坂東玉三郎 チャリティーコンサート
思い出のスタンダードと共に

2011/07/30


坂東玉三郎チャリティーコンサート IN 八千代座 その1

今にして思えば、BLITZの「坂東玉三郎チャリティーコンサート」は豪華絢爛な大スペクタクル音楽絵巻だった。一体、BLITZの総譜は何段あったんだろう。とんでもない譜面を書いてくれちゃったよね。華麗な弦楽四重奏と管楽器群を含むフルバンド並みの厚みを備えたコンポ。さらにはコーラスが、玉三郎さんひとりだけでは出来ない音の厚みや表現力を加える。重厚で華麗なサウンドには、震災の憂いを吹き飛ばす華やかさがあった。ジャズのスタンダード曲などは、アドリブを含めた演奏に魅力があるわけだけれど、もはやそれは「伴奏」というレベルを越えていた。しかも、それを国内最高峰のミュージシャンたちが演奏するのだから、あまりの見事さで歌が聴こえない(嘘)。緻密に組み立てられたサウンドは、国際的にも通用する本格的な音楽性が備わっていたし、音楽としての品位の高さには耳が洗われるようだった。アイデアにも優れ、うんとハメを外した方が面白いところと、シリアスに聴かせる曲との発想の転換も巧みでメリハリが効いていた。渾身のアレンジには、ストレートにこちらに伝わってくるものがあり、ステージの上の誰もが、限界ぎりぎりのところまで力を出し切っている様子には凄みさえ感じた。技術的には相当高度なことをやっているにも関わらず、それを聴き手には感じさせず、終わったあとに「楽しかった~」という、とてつもなく幸せな余韻だけを残す。私はあのとき、「こういうのを本当の“芸”というのだなぁ」と、つくづく思ったものだった。

BLITZのコンサートは、「樋口康雄が全力投球するとこうなる」という見本だったように思う。 仕事なんだけど、もはや仕事のレベルではなく、趣味・道楽の極みという感じ。樋口さんの意図が色濃く反映された、制約なしのやりたい放題。
実は樋口さんという人は、自己中心的な発想しか出来ない。他人へのサービス精神からやっているわけではなく、単に自分が楽しいからそうしてるだけ。おそらく、他人がどう思うかなんてことは、はじめから考えちゃいない。だから、たまたま、自分のやったことがウケるとうれしくてしょうがない。しかし、そこが樋口さんの愛すべきお人柄なのだ。樋口さんは、自分が好きなように、自分が気に入るようにしか作れない人。私はそのように認識している(ご本人は、そうは思っていないに違いないが(笑))。

これだけのものを生楽器で聴けるのは贅沢の極み。ある意味、チャリティーコンサートだからできたのかもしれない採算度外視の出血大サービス(死語)。樋口さんは、ある時期から殆ど隠遁しているようなものだ。特に舞台から足を洗ってしまったこの5年間は、いよいよ私たちが、樋口さんの音楽に生で触れる機会はなくなってしまった。それだけにBLITZのコンサートを楽しみにしていたし、八千代座でのコンサートにも期待していた。もう一度、これが聴けるなら、私は熊本に行きたいと思った。でも現実は、あまりにも非情だ。聴きたいと願って努力した者ほど、手痛いしっぺ返しを食らうという不条理。報われないって悲しいことですね…。

八千代座のコンサートは、ドラムスティックのカウントで幕を開けた。サックスが高らかに歌い、バンドが演奏を始める。既成の曲なのか、多田さんのオリジナルなのかわからないが、いずれにしても私の知らない曲。でも、「ああ、こういうオープニング、よくあるよね」といった感じの耳馴染みのよい曲だ。BLITZの「ホルベルク組曲」には、序曲あるいは前奏曲といった趣があったのに対して、こちらは演奏時間も短く、オープニングテーマあるいは登場音楽といったほうがピンとくる感じだ。

その音楽が終わろうかという頃、ダークスーツに身を包んだ玉三郎さんが舞台に登場した。BLITZでは、遠すぎて見えなかったネクタイまで、ここでは、はっきりと見えるのがうれしい。1曲目の「Killing me softly」のイントロが流れ始めた。その瞬間、私は心の中で「あっ!」と叫んでいた。それは紛れもなくBLITZで聴いた樋口版のイントロだった。私には「ワインレッドの心」に聴こえたという例のアレである。長さにすれば、せいぜい1~2小節。だが、原曲にはない、あとから樋口さんが付け足したイントロ頭は、驚くほど鮮明に記憶に残っている。オープニングを聴いたときは、「ああ、BLITZとはまったく違うコンサートになっちゃったのね」と思ったが、「Killing me softly」が始まった瞬間、BLITZに引き戻された感じ。もちろん楽器編成が違うから、当然、アレンジは変わっている。しかし、音楽監督が交代したことで印象がガラリと変わった感じはしない。小編成になってはいるが、全体の印象は極めてBLITZに近く、違和感はない。バックが小編成になったせいだろうか、玉三郎さんの歌声は、さらにパワーアップして聴こえた。音程やリズム感も、前回のときよりは、ずっとよくなっており、少なくともBLITZのときのように、こちらも緊張しながら聴く必要はなくなった(笑)。

