坂東玉三郎 チャリティーコンサート
思い出のスタンダードと共に

2011/06/07・08


第1部

都内屈指のライブハウス、赤坂BLITZ。
開場時間を30分ほど過ぎていたためかカメラチェックもないまま、あっさりと会場へ。ロビーでは弁当が売られ、いつもならドリンク交換で混みあうカウンターは人影もまばら。フロアには椅子が並べられ、和服姿の女性を含む年配の女性たちがおとなしく着席している。もちろん、男性客もいるが、圧倒的に女性が多い。柵もなければBGMもない。会場はほぼ満席。ステージの上には楽器がずらりと並んでいる。いつもなら広いと感じるBLITZのステージが、この日ばかりは狭く感じる。見慣れたライブハウスの風景とはあまりにもかけ離れた光景。でも、このミスマッチな感覚、決して嫌いじゃない。いや、むしろ好きかも(笑)。だって、ちょっとステキじゃないですか。「BLITZで玉三郎のコンサート」なんて。

コンサートは、ほぼ定刻どおりにスタート。一瞬の静寂の後、力強く上昇する華麗なストリングスが会場に響き渡る。高音域のサウンドにブラスの深い味わいが調和した鮮やかなオープニングが高揚感を高める。ライブハウスという環境のせいだろうか。これまでに聴いた、どの作品より明確なアーティキュレーション。ピアノへと受け継がれたメロディーから「Climb every mountain」へと繋がる展開の素晴らしさ。ああ、これが私の聴きたかった音!背筋に旋律が駆け抜ける。始まりと同時に、いきなりクライマックスの感動を味わい、呼吸困難に(笑)。爆音向けのBLITZにオケがはいるとあって少々心配だった音響も、低音から高音までクリアに聴こえる。

下手からピンストライプのダークスーツに身を包んだ玉三郎さんが登場。
場内の割れんばかりの拍手を背に受けて、ステージの中央に進む後ろ姿は男性そのもの。思わず、その姿に目を凝らす。
居ずまいを正した玉三郎さんが、「Climb every mountain」を歌い出す。
「やぁ~まぁ~を 越え~」決して歌はうまいとは言えない。しかし、舞台で鍛えているだけあって声量はあるし、声質もよい。「思ったより歌える」…と思った。
己の限界に挑戦するかのように、もてる力の限りをつくし、堂々と歌い上げる姿は感動的ですらあった。そしてなにより、玉三郎さんの歌には心がある。「一生懸命、練習しました」とあいさつする玉三郎さんの言葉からは、「歌いたい」「被災者のために自分ができることをしたい」という気持ちが伝わってきた。そして、還暦を過ぎて、なお、歌という新しい世界に挑戦し続ける玉三郎さんをステキだと思った。私は、玉三郎さんにとって新たな一歩となる、この記念すべき瞬間に立ち会えたことを嬉しく思う。
初日は、緊張がこちらまで伝わってくるほど、カチカチになっていた玉三郎さん。しかし、大スターでありながら、人間らしい一面を垣間見せる玉三郎さんの姿は、むしろほほえましい。丁寧な物腰と、優雅な身のこなし。少年のような初々しさをもつ玉三郎さんに、ファンならずとも心奪われてしまった。

2曲目は「悲しき天使」。この曲がロシア民謡とは知らなかった。原曲にバラライカが使われているからだろうか。樋口さんにしては珍しくマンドリンがフィーチャーされている。後半、ディキシーランドジャズ風になるアレンジはオリジナルを踏襲している。客席からは手拍子が起こり、コンサート気分が一気に盛り上がる。

MCを挟んでビートルズナンバーを2曲。
今回のコンサートで「いいね」と思ったことのひとつが、玉三郎さんのMC。昨今は、コンサートでも芝居でも、笑いをとるためのネタ話が多すぎて辟易していたのだが、玉三郎さんは、普通の会話の中にユーモアを交え、ごく自然に笑いを取る。簡単な曲紹介もよかった。これがあったおかげで、コンサートにより興味を持つことができたような気がする。MCの中で玉三郎さんは、幾度となく樋口さんのお名前を出してくださった。玉三郎さんの気遣いが感じられてうれしかった。でも、欲張りなファンは、「NHKの『あの人に会いたい』の音楽を担当している樋口康雄さんです」とかなんとか、ひとこと付け加えてくれればよかったのにと思う。だって、「樋口康雄」なんて言ったって、一般人は知らないもの。でも、よく考えてみたら、このコンサートの主催はTBSだった。NHKの番組の名前は出せないか^^;

