12月某日。
樋口さんの新しいアルバムのレコーディング打ち合わせに同席することになった私が、都内のある大手レコード会社に到着したのは約束の午後5時ちょうどだった。
社名も建物も当時とは変わっているが、実はこの会社、20数年前、最終の役員面接まで残りながら私が就職に失敗した会社である(爆)。
何の因果か知らないが、こんな形で再びこの会社を訪れることになろうとは……
人生、何が起こるかわからないもんである。

ロビーで待つこと30分。「すみません!お待たせしちゃって」と小走りにやってきたのは、今回のアルバムのプロデューサー、土龍団の濱田氏である。
「あらぁ・・濱田さんってこんなお顔だったかしら???」
濱田さんとお目にかかるのは喫茶ロックジャンボリー以来なのだか、その時とはまるで別人のように顔色が冴えない。聞けばこの4日間、ほとんど寝ていないという。
一瞬、私の頭の中に高円宮殿下のことがよぎったが、そのことは濱田さんには言わないでおいた(あたりまえ)。

濱田さんに案内された先はオフィスの一角にある会議室だった。
部屋の角のビデオモニターには樋口さんが音楽を手がけたミュージカル「ザ・シンギング」の一場面が映し出されている。ロの字型に並べられたテーブルの正面に樋口さん、その向かいに先日、中目黒でお目にかかった寺田さんの姿があった。寺田さんは今回のアルバムのレコーディング・ディレクターであり、喫茶ロックジャンボリーのアレンジも手がけた方だ。右手のテーブルに濱田さんが、私は左手のテーブルに着く。
実はこの日の会議は午後1時から始まっていて、私と入れ替わるようにひとりのスタッフが帰っていった。テーブルの上のいくつもの空の紙コップが長時間に及ぶ会議を物語っていた。

「女将さん(とは言わなかった)と話をする前に、ひとつ打ち合わせやっちゃっていいかな?」と樋口さん。「どうぞ。でも、私が横で聞いててもかまわないんですか?」と尋ねると「もちろん、もちろん。そのために来てもらったんだから」と樋口さん。
そう、今日ここに私がやってきたのは、今回のレコーディングの模様をレポするためなのである。こんなチャンスが巡ってきたのも、ひとえにホームページをやってたおかげである。ああ、やっててよかった管理人!!(^^)v

打ち合わせは1分の間も惜しむかのように始められた。
DAT、MIDI、mp3、GIGA、PRO-TOOLSなどなど、いろんな用語が飛び交うなか「この曲はフレンチ・ポップスみたいにしたいんだ」「この曲はロックで」「『エリーゼのために』」の楽譜は…」と、樋口さんから寺田さんに次々と注文が伝えられていく。
「『エリーゼのために』ってふたつあるって知ってる?…でね、最後のところがレになってるのとミになってるのがあるの」と、横で聞いている私に話がわかりにくそうな場面になると、すかさず樋口さんが私のために(←本人はそう思い込んでいる)懇切丁寧に解説してくださる。ああ、なんという贅沢。思わず顔がでれ〜っとなりそうになるのを必死にこらえ、努めて冷静なふりをして聞く。
「オケは3番まで」「コーラスはユニゾンで」「この曲は仮歌入れて」と打ち合わせは進行していく。

