坂東玉三郎 チャリティーコンサート
思い出のスタンダードと共に

2011/07/30


坂東玉三郎チャリティーコンサート IN 八千代座 その2

いつものことだが、私の書くことは、ほとんどが妄想と想像なので信じてはいけない。あれこれ推理をめぐらせて楽しんでいるだけなのである。

第2部のはじまりは最悪だった。休憩が終わったあと、ベース、ピアノ、バイオリンの3人の演奏者が舞台に登場、オープニング曲の演奏を始めた。芍薬トリオやクイズラー&カンパニーを思わせるニュークラシック風のしゃれた曲(タイトル知りたい)。しかし、ドラムとサックスは、この時点では、ステージに登場していなかったため、客席はざわついたまま。オープニングは、おしゃべりにかき消され、ほとんど聴こえず。曲が終わった時点で、ドラムとサックスが登場、ようやく客席から拍手が起きる。普通なら、ここで客席が静かになってもよさそうなものだが、コンサート慣れしていない観客が多いのだろうか。ざわめきは一段トーンダウンしたものの、依然、続いたまま。オープニング曲が短いうえ、イントロが続けて演奏されたのもマイナスに働いて、黒のスタンドカラーのシャツと黒のスーツに着替えた玉三郎さんが「Danny boy」を歌い出しても、なお客席は聴く体制になっていなかった。ようやく会場に静寂が戻ったのは、歌が始まってしばらくしてから。これまで、ずいぶんいろんなライブや舞台を観たが、ここまでマナーの悪い観客を見たのは初めて。後半も、静かな曲の合間で、何度もおしゃべりや笑い声が聴こえるなど、この日の観客のマナーの悪さには閉口した。

そんなことはあったものの、コンサートは何事もなかったかのように進行した。2曲目は「Alone Again」。多田さんの「Alone Again」は、エレクトリック・ギターをフィーチャーし、若々しくポップでより明るい雰囲気。元の楽曲を「素材」に過ぎないと考えれば、こういうアレンジもありだろう。

3曲目は、「妻へ」。この曲はシャルル・アズナブールの曲で、過去に一度、越路吹雪さんがリサイタルで歌ったことがあったという。「妻へ」は初めて聴く曲だった。伴奏はピアノだけ。それが、いかにもシャンソンという雰囲気を醸し出していて、こういうしみじみしたムードも悪くないなと思う。しかし、私は、歌詞というものの良さをほとんど理解出来ない人間なので、どうしても作曲、編曲、演奏という面に関心がいってしまう。同じピアノ伴奏で聴くなら、シャンソン的世界がジャズによって表現されたような、アドリブ的要素のある演奏を聴いてみたかった。

4曲目は「離婚」。この曲は、遠い昔、どこかで聴いたことがあるような気がした。私は「バンサン」と聞いて、日本人作曲家の伴さんという人の曲だと勘違いしていたのだが、 どうやらヴァンサンという作家の曲らしい;; 「離婚」といっても重々しく暗い曲ではなく、明るく前向きな曲だ。控えめで軽やかな演奏に玉三郎さんの甘い歌声が映える。その歌詞の内容と相まって、玉三郎ファンには、たまらない1曲になったのではないだろうか。この曲も越路吹雪さんのレパートリー。どうやら玉三郎さんは、越路さんがお好きらしい。BLITZのコンサートのあと、掲示板で越路さんと玉三郎さんとイメージが重なると指摘した人があったが、その指摘は的を得ていたようだ。さすが、うちの常連さんは鋭い!と感心する。

シャンソンは玉三郎さんにとても似合っていた。しかし、2曲とも“語り”のように淡々とした曲なのでインパクトは今一つ。「Calling you」「So in love」ほどのスケール感やドラマティックな盛り上がりがない。曲自体はいい曲なのだが、プログラム全体の構成を見渡したときには少々物足りないと感じる。選曲あるいは構成にもうひと工夫あってもよかったのではないか。結局のところ、これも制作者のセンスなんだろうなぁ…。

第1部の多田さんのアレンジは、決して悪くなかった。低弦を生かしたビートルズナンバーなどは、樋口さんとは違う解釈で味わいも全く別だが、とてもいいアレンジだと思って聴いた。「You'd be so nice to come home to」も、なかなかだったと思う。「夏の終わりのハーモニー」は、樋口さんのアレンジより多田さんのアレンジの方が、“今”という時代の感性にマッチしていると思う。

ところが、2部の途中あたりから、なんだか急に多田さんのアレンジがつまらなくなった。新曲のアレンジで力尽きてしまったのだろうか。5~7曲目は、BLITZのコンサートと同じ「Wave」「Gentle rain」「The saga of Jenny」だったのだが、「Wave」は、よく言えば原曲の持つイメージそのままの正統派。悪く言うと凡庸。「Gentle rain」は、樋口バージョンを3倍希釈したかのよう。二胡がいないからサックスで・・なんてことはせずに、バイオリンで代用するところは極めてまっとうな感覚ではあるのだが・・・。「The saga of Jenny」は、どう聴いても樋口さんのアレンジを簡略化したものとしか思えない。多田さんは、「代棒指揮」(スタジオ録音で作曲家の代わりに棒をふる指揮者)を得意としているそうだが、譜面から樋口さんの思いを読み取って、あえて、このようなアレンジにしてくださったのだろうか。それとも手を抜いたのか。いや、手を抜いたのではなく、書き直したくても、その時間がなかったのかもしれない。
それにしても、まさか八千代座でガボットを聴くことになるとは思いもよらなかった。それはまるで、死んだはずの恋人と突然、街で出くわしたかのようであった。思いがけなく再現された樋口版アレンジを耳にすることができたのは、私にとってはうれしいことではあった。反面「今さら、これを聴かせられても…」とも思ったのも事実。わかるかな、私のこの複雑な気持ち。わかんないだろうなぁ…。

