・「やってくれて本当にありがとう」
コンサートの翌日、樋口さんのもとに知華さんからメールが届きました。
そこには、「譜面整備からリハーサル、本番当日まで、何もかもお世話になりました。それなのに、あんな不出来なステージで、本当に申し訳ないです。今後の戒めとして、また明日から精進しようと思います。今日、電話しようと思っていたのですが、朝から頭痛、肩こりがひどく叶いませんでした。また、あらためて連絡します。本当にありがとうございました」と書いてありました。メールを読んだ樋口さんは、次のような返事を書きました。
知華さま
いやいや、よく出来ましたよ。私はそう思っていますし、うちのスタッフも そうとう喜こんでいたのを見ると、間違いなく上手くいったと言えるでしょう。さらに今後また頑張るとのこと、頼もしいかぎりです。
2部の構成もとてもよかったですね。スタッフの話だと私たちと同年代のお客'さまが本当にノリノリで楽しんでいたそうですよ。
まあ今は、とにかく休んでもらって、また今度ゆっくり話でもしましょう。おつかれさまという言葉より、言いたいのは『やってくれて本当にありがとう』です
樋口康雄 |
それから1週間ほど経ったった10月末、再び知華さんからメールが届きました。そこには、先週は会社の決算があり、他にも棚上げしていたことが雪崩のように押し寄せて、コンサートの余韻に浸ることもなくバタバタと過ごしていたと書いてありました。また、樋口さんに近いスタッフのかたに喜んでもらえたのは嬉しい限りであり、樋口さんから「ありがとう」などと言われてしまうと、もうどうしたらよいのか困ってしまう、とも書いてありました。さらには、当時のスタッフから丁寧なメールをもらったこと、ミクシィで集まったファンの人たちから、打ち上げをして盛り上がったというメールをもらい
、“そんなことが起きるのはKARYOBINならではの話ではないか?”(笑)と、他人事のように思ったことなどが綴られていました。
加えて、何より自分自身が客席で見られなかったのが本当に残念で、飛鳥ストリングスの様子も、照明も音響も何も体感できなかったのだから、自分が一番実感がないのかもしれないとも記されていました。そして文末は、「そんな気持ちも薄れないうちに、お目にかかりたいと思っているのですが、今日から1曲仕上げなければならず、まだ具体的な日程を言えないので、またメールさせていただきます」という言葉で締めくくられていました。
樋口さんは、「仕事を済ませてからゆっくり会いましょう。都合によってはWくん(当時のスタッフ)も入れて会えるとうれしいですね。まあとにかく、ゆっくり待っています」と返信しました。
・師走のメール
それから1カ月ほど経った12/6、知華さんから久しぶりにメールが届きました。内容は、12/1、無事にライヴ(「ワインとオンガク VOL.7)も終わり、このあとは残務処理のみとなりました。鉄は熱いうちに、と思い、今月のお茶の時間(午後)にビールかワインでも飲んでお話できたらと思っておりますが、 樋口さんの良き日をお知らせいただければ、Wさんにもお尋ねしてみます。 しっかり反省点をご指摘いただいて、今年を締めくくりたいと思っております」というものでした。しかし、樋口さんの返信は次のような内容でした。
知華さま
ライブ、終られましたか。どんなだったか、またお話してくださいね。
スケジュールですが、実は下腹部にちょっとした腫瘍の疑いがあり、今週いっぱいに精密検査の結果に基づいた今後の方針が決まります。手術ということに
なると年内から年始にかけてでしょう。まあ、生死にかかわることでもなさそうなので、ご心配は無用です。
なので、飲み会(夜でもいいですよ)は、もう少し先になるとありがたいです。具体的な動向は来週にでもご連絡させていただきます。Wくんともお会いするの、非常に楽しみです。それでは。
樋口康雄 |
メールを受け取った知華さんは、翌朝、「軽目の処置ですむことを祈っています。諸々、落ち着いてからで結構ですので、お知らせください。 いよいよ、寒波がやってきているようですね。どうぞご自愛くださいませ」と返信しました。こうして、40周年記念コンサートの打ち上げは、翌年へと持ち越されたのでした。
to be continued
|