らない材料を使ってシンプルなケーキを焼いた――クリームや生の果物などは使っていない素朴なものだが、エレンはそれが楽しみだった。壁が破壊されて以降は誕生日のことなどすっかり忘れていたし、仮に祝おうと思っても材料がなかったので不可能だっただろう。そんなことが数年も続けば誕生日を祝う風習などすっかり忘れ去ってしまうようで、エレンは大事な人の誕生日を知るまでは思いつきもしなかったのだ。
 だが、知ってしまえば何かしたいと思うのは当然のことで。いったい彼が何をすれば喜ぶのか、エレンは頭を悩ませたのだった。



「リヴァイ兵長の好きなもの?」

 エレンに問いかけられてペトラは首を傾げた。自分達の上官の好きなものを訊ねられても、彼女も彼の趣味嗜好など詳しくは知らなかった。それに、自分よりも目の前の少年の方がよく知っていそうな気がするのだが。

「そうね、紅茶くらいしか思いつかないけど……」
「はい、オレも紅茶くらいしか思いつかなくて」
「紅茶じゃダメなの? というか、直接兵長に訊いてみたらいいんじゃないかしら?」
「それじゃダメなんです。こっそり用意して驚かせたいというか……出来ればリヴァイ班の皆さんにも協力してもらいたいと思いまして」
「リヴァイの好きなものなんて決まってるじゃないか」

 どこから聞いていたのか、エレンとペトラが話していた休憩所へひょいっとハンジが顔を覗かせた。

「エレンがリボンでもつけてもらってくださいって言えば済む話だろ?」

 あっさりと言われた言葉にエレンは真っ赤になった。自分と男がそういう関係――いわゆる恋人同士なのは紛れもない事実だったが、人からそう指摘されれば恥ずかしさにその場で転げ回りたくなってしまう。恋愛経験値が少ないどころか、誰かに対して恋愛感情を抱いたのも恋人という関係になったのも全部男が初めての少年はまだ恥ずかしさが抜けなくて、こういうときにどう返したらいいのか判らない。

「確かに兵長が一番喜ぶのはエレンだと思いますけど」
「そうだよね。でも、そんな質問をしてきたってことは――お祝いがしたいんだろ、エレン?」

 話題が変わったことにホッとした少年が頷くと、ペトラも意図に気付いたようで、そういえばもうすぐですね、と呟いた。

「リヴァイの誕生日。12月25日だったよね? 皆でお祝いがしたいんだね、エレン」
「はい。オレが子供の頃、ささやかですが、家族皆でお祝いしてくれて――それが嬉しかったから。兵長には家族がいないみたいですけど――こうして信頼し合ってる班の皆が家族みたいなものかなって思って」

 エレンの言葉にハンジは思わずエレンの頭を撫でくり回した。わわっと声を上げる少年に構わず撫で回す。

「エレンは可愛いなぁ。うん、そういうことなら私も協力するよ」
「私も手伝うわね、エレン。エルドとグンタにも話してみるわ。後、嫌だけど仕方ないからオルオにも話すわね」

 相変わらず、オルオにだけは手厳しいペトラはリヴァイ班の面々を呼び出し、これからのことについて話し合ったのだった。




 その日、にやにやとした顔のハンジにエレンについての重要な話があるからと呼び出されたリヴァイは、じっくりと話したいからと執務室ではない場所に移動を促され、内心で訝しみながらも彼女の後を追った。重要な話、というわりには彼女の表情は明るいし――というか、何か企んでいるような笑顔にしか見えない――、エレンに関する重要な話ならこの調査兵団の団長であるエルヴィンも同席するのが当然なのではないだろうか。勿論、先にエルヴィンに話をしてあるということも考えられるが、彼女の様子からいってやはり何か隠しているような気がしてならない。
 まあ、彼女が自分に危害を加えることはないだろうし、行けば判るだろう。ふざけた話ならその場で沈めればいいだけだし、とリヴァイは思いながら案内された部屋の戸を開けた。それと同時にかけられた声――。

「リヴァイ兵長、お誕生日おめでとうございます!」

 見ると部屋にはリヴァイ班全員が勢揃いしていた。テーブルの上には花が飾られ、余り食べることの出来ない肉を使った料理に素朴でシンプルなケーキまで並んでいた。

「花は俺とグンタで摘んできました」

 エルドがそう言うとグンタも頷く。冬場のこの季節に咲いている花を探すのは大変だっただろうに、それについては何も言わない。王侯貴族の庭園にでも行けばあるかもしれないが――花を栽培するより農地を開拓する方が優先されるから一般市民が花を入手するなら野に咲く花を探すしかないのだ。

