「火の鳥」の音楽と作曲家/樋口康雄さんのこと
文/河原晶子

1980年 スクリーン4月号臨時増刊「火の鳥2772」公開記念号
  私が樋口康雄という作曲家の名前をはじめてきいたのは、今から6,7年前のことだった。その頃彼はたしか20歳になったくらいで藤田敏八監督の映画「赤い鳥逃げた?」の音楽を書き、ビートルズ世代の中から生れた若き作曲家ということで、当時のジャーナリズムがかなり注目していたものだった。その後、私はずっと彼の名をあまりきくことがなかったのだが、でもその間、彼は劇場用映画、TV映画、CM、舞台、さらには純然たるクラシック音楽の分野などで地味ながら幅広い仕事を着実に続けていたのだった。
 そしてあの頃20歳だった彼も、今は27歳になって、いよいよその真価を問うべく映画「火の鳥」の音楽を書き上げたばかりだ。「火の鳥」といえば、まずなによりも20世紀を代表する偉大な作曲家イゴール・ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」が想い出される。そしてまた、78年の市川昆監督作品に音楽をつけたミシェル・ルグランの「火の鳥」がある。原始的かつ民族主義的なエネルギーとダイナミズムを強烈に打ち出したストラヴィンスキーの「火の鳥」、そして流麗に美しくイマジネーションのつばさを広げていったルグランの「火の鳥」、そんないくつかの“火の鳥”がある中で原作者の手塚治虫氏は自身の“火の鳥”のイメージを男性的なモンスターとして、宇宙エネルギーの象徴として把えたということだ。そして手塚氏は、彼の“火の鳥”のための音楽に純粋なるクラシック・ミュージックを求めたという。
 といえば、手塚氏の頭の中にあの「スター・ウォーズ」の音楽のイメージがあったことは言うまでもないだろう。SF映画にシンセサイザーによる未来派サウンドという従来の常識的な手段をとり払って、どちらかといったら時代逆行とも言いかねないクラシック・スタイルの音楽をぶつけ、そこに格調高い永遠のロマンを生み出してしまった「スター・ウォーズ」の音楽は、その後のSF映画の音楽の方向を一気に変えてしまったのだった。だから手塚氏がこの映画の音楽をジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」風にと依頼したとても少しもおかしくないのだけれど、ストラヴィンスキーやミシェル・ルグランはさておき、作曲家樋口氏の白紙の五線譜にジョン・ウィリアムズの書いたおたまじゃくしの亡霊がのしかかっていたとしたら、彼のこの仕事はおそらく大変なものになっていたにちがいなかった。
 でも樋口氏は47歳のジョン・ウィリアムズに対して27歳という若さを武器に、格調高く重厚なウィリアムズのスコアにはなかった、匂い立つような青春の愛らしさや甘さをこのスコアの中に表現してしまったのである。今、私の手元にある録音したカセットに封じ込められた「火の鳥」の音楽の中には、この物語のヒーローであるゴドーの青春への“試練”や“憧れ”、“苦悩”や“愛”が、けっして大仰ではないナイーヴな感性の中に息づいている。〈プロローグ〉から〈ぼくは大人になった〉を経て〈旅立ち〉に至るA面はゴドーの青春の姿が、そして〈愉快な仲間たち〉から〈愛の戦い〉を経て〈地球の最期〉〈死〉〈復活〉へと至るB面はゴドーの波乱万丈の“運命”が表現されているが、曲構成などに「スター・ウォーズ」の影響は認められるものの、曲全体の流れの中に感じ取れるのは“優しさ”とか“愛らしいユーモア”といった、まぎれもない若さである。
 そしてそんな若さが象徴する“夢”をサウンドで具現化してくれるのが、17歳のヴァイオリニスト千住真理子の直截なヴァイオリン・ソロの音色だ。彼女のソロは〈プロローグ〜ゴドー〉と〈愛と苦悩の時〉に聴かれるが、この2曲が収められているサウンドトラック盤のA面にとくにヴィヴィッドな雰囲気が漂うのも、彼女のヴァイオリンの音色から引き出される青春の甘さのせいかもしれない。
 このサウンドトラック盤(日本コロムビアCQ7042)は3月10日に発売されたが、樋口康雄のレコードとしては「赤い鳥逃げた?」(ポリドール)昨年ニューヨーク・フィルハーモニア室内管弦楽団によって演奏されたという「オリエンテーション」や「ニューヨーク・カット」(どちらもワーナー・パイオニア)といった純音楽のレコードも発売されているという。中学生の頃からアマチュア・ジャズ・バンドのピアニストや編曲者として活躍し、上智大学在学中にはすでにNHKの音楽番組で編曲の仕事をしていたという早熟な彼だが、音楽大学出身でもなく著名な作曲家に師事したこともないというこのユニークな音楽歴はちょっとした驚異だ。これから将来、願わくば小手先のみの器用な多作の作曲家ではなく、武満徹の後を継げるようなスケールの大きい、そして人間味の深いほんものの作曲家になってほしいものだと思う。

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