「玉三郎、ビートルズを歌う」というアイデアは樋口さんからの提案だったそう。
1曲目の「Yesterday」は、ポールが母と死別したときのことを歌った歌でもあるという説明を聞かなければ、ずいぶんベタな選曲だと思ったに違いない。でも、その話を聞いて、これは被災した人たちを想って選ばれた曲なのかもしれないと思った。
歌詞は日本語。今回のコンサートは、ほぼ全曲、日本語で歌われた。
「がんばろう、ニッポン!」を合言葉に、日本が復興をめざしている今、日本語で歌うことはとても意味があることに思えた。もっとも、このコンサートは震災前から決まっていて、たまたま、そうなっただけのことなのだが…。それもこれもひっくるめて、まだまだ難しいこの時期に、このコンサートを開催してくれた玉三郎さんが私たちに与えてくれたものは大きい。

初めて聴く日本語の「Yesterday」に違和感はなかった。あらたに付け加えられたストリングスによるイントロは、樋口さんの手によるものだろう。アコースティックに重ねたストリングスは少し分厚く重く感じる部分もあったが、サックスの使い方には個性が表れていた。じんわりと心に染み入るような弦の調べと、玉三郎さんの情感をこめた歌いっぷりが素晴らしく、思わず歌の世界に引き込まれていった。

ビートルズナンバーの2曲目は「She’s Leaving home」。「Let It Be」でも「Hey Judo」でもなく、この曲を選ぶところが、いかにも樋口さんらしい。この曲は本当に玉三郎さんに合っていた。玉三郎さんは、樋口さんから芝居がかった歌い方をするよう言われたというが、そのアドバイスは的確だったと思う。玉三郎さんの表現力はみごとなもので、最初の一小節から鮮やかに詞の世界が目に浮かんだ。三声のコーラスはオリジナルとはかなり趣が違っていたが、こういう天国的な響きもいいなと思って聴いた。もっともこのコーラス、初日の私の座席(2階下手側)からは二声にしか聴こえなかったのが、かえすがえすも残念だったが。

続く「Da Troppo tempo」はミルバが歌ったカンツォーネのヒット曲。ピアノとストリングスだけのアレンジでしっとりと聴かせる。この曲が大好きだというだけあって、玉三郎さんは、この曲をよく理解して歌っているようにみえた。一部、イタリア語で歌われたが、日本語の歌詞のなかにあって、ひときわ、その部分が印象に残った。

おとなしめの曲が4曲続いたあとはジャズのスタンダード・ナンバーから「You’d be so nice to come home to」。玉三郎さんが思いのほか、この曲をうまく歌いこなしてくれたのにはびっくり。「スウィングしなけりゃ、ジャズじゃない」という言葉があるけれど、玉三郎さんはの歌は、しっかりスウィングしていた。ブラスのパワフルな響き、ピアノのダイナミックな広がりと繊細さ、ギターのクリアなトーン…これぞジャズの醍醐味!

ところで、この曲には、おなじみの「You’d be so nice to~」のメロディーのまえに導入部ともとれるメロディーがついていた。これはもともと、この曲にあったものなのだろうか? それとも樋口さんが新たに付け足したもの? どちらかわからないけれど、この部分が耳について離れない。ロマンティックでドリーミーなイントロのあと、「なんとかかんとか・・・・とびきりの美人じゃない♪」と歌うやつ。ミュージカルの語り調の曲といい、玉三郎さんの美しい声といい、いまだ頭の中を駆け巡っている。どなたか、この曲について知ってる人は、ぜひ情報ください。

7曲目の「Someone to watch over me」も、おなじみのメロディーのまえに、ミュージカルの語り口調のような導入部分があった。が、たしかこれは原曲にあったメロディーだったはず。しかし、この部分を玉三郎さんが芝居っ気たっぶりに歌うと本物のミュージカルを見ているような錯覚にとらわれる。甘い歌声に酔い、リラックスした演奏に癒されたひとときだった。

