シングアウトの研究

  第5回 シングアウトは薄汚いヒッピー集団だったのか? 

シングアウトは、メンバーチェンジの激しいグループだった。その理由のひとつは、MRAの文化交流プログラムで来日した外国人メンバーは、一定期間が過ぎると本国に帰ってしまうからだ。多くは半年程度で帰国したとみられている。

復刻されたシングアウトのCDのライナーノーツによると、最も多い時期には13人のメンバーによって構成されていたというが、少なくとも「ステージ101」に出演していた期間に、メンバーが10人以上に増えたことはない。下の写真は彼らの唯一の「愛のつばさを」の内ジャケットの写真である。このメンバーからビル(後列左から4番目)宮口森也(後列右から3人目)とリディア(前列左)と除いた8人が、彼らが番組を降板する1971年3月時点で在籍していたメンバーである。


さて、あなたはこの写真を見て彼らが薄汚いヒッピーに見えるだろうか? 確かに生理的に髭を嫌う人は存在するので、原田氏とビルの髭が気になる人はいたかもしれない。

では、これはどうだろう? これは70年8月号のグラフNHKに掲載された写真である。

左から池田、ビル、原田、惣領、向山ひとりおいて小林、樋口氏である。前掲の写真に比べると、メンバーの髪は伸びている。当時の感覚からすると、この程度でも長髪といわれたわけだが、シングアウト以外のメンバーのなかにも長髪がいたことを考えると、彼らだけが批判の対象になるのは腑に落ちない。また、当時、番組ではメンバーはこのように全員ユニフォームを着用していたのだから、シングアウトの服装に問題があるわけがない。また、ビルはシングアウトが番組を降板するより前にシングアウトを脱退している。その時期がいつだったかは、はっきりしないが、割と早い時期に辞めたと言われていることから、彼の髭にとシングアウトの降板とのあいだに相関性があったとは考えにくい。残念ながら、これ以降のメンバーの写真は見たことがないので、番組降板ちかくに彼らががどのような風貌であったかはわからない。しかし、そうこう考えると、原田氏の髭以外に、お茶の間から反発をくらうような要素は、まったくといってよいほど見当たらないのだ。
では、髭の原田氏を擁するシングアウトは、ヤング101のなかで、そんなにも異彩を放っていたのだろうか?私には、どうしてもそうとは思えなかった。なによりも番組を見ていた私自身にそのような記憶が全くない。もし、そのような事実があったなら、私以外の誰かがそれを記憶しているはずだ。私はどうしても、そのことを証言してくれる人を見つけたいと思った。

この10年間、私は折にふれ、知り合ったファンに、この質問をぶつけてきた。しかし、その反応は驚くほど鈍い。そもそも、彼らが出演していた頃から番組を見ていた人が極端に少ない。そして誰に聞いても、明確な回答は返ってこなかった。すでに40年ちかい歳月が流れているのである。当時の記憶が失われてしまったとしても、やむをえないだろう。しかし、それほどまでシングアウトが異彩を放っていたのだとしたら、何か覚えていることがあるのではないか。たとえば、当時、子どもだった私たちには気にならなかったことも、おとなの目から見ると許し難いものだったという可能性はあるだろう。しかし、ビートルズにせよGSにせよ、おとなたちが嫌悪するほど強いインパクトがあるものは、なにかしら子どもたちにもインパクトを与えているはずだ。 もし、シングアウトが大人たちが眉をひそめるほど見苦しい存在だったとしたら、当時、子どもだった私たちも何かしら記憶しているのが普通ではないか?

誰でもいい。当時のシングアウトを記憶している人に話しを聞きたい…そして、ついに私は当時を知るファンから貴重な証言を得ることができたのだった。


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