†聖なる夜に†


 吐く息が白い。エレンは無意識に着ていたマントの合わせをぎゅっと握り締めた。北方よりのこの区域では冬に入ったこの時期、寒さが身に凍みることが多くなった。

「寒いか?」

 隣を進んでいた男――リヴァイがそう声をかけてきたのでエレンは首を横に振った。確かに寒いが耐えきれない程のものではない。今よりもっと過酷な状況に陥ったことは何度もあるのだ。寒さなどで弱音は吐いていられない。

「兵長こそ、大丈夫ですか?」

 エレンがそう訊ねると、男はやれやれといった風に息を吐いた。

「その兵長、と言うのはどうにかしろと言っただろう。俺はもうお前の上官じゃねぇんだからな」
「すみません、判ってはいるんですけど、どうも癖が抜けなくて……」

 巨人との戦いに終結がついてから数カ月程が経った現在――エレンとリヴァイは共に旅をしていた。元々、少年は壁の外を探検するのが夢であり、外に自由に出られる身分となったときに迷わず旅に出ることに決めたのだ。戦いが終結した後の少年の立場が危ういのは判り切っていたから、対外的には戦死した扱いになっていて、彼が生存していることはごく一部の者しか知らない。少年は一人で旅に出る覚悟をしていたのだが、当然のように男はエレンに一緒に壁の外に行くことを宣言した。あっさりと兵団を退役し、兵士長という立場を捨て去った男に少年が固まっていると、お前は俺のものなんだから当たり前だろう、と告げられた。二人の関係は確かに恋人同士と呼ばれるものであったが、リヴァイを巻き込むわけにはいかないと考えていた少年は彼には何も言わずに旅立つつもりであったのだが、そんな考えは男にはお見通しであったらしい。

「早く慣れろ。……雪が降るかもしれないな。急ぐぞ」
「はい、兵長……じゃなくて、リ、リヴァイさん」

 未だに慣れない呼び名に照れて赤くなる恋人の手を引いて、男は家路を急いだ。



「雪、ぱらついただけでそんなに降りませんでしたね」

 降られなくて良かったです、と笑いながら、エレンは今回の買い出しで仕入れた荷物をしまった。二人が今現在いるのは冬の間に滞在すると決めた小さな家だ。少年の子供の頃からの夢だった塩水で出来ているという海、炎の水や砂の雪原に氷の大地――それらを見に行くことが旅の目標ではあるが、長い旅などしたことのない少年にいきなりの長旅は無理だと判断した男に断言され、少しずつ進んではしばらくそこに逗留し、また進むというのを繰り返している。
 特に冬場の長旅は身体に堪えるし、物資も不足しがちになるため、冬を越してからまた次の土地を目指すことに二人で決めていた。男は調査兵団時代に蓄えをそれなりにしていたし、巨人に怯えずに済むこととなった現在は人類の活動領域は広がり、開拓には人手が必要であったからそれなりに仕事にありつけた。少年の顔は世間には知られていなかったし、人類最強の元兵士長がまさかこんなところにいるとは思っていないものばかりで、経済的に逼迫した状況にならなかったのは幸いだった。

「寒いのは苦手か?」
「苦手、という程でもないですけど……シガンシナでは雪は余り降らなかったんです。その後過ごした開拓地は冬は寒さが厳しいところで、なのにろくな防寒具がなくて寒い思いをしたから、それで身構えてしまうというか。へい……リヴァイさんは、寒さは平気なんですか?」

 リヴァイは暑いときも寒いときも全く以って顔色が変わらない。以前に彼の元同僚がきっとリヴァイは変温動物なんだよ、と言っていて沈められていたが、彼が気温の変化について文句を言うのを少年は聞いたことは少なかった。言うにしても淡々と表情も変えずに言うから、本当に堪えているのかが判りにくいのだ。エレンが問うと、暖炉の火を熾していた男はそうだな、と答えた。

「ろくな防寒具もないとこで過ごした時期があったから、それで慣れたのかもな。冬生まれだからというわけでもないだろうが」
「冬生まれ? そういえば、オレ、誕生日知りませんでした。いつなんですか?」
「12月25日だ」

 男の答えにエレンは固まって、それから25日って明日じゃないですか、と叫んだ。

「何で、もっと早く言ってくれないんですか!」
「訊かれなかったからな」

 あっさりと男はそう返した。確かに訊かなかった自分の失態ではあるが、明日が誕生日と聞かされた方の心情も考えて欲しい。ああ、急がないと、何の準備もしてないのに、と少年は一人でぶつぶつと呟いた後、何かを思いついたのかぱたぱたと駆けて行き何やら荷物を抱えて家の扉に向かった。