2曲目の「Those were the days」から7曲目の「Someone to watch over me」までの曲順は、前回とまったく変わらなかった。曲を聴き進んでいくうちに、私の頭の中にはある考えが頭をもたげてきた。そして、コンサート終盤には、それは確信へと変わった。ある考えとは…「多田さんのアレンジのベースになっているのは原曲ではなく、樋口さんのアレンジだ」ということだ。つまり、多田さんは原曲を新たに1から編曲し直したのではなく、樋口さんのアレンジをこの編成に合わせてリアレンジしたのだと思う。というのは、前述の「Killing me softly」のイントロをはじめとして、第2部の「Danny boy」「Alone Again」など、原曲にはない、樋口さんが後から付加したと思われるイントロの冒頭部分のメロディーラインは、ことごとくBLITZのそれと同じだったのである。また「Yesterday」の原曲のイントロはアコースティックギターで演奏されているが、樋口アレンジでは、弦楽器で演奏されていた。多田さんのアレンジも、メロディーこそ違うが弦から始まっており、受ける印象は非常に似通っている。他の曲の楽器の割り振りも、樋口さんのそれとかなり近かったと思う。そして、極めつけは「The saga of Jenny」。途中に挟まれた「ガボット」のメロディーや、わざと調子っばずれにしてコミカルな雰囲気を出すところなど、樋口アレンジが、そのまま踏襲されていた。もちろん、多田さん独自のアレンジが展開される部分もあるわけだが、意図的に、樋口さんのアレンジと極端に印象を変えない配慮がなされていたように思う。

考えてみれば、むしろ、それは当然のことなのかもしれない。BLITZの公演からわずか1カ月半あまりで、極端にアレンジが変わってしまったら、玉三郎さんだって歌えないだろうし、演奏する者にしても困るだろう。もちろん、私たち観客だって、まだ記憶にあるBLITZの公演と、あまりにもかけ離れたアレンジのコンサートを聴かされたら、違和感を感じる。音楽監督が変わっても、アレンジなんて、たいして変わらないのではなくて、変えないように配慮してくれたから変わらなかった…私はそういうことだったと思っている。とはいっても、これは私の勝手な想像にすぎない。もし、多田さんおよび多田さんの関係者のかたが、ここをご覧になっていて、「いやいや、あれは原曲を1から編曲し直したんですよ」ということだったら、ぜひともご一報ください。

さて、極端に印象を変えない配慮がなされていたとはいえ、これだけ編成に違いがあるのだから、どうしたって変わってしまう部分というのはある。多田さんのアレンジの感触は、奇をてらわず、穏やかな音楽への愛情が滲んでいるといった雰囲気。玉三郎さんなら、こんな風に聴かせると活きるだろうとか、今回のお客さんには、こんなのが受けそうだとか、そのあたりも考えながらやっている感じ。ど素人の私がこんなことを言うのもおこがましいが、多田さんのアレンジは、少ない楽器を駆使して、なんとかBLITZの音に近づけようと腐心したあとが窺われた。たとえば樋口さんアレンジでは、コーラスパートになっている部分に楽器を割り当て、似たような効果を出すような工夫をしているといった…。その一方で、多田さんのアレンジは、極力、音数を少なくして伴奏に徹して、歌を引き立てるようにしたと思われる部分もあった。

八千代座は木造建築のせいか、音の響きが非常に穏やかだ。音が自然に聴こえ、金属的な響きを感じさせないところは非常によいと思った。が、音が少し優しくなりすぎるきらいがあるようにも思えた。BLITZでは、バイオリンの高音がキンキン響くのが気になったが、ここでは、それはまったくなかった。反面、ギターの音はまるくなりすぎて、シャープさが損なわれたように思う。いずれにしても、バイオリンもギターも、BLITZと同じ演奏者とは思えないほど、音が違って聞こえたのには、ちょっと驚いた。

今回、大活躍だったのがサックスの平原まことさん。トランペットとトロンボーンを欠いた穴を埋めるべく、一部、クラも使用して八面六臂の大活躍。その演奏もすばらしく、客席をおおいに湧かせた。一方、演奏者の演出も考えた「You'd be so nice to come home to」「Someone to watch over me」の舞台映えするアレンジはよかったと思うが、平原さん以外の演奏者は、これらの曲以外、際立った聞かせどころがないのが残念だった。ところで、今回、「Someone to watch over me」の訳詞も、玉三郎さんだったことが明かされた。訳詞がいかにむずかしいかは、翻訳ミュージカルを見ている人ならわかると思う。私は、玉三郎さんの訳詞の才能はたいしたものだとと思う。

第1部のラスト2曲は井上陽水の「つめたい部屋の世界地図」と「夏の終わりのハーモニー」に差し替えられた。「つめたい~」は、タイトルを見てもわからなかったが、聴いたら知ってる曲だった。「夏の終わりのハーモニー」は、前回のアンコールナンバーで、玉三郎さんのファンにとってはおなじみの曲。どちらも曲としては良い曲なのだが、スワニーのような軽快なナンバーが1曲もないのは、やはり少々退屈だ。

それにしても玉三郎さんのMCは、相変わらずおもしろかった。「Yesterday」の曲紹介で、「BLITZでコンサートいたしましたときに、“とにかく1回でいいからYesterdayと言ってくれよと”言われたのですが、Yesterdayは皆さまの心の中にしまっていただいて、Yesterdayという曲をお忘れいただいて、聴いていただきたいと思います。こちらから注文するのも失礼なんですが…」と。これには場内、大爆笑。また、第1部の最後では、「このあと休憩に入りますが、チャリティーオークションがございます。もう、いらしてくださっただけで十分チャリティーでございますから、お気遣いなさいませんように」とのたまって、これまた場内、大爆笑。ステージでは平原さんが手を打って、受けまくっていた。
ああ、おもしろかった(笑)。しかし、第2部では、笑ってばかりはいられない、ちょっと残念なできごとがあった。

続く