「スワニー」は、今回のコンサートのなかでも、ひときわ印象に残った1曲。底抜けに明るく、楽しく、誰もがハッピーになれるディキシーランドジャズの魅力が「これでもか」というほど詰まっていた。「かつて「ガーシュインなら樋口」と言われた時期があったというが、アメリカ的で、どこか小粋なガーシュインをこれだけみごとにアレンジできるのは、樋口さんをおいてほかにいない。
曲アタマのトランペット一発。 これは今、思い出してもゾクゾクする。 キュッキュッと鳴る弦の音やピチカート、階段を転がり落ちるようなシロフォン(マリンバだったか?)、トランペットをはじめとするブラスセクションのきらびやかな響き…どれもこれも今も頭の中に焼き付いている。 間奏のソロ回しは、まさに互いに温めていた技の応酬。桑野聖さんのフィドルに、美野春樹さんのピアノに、ただ唸るしかない自分…。
玉三郎さんの歌もよかった。まさか玉三郎さんが、こういう曲をここまで完璧に歌いこなしてくれるとは! これはまったく想定外。「お見事」と立ち上がって拍手を送りたい気分だった。

ところで、この曲が始まった時、私はなぜか戦前の昭和歌謡を思い出してしまった。あとからわかったことだが、それはこの曲が「東京ラプソディ」のメロディーとよく似ていたからだった。しかし、理由はそれだけではない。玉三郎さんの発声が、この曲を歌った藤山一郎とよく似ていのだ。藤山一郎は、日本語を明瞭に発音し、「楷書の歌」と称された。玉三郎さんの歌は、この「楷書の歌」を想起させるものがあった。もっとも、そのことに気づいてしまってから、時折、玉三郎さんの歌う洋楽が、一瞬、昭和歌謡に聴こえてしまう瞬間があったので、それは必ずしもいいこととは言えないかもしれないが、少なくとも私にとって、久しぶりに美しく正確な日本語の歌を聴けたということは、今回のコンサートの大きな収穫のひとつでもあった。

「スワニー」が終わると同時に、手拍子で大いにもりあがった客席から、間髪を入れずに絶妙のタイミングでとんだ歓声も見事だった。おそらく、玉三郎さんのファンのかただったのだろうが、コンサートも歌舞伎も同じエンターテイメント。スタイルは違っても、歌舞伎ファンの方々は、生の舞台を盛り上げる術をよく心得ていると認識した次第。

第1部のラストに「Killing me softly」を持ってきたのは、とてもよい選曲だと思う。私は、この曲に特別な思い入れはないが、当時、爆発的にヒットしたこの曲の記憶は鮮明だ。この曲は、ロバータ・フラックがささやくような声で、イントロなしに歌い出すところに特徴がある。しかし、この曲にはイントロがつけられていた。イントロがついていることにまったく抵抗はなかったし、むしろ、おもしろいと思って聴いた。歌詞が日本語であることも特には気にならなかった。
「えっ?」と思ったのは、「 Strumming my pain with his fingers」 から「Killing me softly with his song」の部分と、「I heard he sang a good song~」以降が同列に扱われていた点だ。原曲は、「 Strumming my pain with his fingers」 から「Killing me softly with his song」までを、伴奏なしで囁くように歌い、「I heard he sang a good song~」から伴奏が加わる。同列に扱ったのでは、この曲のセンシュアルな魅力が薄れてしまう。そのコントラストこそが、この曲の最大の持ち味であり、大ヒットの要因のひとつでもあると思っていた私には、このアレンジは自分が求めていたイメージとは一致しないものだった。

もっとも、私の求めていたものと違っていたというだけで、アレンジ自体は決して悪くはなかったと思う。特にこういう曲にまでピチカートを用いてしまうところなどは、樋口さんでなければ考えつかないだろうし、余韻たっぷりにフェドアウトして終わる終わり方には、樋口さんの新境地を見たような気がした(樋口作品でフェドアウトして終わる曲は、極端に少ない)。素人の私には専門的なことはよくわからないが、かなり凝ったアレンジになっており、演者にとっては、ちょっと難しいのではないかと思うところもあったが、聴いているぶんには楽しかった。玉三郎さんの歌も、音の移動が少ないところで歌詞を棒読みしているように聴こえる部分はあったものの、思いを込め歌おうとしているのが見て取れ、非常に気持ちのいいものだった。最後の最後で聴かせてくれたエンディングのサックス、あれは沁みたなぁ…

こうして約1時間の第1部のステージは、無事に終了した。休憩をはさんで第2部へ。