サイト・リニューアル特別寄稿

「鶴吉時代のあの音を」 第1回
桐秋さん
樋口さんにも、作風の変化というものがあるのでしょうか。
傑作ぞろいの樋口作品ですが、それらを年代的に遡っていくと、ある時期に異様な特徴を持つ作品群が固まって現れていることに気付きます。私がなぜかいちばん惹かれてしまうのが、その、1973年〜78年あたりに頻出する、ドライで孤独感あふれる、異様に孤絶した特徴を持つ、ヒグチ・クールとでも呼びたくなるような種類の作品群。(ただ、歌ものというよりどっちかというとインスト・BGMなのですが…特にアルトサックスが、近年とは大分違う孤独な表情を…楽器に顔つきというのも変ですが…していたように思います)。現在の樋口作品のような、クラシックからジャズまで、ありとあらゆるジャンルの音楽を一人で体現するような間口のひろさとは異なるけれど、私にとっては思い出の音、そして、これぞ樋口さんのみにしか書けない、独特というにはあまりにも他と隔絶し、いまだ誰も成し得ていない幻想的な境地をつぎつぎと送り出された時代だと思っているのです。これがいま大々的に世に出たら、その特異さに驚嘆と賛嘆のアラシを呼び起こすはず、と思えてなりません。これが、今回のテーマなのです。

「ふりむくな鶴吉」これは、もう、今思えば奇跡的な番組です。樋口さんの超絶な転調が一番サクレツしていた時代に、一年間にもわたって、上質な人間ドラマを担当されてたなんて。また、ドラマの内容、雰囲気、完成度からいって、まさに樋口作品にうってつけの番組でした。甘っちょろいところの殆どないシビアな人間ドラマ、そこに、不意に入り込む、クールを装いつつ暖かさを奥深く隠し持つメロディーと音の重層感、半音同士の合間をかいくぐる音のぶつかりが、人の心のいちばんもろく柔らかい部分をモロに突いて流れ去っていくという…。
コード面で見るならば、終盤になっても、ドミナントの解決(でした?)が、なされたかどうかのあやふやさで消えていく不可思議さ、曲中に何度も繰り返される、不意をつくコードのずらしかた、またそれが、見る者に、ドラマを幾重にも重層的なものに感じさせ、ドラマそのものを作り変えているように思えます。
聴いた瞬間ハッとする転調も、つぎの瞬間には、自分の身が別世界へ投げ出されたかのような感動とともに深く納得させられて、(言い方を変えると、「なぜこれに気づかなかったのか?」という《自己の実存性を揺り動かされる》感じというか、…大げさに言うと、人間の想像力の無限性を感じさせられるというか…「目の前の世界が瑞々しくゆらぐ」瞬間でもあります。)ヘンな言い方をするならば、純正なドラッグに身体ごと虜にされたような感触を味わっていました。

ここでちょっと思い出話もまじえて、このドラマの、お話としての特性に触れますと、青春時代劇とはいうものの、江戸の各層の庶民の暮らしに触れ、その特色を毎回にわたって描き、またおおむね不幸な人々がさらに不幸になるというストーリー展開(笑)が多かったために、非常にすぐれたドラマですが、印象としては暗いものでした。現代でもリストラやサラ金に追われる人々を描いた、容赦ない現実を描くドキュメンタリーがありますが、ああいう感じに似た、さながら江戸時代を舞台にした、「虐げられし人々」という趣のある番組でした。人々は、そんな生活のなかで、思わぬ犯罪に巻き込まれたり、幸せを掴もうともがくうちに道を外れてしまったり…と様々な運命に翻弄され、その多くは哀れな末路を遂げます。そのような悲惨な現実に絡み、それを見据えながら、若い岡っ引の鶴吉が成長していく…というのが、ドラマの骨子でした。

私も最初はテーマ曲とかドラマの内容に気をとられて、BGMまで頭が回らなかったのですが、この番組が最終回に近づくにあたって、内容的に非常な盛り上がりを見せてきます。「鶴吉」自身に、またその仲間に、幕閣の権力者の巨大な陰謀に巻き込まれるという最大の危機が迫ってくる、という話で、非常に緊迫したストーリーの流れが続きます。このなかで、樋口BGMが、一年間に渡って描いてきたものの総決算、とも思える、子供心にも、それまで聴いたこともないような「音楽の迫力」を感じさせるBGMを連打してきました。濁りの入ったピアノ低音域の最強の連打、物憂げに漂うよなサックスがそれに交わり、いよいよ大詰めのドラマの迫力ともあいまって、子供心に消しがたい印象を残します。この最終回を見終わると同時に、「このBGMは絶対に録音しなければ!」と思ったのでした。

