シングアウトの研究

  第13回 音楽的見地から見たシングアウト 
忘れられたシングアウト

シングアウトは、日本のポピュラー音楽史のなかでは完全に忘れ去られた存在だ。実質活動期間はわずか2年間ほど、アルバム1枚とシングル2枚を発表したのみで、さしたるヒット曲を持たない彼らがその歴史に足跡を残せなかったのは、むしろ当然かもしれない。しかし、改めてその活動を振り返ってみると、彼らが先鋭的な活動を試みていたグループだったことが浮かび上がってくる。

シングアウトは、おそらく日本ではじめてブラスをフィーチャーしたロックバンドである。その一点において、シングアウトは日本にポピュラー音楽史にその名が記されてよいグループではないかと思う。
シングアウトが登場するまで、日本のポピュラーミュージックでブラスをフィーチャーしたバンドといえば、ジャズやソウルに限られていた。たしかにこれらの世界では、シングアウト以前にもブラス(ホーン)をフィーチャーしたバンドが無数に存在する。身近な例をあげれば、ハナ肇とクレイジーキャッツもそのひとつである。しかし、ロックの世界に初めてブラスを取り入れたのは、シカゴであり、BS&Tである。1960年代末まで、世界的にも、当然、日本にもブラスセクションを含むロックバンドは存在しなかったのである。

間違いだらけのポピュラー音楽史
現在、日本初のブラスロックバンドとして一般に認識されているのはスペクトラムだ。あいざき進也のバックバンド「ロックンロール・サーカス」から、キャンディーズのバックバンドとなった「MMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)」と、その卒業生によって結成されたスペクトラムは、ホーンセクションを中心とグループで、ド派手なコスチュームとステージアクション、卓越したテクニックで強烈なインパクトをもって登場した。メンバーは、新田一郎、兼崎兼一、吉田俊之、 渡辺直樹、西慎嗣、奥慶一、岡本郭男、今野拓郎の8人。ちなみにメンバーの吉田俊之氏は、その後、レコーディングエンジニアに転身、当サイトの『Yasuo Higuchi』のトップページ写真に写っていたりする(笑)。


だが、スペクトラムのデビューは1979年。シングアウトより実に10年も後の話なのである。ブラスを前面に押し出したバンドをブラスロックと呼ぶなら、たしかに日本初のブラスロックバンドはスペクトラムかもしれない。しかし、ブラスをフィーチャーした日本初のロックバンドはシングアウトだったはずである(少なくとも、これまで私が調べた限りにおいては)。

検証『愛のつばさを』
先に検証したように、シングアウトが、シカゴやBS&T、あるいはチェイスばりのブラスを前面に押し出したロックバンドに変身を遂げたという事実は認められない。しかし、シングアウトの唯一のアルバム『愛のつばさを』を聴くと、彼らがブラスロックを志向していたことは、はっきりと伺える。アルバム『愛のつばさを』には、オリジナルと洋楽のカバーが半々ずつ収められている。彼らがアルバムの中でカバーしているのは、下記に紹介する楽曲に「アクエリア〜レット・ザ・サンシャイン・イン」を加えた7曲だ。






聴けぱわかるとおり、彼らがカバーしていた曲の半分は、いわゆる"フィフィス・ディメンション"の文脈で語られるソフトロックではなく、一般的なロックミュージックである。ちなみにここで紹介できなかった「New Dimiension」は、Up With Peopleのカバーである。原曲には、いずれもブラスは入っていないが、シングアウトは、これらの楽曲をブラスを加えたアレンジで演奏していたのである。

一方、オリジナルソングは、ブラスを念頭おいて作られたと思われる曲が大半を占め、特にデビュー曲の『涙をこえて』はブラスなくしてはありえない曲といっても過言ではない。また、メンバー自身のペンによる「退屈」」は、ブラスもさることながら、当時まだ珍しかった意表をつくアレンジをとりいれ、彼らがヒッピー的なサウンドを目指していたことを窺わせる。また、外部の作家を起用した阿久悠作詞、川口真作曲による「東へ、東へ」も同じような傾向が窺えるていってよいだろう。さて、この阿久・川口コンビの最初のヒット曲が、1970年8月にリリースされた西郷輝彦の「真夏のあらし」だ。全体にロック的なテイストを強調し、ブラスでグルーヴ感をだす手法は、以降、川口氏の得意技としてしばしば登場することになるわけだが、「東へ、東へ」は、その流れに連なる最初期の作品と言ってよいだろう。

シングアウトの存在意義
シングアウトはブラスロックを志向しながら、結局、満足にその夢を果たすことはできなかった。しかし、
スペクトラムの登場まで10年の歳月を要したことを考えると、当時の彼らの試みは、十分、評価に値する。 シングアウトは、その歌唱形態から、フィフィス・ディメンションタイプのグループと評されることが多いが、それは彼らの一側面を言い表しているにすぎない。シングアウトは、前身であるレッツゴーと活動理念を異にするだけでなく、レッツゴーが歌唱を主体とするグループであったのに対し、シングアウトは演奏を主体としていたという点で、大きな相違があった。シングアウトは決して演奏技術に長けたグループではなかったが、彼らが演奏を主体としたグループであり、当時、まだ、誰も試みていなかったブラスセクションを初めて導入したバンドであったことは決して忘れてはならない。



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