さて、今回のアルバムはインストゥルメンタル4曲を含む全14曲、すべて樋口さんの作曲によるものである。作詞家やアーティストは樋口さんゆかりの人たちが関わっており、現在、入院中1名、人間ドック1名と聞けばそのキャリアも伺われようというもの。
一方、アレンジャーや制作スタッフには積極的に若い才能を起用しており、濱田さんも寺田さんも30代前半の若さである。そこで時にはこんな場面も。
「フレンチ・ポップスはね、ダニエル・ビダルみたいなかわいい感じにしたいんだ。
ダニエル・ビダルって言ってもわかんないかなぁ?」
だが「オー・シャンゼリゼ」が流行ってた頃に生まれた寺田さん、当然、ダニエル・ビダルなんて知りはしない。なんとか寺田さんにダニエル・ビダルのイメージを伝えようとする樋口さんだが、なかなかうまい言葉がみつからない。
見かねた濱田さんが「フレンチ・ポップスのサンプル作って渡しましょうか?」と提案する。若いといっても濱田さんは古い音源を発掘している土龍団のメンバー、さすがにそのあたりはよくご存知だ。
だが、樋口さん「いらないっ。同じもの作って欲しいわけじゃないから」と即、却下^^;
誰の影響も受けないone and onlyの作風の根底には、案外、こんな些細なことも関係しているのかもしれないと感じた一瞬だった。
そんな場面がある一方、最新のハード・ディスク・レコーディングに関する情報などは寺田さんが詳しく、樋口さんはもっぱら聞き役にまわるといった場面も。濱田さんはと言えば、さしずめ両者を橋渡しするパイプ役といったところだろうか。

こうしていよいよ具体的な日程の調整に入ったわけだが、これが作詞家、歌手、樋口さん、寺田さん、さらには他の楽曲のレコーディング予定など、あらゆる予定をすりあわせていかなくてはならないので、いかに厄介な作業かは容易に想像していただけると思う。なんとか日程が決まった頃には、横で聞いている私のほうがどーーーっと疲れてしまった。アルバム1枚作るのがいかに大変なことかは、このことだけでも十分実感できたのだった。

さて、ようやく私との打ち合わせの番がやってきた。もっとも私の場合は、レポを書く上での注意点とレコーディングのスケジュールを伺うだけだったので、ものの5分もあれば十分だったんですが(^^ゞ
ここはレコード会社の方にお話を伺ったほうがいいだろうということになり、担当のTさんにも加わっていただくことになった。ひとしきりTさんとお話をしていると、突然、樋口さん「そのベストいいね」と、話題は急にTさんが着ていた紺の丸首ベストへ。なぜか異常なまでに丸首ベストでもりあがる樋口さん。「ベスト1枚でこんなに盛り上がってていいのだろーか?」あの時、誰も口には出さなかったが、多分、みんなそう思っていたと思う(をいをい)。
すると、そんな私たちの心の中を見透かしたかのように樋口さんが一言。
「いやね、○○○バンド(今回のアルバムで樋口さんが参加するスペシャル・ユニット)の衣装ね、こんな感じがいいと思って」
むぅぅぅ・・・。おそれいりました。樋口さんは私たちが到底及びもつかないことまで考えを巡らせていたのだった。

そうして話題はいつしかビデオモニターに映し出されていた、ある女性アーティストのことに及んでいった。今回のアルバムに参加することになった彼女は、当時は健康的でグラマーな肢体を誇っていたが、現在は別人のように痩せてしまったのだという。
「昔はさ、○○子ちゃーんって抱きしめるとこ〜んなだったんだよ。」というと、樋口さんは胸の前で両手を思いっきりのばして大きな円を作ってみせた。
「抱きしめても本体が遠いんだよねぇ。あいだのクッション(バスト)で」(「げげっ。抱きしめたんかいな!」と心の中で叫びながら「あら。そうでしたか^^;」と何事もなかったかのようににっこり答えるのは辛かった!)
「しかし、ほんとに痩せちゃってびっくりしましたよ」と濱田さんも彼女の変わり様には驚きを隠せない様子である。「しかし、痩せるとあんなに(胸が)なくなっちゃうもんなんですね〜」「いや〜、あれはほんと不思議ですねー」と、このときばかりは見事なまでに全員の意見が一致し、皆、ウンウンと一斉に頷く。
そこにはジェネレーション・ギャップのかけらなど微塵も感じられなかった。
そんな光景を見るにつけ、樋口さんとこの若いスタッフたちは、これまでにないおもしろいアルバムを創りだしてくれるに違いないと確信したのだった。

こうして午後7時半、この日の打ち合わせはすべて終了した。
皆様、ほんとうにお疲れ様でした。