シングアウトの研究

  第11回 独断と偏見の考察 
私の憶測
さて、ここからは私の完全な憶測である。
A氏の記憶が正しいとすれば、「ステージ101」の放送開始から半年ほどで、ユニットとしてのシングアウトの出番はほとんどなくなった。が、それと相反するように、樋口氏個人の出番は格段に増えている。「ピコピ昔の面影がまったくない現在の惣領氏(^^ゞコピッコ」「返事をおくれよ」と、番組のオリジナルソングを2曲も歌うという破格の扱いだ。また、ヤング101のメンバーをひとりずつ紹介する"スポットライト"のコーナーに登場したのも、シングアウトのメンバーの中では彼だけである。他のシングアウトのメンバー…特にリーダーの惣領氏にしてみれば、胸中複雑な思いがあったのかもしれない。(写真は惣領氏)

私が思うに、シングアウトがメインキャストとして起用された理由のひとつは、彼らが楽器演奏のできるグループだったからではないかと思う。しかし、ザ・バロンがヤング101のメンバーに加わったことで、彼らの存在価値は著しく低下した。すでにプロとして活動していたザ・バロンとシングアウトでは、どちらが演奏能力に長けていたかはいわずもがなである。つまり、「ステージ101」という番組にとって、樋口氏以外のシングアウトのメンバーは、もはや無用の長物であり、シングアウトにとっても、番組に出演するメリットはほとんどなくなっていたのではないかと思う。

しかし、惣領氏にしてみれば、シングアウト降板の理由を「シングアウトの出番が減っておもしろくなかった」とか、「樋口氏ひとりがクローズアップされて、おもしろくなかった」などと思いたくはなかったのだろう。バンドリーダーの彼にしてみれば、「自分たちは、もっとカッコいいことがやりたかったのに、”皆様のNHK”ではやらせてもらえなかった」ということにしておきたかったのだと思う。 いや、実際それは嘘ではなく、彼の立場にしてみると、そういうことだったのであろう。

だが、降板の理由は、断じて「おそろいのユニフォームでニコニコと健康的ヤング101に混じって髭面で髪を伸ばした汚いヒッピーたちがウロウロしている様は、おそらく異様なまでにアンバランスな雰囲気をかもし出していた」からでも、そんな彼らに「視聴者からの抗議が殺到」したからでも、「大所帯のブラスロックバンドに変化」したからでもなかったはずだ。彼らが降板したのは、「番組の制作姿勢とのギャップに耐えられなくなった」という彼ら自身の気持ちの問題に尽きると思う。

では、なぜ、ライナーノーツにあのような記述がされたのだろうか? インタビュー原稿は、本人が内容に誤りがないかチェックするのが一般的だ。つまり、ライナーの内容は、当然、惣領氏も確認しているはずなのだ。にもかかわらず、ライナーノーツはあのような内容になった。そこには、「シングアウトは周囲の無理解で降板せざるをえなくなった」ということにしておきたい彼の思惑が反映されているように思う。また、CDを売る側にとっても、シングアウトがそういうグループであるほうが好ましいに違いない。当時、番組を観ていた人さえ、ほとんど覚えていないグループの再発CDでは、ありがたみがないのだから。

別に私はそのことをとやかく言おうという気はない。そういうことはよくあることだから。ただ、私は自分の記憶の根底を覆すような事実が、ほんとうにあったのかどうか、それを確かめたかっただけなのだ。

※補足
その後の調べで、1968年に発売された「レッツゴーがやって来る」というアルバムの中に惣領氏のペンによる「ヒッピーソング」という曲があることが判明。この曲は、激しいビートにファズギターという、惣領氏がヒッピー精神に傾倒していたことを表すものだが、そこに乗っかるのは、健全で道徳的な若者達の大合唱という、かなりミスマッチなものだったようだ(未聴)。いずれにしても1968年といえば、シングアウトではなく、まだレッツゴーの時代。ライナーの記述の誤りは、どうやら惣領氏の記憶の時間的混乱によって引き起こされた部分も多々あるようだ。

霧が晴れた
おそらく、A氏も私と同じことを考えたのであろう。A氏のメールにはこのように書き綴られていた。
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いままでシングアウトの立場に立ってあの番組のことを考えてみたことなど一度もなかったのですが、疑問にお答えしていくうちに、彼らの気持ちがなんとなく分かってきました。番組開始当初、確か1回目か2回目のときに、シングアウトのメンバーを関口さんが一人一人紹介したと思います。そこまで持ち上げておいて、半年もたつと出番さえなくなってしまったんですから、そりゃ頭にもくるでしょう。
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そして、A氏のメールは、最後にこう締めくくられていた。

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もし70年の後半あたりから番組を見始めたとするなら、ユニットとしてのシングアウトを覚えておられないのは当然です。そのころにはユニットとしてソロを取ることもなければ、紹介されることもなくなっていたからです。
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この一節を読んだ時、私は憑き物が落ちたような気がした。
シングアウトの記憶がないこと…それは、過去の自分の記憶に対する自信を根底からぐらつかせるものだった。私が友達と一緒に「ステージ101」に夢中になっていたのはまちがいなく小学生時代だ。私が小学校を卒業したのはシングアウトの卒業と同時だから、それ以前から番組を見ていたのは紛れもない事実である。しかし、あまりにもシングアウトの記憶がないために、「もしかすると私の過去の記憶は、すべて妄想によって捏造されたものなのかもしれない」とさえ思うようになっていた。自分の過去の記憶がすべて妄想によるものだったとしたら…そう考えると、そら怖ろしさを感じた。その恐怖から逃れたい一心で、私は執拗なまでにシングアウトを追求するようになったといっても過言ではない。

「これで、すべては終わった」…私は積年の疑問が晴れた開放感から、A氏に長々とお礼のメールを書いて送った。A氏にとって、さほど興味のあることではないかもしれないと思いながら、シングアウトのことも長々と書き綴った。それは私の疑問に貴重な時間を割いてつきあってくれた、A氏に対する、せめてもの感謝のつもりだった。

多忙なA氏が、かなり無理をしてメールに返信してくれていることはわかっていた。「これでまた、当分、A氏とメールを取り交わすこともないのだろうなぁ…」そんな一抹の寂しさを感じながら、翌朝、パソコンを立ち上げると、意外にもA氏からメールが届いていた。「あらまぁ。お礼のメールにわざわざ返信してくれなくてもよかったのに」と、軽い気持ちでメールを開いた私は、A氏のメールを読んで愕然とした。「まさか…」そこには、まるでサスペンス小説のような、衝撃的なA氏の告白が書かれていたのだった。



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