シングアウトの研究

  第12回 最終章〜おもわぬ展開〜 
告白
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メール拝見しました。
すごくショックです。全然知りませんでした。
"Sing Out! "と「シングアウト」 がぜんぜん結びつきませんでした。
まったくバカです。38年間考えてもみなかったです。

私の母は福音教会の活動にいささか度を超して傾倒しており、MRA運動にも深く関係していました。そもそも母が日本に初めて来たのも福音教会の活動でした。そのくせ当時の写真を見ると米軍の飛行機なんかに乗って来ているのです。

最初からぜんぶ偽善でした。ファンダメンダリストで猛烈な反共主義者だったテキサスの祖父(母の父)の後押しで、 自民党の星島二郎氏、東芝の石坂さん、石川島の土光さんら政財界のMRA活動家とも長い間親交を持ってました。
星島二郎氏

私は教会に突っ込まれ、カブスカウトに入れられ、奉仕活動をえんえんとやらされました。72年4月には、ほとんど強制的に教会の交換学生として留学させられました。

そのうち母が教会を介して政財界の反共主義政策に加担していると確信するようになり、その他もろもろの嫌悪感もあって、大学に行くころには私と家族の間はとても険悪になっていました。母と妹が死んだときは、家族とはもう絶縁に近い状態でした。

「ステージ101」が始まったその瞬間から、なぜ我が家のテレビのチャンネルがそこにぴったり合っていたのか。なぜ第1回から家族全員で見たのか…いかにも母らしいやり方です。悲しいです。

思い出を美しい話に作りかえていたのは私です。私はバカです。
ごめんなさい。このお話はいつかちゃんとしますね。
いろいろ教えてくださって本当にどうもありがとう。
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A氏の少年時代のつらい体験は、米国籍の母を持つことによる外見の違いに起因するものだった。そして私のお礼のメールを読むまで、シングアウトの母体がMRAであることを知らなかった彼は、それが自分の母親の傾倒するMRAの"Sing Out! "と同じものだとは、まったく気づがなかったのである。

私は暗澹たる気持ちになった。私はA氏に知らなくてもいいことを知らせてしまった気がした。101は、彼にとってつらかった少年時代を思い出させるものだった。しかし、同時に彼の家族が、家族として仲良く暮らしていた美しい思い出の時代でもあった。

最終章をまちわびて
私はとにかく、A氏に詫びなくてはいけないと思った。私が余計なことを知らせたばかりに、彼の美しい思い出を穢してしまった気がした。

翌日、A氏から返事が届いた。そしてこのメールを最後に、A氏からの連絡は途絶えたのだった。

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ありがとう。どうか落ち込まないで。傷つかないでくださいね。
私は平気です。今回の件も「やっぱりそんなことだったか」というだけのことです。

ケネディが暗殺されたとき、母は目を真っ赤に腫らして泣きながら、普段絶対口にしないブランディをどこからか出してきて、教会にも行かずカーテンを閉め切ってニュースを見ながらずっと飲んでいました。あまりの悲壮さに子供ながらに心が痛み、そのときの光景がずっと忘れられなかったのですが、大人になって、母の出身地テキサスでは、ブランディはシャンパンのように特別なお祝いのときだけに飲むのだということを知りました。あれは「勝利の美酒」だったのです! ですからこんなのは今に始まったことではありません。

でも母にも優しいところはあったんですよ。昨晩はつい書いてしまいましたが、どこかにしまっといてください。

今年の夏で母と妹が飛行機の事故で亡くなってから30年たちます。
7月には休みを取って、ふたりが死んだPacificaの空を思う存分飛び回ってきます。
ついでに「もういい加減にしろ!」と大声で怒鳴ってきますね(笑)。
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                                        完
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