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シングアウトの研究
第8回 A氏の回想 |
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記憶の中のシングアウト
「シングアウトのことでいくつか覚えていることをメモしておきます。」A氏からもらったメールの1通は、そんな書き出して始まっていた。
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「涙を超えて」は番組開始当初から演奏していましたが、私の記憶ではシングアウトのメンバーが手前に立ってボーカルを取り、ヤング101は後ろでコーラスをやっていました。もちろん、あれはシングアウトの曲でした。それがいつの頃からかヤング101全員のコーラスになり、「ヤング101のお箱」になってしまったわけです。みんなでコーラスした一番最初は、「ユニセフ万博まつり」の生放送のときだったと思います(70年5月30日)。見ていて「あれ、今日はみんなで歌うのか」と意外に思ったような記憶があります。
番組開始当初のヤング101というのは、スクールメイツよろしく「踊るエキストラ」でした。コーラスを歌うのはオープニングとエンディングをのぞくと、確か2〜3曲だけだったと思います(お箱、というかワンパターンは「Up、Up And Away」)。
番組中で大きく写るのは関口さん(司会の関口宏)、上條さん(ヤングのお兄さん格として出演していた上條恒彦)、小島さん(電子オルガン奏者の小島秀子)、シングアウト、ピコ、そしてゲスト。ヤングの中で多少フューチャーされていたのは泉朱子さん、石岡ひろしさん、それとちょっと意外ですが江崎英子さんの3人だけだったと思います。(中略)。
後列左端赤いネクタイが上條恒彦、関口宏(ブルーのジャケット)の右隣が江崎英子、関口宏の後ろ黄色いネクタイが石岡ひろし、最前列中央の白のブレザーが樋口康雄(ピコ)、最前列右端がリディア、左端がシングアウトの江崎和子。
そういえば小林啓子さんと串田アキラさんが初めてソロを歌ったとき(70年3月28日)、それはつまり他ならぬ「恋人中心世界」
と「しあわせの限界」が初登場した瞬間だったわけですが、とりわけ串田さんの歌唱力は衝撃的でした。私もびっくりしましたが、父が串田さんが歌うのを聞いて「へえ。いや驚いた」、母が「この人たちって一人一人ちゃんと歌えるのねえ」といたく関心していたのをよく覚えています。つまり、それ以前は「一人で歌える人」だとさえ思っていなかったということです。
では、いつごろからヤング101が表に出て来てシングアウトの出番が減ってきたのかというと、私ははっきり「ケリーがやめていったとき」が契機だったと思っています。ケリーは目が覚めるような美人で、スタイルもよかったので彼女のアップはひときわ多かったと思います。シングアウトの演奏でも彼女のアップは多かったですね。彼女がやめてリディアに変わると、そのボルテージは明らかに下がりました。彼女もやめてしまって以降、シングアウトの出番はほとんどなくなったように思います。上記「ユニセフ万博まつり」のときはケリーはもういなかったと記憶しています。2代目のリディアがやめたのは、あれこれ考えた結果、水木誠さん、田中星児さん、ジュリアン・チェングさんの3人が入った回、70年10月31日に間違いないと思います。
ひょっとするとNHKがシングアウトに対して、その実力以上に注目し期待していた理由は、ケリーがメンバーにいたからなのではないでしょうか(NHKがメンバーに加えたのかもしれませんが)。この話がどこにも出てこないのは前からとても不思議だったのですが、いずれにしても彼女は番組の開始当初、一人でとてもとても目立っていたのです。外国人のかわいい女の子がゴールデンアワーのTV番組に出てくるなどというのは、外国のアーティストでも来日しない限り、当時はまずあり得ないことでした。ケリーの存在はなんとなくこの番組を最初からメジャーで国際的なものにしていたし、その雰囲気は万博の開催(70年3月開幕)を前に沸き立っていたそのころのムードとぴったりだったのです。
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シングアウトの記憶がない私には、A氏の言っていることが正しいのかどうかはわからない。だが、ケリーが非常にかわいらしく、とても目だっていたという話は、それまでに複数の男性ファンから聞いた話と一致していた。また、江崎英子さん(グリ)がフューチャーされていたというのも確かだろう。時期は忘れたが、一時、彼女は番組のなかで「グリ・ア・ゴーゴー」(だったっけ?)というダンスのコーナーを持っていたはずだ。この写真は私のスクラップのなかの1枚。72年のものなので、番組初期のものではないのだが、特にグリのファンというわけではない私が、こんなものをスクラップして持っていたのも、やはり彼女がメンバーの中でもひときわ目立つ存在だったことの裏づけだといえるだろう。
A氏のメールには、さらにこんな驚くべき見解が書き綴られていた。
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