ラストは、BLITZではアンコールナンバーだった「Moonlight serenade」。このとき八千代座は午後3時。「陽はまだ高いですが…」という玉三郎さんのMCに、またまた爆笑。八千代座には、天井広告があるから、星も天井には輝けなかったのだろう。壁で地味に輝いていたのが、なんとも微笑ましかった(笑)。しかし、このとき再び悪夢が。なんと「Moonlight serenade」の歌の最中に、おばちゃんたちの笑い声が…。これで、せっかくのラストソングの感動も台無しに(トホホ…)

盛大な拍手に送られて、一旦、退場した玉三郎さんが再び舞台に登場。アンコール1曲目は、BLITZではラストの曲だった「What a wonderful world」だった。観客は、皆、配られたサイリウムを振った。なんの打ち合わせもなかったのに、これは案外、うまくいった。まあ、左右に振るだけと言ってしまえばそれまでなんだけど(^^ゞ 同じ時間と空間を、その場に居合わせた人たちと共有する歓び。これはCDでは決して味わうことのできない、生のコンサートならではの魅力だ。

ふと気が付くと、花道まで出てきた玉三郎さんが、すぐ目の前に立っていた。たしかにあのとき、玉三郎さんは私を見つめて歌っていた(はず)。「ごめんなさい。私、あなたのファンじゃないんです」私は心の中で玉三郎さんに詫びた。それは大いなる勘違いだったかもしれないというのに^^

「Moonlight serenade」と「What a wonderful world」は、多田さんのオリジナリティが、比較的よく表れたアレンジになっていたと思う。編曲法というものがあるのかどうか知らないが、多田さんのアレンジは、なにかそういう基本に忠実な感じ。生真面目で面白みには欠けるが、どの曲も粒揃いで、これといった欠点がない。誤解を恐れずに言うならば、樋口さんのアレンジは、玉三郎さんの歌も演奏楽器のひとつとして扱い、おもに主旋律の部分を担わせるといった扱いだったように思う。一方、多田さんは、音を抜いた引き算のシンプルなアレンジで、玉三郎さんの歌をじっくりと聴かせるといった感じ。同じピアノ伴奏ひとつとっても、樋口さんと多田さんのアレンジでは、音数がまったく違う。私が演奏家なら、同じギャラなら、迷わず多田さんの仕事を選ぶだろう(笑)。にもかかわらず、アレンジが極端に変わったと感じないのは、イントロ、間奏、エンディングといった要所で、樋口さんのアレンジを踏襲していたからではないかと私は思っている。

2回目のアンコールは「Goin' Out Of My Head/Can't Take My Eyes Off Of You」だった。今回のプログラムは、私に対する嫌がらせかしらかと思うくらい、ものの見事に私の好きな曲ばかりが外されていた。だから、玉三郎さんがこの曲のタイトルを告げたときは単純にうれしかった。トランペットもコーラスもないんだもの。そりゃあ、BLITZほどの華やかさはないですよ。でも、客席の手拍子が、お客さんの口づさむメロディーが、八千代座の「Goin' Out Of My Head/Can't Take My Eyes Off Of You」を盛り上げていた。最後の最後で、玉三郎さんが歌を間違え、音程がボロボロになる場面があったが、ライブではミスがあっても観客が熱狂できれば問題にならない。本来ライブとは演者と観客が多少のミスがあっても、互いに許しあえる関係なのだから。

こうして八千代座のコンサートは幕を閉じた。会場にいた大半の観客は、このコンサートに満足していたと思う。BLITZのコンサートが華やかなエンターテイメントだったとすれば、八千代座はアットホームな歌謡ショーといった趣の違いはあったけれど、これはこれでフツーに楽しい良いコンサートだったと思う。ただ、すべてがあっさりしすぎていて、見終わったあとの充足感は少なかった。

樋口さんのアレンジと多田さんのアレンジのどちらがいいか、などという聴き方はつまらない。第一、私は樋口さんのファンである。公平に比較するなんてことは、最初から、できっこないのだ。樋口さんには樋口さんの、多田さんには多田さんのアレンジの良さがある。それに樋口さんと多田さんの置かれていた状況は全く違う。十分な準備期間があり、15人編成の樋口さんのアレンジと、急遽、ピンチヒッターを引き受けた6人編成の多田さんのアレンジを比べること自体、ナンセンスだ。私は、あれが多田さん本来のアレンジだったとは思っていない。もし、最初から多田さんが八千代座のコンサートの音楽監督をやることになっていたら、もっと別のアレンジを考えたと思う。樋口さんの代役は、多田さんにとって決して楽しいものではなかったと思う(もちろん、楽しいこともあったとは思うが)。でも、萩本欽一も言っている。「やりたくない仕事しか来ない。でも運はそこにしかない」と。私は、多田さんに運が巡ってくることを心から祈っている。

このレポを書き終えた今、すべてが終わった。これでまた、当分、レポを書く機会はないだろう。明日からまた、Pianissimoに静かな時間が戻ってくる。
おわり。