シングアウトの研究

  第14回 結局ここに戻るのか 

Le Velvets(ル・ヴェルヴェッツ)という男性ボーカル・ユニットが、8月29日、ワーナーミュージックからメジャーデビューする。全国の音楽大学からオーディションを経て集まった5人で結成されたこのグループは、高い音楽性とルックスがウリで、大手通販チャンネル QVCからデビューしたことで、一時期、かなり話題となっていたので、ご存じのかたも多いだろう。かくいう私も、このニュースは、どこかで耳にして知っていた。

そのLe Velvetsのコンサート会場限定で発売されていた「SOLO」というCDに、プロデューサーとして樋口さんの名前がクレジットされている、と友人から知らされたのは、今から数か月前のことだった。このCDは、その後、一般発売されたが、取り扱い店舗が全国にたった6店舗しかなかったこともあり、実際にCDを手にするまでに約3カ月を要した(メジャーデビューが決定したことで、現在はネットで購入できる)。

Le Velvetsのプロデューサーはロビー和田氏である。コーラスアレンジを手掛けているのは惣領泰則氏である。そして、サイトがリニューアルされた現在は見ることはできないが、旧オフィシャルサイトには元シングアウトのメンバーでロビー和田氏の妻・江崎和子さんが経営する「ペーパー・ムーン」へのリンクがあったのだ(笑)。いや、別にそれが悪い事だとは思わないが、アーティストのHPからスイーツショップへのリンクが張られているというのは、事情を知らない人から見たら、かなり奇異に映ったに違いない(笑)。

そして、そこに共同プロデューサーとして樋口さんが名を連ねているとなれば、これはもう「シングアウト」を思い浮かべるなというほうが無理である。解散から40年。いったい彼らは何を仕掛けようというのか? 

聞くところによるとLe Velvetsのターゲットは中高年の女性だという。つまり、Le Velvetsのターゲットは、シングアウトを知る世代であるとも言えるのだ。


さて、肝心の「SOLO」というCDだが、このアルバムを聴いても、正直、樋口さんが何をしたのか、さっぱりわからない。なんせ、このCDには、プロデューサーと名のつく人が6人もクレジットされているのである。あえて挙げれば、「It's only a paper moon」と「Fly me to the moon」が、樋口さんっぽいアレンジに聴こえなくもないが、音楽プロデューサーは、樋口さん以外にも存在しているので、そもそも、樋口さんがアレンジしているかどうかも、よくわからない。わかるのは、クレジットに共同音楽プロデューサーとして樋口さんの名前があるということだけである。

したがって、Le Velvetsの音楽を聴いてみたいという人なら、このCDを買う意味はあるが、樋口さんの音楽を期待するむきには、このCDは、あえて購入する必要はないと言える。


Le Velvetsという名前は、この時まで全く知らなかった。だが、彼らが



私は年齢的には彼らのターゲットに含まれる年代だ。だが、最近になって、ル・ヴェルヴェッツがターゲットにしているのは、中高年の女性すべてではなく、富裕層に限られるのではないかという気がしてきた。

それは、先述のCDをいよいよ買おうというときのことである。なんと、このCD、都内5店と大阪1店、あわせて全国6店のTSUTAYAでしか売ってないのだ。しかも、通常、都内5店でしか扱わないとなれば、消費者の利便性を考えて取り扱い店舗を分散するのが普通なのに、5店すべてが都心に集中しているのである。要するに都心に気軽に出られるところに住んでる人以外は、CD1枚買うために、たいへんな労力を強いられるのである。しかもこのCD、レンタルなし、取り寄せ不可、通販なし。これでは購買意欲も萎えてしまう。本気でCD売る気があるのかしら?とさえ思ってしまった。しかし、見方を変えれば、赤坂や六本木に気軽に出られる地域に住んでいるハイソな奥さまや、CD1枚買うために北海道から飛行機で東京まで駆けつけてこれるようなリッチなマダムだけをターゲットにしているという表れなのかもしれない。しかし、もし、そうだとするとさすがに気分が悪い(笑)。それは貧乏人の僻みというよりも、売り手が、そこまで細かく聴き手を選ぶことに対して嫌悪感を感じるということである。


確実にファンを獲得していた。

会場限定販売のCDとなると、容易には手に入らない。Bさんは私の友人でもあるので、頼めばCDを聴かせてもらうことはできる。しかし、Bさんとはしばらくご無沙汰しており、こんなときだけ連絡するのは図々しい気がして、頼むのは気が引けた。



