樋口氏が最も顕著な実績をあげてきたのは、映像音楽の分野です。
彼が他の多くの作曲家と違っていたのは、映像音楽が彼の創作活動の主要な部分を占めていたということです。ひと昔前まで、CM音楽や劇伴、映画音楽といった付随音楽は、一段下の地位に甘んじていました。樋口氏は映像音楽のおもしろさに魅せられていましたが、同時に、そのことにも気づいていました。しかし、その場には、作曲者を自由してくれる音楽の価値がほんとうにわかる人たちがいましたので、彼らとの仕事は楽しくてやりがいのあるものになったのです。



明快なメロディとリズムを持ち、色彩的にも鮮やかな樋口氏の音楽は、映像音楽にうってつけでした。特にCMの分野では、映像クオリティーの高い作品に、映像に負けない樋口氏の音楽が求められました。「映像を補おうと思って音楽を作るのではなくて、映像を破壊する気持ちで音楽を作る」「だめな映像を音楽の力でよくすることはできない。よい映像は、音楽の力でさらに何倍にもよくすることができる」という独自の哲学を持つ樋口氏は、映像音楽だからといって手を抜いたり、大衆に迎合した安易な作品を書くことはありませんでした。シリアスミュージック(芸術音楽)と同様の手法で書かれたそれらの音楽は、極めて水準が高く、映像音楽作品のなかでもトップレベルにあるといっても過言ではないでしょう。



樋口氏はサスペンスドラマの音楽を数多く手がけています。また、にっかつロマンポルノでは、本人の知らないところで樋口氏の音楽がさまざまな作品に
使いまわされています。もちろん、製作費の少ないロマンポルノでは、経費削減のために音楽を使いまわしたという一面はあると思いますが、すべての作曲家の作品が使いまわされているかというと、実はそうではありません。これは、人間の業や性(さが)や情念といった人間性をあらわに描きだしたポルノ作品や心理的表現の深さが必要とされるサスペンスドラマにこそ、心理描写や情景描写において他者の追随を許さない樋口氏の音楽が好んで使われたみることができるのではないでしょうか。

また、映画『火の鳥2772』の音楽は、彼の最高傑作の一つであるだけでなく、アニメ音楽史上に残る傑作です。一世を風靡した三菱ミラージュ「エリマキトカゲ」のCMは、2008年6月に放送されたテレビ朝日「スマステ」のなかの『80年代 懐かしいモノ BEST20』で堂々5位にランクイン、そのインパクトがいかに強烈であったかを物語っています。




映像音楽や劇伴は、基本的にアレンジの能力がないと
できる仕事ではありません。また、ある特定の場面やシチュエーションに添った音楽を作るわけですから、それに適応した音楽を作る能力が必要とされます。そして、こうした仕事は例外なく時間的な余裕がありませんから、ある程度、仕事が早くないと仕事をこなしていけません。これは、作曲の能力とは別の「適性」といったものかももしれませんが、そうした適性を併せ持つことで、彼の書くスコアは、とても時間に追われて書いた作品とは思えない、非常に完成度の高いものとなっているのです。