ABC/ピコ・ファースト
きみの求めていたサウンドがここにある
ジャケットの写真は立木義浩氏の撮影

UMCK-3501 ユニバーサル(2000)


デビューから今日に至るまで、高い職業性をもって臨んだバラエティ豊かな楽曲とジャンルを越えた独自のサウンドの構築で、すでに作曲家としての樋口氏のアイデンティティは確立されているのですが、初期の作品で聞かれるみずみずしいサウンドには、特に味わい深いものがあります。このアルバムを聴く度に、良い音楽とはこういう音楽のことをいうんだろうな、と思わずにはおれません。

すでに多くの人たちによってこのアルバムの素晴らしさは熱く語られているので、いまさら改めて説明をつけ加えることもないと思いますが、もしも、客観的にこのアルバムを紹介しなくてはならないのだとしたら、そのキュートにしてポップなサウンドが1972年当時に作られていたことに対する驚異と、弱冠19才で作曲、編曲、ボーカル、キーボード演奏、オーケストラアレンジまで全てひとりでこなしてしまう才能を「天才」という形容詞をつけて、本城和冶、水谷公生といった固有名詞を交えながら、時代的背景と関連付けて、フラットに説明することもできたかもしれません。しかし、13才で、このアルバムと出会ってしまったことは、私にとって決定的であり、「なにをいまさら」と身も蓋もないようなことを思ってしまったりするのです;;

単純なスリーコードから逸脱した洒落たコード感、ロックとも従来のポップスとも違うキャッチーなメロディー、サビの裏メロを取りながら派手な動きをみせるベースライン、ブラスの効果的な使用、めくるめく転調…etc.。『ABC/Pico first』の斬新にして自由なサウンドは、それまでのビッグバンドやコンボスタイルと異なるのはもちろん、シンガーソングライターたちによって形成された音楽とも明らかに違う全く新しい音楽でした。

初めてこのアルバムを聴いたとき、私は自分の中でにが起こっているのか、さっぱりわかりませんでした。ただ、「あのとき」のイントロの高らかなトランペットの音色とともに、なにかがものすごい勢いで私の体の中を駆け抜けていったのです。それは好きとか嫌いといった嗜好だけではすまされない、なにか切迫した感情でした。そして、ある日、私はついにその「何か」を実感したのです。

「ピコは私のために歌っている」
まさしく、私にはピコが「必要」だったのです。

偉大な作家は、その処女作に、すべての要素が盛り込まれていると言います。作曲家にこの言葉が当てはまるかどうかわかりませんが、『ABC/Pico first』を聴く限り、彼には、この言葉がぴったり当てはまるのではないかと思います。このアルバムには、いわゆる樋口的な「要素」がすべて盛り込まれているといえます。日本のポップスの系譜にこの作品を並べてみると、誰の作品とも似通っていません。 スキマも無駄もない緻密で斬新なアレンジ、個々の楽器の音色やフレーズを生かした立体的なサウンドは、純音楽的な作品にも共通する特徴であり、『ABC/Pico first』が作曲家・樋口康雄の原点であることを物語っています。時代が変わっても、ジャンルが違っても、私は彼の音楽が表現しているものは、何ひとつ変わっていないと思っています。問題は、彼が表現しているものに気づくか否か。気づいた人は、絶対に彼の全作品が聴きたくなります。それが樋口康雄であり、樋口康雄の音楽なのです。

「このアルバムを聴かずして樋口康雄を語るなかれ」。
『ABC/Pico first』はひとことで言えば、そういうアルバムです。
一般的な音楽ファン(今までヒットチャートに挙がっているミュージシャンや雑誌などに良く取り上げられているミュージシャンの作品を中心に聴いていた人)なら、まず、このアルバムから聴くことをお奨めします。ただし、『ABC/Pico first』だけでストップしてしまったら、樋口康雄をまったく聴いていないに等しい、そう断言してもいいと思います。


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