シングアウトは、おそらく日本ではじめてブラスをフィーチャーしたロックバンドである。その一点において、シングアウトは日本にポピュラー音楽史にその名が記されてよいグループではないかと思う。
シングアウトが登場するまで、日本のポピュラーミュージックでブラスをフィーチャーしたバンドといえば、ジャズやソウルに限られていた。たしかにこれらの世界では、シングアウト以前にもブラス(ホーン)をフィーチャーしたバンドが無数に存在する。身近な例をあげれば、ハナ肇とクレイジーキャッツもそのひとつである。しかし、ロックの世界に初めてブラスを取り入れたのは、シカゴであり、BS&Tである。1960年代末まで、世界的にも、当然、日本にもブラスセクションを含むロックバンドは存在しなかったのである。

間違いだらけのポピュラー音楽史
現在、日本初のブラスロックバンドとして一般に認識されているのはスペクトラムだ。あいざき進也のバックバンド「ロックンロール・サーカス」から、キャンディーズのバックバンドとなった「MMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)」と、その卒業生によって結成されたスペクトラムは、ホーンセクションを中心とグループで、ド派手なコスチュームとステージアクション、卓越したテクニックで強烈なインパクトをもって登場した。メンバーは、新田一郎、兼崎兼一、吉田俊之、 渡辺直樹、西慎嗣、奥慶一、岡本郭男、今野拓郎の8人。ちなみにメンバーの吉田俊之氏は、その後、レコーディングエンジニアに転身、当サイトの『Yasuo Higuchi』のトップページ写真に写っていたりする(笑)。


だが、スペクトラムのデビューは1979年。シングアウトより実に10年も後の話なのである。ブラスを前面に押し出したバンドをブラスロックと呼ぶなら、たしかに日本初のブラスロックバンドはスペクトラムかもしれない。しかし、ブラスをフィーチャーした日本初のロックバンドはシングアウトだったはずである(少なくとも、これまで私が調べた限りにおいては)。

検証『愛のつばさを』
先に検証したように、シングアウトが、シカゴやBS&T、あるいはチェイスばりのブラスを前面に押し出したロックバンドに変身を遂げたという事実は認められない。しかし、シングアウトの唯一のアルバム『愛のつばさを』を聴くと、彼らがブラスロックを志向していたことは、はっきりと伺える。アルバム『愛のつばさを』には、オリジナルと洋楽のカバーが半々ずつ収められている。彼らがアルバムの中でカバーしているのは、下記に紹介する楽曲に「アクエリア〜レット・ザ・サンシャイン・イン」を加えた7曲だ。






聴けぱわかるとおり、彼らがカバーしていた曲の半分は、いわゆる"フィフィス・ディメンション"の文脈で語られるソフトロックではなく、一般的なロックミュージックである。ちなみにここで紹介できなかった「New Dimiension」は、Up With Peopleのカバーである。原曲には、いずれもブラスは入っていないが、シングアウトは、これらの楽曲をブラスを加えたアレンジで演奏していたのである。

一方、オリジナルソングは、ブラスを念頭おいて作られたと思われる曲が大半を占め、特にデビュー曲の『涙をこえて』はブラスなくしてはありえない曲といっても過言ではない。また、メンバー自身のペンによる「退屈」」は、ブラスもさることながら、当時まだ珍しかった意表をつくアレンジをとりいれ、彼らがヒッピー的なサウンドを目指していたことを窺わせる。また、外部の作家を起用した阿久悠作詞、川口真作曲による「東へ、東へ」も同じような傾向が窺えるていってよいだろう。さて、この阿久・川口コンビの最初のヒット曲が、1970年8月にリリースされた西郷輝彦の「真夏のあらし」だ。全体にロック的なテイストを強調し、ブラスでグルーヴ感をだす手法は、以降、川口氏の得意技としてしばしば登場することになるわけだが、「東へ、東へ」は、その流れに連なる最初期の作品と言ってよいだろう。

シングアウトの存在意義
シングアウトはブラスロックを志向しながら、結局、満足にその夢を果たすことはできなかった。しかし、
スペクトラムの登場まで10年の歳月を要したことを考えると、当時の彼らの試みは、十分、評価に値する。 シングアウトは、その歌唱形態から、フィフィス・ディメンションタイプのグループと評されることが多いが、それは彼らの一側面を言い表しているにすぎない。シングアウトは、前身であるレッツゴーと活動理念を異にするだけでなく、レッツゴーが歌唱を主体とするグループであったのに対し、シングアウトは演奏を主体としていたという点で、大きな相違があった。シングアウトは決して演奏技術に長けたグループではなかったが、彼らが演奏を主体としたグループであり、当時、まだ、誰も試みていなかったブラスセクションを初めて導入したバンドであったことは決して忘れてはならない。



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