「食材は主に私が手配したよ。荷運びはオルオにやってもらった」
「調理は私とエレンが主に担当しました。雑用は他の三人にもやってもらいましたけど」

 物資が不足しがちな現在、入手に苦労したことは想像に難くないが、やはりそんなことは一切出さずにハンジとペトラがそうそれぞれ言うと、はにかんだ表情でエレンが後を続けた。

「改めて……兵長、お誕生日おめでとうございます。オレも、班員の皆さんもこの日に兵長が生まれてきてくれたことに感謝しています。なので、ささやかなお祝いをさせて頂きたいと思って――あの、ご迷惑でしたか?」

 不安そうな顔をする恋人に男は首を横に振った。恋人が自分のためを思って考えてくれた祝いの席を迷惑だと思うものなどいはしないだろう。

「イヤ、誕生日祝いなんてするのは初めてだが――悪くない」

 リヴァイは自分の誕生日など祝ったことがない。誕生日、などというものは自分が生まれたという事実があるだけのもので、その他の日とまるで変わりのない、何か特別な事をする日ではなかった。子供の頃は早く大人になりたいとは思っていたが――生き抜くのに子供よりは大人の方が良かったからだが――成人した今では誕生日を迎えても特に何の感慨も湧かない。だが。
 こんな風に周りから祝われるのは悪くないものなのだ、と初めてリヴァイは知った。

「あの、料理、温かいうちにどうぞ。オレ、お茶を淹れますね!」

 いそいそと紅茶を入れる恋人を眺めながら、リヴァイは班員達全員の気持ちの込められた料理を口に運んだのだった。


 リヴァイの誕生日を祝う食事会――とでも言えばいいのだろうか――も進み、そろそろお開きにしようかと和やかな雰囲気でその場を締め括ろうとしたとき、何やらハンジがエレンに耳打ちした。男の耳に微かに届いてきたのは、本当にやるんですか?と戸惑いを含んだ恋人の声と大丈夫、絶対に喜ぶから、というハンジの言葉だった。
 少年は逡巡していたが、ハンジに促されてすぐに戻りますからと席を離れ、別室へと歩いていった。

「オイ、クソメガネ、何をするつもりだ?」
「ああ、リヴァイが一番喜びそうな趣向を私なりに考えてエレンにアドバイスしただけだよ」

 リヴァイの低い声の問いかけにハンジは鷹揚に返した。まあ、楽しみにしていなよというハンジの言葉は今一つ信用出来ない。まさか、自分の知らないところで変な実験でもさせているんじゃないだろうな、とリヴァイが疑い出した頃、エレンが出て行った扉が静かにまた開いた。
 躊躇いがちに部屋に入って来たエレンの姿を見て、リヴァイは固まった。
 少年は先程と変わらない私服姿だったが、何故かその頭には黒い猫の毛で作られたカチューシャがはめられ、両手には猫の手を模した手袋、更に長い黒の尻尾をつけていた。少年は意を決したようにリヴァイに近付き、兵長ではなく、ご、ご主人様と声をかけた。

「今日はご主人様の誕生日だから、にゃ、にゃんでもするにゃん!」

 小首を傾げてポーズをつけて言う少年に男は沈黙したままだ。それを見て、ああ、やっぱりうけないじゃないか、とエレンは心の中で絶叫した。絶対にその格好でそう言えば喜ぶから、と言うから羞恥に耐えてこんな真似をしたというのに、と恨めしげな視線を少年が送ったのと同時に、男が彼女に声をかけた。

「ハンジ、お前にしては上出来だ」
「お前にしては、が余計だけど、本物みたいだろ? それ、プレゼントするから好きなときに使うといいよ」
「ああ、もらっておく」

 そう言うと、男はひょいっと少年を抱え上げた。

「へ? 兵長?」
「違うな、エレン。ご主人様なんだろう?」
「え? え?」
「何でもしてくれるとは……楽しみだな」

 そう言ってにやりと笑う男に少年は背筋に冷たいものが走ったが、もうときはすでに遅く。
 少年はそのまま男の部屋へと運ばれていった。


「うーん、いいことした後は気持ちいいなぁ」

 呑気な声を上げるハンジを眺めながら、残された班員達は心の中で少年を思い手を合わせた。
 ――何はともあれ、男にとってこの日が最高の誕生日になったのは言うまでもない。





≪完≫


2013.12.24up



 時期的にリヴァイの誕生日はリヴァイ班が全滅した後だと思うのでこのシチュエーションはあり得ないのですが、if設定ということでご了承ください。ほのぼので終わるのかと思いきや最後でギャグに……でも、ここが一番書きたかったとこだというのは秘密です(笑)。



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