「オイ、エレン、どこに行く気だ」
「ちょっと、準備してきますから! 少ししたら戻ります!」

 そう言うと、少年は慌ただしく出て行ってしまい、残された男はまあ、好きにさせるか、と溜息を吐いたのだった。




 少年がリヴァイに家の外に付いてきて欲しいと言い出したのは夜もかなり深まった頃だった。こんな夜半に出かける意味が判らず、また夜間の外出は昼間と違って危険も伴う。渋っていたリヴァイだったが、どうしてもと言うエレンに懇願されて家の外へと足を運んだのだった。


 エレンがリヴァイを連れてきたのは住処から少し離れた場所にある寂れた教会だった。昔は使われていたらしいが今は誰も足を踏み入れない場所――ここに何の用があると言うのだろうか。少年は男に外で少し待っていて欲しい、と告げてから教会の中に足を踏み入れ、数分後戻って来て締められていた扉を開けた。

「…………!?」

 目に飛び込んできたのは各所に配置された灯り。ゆらゆらと揺れる蝋燭の灯にランプの灯り――たくさんの照明が寂れた教会を幻想的な世界に作り変えており、中は綺麗に清掃されていてここ何年も使われていなかったのが嘘だと思える程、空気も澄んでいた。おそらく、昼間少年が出て行ったのはここを清掃して灯りの準備をするためだったのに違いない。

「お誕生日おめでとうございます、リヴァイさん」

 日付が変わる時間を見計らって少年が祝いの言葉を述べる。あたたかな灯りに照らされた少年はとても美しいものに男には見えた。

「オレ、お金も持ってないし、すごい芸が出来るわけでもないし、こんなことくらいしか出来なかったんですけど」

 それでも、どうしてもお祝いがしたかったのだと告げる少年にリヴァイはどうしてここを選んだのか、と問いかけた。
 確かに自分達の住処は狭いしこんなに幻想的な風景は作れなかったかもしれないが、誕生日を祝うのなら部屋に灯りを並べて少し豪勢な食事を作るとか、他にも方法はあったはずである。なのに、何故ここをわざわざ選んで手間暇をかけ、自分を連れてきたのだろう。

「オレ、教会が嫌いだったんです。ウォール教が勢力を伸ばす前の話になりますけど、その頃何度か教会に来たことがあったんです。あ、オレの意思じゃなくて親に連れてこられたんですけど」

 敬虔な信者でもなければ教会で説法を聞くなど子供には退屈なだけだろう。教会は教えを説くだけではなく子供の勉強を見たり、冠婚葬祭や集会の場でもあったりしたそうだが、目の前の少年がそれに進んで参加していたとは思えない。では、嫌いだと言う場所に何故自分を連れてきたというのか。

「――教会って祈りを捧げるところでしょう。オレはそれが嫌でした。祈ったって何にもならない。結局は願いなんて自分の手で叶えるしかないんだ――壁を破壊されてからは特にそう思っていました。でも」

 そう言ってエレンはリヴァイを見つめた。

「ここはそれだけでなくて、感謝の気持ちを告げる場所でもあるんだなーって気付いて。自分の大事な人達が無事であってくれて嬉しい、幸せでいてくれて嬉しい――神とか人とか関係なくただそういう気持ちを言う場所でもいいんじゃないかって。それに、今では少しだけ、何かに祈りたい気持ちも判る気がするから」

 大切な人が生きていてくれる喜び。傍にいてくれてる感謝。――幸せになって欲しいと願う心。
 そう思う人の心を否定することは出来ない。勿論、自分が努力することが大前提ではあるけれど。

「リヴァイさん、この日、生まれてきてくれてありがとうございます。オレと一緒にいてくれてありがとうございます。オレを選んでくれてありがとうございます」

 たくさんのたくさんの感謝を、あなたに。どれだけ伝えられるか判らないけれど。

「――後半は俺の台詞だな」

 そう言って男は少年の手を取ってその指先に口付けた。徹底して掃除を行ったためか少し荒れたそれを慰撫するように何度も唇を落とした。

「折角教会に来たんだから、誓っておくか?」
「誓うって何をですか?」
「永遠を。お前に俺の全部をやる。――だから、お前も全部を俺に寄越せ」

 まあ、とっくに全部俺のものだがな、と笑う男に少年はぽかんとした後、泣き笑いのような表情を浮かべた。

「凄いですね。最高のプレゼントです。でも、それじゃあ、逆になっちゃいますよ?」

 オレがプレゼントを贈る側なんですからと少年が言うと、男はにやりと笑った。

「これからもらうから構わん」

 そう言って唇を合わせてきた男に少年は素直に瞳を閉じた。――永遠に変わらないものなんてきっとないだろう。それでも、お互いに寄せる気持ちは本物だから。
 お互いに熱を分け合って、揺さぶられて奥底まで受け入れて、それでも足りないと思う。
 永遠に相手を求め続ける――どこまでもどこまでも貪欲に。それもいいのかもれない。

 ――聖なる夜に起きた、小さな出来事。






≪完≫



2013.12.18up



 ベタなうえに短い話に……。教会でそれはまずいだろう、という突っ込みはなしでお願いします(汗)。



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