NHKでは、当時、このドラマの再放送を、数ヶ月遅れで日曜日の昼間に放映していました。それを狙って録音しては、何度も聞き返してみました。そうしたらすごいの何の。最初は、最終回あたりのBGMだけ録音するつもりであったのですが、それ以外の回のBGMも、聞き返しているうちに、「これは、なんだか、いままで集めてきたものと、全然違う」という事に気がついてきました。「両国界隈」「仲秋名月」「おりん」「伝蔵つむじ風」など、各話のBGMすべてが、聴くほどに傑作の集まりである事がわかってきたのです。自分でも、遊びレベルではあれ、ピアノ教室で鍵盤をいじっていた経験からして、いままで「長調、短調」だの、「トニック、ドミナント」などといっていたレベルとは全く違う変化を、これらのBGMはやすやすとなしえている、という風に感じられ、「こんなにすごいものだったのか!」と思わずにいられませんでした。まるで常人のつくったものとは思えない。音の重なり具合ひとつとっても、他と違う、そして、更にすごいのは、これらの曲は、決して、「変わった曲を作ろう」という意図のもとに「頭で考えて作った曲」とはとうてい感じられないという事でした。この作者は、骨がらみで変わった感覚を持っている、他の誰にも思いつかない展開、しかしそれは、けっしてルール破り、単なる奇矯の感じを持たせず、一人で、独自で、完全に整合性のある音楽世界を一から作っていると思えた点です。例えて言えば、長方形のビルしか存在しないと思われてる世界に突如としてガウディの建築が聳え立ったようなものでしょうか。

そして、このあまりにも独特な音楽が、ドラマそのものをも、大きく変容させている、ドラマをも巻き込んだ形での「独自の世界」を作っている、という点も驚きでした。「鶴吉」には、先に書いたように、様々な人の、絶望的に追い詰められた姿が出てきます。そのなかで人々は、やりきれなさのなかでなんとか夢を見ようとしつづけます。樋口BGMは、基盤はクールでドライに入ってきます。しかし、ある一音を基点に、思いがけない変化を起こし、あるときは優しい童話的ともいえる一瞬が入ったり、深く暖かい低音域が全体を覆ったりします。不意にさまざまな転調を行い、またはコードをずらし、決して、よくある「わかりやすい」方向で収束しようとはしません。そのため、どこか「夢のなかで夢をみているような感覚」というか…、現実感覚を失ったのではないけれど、現実のヒリヒリする痛みを素のままで受け止めてはいるのだけれど、そのなかで夢を見つづけようとする人間の意識そのものが創りだすある種の羊水の「膜」のようなもの…。それに幾重にも包まれていながら、同時にまたリアルな現実とも同居しているような、〈それこそが人間だよ〉と、どこかで声がしているような…「やりきれなさ」と「夢」が混濁した世界をさまよっているような感覚…。そのために、例えば、言ってしまえば単なる「シビアな人間ドラマ」を、人間性の根本により迫った、ある意味「神話」じみた存在の域にまで迫らせているのではないか、と。そうも思えたのでした

この特徴は、この時期のほかの作品、たとえば「四畳半青春の硝子張りなどの日活もの、「あれはだれ」「もうひとりのかぐや姫」などの童話的なものにも色濃く生きていたように思います。また、私もずいぶん今までに色んな映画やドラマを見てきてはいますが、このような不思議な効果を持ったBGMには、樋口作品を除いて、いまだ出会ったことがありません。

 ただ、この時代の音って、いま聴こうとしても、本当に聴く機会がないのです。(これが、いまこの文章を書いていても、聞いたことのない方には殆ど伝わらないのではないかと、思えてしまうという…かなり難しい点です。) 樋口さんの作風は、このあと、クラシック調の要素(ピチカートの多用やバロック風リズム)を取り入れ、「オリエンテーション」「火の鳥2772」で大きくメジャー方面へ展開していくことになるのですが、(もちろん私の好きな「鶴吉調」も、それら新作のなかにも部分的には発揮され、多いに魅了してくれているのですが)私には、この「鶴吉調とその時代」こそ、樋口さんの、(ウイスキーでいえば、)モルトの原液、樋口コカイン100%にあたる(そしてなぜか、その最強の武器を、TVのBGMという場で惜しげも無くつるべ打ちされた?)聴く側にとってみれば、黄金の時代だったように思うのです。(そして、番組の終了とともに、また、フィルムの消去とともに、およそいま聴くことの困難な状況へ追いやられてしまっている…という状況だと思うのです。あれだけの傑作群が。)

私はそれらの作品群を、これからもまた新しい形でモウレツに聴きたい、と思うとともに、あれらの音は、はたして樋口さんにとって、どういう存在であったのか?ということについても、何だか気になるのでした。あれらの音がいまの時代に甦ってくれば、社会的にも大反響を呼ぶだろうと書きましたが、ただ単純に昔放映された音を、こまぎれのBGMとしてCDで復活させても、ただそれだけで終ってしまうでしょう。本当に夢みているのは、樋口さんがあれらの作風を引っさげて、あの作風を生かした、BGM…も、もちろんですが、もっとまとまった作品としての交響曲やサントラをいまの世に、純正樋口コカイン100%の、(他の音楽がふっとぶくらいの?)楽曲群を怒涛のように送り出し、一大旋風を起こしていただく事なのです。かつてあった麻薬のような完成度をもつBGM、(それはどこかにしっかりと保管されているのでしょうが)しかしその状態のままだけでは、まだ未完成に思えるのです。この作風は、ぜひもっと完成された形で世に残して欲しい…と、そんな望みを捨てきれずにいるのです。

なんだか私の永年のこだわりが色々出てしまいましたが、いかがでしたでしょう。
皆さんのご感想をお待ちしています。(←もうちょっと短くしろよとか)(笑)