「花芯の刺青 熟れた壺」の不思議

   
作者不詳
ことの発端は、2001年に発売された「ロマンポルノ・サウンド・コラージュ サディスティック&マゾヒスティック」という1枚のCDだった。樋口氏が手掛けた「花芯の刺青 熟れた壺」の音楽が、このCDに収録されていると聞き、私は嬉々としてCDを手に入れた。ところが、なぜかこの映画の音楽は「作者不詳」となっていた。解説には、その理由が、こう記されていた。“本作の音楽は、映像上のスタッフ・クレジットに名前が無いため不詳”。

ビデオを見てみると、たしかにスタッフ・クレジットに音楽スタッフの名前はない。しかし、ネット上のデータベースは、どこを見ても「音楽・樋口康雄」となっていた。音楽を担当したのは、樋口氏に間違いないと思われた。さらに「花芯の刺青 熟れた壺」として収録されていた音楽のうち1曲は、ベートーベンのピアノソナタだった。ベートーベンの曲まで「作者不詳」にしてしまう製作スタッフの仕事ぶりに落胆した。

実を言うと、私は「花芯の刺青 熟れた壺」の音楽が、ほんとうに樋口氏の作品だと断言できる自信がない。なにしろ、この1本だけ、他の作品とはまったく毛色の違う音楽が使われているのだ。曲数も極端に少ない。「ほんとうに、この映画の音楽は、樋口氏が手掛けたものなのだろうか…」常々、そんな疑いが頭の隅にあったので、「作者不詳」とされたことで、ますます、樋口氏だと言い切れる自信がなくなっていった。

動かぬ証拠
半信半疑のまま、真実を確かめる術もなく、数年の月日が流れていった。ところが、ある日、思いがけなく「花芯の刺青 熟れた壺」の音楽が樋口氏であるという確証をつかんだのである。それは、「花芯の刺青 熟れた壺」の公開と同じ1976年に、樋口氏が音楽を手掛けた新劇合同公演「桜姫東文章」 の録音テープだった。映画のオープニングで使われていた曲は、「桜姫東文章」のなかで使われた曲だったのである。

衝撃の事実
「花芯の刺青 熟れた壺」の音楽は樋口氏に間違いない…長年抱いていた私の疑いは、これですっかり晴れたかにみえた。ところが、近年、私は、ネット上で、こんな記事をみつけてしまった。

"各種データベース・サイトでは、なぜだか音楽が樋口康雄、助監督が高橋三郎となっているのだけれど、実際のクレジットタイトルは、音楽・ 新谷武治、助監督・ 高橋芳郎…"

「そんなバカな…」映像上に音楽スタッフのクレジットはなかったはずだ。だからこそ、「ロマンポルノ・サウンド・コラージュ サディスティック&マゾヒスティック」では、作者不詳とされてしまったのではないか!

ところが、あろうことかビデオを見直してみると、まさにこの記事のとおりだったのである。映像上のスタッフ・クレジットは、助監督は高橋三郎ではなく、高橋芳郎となっていた。調べてみると、日活に高橋三郎という録音スタッフは存在したが、高橋三郎という助監督は存在しない。ネット上の各種データベースは間違っていたのだった。そして、スタッフ・クレジットのなかに、たしかに「新谷武治」の文字があった。ただ、その上の文字は、何度、見直しても背景の白と重なって判読できない。つまり、ちょっと見ただけでは、そこに文字があるようには見えないのだ。それでも、何度も画面を静止させ、食い入るように眺めると、背景からわずかにはみ出した字形から、その文字は「音楽」であると推測できた。音楽スタッフのクレジットは、映像上になかったのではなく、見えなかっただけだったのである。

インターネットの怖ろしさ
思えば、初めて私が「花芯の刺青 熟れた壺」のデータを目にしたのは1997年。当時、唯一ネット上に存在していたデータベースが、実は当初から「音楽・樋口康雄、助監督・高橋三郎」となっていた。データベースやウィキペディアは、個人のブログや匿名掲示板よりもユーザーの信頼が高い分、内容が引用されやすく、誤った情報がどんどん拡大していく。ネット上のあらゆるデータベースが、「音楽・樋口康雄、助監督・高橋三郎」となっているのは、誤った情報が拡大していった好例である。さらに付け加えるなら、最初に存在していたデータベースは、1983年初版のフィルムアート社刊「官能のプログラム・ピクチュア」のデータを元にしていると思われる。というのは、この中の記述がまさに「音楽・樋口康雄、助監督・高橋三郎」となっているからである。

各種データベースが、ことごとく「音楽・樋口康雄、助監督・高橋三郎」となっているのは、前述のような理由によるものであろう。ではなぜ、
映像上のクレジットは、「音楽・ 新谷武治」となっているのか?少なくともオープニングテーマは、樋口氏の曲であることに間違いない。日活は前代未聞のスタッフ・クレジットをまちがえるという大ポカをやらかしたのであろうか? もちろん、その可能性もゼロではない。しかし、この新谷武治なる人物、この作品以外、1本も日活で音楽を担当した形跡はなく、他の作品の作者やデータと取り違えたとは考えにくい。ミスだとすれば、常識では、まったく考えられないようなミスなのである。

藪の中
私は頭を抱えてしまった。本来、正しいはずの映像上の音楽スタッフのクレジットが誤りで、誤った情報であるはずのネット上のスタッフ情報が正しい…いったいこれは、どういうことなのか?
以下、脳みその薄いアタマで思いつく限りの可能性を考えてみた。

@実際の音楽担当は樋口氏で、映像上のクレジットは単純なミス
A樋口氏と新谷両氏が音楽を担当したが、なんらかの理由で映像上のクレジットから樋口氏の名が割愛された
Bもともとは新谷氏が音楽を担当する予定だったが、急遽、樋口氏に変わって、映像上のクレジットが訂正が間に合わなかった
C新谷武治は樋口氏の偽名
D新谷武治は実在せず、樋口氏をはじめとする複数の作家の作品群を新谷武治名義とした

うーん、考えれば考えるほどわからなくなってくる。この謎を解明する手掛かりをお持ちの方がいれば、ぜひ、私までご一報を。
ちなみに現在の私はDではないかと考えている。やっぱり私は、どうしても、この映画すべての音楽が樋口氏の作品とは思えないので…

最後に。この映画の音楽が誰であるかはおいといて、「花芯の刺青 熟れた壺」は、「桜姫東文章」にインスパイアされてできた作品だと思う。盗賊に犯され、その男に惚れて男とおそろいの刺青彫っちゃう「桜姫」、歌舞伎役者に侵され、その男の忘れ形見との関係に鞭打つように刺青彫っちゃう「花芯の刺青」・・・う〜ん、そっくり(笑)
「花芯の刺青 熟れた壺」は、カメラワークも素晴らしく、ポルノ映画としては秀逸な作品でで、女性の鑑賞にも十分耐えられる。機会があったら、ぜひ見てほしい。樋口ファンであれば、オープニングの1曲を聴くだけでも、この映画を見る価値がある。